2001/11/21

ボゴタ〜キトへ

11月21日(水)2001年 曇り。Bogota→Quito

空港までのタクシーで不快な思い。17000ペソを請求される。メーターがちゃんとついているのに、電話で呼んだから別だと運転手は言い張る。

コロンビアの出国は結構面倒だった。Taxで26ドルも取られるし、Daxには2回もスタンプを押されるし。そんな官僚的なことばかりを厳密にしたって国は安全になるわけはないのに・・・・・どこかずれている。

Bogotaの町はそれなりに美しい。物価はばらつきがある。一番興味があったのはGarcia Marquesがどこに住んでいたのか、だった。運転手に聞いてもだれも知らなかった。マルケスその人も知られていなかった。


より大きな地図で ボゴタ〜キトへ を表示

10:00のAviancaでQuitoへ。
11:30 Quito着→タクシー5ドルで街中へ Amazonas Inn
このホテルは受付の奥さんがとっても上品で感じが良いのだ。9ドルの部屋。テレビつき。他にも2箇所ほどホテルを当たるが、7ドル、8ドルとかだが、シャワーがないとかあまり良い条件のはなく、ここに決めた。このホテルの部屋は少し狭いが、山小屋風できれいに片付けられていた。

昼はホテルの近くの日本レストラン「藤」にいく。入り口に村上シェフ(例の帝国ホテル名物シェフ)の顔写真が貼ってあり、「召抱え、料理人を馬鹿にするな!」と書いてあった。おそらく、ここの主人もその○○料理人だったのだろう」
さて、料理は今回南米で食した日本食の中で最悪、最低だった。ラーメンがないということで、カレーライスを注文したが、ボンカレーにはるかに及ばないまずさ。次に餃子。これも中華レストランで出てくるのとは雲泥の差。
驚くべきは、その値段。こんなにまずくて、5.5ドル。・・・なんという高さ!

ホテルの前の通り、アマソナス通りの少し横丁は、まるで東京の下北沢のような雰囲気である。
夕食に出て、更に驚く。店のつくりとかが下北よりずっと洗練されているではないか。モンゴリアンレストラン~タイレストラン~将軍(日本レストラン)と軒を並べ、サイバーカフェやバルまであるのだ。バリ島よりもおしゃれだ。
その中で、Sian(タイ料理)に入る。トムヤンクン・ビーフン・サラダを注文。味のほうはそこそこ。しかし、支払いの段でがっくり。14.6ドルもするのだ。帰り際にもらったチラシによると、モンゴイリアン~タイ~日本は同一の経営者によるものだった。
まあ、それにしても南米の各都市を回ってきた中で一番洒落ている。
2001/11/23

Quito(キト)

11月22日〜23日 キト滞在・・・これは2001年の記録

11月22日(木)晴れのち曇り。
両替屋に行く。日本円が1万が67ドルには驚かされる。
歩いて、旧市街へ。迷って向かいの丘をうろつく。→独立広場。
サンフランシスコ教会(Iglesia y Convento de San Francisco)
ここでコーヒーを飲む。Convetoというから教会といっても修道院も備えているようだ。泥棒が出るというのでタクシーを掴まえる。4.2ドルなり→Cerro de Penecillo

昼はやすくうまいself service の店。1.2ドルで満腹なり。昨晩の夕食が悔やまれる。

夜は地元の人対象の中華。ワンタンスープが1.2ドル。これがうまい。他に焼きそば(あんかけ)と焼き飯が1/2ずつというのを注文したが、とんでもない量(大皿1杯)がきたのでテークアウトする。ビールも飲み、計4.5ドルなり。ラーメンもあり、2ドルくらいだ。このペースだと、ここでは宿代を入れても一日20ドルあればやっていける。長期だと宿代が安くなり、5万円ほどで暮らせそうだ。

11月23日(金)晴れ。日中21℃

トロリーバスとバスでTerrestre(バスセンター)へバスの時刻を調べに行く。バスはそれこそ腐るほど出ていた。

帰路Toroliバスを乗り間違え、Estacion Surのほうに行ってしまう。

ホテルの近くの語学学校により、料金を聞いてみた。1時間4ドル。一日4時間で20コースをこなすと320ドルなり。(一ヶ月)安い。

昼はラーメン、サラダ、コーラ 2.65ドルなり。

夕方停電。

夜は「Cow Boy」でTbone Steak セットを頼む。3.9ドルビールとコーヒーをつけて5.2ドル。
2001/11/25

El Baño(エル・バーニョ)

11月24日〜25日まで 2001年  エル・バーニョ滞在

キト、エル・バーニョ、リオバンバの位置を表示

より大きな地図で バーニャス、リオバンバ を表示


11月24日(土)晴れ。Quito→El Bano「アンデスの廊下」を下る。
 
8:25 バスでEl Bañoへ12:30着(2.7ドルなり)
    駅前のオスタル anais に投宿 てテレビつき4ドル 昼食2.5ドル
    この宿の欠点はベッドが柔らかすぎること。昼寝をしたら背中が痛んだ。

(宿探し)
(1) Hostal San Cristobal tv,baño 5 dollares
16 de diciembre y Luis Matinez
(2) Hostal Eden
12 de Noviembre 6 dollares Con desayuno
(3)Hostal Agoyán 8 dollar Desdew balcon se puede ver el plaza
(4)Hostal Casa Blanca 5 dollares


・他にバス駅のすぐ近くにテレビなし新築あり。3ドルなり。宿の親父に日本人が書いた宿帳の訳をさせられる。

・夕食はplato=seco(南米特有の表現か?) 牛肉、ライス、フライドポテトが一皿に盛られたもの。1.9ドル。

11月25日(日)晴。
 
・ホテルを変える。Casa Blanca 5 ドル。ここは4階建ての立派なホテル。ここのよさはベッドが硬いことだ。・・・Lonly Planetにもそう書かれていた。

・国勢調査が行われるとのことで、街中の店という店はすべて閉じまい。おかげで昼食も取ることができないざま。まるでラマダンのような感じだ。町中を歩き回ってやっと表のシャッターが半開きのレストランを見つけ食事にありつく。帰りにバスターミナルに寄ったが、バスが一台もいないのには、驚いた。温泉にも行ってみたが休み。滝のふもとまで登ってみる。よく理解できないのだが、国勢調査というよりは戒厳令のようだ。

・夕方、5時過ぎからバスが走り出し、レストランもいくつか開きだした。

・夕食は昨日行った「焼き鳥や」へ行く。1/4のPolloとPatata Frito cerveza で2.9ドルなり。

(町の印象)
・Bañoの町の中心C/Ambato は両側にPizzaria やカフェなどモダンや店が観光客相手に軒をつらねている。外人の若者が表のテーブルでビールを飲んでいる。
・なぜか、日本の温泉街のような雰囲気なのだ。日差しも強いが風も強い。急峻なアンデスの山懐に抱かれた温泉町ってところか。

・ホメロス「イリアス」 第一歌読了。アガメムノンとアキレウスの諍い。ゼウスが妻のヘレを苦手としているのがおかしい。「牛の眼」のヘレという表現。牛の目が美しいというのが面白い。

・「物語ラテンアメリカの歴史」増田義郎著 再読
ベーリンジアの出現→2万5千年前から一万年間と一万2千年前から2千年間陸上に姿を現していた。(諸説あり。精査すべし)
アメリカに人が渡ったのはその間。アメリカ大陸に人が住んだのは、およそ1万2千年以上前。
馬と駱駝はアメリカ原産。→ユーラシアへ。逆に牛と象はユーラシアからアメリカへ。これはちょっと意外だった。

僕は今から10年ほど前にベーリング海の小さな島―リトルダイオミード島で取材をしたことがあり、そのときベーリンジアについて本を読んだことがあるのだが、馬と駱駝の話は記憶にない。駱駝は南米のアルパカとかリャマなどの存在を考えるとうなずけるのだが・・・・
2001/11/27

Rio Bamba(リオ・バンバ)

11月26日〜27日まで 2001年 リオバンバ滞在



11月26日(月)晴 Baño→Riobamba

・8:00出発→Ambato乗り換え→(1H)Riobamba

・Hotel Venecia 5ドル 広い3人部屋。受付の女の子が親切でかわいい。
・Lavanderia を探して歩くが、普通の店は2軒ほど見つけたが、秤で測ってやってくれるキロの店は見つからず。ホテルの屋上で手洗いの洗濯。

・昼飯は駅前の「中国の家」で焼きそばと小ビール2.9ドルなり。

・昼寝の後、夕方散歩に出たとたん雨。ホテルの向かいの店でEnsalada de fruto(1ドル)を食す。これが実にうまいのだ。スイカ、バナナ、その他果物がいっぱい。

・Nariz de diablo (悪魔の鼻)へのアクセスを調べる。
 水、金、日の午前時発。切符は火、木、金の午後6時に発売されるが、売り切れることがあるので早めに駅に行くこと。

・4月21日公園からのチンボラッソ山の眺望が良いそうだ。列車駅付近からもオーケーとのこと。

・Quitoの生活情報。
 アパートは一月100ドル。生活費150ドルが相場。Riobambaだとアパートは50ドルくらい。なお、銀行員などの最高水準の生活をしている人で毎月の生活費は200ドルくらいとのこと。これは受付の女の子からの情報だ。


11月27日(火)

・Riobamba の町(標高2750m)・・・チンボラッソ(6310m)カリワイラソ(5020m)トゥングラウァ山(?)の三つの高山に囲まれた盆地。チンボラッソ州の州都。

・この町に滞在した目的―チンボラッソ山の撮影(というより一目みたい)―がほとんど叶えられずに残念。夕方。4時頃かすかに山頂付近が雲間に見えただけだった。

・最初、山のある方向をてっきり日あり手だと思いこんでいたのだが、磁石で確認したところそれが右手のほうだとわかり、僕の方向感覚というのがいかに頼りないものかと知らされ愕然とする。これは今回に限ったことではなく、旅に出るとしょっちゅうあることだ。たとえば、モロッコのマラケシュではいつも南北を取り違え、フナ広場のあるほうを(CTMホテルの屋上からみて)南と思い込んでいたものだ。

・夜中に変な夢を見て眼を覚ます。犬の日本一を巡って隣り合う村が殺戮を繰り返すというストーリー。僕には珍しい夢だ。

・「イリアス」の第二話読了。この章は軍船表(両国軍といってもほとんどがアカイア勢の紹介だが)の記述でさして面白くない。なにか日本の講談のような感じなのである。(事実、解説でそのような指摘がなされていた)

・「アンデスの廊下」こんな表現が「地球の歩き方」にあったが、ポピュラーな表現なんだろうか?
さて、明日、その廊下の階段部分「悪魔の鼻―Nariz del Diablo」に挑戦だ。列車がスイッチバックを繰り返しながら、海岸方面に向かうそうだ。

地図を挿入





  




      

2001/11/28

リオバンバ〜アラウシ〜クエンカへ

11月28日(水)2001年  曇り。晴 Riobamba →Alausi →Cuenca


より大きな地図で リオバンバ、アラウシ、クエンカ を表示


7:00の汽車。ほとんどの乗客は貨物列車2輌の屋根の上に鈴なりになっていた。普通の車輌二輌のほうはガラガラだった。確かに屋根の上が名物とはいえ、立錐の余地もない状態では果たして、景色がしっかりとみえていたのだろうか?
「Nariz del Diablo」までの5時間の行程はガイドブックに書いてあるほどのことはなかった。もっとスペクタクルな風景をいろいろ見てきた僕には物足りなかった。もしかしたら、あんなに大勢の人たちと一緒にいたことが、あの景観を台無しにしてしまったのかもしれない。これはいつものことだが、・・・エンジェルフォールしかり、フォス・デ・イグアスしかり・・・・例えばあのウガンダのルエンゾリ山の麓にこれだけの人が押しかけていたら、僕のあのルエンゾリに対する印象はまったく違ったものになっていただろう。このツアーの売りはそういう点では、屋根の上の観察に尽きるのかもしれない。

Alausiでの15分休憩の時のお話。駅の便所は長蛇の列。男女の区別が表示されているので僕がその列の横を通り抜けて男のほうに行こうとすると、アメリカ人の女たちにきびしく咎められる。やむなく列の後ろに並ぶ。すると一人のインディオが列を無視して中に入った。またもやグリンゴの中年女たちが非難の声を上げると、彼は憮然として「小便をするのだ」と言って応えた。グリンゴたちはインディオが男子便器に向かうのを見て黙り込み、次に僕たち後ろにいた男たちに向かって「小便なら良い」とのたまった。男どもは(僕も含めて)ぞろぞろと中に入り、男子用便器で小便をしたのである。・・・まったくもってあのグリンゴ女どもの仕切りたがりというか、独善振りには心底腹が立った。

Alausi~Cuenca
これがバスで2Hだと思っていたら、3H半もかかり、疲れきった。バスが小さく隣にオーストリア人の大男が座ったので、キュウキュウの不自然な姿勢で肩ががちがちになる。しかも頭痛も加わりCuencaに着いたときはふらふらの状態だった。バス駅からタクシーでロンリープラネットに載っていたHotel Españaへ直行(1ドル)。このHotel がえらく立派なもので、国旗が玄関に飾られていた。1泊12.20ドル。室内には電話もあり、今回の旅行では最高級ホテルだ。(こんな高いホテルに泊まったのには訳があった。実は腹痛でやむなく決めてしまったのだ)
Cuencaはエクアドルで3番目の町で27万人もの住民がいるそうだ。高さは2700メートル。
 
ホテルの近くで焼肉(こいつが辛かった)と例のライスとソース。ビールの小瓶を注文。2.2ドルなり。寒気がして早々にホテルに引き上げる。
ホテルで風邪薬、砂糖入りの紅茶、ビタミン剤を飲むとしばらくして体調が快復。明日から意識的に野菜と果物をとろう。
2010/12/02

キト(Quito)

12月2日(木)移動日 パナマ→エクアドル(キト)・・・ここからは2010年の記録。上記のは2001年のキト滞在記

例の取り壊した建物の前のテントが撤去されていた。どうやら、先日の強制執行の後に行われたようだ。今後、あの人たちはどこで暮らすのだろうか?

8:30ホテル発
9:00空港着 チェックイン
11:54定刻どおり出発
13:30 キト着
14:30ホテル「Viena Internacional」着。


ホテルは写真で見ていた外観と違ってえらく貧相な入口だった。
ホテル ビエーナの正面玄関

しかし中はパティオがあり、それを取り囲むように部屋が3階建てで配置されている。部屋には机!があり、椅子もふたつ、衣裳箪笥もある。もちろんテレビ、電話までついているのである。掃除は行き届いていて申し分なし。と思いきや、ネットの接続が非常に弱く室内では無理。部屋の外ならなんとか繋がるという状態だ。
まあ、こんなものだろうと諦める。

なんと机があった!
机がある!!!

早速、表に出てみる。少し肌寒い。ホテルの前の坂道の繁華街を下っていくとプラサに出た。「La Marin」という。そこのバーゲンショップでセーターを買う。13ドルなり。それを着こんで少し落ち着く。
界隈には小さな食堂がたくさんあるが、どこも一皿に盛りつけたのが、1,5ドルから2,5$くらいと安い。Encebolladoといって玉ねぎの入った魚スープが珍しい。早速、食する。濃厚な味でなかなか美味だが、残念ながら生ぬるかった。もう少しアツアツだといけるのに。1,60$。
玉ねぎスープ


坂を反対側に上ってゆくと「Plaza Grande」に出た。ここは9年前に来たことがある。
Plaza Grande



広場を取り囲むように建物が建っているが、そのうちのカテドラルの真向かいの土産物屋が一階、二階がCaffeの建物に見覚えがあった。カフェでコーヒーを飲んだことを記憶している。ただ、当時と違い、警官の数がやたら多い。どこを見ても警官だらけだ。確かに安全面では良いが、少し違和感がある。

Palacio Arzobispal
記憶にある建物

プラサのベンチでまずはタバコを一服。ところが周りに目をやるとタバコを吸っている人など皆無だ。足元を見るとゴミひとつ落ちていないほど、きれいに掃き清められているのだ。もしかしたら、この町は路上禁煙なのだろうか。気まずい思いになりタバコの火を消す。

突然、広場の一角ツーリストオフィスのある建物に向かってシュプレヒコールが聞こえてきた。「うそつき!」「うそつき!」と笛を鳴らしながら叫んでいる集団が50人ほど。なにやら約束ごとが履行されないことに抗議しているようだ。警官が配置されていたが、別に弾圧するような気配はない。この国もかなり民主化されているようだ。それに引き換え我が「民主主義国」日本で、万が一にも政府の建物の前で無許可の抗議行動を行ったりしたら、たちまち公安条例違反で排除または検挙されるだろう。中南米で以前の軍事独裁政権下では決して観ることがなかった光景に出くわし感無量だった。

その後、いろんな店を覗きながら散策。電気屋に冷やかし半分で入ってみた。売り場の女の子に、だめもとで「お湯を沸かす器具があるか?」と尋ねた。すると意外にも「ある」と言って持ってきてくれた。碍子にコイルを巻きつけたもので、今まで見たこともない携帯湯沸かし器具だ。よくあるのは、金属の棒でできていてそのまま水に突っ込むやつだが、こちらは小型で軽量と進化している。値段も3ドルちょいと破格だ。喜び勇んで購入。
さっそく部屋に戻り、持参のカップに水を張り入れてみる。コンセントにつなぐと瞬間でぐつぐつと水が煮え立ってきた。なんと20秒ほどでお湯が沸くではないか!瞬間湯沸かし機だ。感動!パナマで華人経営のスーパーで買った緑茶のティーバックを入れてみる。風邪気味(もしかしたら、軽い高山病かも)だったので、熱いお茶がすごくおいしかった。携帯の湯沸かし器は今回の旅の荷づくりの最後の最後で、その重さを考え、持っていかないことにしたのだが、旅する中でいつも後悔していたのである。硬派バックパッカーたちが泊まる宿なら共同キッチンがついているだが、中途半端な軟派バックパッカーの僕が泊まる宿では、お湯を手に入れることができないからだ。優れものに感謝!

これぞ瞬間湯沸かし機だ!
瞬間湯沸かし機

バルコニーから撮った夕方の通り C/chille
バルコニーから
 

2010/12/03

昔の宿を発見

12月3日(金)曇り

次の宿の候補を見に行く。La Alamedaの近くでhostal Margarita2というホテルでネットでは12$でバス・トイレ付、ネットもオーケーという条件だった。実際に行ってみるとネットはなかった。このホテルの一角にはたくさんホテルがあるので、いろいろと探しみたが、ネットのない所ばかりだ。宿の相場は個室・バス・トイレ付で10ドル前後だ。
帰り道にLa Bacilica という教会によった。ゴチック建築のなかなか迫力ある建物である。中はいたってシンプルだった。後で調べてみると歴史が浅いことが分かった。

Basilic del Voto Nacional
Basilica del Voto Nacional

昼飯はホテルの前の食堂。定食とスープで3,5$。
ホテルの向かいの定食屋

3時過ぎにトロリーバスでリオ・アマソナスに行く。あまりの様変わりに驚く。

Mariscal 地区

マリスカール地区

リオ・アマソナス通りを歩いて、昔泊まったホテル「アマソナス・イン」を発見。

アマソナス イン

あの時は新築できれいだったが、9年も経つとすっかりくたびれていた。シングルで14ドルとのこと。

安い中華屋も健在だった。それなりにきれいになっていて、メニューなど出している。
昔通った中華屋


しかし、このあたり一帯はタイのカオサンのような町になっていて、あまり興味がわかない。いうのは地元の人がいなくてすべて外人に占領されたかのような町だからだ。
疲れて旧市街に戻ってくると、こちらのほうがはるかに落ち着くことを実感。
2010/12/04

ホテルをチェンジ

12月4日(土)風邪気味 ホテルを変える 


朝、朝食には時間があったので宿を探しがてら近所を散策。すると、信じられない条件の宿を発見。なんと8ドル。少し安すぎではと思い部屋を見せてもらうが、今までの安宿とは較べものにならないぐらい綺麗なのだ。もちろんバス、トイレつき。Rincon Familiar.

Hostal Rincon Familiar

朝食を終えるとすぐに移動。今までいたホテルから5分もかからない距離だ。スタッフのおばさんも感じが良く、大満足。さて、肝心のネットだが、室内では無理だが、ネット専用の部屋があり、そこなら十分な環境だった。ところでVienaホテルだが、昨日は部屋の外に出ても繋がらなかった。

その後、Malin広場の先にある市場に行ってみる。この市場が整然としていて、市場特有の猥雑感に欠けるのでつまらなかった。

市場・・清潔そのもの

市場から出て、サン・フランシスコ教会まで足を延ばす。一昨日のプラサ・グランデとここの印象がごっちゃ混ぜになっていたのに気づく。
サンフランシスコ教会

サンフランシスコ広場でくつろぐ地元のおやじさん。僕ではありませんよ。
サンフランシスコ広場でくつろぐおじさん


昼ご飯は、ホテルの横の安食堂。話が全く通ぜず、相手の言う通りにうなずいた。出てきたのはチキンスープとライス(鶏からと豆の煮込みがついている)。
これが素朴な味でうまかった。勘定はなんと1,5$なり。
チキンスープ


プラサ・グランデのすぐ近くで市が開かれていた。セーターを一枚買う。おばさんはアルパカだからと言って、17ドルを15ドルにしか下げない。それでも暖かそうなので手打ち。

スーパーに立ち寄り、カップ麺、粉末スープとパンを買う。支払いに先ほどのセーターのお釣りの5ドルを出すと、店員が札を伸ばしてみて、偽札だ!と言ったので、改めて他の紙幣で支払う。偽札を使ったことは不問。どうやらこんなことは日常茶飯事ようだ。

帰り道、先ほどの露店に行き、おばさんに事情を話すと「自分はペルー人で偽札のことはまったく知らない」と言いながら、別の5ドル紙幣に変えてくれた。おばさんの顔を見ていると本当のことを言っているようだった。

風邪がひどくなそうなので、薬局で薬を購入。

夕食はカップめんで済ませ、ヒートテックを着て寝る。この優れものを、もうひと組、持ってくるべきだった。

本日の歩きは風邪気味にもかかわらず25,512歩だ。ちなみに昨日もそれくらい歩いているはずだが、残念ながら万歩計を装着していなかった。
2010/12/05

風邪でダウン

12月5日(日)曇り

昨晩は風邪のためよく眠れず。何度も目が覚めた。それほど熱があるわけでもないのだが、寒き気がして大量に下着を着こんでもなかなか寒気が止まらなかった。薬局で買った薬があまり効かない。やはり日本から持参の「るる」のほうが良く効く。
今日は昨晩よりは少しまし。それでも全身がだるく、回復には程遠い。

寝ていても治らないので町中を歩きまわる。

プラサ・グランデのPalacio Arzobispalの内部・・・最先端のブティックやレストラン・カフェが3階を埋め尽くしていた。

arzobistalの中

Arzobistalの中のパティオ

2010/12/06

新築のバスターミナル

12月6日(月)晴れ


地方行きのバスの駅に行ってみる。C4のトロリーバスの終点で、できたばかりの駅だ。以前のバス駅の雰囲気は全くなく、安食堂さえ目に付かなかった。Bano,やRiobamba方面へは30分ごとに各社から出ている。ということは、出発の日にここに来さえすれば、いろんなバスが選べるということだ。

新築のバスターミナル

その後、旧市街散策

サントドミンゴ教会
サントドミンゴ教会

ケーキ屋さん
ケーキや

ベネズエラ通りから見えるPanecillo 
venezuela通りから見たPsnrcillo