2001/11/30

Piura(ピウラ)

エクアドル〜ペルーへ


より大きな地図で クエンカ〜ピウラへ を表示

2001年
11月29日(木)Cuenca~Piura(Perú)
国境越えは大変だった。まず両替で単純な手口でだまされる。30ドル分を20ドル分しかもらわなかった。次にしつこい餓鬼に付きまとわれうんざり。国境の白タクにもぼられる。8ドルなり。こんなの2ドルくらいだと思う。
最低の一日だった。そもそもCIFのバスで国境まで行き、イミグラシオンで降ろされてしまったのが最初の躓きだった。そこに現れたエリックという小僧を信じたのが2度目の過ち。彼の筋書き通りに国境を越えてTumbesまで行っていたらたぶん15ドルほど損をしただろう。まあ、いい勉強になった。ベネゼラの80ドルのジープに比べればかわいいものだ。


11月30日(金)

昨夜は久しぶりにビールを2本も飲んだので、今日は若干二日酔い。朝、Plaza Armaの前で朝食8ソル=2ドル。高い。街中を歩いてみるとわかったのだが、安い店(地元専用)と高い店(観光客用)とが峻別してあるようだ。
ホテルの水は冷水で、バスタブつきの意味がなかった。
2001/12/02

Cajamarca(カハマルカ)

12月1日〜2日 2001年 ピウラ→チクラヨ→カハマルカ


より大きな地図で ピウラ、チクラヨ、カハマルカ を表示

12月1日(土)Piura→Chiculayo→Cajamarca
・Cajamarcaまでの道のりはすばらしい景観で本当はビデオを回したかったくらいだが、乗客の視線を考えやめにする。ネパールの山なみと行った感じのだ。途中の村々も素朴な雰囲気でよい。マンゴーがずいぶん収穫されていて一個が1ソルという安さ。
急な山道を登りつめると、突然、大盆地が見えた。Cajamarcaの町は僕が想像していたよりはるかに大きかった。
さて、PL/Armasの前のホテルはどこも一杯。やっと一軒見つけたが、hot waterは朝7時から1時までとのこと。1泊25ソル=7.3ドルなり。2時間ほどの経験だが、この町の人間はどことなく観光ずれしているように見受けられた。
夕食はChifaでワンタンスープ、揚げワンタン、ビール。これでなんと17ソル=5ドルもとられる。びっくり仰天の高さだ。
途中の期待感―もしかしたらすばらしい所かも、も興ざめ。
それにしても本日は朝の6時から夕方7時までの移動。結構きつかった。
タバコが高い。胸も痛いことだし、断固やめるべし。1箱263ptsもするんだ。
この町の印象が悪いのも、もしかしたら疲れているからかもしれない。ピウラで2日もシャワーを浴びていないし・・・・ここでも明朝までお預けだし・・・そんなことが重なってこんな不平たらたらの文章(文章と呼べるようなものではないが)を書いているのだろうか?
宿はとても大きな建物で、ペルー人の学生で満室。学生といってもたぶん高校生くらい。一晩中やかましくてよく眠れない。なんか修学旅行のような雰囲気だ。前のプラサにも人が夜通しいる。
プラサに面したホテルというのは考え物だ。まず値段が高いし、客がひっきりなしに来るせいか対応が悪いし、プラサの喧騒がそのまま部屋にじかに入ってくるのでやかましい。
次回の旅のためのメモ。やはりペルーは最高だ。このCajamarcaからさらに奥のChachapoya 方面やPucallpaからIquitosへのルートもあるのだ。ぜひトライしてみよう。


12月2日(日)

朝7時に念願のシャワーを浴びる。ちゃんとお湯が出た。
Santa Apoloniaの丘まで歩く。その後、ミニバスに乗って、El baño del Inca
に行く。温泉は個室でひとりひとり入るたびにお湯を抜き、新たなお湯が張られた。4ソルとは安い。
夕方18時のバスでリマに向かう。14.6ドル=50ソル。
2010/12/14

ペルーへ

12月14日(火)移動日:国境越え ロハ(エクアドル)→ピウラ(ぺルー)

朝、7時過ぎにバス駅に行くがバスは7時に出た後だった。次のバスは午後の1時。仕方なくバス駅で待機。途中、市内バスで街中まで両替に行くが、ATMでうまくお金が引き出せなかった。
<ロハのバス駅>
ロハのバス駅

午後1時。バスは「ロハ・インターナショナル」といってピウラ(ペルー)まで直行なので、イミグレの時にバスの乗り換えをしなくてもよいのが売り。
18時。エクアドル・ペルー国境。
22時。ピウラ(ペルー)着。

ロハバスが到着した場所が、センターから少し離れたところにありタクシーなどが全くいなく、白タクが2台いるだけという始末。止むを得ず、白タクに交渉して市内に行く。宿を三軒ほどあたったが、どこも満室。最後の宿でなんとか部屋を確保。ベッドだけの粗末な部屋で1,000円ほど。
ピウラの安宿
2010/12/15

ピウラ~トルヒージョ

12月15日(水)移動日 ピウラ(Piura)→トルヒージョ(Torjillo)

朝、7時。タラポト(Tarapoto)行きのバス駅に行く。バスは13時発しかないとのことで、リマ行きのバス駅に移動。ここでもリマ行きは夜の便しかなく、唯一トルヒージョ行き、午前9時発というのがあった。
このバスはカマバス(寝台車)と言って二階建ての超豪華バス。朝食と昼食付き。これにはほんと驚かされた。
砂漠の中を走ること6時間。
<豪華バス>
2階建てバス

リクライニングとはこんなものだ

昼飯ーバスで出た


<安部公房の砂の女のモデルのような家々があった>
砂漠のバラック

砂漠ートルヒージョへの道

<おそらく日系移民が持ち込んだ水稲栽培・・・田植えの風景をとり損ねたが、かつての日本のようだった>
日系移民が植えた水稲?


トルヒージョの町に着く。宿はタクシーの運転手がお薦めの「ホテル・コロニアル」。55ソル(20ドル)と少し高めだが、ネットも完備しているので妥協。
ホテル コロニアル

広々とした部屋。ネットも室内で・・20ドル

<Plaza de Armas・・・光って見える路面は磨き上げられたもの>
Plaza de Armas

<タクシーのドライバーは熱烈なフジモリびいきだった。フジモリの娘が大統領選で勝つかもしれないとのこと>
フジモリの娘・・大統領選挙で勝つそうな!



2010/12/16

ワラスへ

12月16日(木)晴れ 夜トルヒージョ(Trujillo)→ワラス(Huaraz)移動

夜の8時の出発までネットや近所の散歩で過ごす。

<朝、市場で食べた鶏のスープ・・・スパゲッティが入っていた。まるでラーメンだ>
チキンスープ

<街並みーここはピサロたちコンキスタドールが作った町>
Trujilloの街並み

後日、トルヒージョの町の概略を追記します。

7時に洗濯ものが出来上がるということだったが、7時半まで待たされた。結構ひやひやものだった。
20:00。バス駅へ。
21:00出発。バスは空いていて、ゆったりと二人席を独占。
23:30 気持ちよく眠っていたら起こされる。大勢の人が乗り込んできて、二もちろん僕の隣にも人が座った。バスはほぼ満員状態。
2010/12/17

12月17日(金)晴れ ワラス(Huaraz)

6:00ごろ目が覚める。窓の外を見るとちょうど山頂付近にさしかかっていた。高度計では3,950メートルを指している。しばらくすると、バスはゆっくりと下って行った。あたりの山の斜面は森林限界を超えていて高山特有の草で一面覆われ、ところどころに小さな清流が流れているのが見えた。いわゆる氷河か作りだした景観なのだろう。
10:30ワラス到着。

バス駅にいた客引きの一人が、容貌が「ぴんから・トリオ=例えが古すぎかな」似で、何となくシンパシーをもってしまい、彼のお薦めのホテルに一応見るだけということを条件に行ってみることにした。町の臍ともいえるプラサ・アルマスのすぐ近くで、市場も3分ぐらいのところにあるホテルは想像していたより良かった。WIFIもあり部屋にはトイレ・ホットシャワーつきで30ソル(1,000円)。2連泊を条件に一日25ソル(825円)で手打ち。
「ぴんからトリオ」はホテルの経営者の従弟とのこと。明日の「氷河湖ツアー」も50ソルで申し込む。

Hotel Virgen del Carmen

荷物を置いて、早速、市場の食堂に出かける。豚の頭のスープと書かれたのを注文。少し生臭かった。次にクィの開きも発見。

<サンドイッチに挟む>
豚の丸焼き
<クィ>
kuy
<えげつない画ですみません。でも現実だから・・・・>
kuyその後

<仲良く昼寝>
仲良く昼寝

市場の周り店では「ノース・フェィス」や「コロンビア」「パタゴニア」といったブランドの「パチもの(偽物)」が堂々と売られていた。値段は1,500円前後。触ってみるともちろんぺらぺら。笑ったのは「ニッコウ」という聞いたことがないブランド名をつけた商品があったことだった。考えてみると、東南アジアの「パチもの」文化はかなり精巧で水準が高い。ある意味、「パチもの文化」はそこの国の技術力を正確に表明しているのかもしれない。

僕は「知的所有権」については懐疑的で、「流出」はなるようにしかならないし、安くて質の良いものを発展途上国の人々が手に入れやすい状況は良いことだと思っている。良く「開発費」が膨大にかかったものを簡単にコピー化されるのは困るということが言われているが、そうした「開発費」を組めること自体が莫大な販売利益に支えられており、コピーによる損失分も織り込み済みのはずだ。例えば「中国」に企業進出するハンディがよく指摘されるが、それでも莫大な「儲け」の魅力には勝てないのである。「資本」とは最終的には「儲け」でしか動かないものである。

少し、頭がふらつくのでホテルに戻る。海岸に近いトルヒージョからバスで移動してきたとはいえ、高度3,000メートル近くに一挙に上ったので、高度順能ができていないので軽い高山病の症状が出てきたようだ。

昼寝をしたら快復。
夕方、冷たい風が吹き、小雨が降ってきた。少し寒い。

ネットは一階のロビーでもできるということだったが、屋上でしか繋がらなかった。夜の屋上はとてもやないが、寒いし、真っ暗でネットどころではない。

<中華レストランはChifaという看板をだしている>
Chifa
2010/12/18

ユンガイとヤンガヌコ

12月18日(土)ユンガイ(Yungay)ヤンガヌコ(Llanganuco)カラス(Caraz)へのツアーに参加

「ぴんからトリオ」から買ったツアーの日。9時過ぎにミニバンがやってきてホテル発。ミニバンにドイツ人の女子学生が6人。それとペルー人のアベック、そして僕という組み合わせ。僕だけがひとりということもあり、一人掛けの補助いすだった。「ぴんからトリオ」はツアー主催者ではないようだ。
実際にはツアーを主催しているのは「Mony Tour」。
そこを出たのは10時過ぎ。
途中、一か所トイレ休憩。

Yungayに着いた時はすでに、昼過ぎ。
このユンガイという村は1970年のアンカシュ大地震(マグニチュード7,8)の時、土砂崩れに遭い地中に埋まってしまったところだそうだ。奇跡的に生き延びた何人か(ガイドは92人と言っていた)の人たちが避難したところが、今は墓地となりキリスト像が建てられている小高い丘である。
ユンガイの丘
<雲間に隠れているワスカラン山のほうから土砂が崩落してきた>
ユンガイの丘の上から


アンカシュ地震とは資料によると下記のとおり。
1970年5月31日にペルー北部アンカシュ県の高原地帯で発生した大地震。死者・行方不明者は約70,000人。ワスカラン山の麓の町、ユンガイ(Yungay)では、ワスカランの北峰が氷河と共に大崩落を起こし、約15,000,000m³の土砂と氷塊が3000mの標高差から時速300kmで流れ落ち、ユンガイの集落を襲った。当時のユンガイの人口は約18,000人であったが、そのほとんどが死亡した。

ここで小一時間ほど過ごし、その後、黒光りする絶壁(もしかしたら黒曜石?)が迫る谷筋を車が喘ぎながら上ること30分。お目当てのラグーナ(氷河湖)に着いた。
<黒光りする絶壁>
黒光りしている絶壁

<ワスカラン山>
ワスカラン山


<ヤンガヌコ湖>
湖
あいにく氷河湖では小雨が降り、湖面が陽の光を浴びると緑色に変化するという絶景には遇えずじまい。
その後、カラスの町のほうに向かう。

午後4時過ぎにカラスの町はずれにあるリゾートホテルに到着。このレストランで食事。ここの値段がえらく高く、ドイツ人の若い女性6人は食事を拒否。えらい!さすが経済観念の発達したドイツ人だ、と感心。クッキーなどの持参のお菓子で空腹を満たしたようだ。持参のお菓子を持たない僕は、ペルー人のアベックと一緒に食事。チキンを頼んだが、それなりに美味。ただし、11ソル=460円ほど。普通の食堂だと多分300円もしないと思う。

結局、ワラスに戻ったのは午後の8時過ぎだった。補助いすのスプリングが弱っていて、お尻が痛かった。このツアーはほとんどが走りというもので、ドイツ人の女の子の一人がかなり車酔いでまいっていた。

ところで、このツアーのチケットを売りつけて例の「ぴんからトリオ」は僕に50ソルだと言ったが、実際はみんな30ソルで参加していた。手数料が20ソルとは取り過ぎだぞ。まあ、ホテルの値引きと相殺か・・・
2010/12/19

ワラス・・・ホテルをチェンジ

12月19日(日)曇りのち雨。ホテルを変える。
ホテルはそれなりに満足していたのだが、ネットが屋上でしか繋がらないので、寒いこともあり、朝からホテル探し。同じ並びにあるホテル(Hotel Galaxia)
が、ネットが部屋でもできるということで変わる。こちらは30ソルということだったが、連泊を条件に25ソル(825円)にしてもらう。こちらのほうが、はるかに設備が整っていて部屋からは広場が見えるし、約束通り部屋でネットが繋がった。
Hotel Gaxia

市場の近くを歩いていると、女の子がふたり出前の食事を露店に運んでいるのを見かけた。それがなんともうまそうで、女の子に、「いま運んだのはなんという料理だ?」と尋ねたら、無視された。怪しいオヤジに声をかけられて怖かったのだろう。しつこい僕は、彼女たちの後をそっと追い、彼女たちが入って行った店を確認した。看板もない、小さな店だった。昼飯はあそこだ!と決めた。

あてもなく、ぶらぶらと歩いていると、長距離バスを運行している会社が3社ほど固まっている一角に出た。ちょうど確認しなくてはいけないところだったので早速聞いてみると、リマ(Lima)行きは各社ともだいたい夜8時ごろ出発、なかに一社だけ昼に3本ほど出している会社があった。昼間だと途中の景色も見ることができるので良いのだが、リマ到着が夜中になるので、ホテル探しの問題がある。夜行バスだと朝着き、ホテル探しは問題ない。どちらにすべきか思案のしどころだ。
<インディオのひとたちの帽子屋さん>
インディヘーナたちの帽子屋さん

昼ご飯は、目星をつけておいた店に行く。女の子が少し怪訝そうな顔をしたが、「朝、運んでいたご飯を頂戴」というと「ロミートか?」という返事。僕はよくわからないが、ロミートとはロモ(lomo=ひれ肉)の細切れのことだと察し、「それをちょうだい」と言った。まず、スープがでてきた。それを片づけたが肝心の主菜がこない。後から来た人たちの皿が次々運ばれてゆくなか、やはり僕の注文は通じていなくて、今のスープがロミートのスープということだろうか?
諦めかけていたら、僕と目があった彼女がカウンター越しに「ロミート・・・」と厨房に声をかけた。しばらくすると僕のところに待望の品が運ばれてきた。朝見たやつだ。

玉ねぎと赤ピーマンとひれ肉の細切れのソース炒め。
いや、実にうまかった。このソースは何?鶏肉や豚の漬け込みで使っているアボド用の一種なのだろうか?昨日の鶏のソテーの時もそうだったが、ソースがうまいのだ。勘定は6,5ソル=215円ほど。おいしくてこの値段!感謝、感謝。
ロミート・コン・アロース

さて、飯話のついでにだが、南米では中華の店には「Chifa」という看板がかかっている。この語源はなにか焼き飯からきているのか?さて、そこのメニューで「アエロプエルト」というのがある。このメニュー、ペルーのピウラに入ってから目にしだした。直訳すると「飛行場」。一体何が出てくるのか、聞いてみると、半分が焼き飯、半分が五目焼きそばということだった。飛行場とどういう関係があるのか、わからずじまい。
それにしても、毎度のことだが、量がすごすぎ。これにスープまでついて6ソル≒200円。貧乏旅行者にはありがたいことです。
アエロプエルト

<みんな鶏料理が好きなようだ>
みんな鶏料理が好きだ


2010/12/20

ワラス休息日

12月20日(月)曇り 後 雨
<部屋からの景色・・・この日の朝は珍しく山の全景が見えた。尖っているのがオクシャパルカ山5,888メートル>
オクシャパルカ5888メートル

朝6時ごろから市場に周辺で写真撮影。
ワラス雑踏
朝食は市場二階の食堂で、チキンスープ。麺がスパゲッティだった。美味なり。
チキンスープだけどラーメン

<食堂の女の子>
市場の食堂の女の子


<露店で買ったパァカイ>
プァカイ

<白い部分を食べる・・・甘いておいしい>
プァカイの実

ツーリストオフィスに行き、ワラスの地図をもらう。
昼食は部屋でマンゴーとビスケット。
風邪気味なのか寒気がする。たくさん着こんだが治まらないので薬を飲む。ひと眠りすると快復。
宿の廊下の飾り棚に、だれかが置いていった沢木耕太郎の本があるのを発見。さっそく読む。「夕陽が眼にしみる」というエッセイ。1993年の初出のもの。旅の話は面白かったが、作家論の部分はあまり共感できず。
<ホテルの犬>
ホテルの犬
2010/12/21

チャビン遺跡

12月21日(火)チャビン(Chavin)ツアー

朝、10時発のバスでチャビン遺跡に向かう。この間のツアーとは違い、豪華バス。
チャビンツアーのバス
<途中の車窓から>
チャビン途中の車窓から
<休憩>
途中休憩の氷河湖
途中、昼食で1時間ほど休憩。

遺跡には14時ごろ着く。あいにくの小雨。雨に濡れながら遺跡を一巡。
<遺跡で見たアルパカ>
遺跡であったアルパカ

<遺跡ー1>
チャビン遺跡
<遺跡ー2>
チャビン遺跡ー2

そのあと、博物館に立ち寄る。この博物館は日本のODAで建設されたものらしく、ペルーと日本の国旗が彫りこまれたプレートが入口にあった。
<博物館>
博物館ー1
<博物館ー2>
博物館ー2




チャビン文明について簡単にまとめておくと、インカ文明以前(プレインカ)にアンデス地方で、紀元前1000年頃から紀元前350年ほど(諸説あり)まで栄えた文明。巨石を使った構造物、土器や石器、独自のアニミズム信仰による彫刻模様などが特徴としてあげられる。

現地を17時半ごろ出発してワラスに戻ったのは午後の8時頃だった。バスに乗っているのが大半というツアーだった。