梅安亭日乗

「TOKASUどこか遠い空の下で」を改め「梅安亭日乗」としました。

La Paz(ラパス)  

2001年12月3日(月)カハマルカ→リマ→ラパス(ボリビア)


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朝6:30リマのバスターミナル着→タクシー5ソル→空港へ
La Paz 行きチケット 189ドル+IVA+出国税25ドル=250ドル。これは判断ミスだ。費用がかかりすぎ。やはりJuliacaから国境越えをするべきだった。
Lima→La Paz 10:00出発
 一時間ほどフライトすると右手にChachani(6075),El misti(5822),Pichu Pichu(5571)の山々の雪を被った頂上が見えた。これはArequipa付近の山塊である。
La Paz 空港~セントロへ 45BS(1ドル=6.8BS) 途中ラパス近郊で一番高い山 イリマニ山(6402)が見えた。空港は4000メートルの高さにあり、市の中心も3800メートルで、さすがに息切れする。


               
ラパス繁華街―ホテル近く
ラパス−1

ラパスー3

Hotel continental(60BS=8.8ドル)これも立派過ぎる。近くに風呂共同だが、15BS=2.2 ドルのHostalがあった。部屋もきれいだし、明日移動しよう。


買い物:ホテルの近くの商店街で靴下4足10BS=1.5ドルを買い求める。

昼飯:9.5BS=1.4ドル。ボリビアはやはり今までに比べると安い。この昼飯は夕方少し腹を壊すことになる。



夕食は「日本人会館―ふる里」へ。ホテルからタクシーで8BS.
刺身定食   43Bs
寿司持ち帰り 25Bs
お茶      7Bs    合計75Bs=11ドル 


夜、睡眠に入ったとたん、息苦しくて目が覚める。これはどうやら軽い高山病のようだ。乾燥しているので鼻がつまり、喉も少しはれているので息が苦しい訳である。もともと空気が薄いので余計に息が苦しいのである。よく考えてみたら、ボゴタ、キトなどでよく痰ばかり出していたが、あれも高山病の症状の一種と「ロンリープラネット」に書いてある。タバコは特に悪い。アルコールもだめ。動きを緩やかにして軽い食事、水を多くとることとある。   
  しかし、頭痛はない(以前ボゴタではあった)し、食欲はあるし、よろめき 
少しあったがおさまったし、問題は鼻づまりと喉の腫れだけなのだ。
  しかし、僕は風邪をひいたとばかり思っていた。エクアドル、コロンビア、 
  ペルーでの体験は今から思い起こすと、高山病の軽い兆候だったのか。無知とは恐ろしいものだ。マテ茶を明日買おう。これは高山病に良く効くそうだ。そういえば5年前もペルーのプーノでよく飲んだものだ。あの時の高山病はきつかった。ふらふらで立っていられないほどだった。

category: ボリビア

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ラパス  

12月4日(火)2001年
朝、再度靴下を買いに行く。昨日のは薄すぎて失敗。今回4足で20Bs.パンツ10Bs.
その後、サンフランシスコ教会とPL/murillo 周辺をうろつく。一度ホテルに戻り、今度はライカコラの丘へ。ここからの展望がすばらしいと「地球の歩き方」に書いてあったが、実際行ってみるといまいちだった。PL/estudianteに向かい歩く。中華レストランを見つけ昼食。17Bs.
ラパスの子供



本日の出金 ・・・典型的なボリビアの一日

昼飯・・・17
夕食・・・ 6
洗濯・・・15
ホテル・・60
コカ茶・・ 4

合計  102 Bs =15ドル  移動費を除くと一月5万円ぐらい。ボリビアはそういう意味では安い。

category: ボリビア

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Oruro(オルーロ)   

12月5日(水)La Paz→Oruro


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Oruro行きは30分後とに出ていた。所要時間は3時間半で15Bs=2.2ドル。
ここで一大事件。僕は荷物を受け取るのを忘れてしまったのだ。そのままbañoへ行き、しばらくしてからハッと気づく。汗がたらり。今回の旅行で最大のピンチ。たまたまポケットにバスのチケットがあったので、それを頼りにバス会社を見つけ無事回収。いやはや。疲れているんだね。
タクシーを捕まえResidencia Ideal へ向かう。Ⅰ泊25Bs=3.7ドル。
さっそくExpesso del Sur の切符を買いに行くが、午前の部は終わっていて、午後は14:30~17:00が営業時間とのこと。
駅前のAlojamiento(宿)を3軒ほど見たが、ロンリープラネットでは牢獄のようだと書かれていたが、それほど悪くは思えない。それなりに風格があってよいのでは・・・・
市場でセーターを買う。40Bs =6ドル。この間リマの空港で買ったのは140ドル(母親用)
昼はAlmuerzo,costilla,sopa 5BS=0.7ドル
少し風邪気味だ。鼻がぐずぐずといっているのと頭が少し痛い。この症状は絶対に高山病のそれとは違う。

Oruroの町について
3702メートルの高度。風が強く乾燥。寒い。人口は16万人。90%が純粋のインディオ。Quirquincho (armadillo)で有名。それとUru-Uru湖がある。

Internetの普及について
今回の旅行でなんども驚いたことだが、どこの国、どこの町、どこの村にもネットカフェがあることだ。そして、どこの店も結構はやっているのだ。ということは、ネット人口がすごい数いるということだ。これについては一度ゆっくり考えてみよう。ネットの世界性と大衆の意識の同質化というのは、新たな世界の出現とつながるのあろうか?

夕食は中華。PL/10 de febreroのかどに面したえらくコロニアルな建物、階段は傾いていた。中国人の女の子が僕を見るなり「ハポネス?」と言い当てたのには驚いた。


12月6日(木)晴

昨晩は最初は寒くてどうしようかと思ったが、朝方はそれほどでもなかった。たぶん風邪気味だったのが治ったのだろうか。何しろ耐寒パッチとトレーナー、フリースなどを大量に着込んだのだから・・・
朝、ツリースト事務所の前のOGGYという店で茶とsalteña (empanada)1個の朝食(4.5BS)
DのバスでSan Jose の鉱山へ。しかしバスの終点から後の手がかりがないので断念。
鉱山の労働者住宅。アドベの粗末な建物。この町は出稼ぎの貧しい労働者たちの町だった。住民の姿があまり見られなかったのが残念。ゲバラが鉱山労働者を訪ねているがこの場所だったのか?
オルロー近郊の銅山




次はUruUru湖を目指す。101番のコレクティーボの終点で降り、20分ほどの歩きと「地球の歩き方」に書いてあったので歩くことにする。何もない干上がった湖のあとのようなところを10分ほど歩いた。そこで豚を飼っている女の子に[Puerta de España]=それがUruUruという意味、までの距離を聞くと、後1時間以上といわれる。結局、こちらはあきらめる。このあたりの地面も塩がいっぱい噴出していてそこかしこが白くなっている。

昼はあまり食欲がなく、Salteña1個と水、それに昨日買ったりんごを食す。


(スペインに戻ったら)
ゲバラの死んだ場所の確認。コレア村?ゲバラ関係の本で確認のこと。Oruroから東。体が埋められていたのはバジェ・グランデという町。ゲバラ最後の村はイゲラ村。チューロ渓谷での戦闘など。
辺境ノート(放浪ノート)の整理。地図と写真のはめ込み。
  
   La Paz 13:00            



Oruro 15:30 Valle Grande
   カーニバルで有名              ゲバラの遺体



Uyuni 21:50 
   塩湖で有名











タバコをやめて3日目。息苦しさはなくなっている。いつまで続くか?この国ではタバコは高い。人々はあまり吸っていない。これは南米全体にいえることだが(僕の回った範囲で)・・・そうだとしたら、タバコのオリジンの地域ででタバコがそれほど普及していない?って皮肉だね。
夜中、下痢で目が覚める。慌ててトイレに行くと、水状の便が・・・腹は痛くないのだが。正露丸3錠。これは昨日の屋台で飲んだジュースの影響だろうか。そんなに激しくないが、下痢が続いている。特に問題は、ホテルのトイレのペーパーが硬くて粗末なやつなのだ。便所紙については、以前に比べれば格段に質が上がっているのだが、ここのホテルとラパスのホテルは最悪だった。やはり、全般にボリビアの便所紙はいまいちでごわごわ。

category: ボリビア

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Uyuni(ウユニ湖)  

2001年12月7日(金)Oruro→Uyuni

オルーロの駅
オルーロの駅


夜中の下痢が止まらず、朝、向かいの薬局でAntibioticoを入手。朝食はりんごとバナナをマーケットで買い、それで済ませる。その後ずっとベッドで寝たきり。熱っぽいのと、しんどいのだ。昼の2時までベッドの中。ホテルには延長料として5Bsを払う。
タクシーで駅に向かう。水とクラッカーを買う。
15:30ジャストに出発。途中の風景にはこれといって感動すべきところなし。フラミンゴの群生が見られたのが収穫。
21:50 Uyuni 到着。列車の中でも体がだるく、最悪。2回目の抗生物質と風邪薬が効いたのか最後の1時間ほどはいつもの体調に戻る。
駅の向かいのHostal Avenida に投宿。60Bs=8.8ドル
近くのレストラン虹でスパゲティポロネーズと小瓶のビールで夕食。31Bsなり。スパゲッティは18Bs~25Bs ビール6Bs
明日のツアーの申し込み。150Bs=22ドル。
50ドルを両替→340Bs.ここではレートが6.8今までは6.7だったのに。やはり観光地ということなのか。そういえばホテルも割高だ。



12月8日(土)

体調は快復。朝一のシャワーを浴びる。昨日頭を触ったら、ふけだらけだった。どうやらシャンプーの残りかすらしいので、今日は入念に洗うことに。でもいかんせんお湯の出方がすっきりと洗い流すほど出ないのだ。それでも2度洗いをしたらきれいになったようだ。

ここのホテルは昨日のよりずっと清潔だ。シーツはピシッとしているし、掃除は行き届いていて気持ちが良い.


朝食はレストラン16 de Junio で。アメリカン朝食 17Bs
Uyuni の町・・・3700m 塩業と観光。
ツアーに出発 グアテマラのおばさん3人組と一緒になる。
ウユニ塩湖−6



 塩湖で塩採集の作業員
作業する労働者ー塩湖

塩湖の中の島(魚の島)

塩湖の中の島−4

塩湖の中之島ー1

ウユニ塩湖入り口ー3


(ツアーについて)
1 現地の生活水準と比べべらぼうに高い。
2 レストランもスパゲティが20Bs 地元の食堂の夕食が7Bs
3 ツアーで行くところは、自力ではいけない。そのため高価格と足元を見られている感じがする。
4 外国人ばかりでしかも若者主体だ。
(追記)2008年5月6日現在の情報。5月3日か4日にこの塩湖で車同士が衝突して日本人が3名死亡との報道があった。

ドイツ人一家・・・・いい感じでほほえましい家族だった。
  祖父、祖母、夫婦、子供の5人。彼らが僕のいたレストランに入ってきたときには、ほんと驚いた。というのは彼らとは今日で3度目の出会いなのだ。まず朝、駅の構内で、次にツアーでいった塩湖の島で、そして今また
このレストランは地元民だけのレストランでcenaといって定食がある店。7Bsのリーズナブル料金である。これが駅前の観光客相手のレストランだと3倍はする。
夕食は7Bs。
部屋に戻ると鍵がないのでレセプションに行きあけてもらう。最初は室内に忘れてのかと思って探したがない。やむなくレセプションに行き、鍵の弁済について言うとオヤジはそっけなく40Bsという。そこで40Bsを払った後、念のため、先ほどのレストランに行くとあるではない。座ったときか、支払いのときに落としたようだ。・・・ほっとする。ホテルに戻りオヤジに鍵を見せ金を返してくれと言うと、先ほどの金は今晩の宿泊代だというではないか。では、鍵の弁済は?そんなのははじめから取る気がなかったようだ。・・・またもや感激。

category: ボリビア

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Villazon  

12月9日(日)曇り Uyuni →Villazon

ウユニ、ツピサ、ビジャソンを表示。


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日曜市を見て回る。クラッカーとスープの素、卵、トイレットペーパーなどを購入。
朝食は、卵スープとクラッカーと紅茶ですます。
駅に行きVillazon行きのチケットを申し込むと「売りきれ」と言われる。一瞬、途方にくれていると、係員は「Ejectivoか?」と聞くので「そうだが」と応じると係員は受話器をとり、どこかの駅(たぶんOruro)の係員と話し出す。結局滑り込みセーフで切符を入手。(2:35発)
その後列車に乗ってみてわかったことだが、Ejectivoの席はガラガラ。僕の車輌には4人しか客はいなかったし、そのうちの2人のスウェーデンのアベックは1時になってから窓口で切符を買っていた。しかし、一方で列車が発車したとき、積み残しの外人たちの姿が見えたのも事実だ。良くわからずじまい。

途中のツピサ駅での風景
ツピサ駅前・青空食堂

ツピサ駅前−2

category: ボリビア

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ラパスへ  

2010年12月25日(土)雨のち曇り 移動日:プーノ(Puno)→ラパス(La Paz)

朝、小雨。このままプーノにいてもチチカカ湖観光はしないので、やることなし。風呂のお湯は電気シャワーのため冷たくて、また風邪をひきそうなので入らず。

ラパスへ移動することにする。
タクシーでバスターミナルへ行くと、僕はてっきり国境まで行き、ボリビア側でバスを乗り換えるものとばかり信じていた。すると、駅で、怪しげなオヤジが「どこに行く?」と聞くので「ボリビア」と答えると、「こっちだ」と指図をするではないか?僕はてっきりエージェントか何かと思い、無視すると、オヤジが指さすカウンターに「パンアメリカーナ」という表示があった。そういえばそういう直通バスがあることはガイドブックで読んでいた。中米の「TICAバス」のようなものだ。そのオヤジはどうやらそこの会社の人間だった。「すみません」。騙されまいと、人を疑う悪い癖がついていることに愕然。

さて、そのバスには珍しく日本人が5人も乗っていた。考えてみれば暮れの旅行シーズンなのだ。

7:45出発。
途中、食事休憩があったり、両替屋に立ち寄ったりして、ラパスに着いたのは午後の5時近かった。(ただし、ボリビアは1時間ペルーより進んでいるのでペルー時間でいうと4時ごろ)
<チチカカ湖ーボリビア側>
チチカカ湖ーボリビア

高山病の軽い症状か、息が少し苦しいのと頭がふらふらした。
バスがラパスの繁華街を通った時、かつて泊まったことのあるホテルが見えたような気がした。広場はかすかに記憶にある。
バスターミナルまで行かずに途中下車という気の効いたサービスがあり、繁華街近くで下してもらった。日本人も全員降りた。僕は挨拶もそこそこにガイドブックで目星をつけておいたホテルに向かったが、どうも調子が良くないので、最初に目についたホテルに飛び込む。「Fuentes」といって1泊140B≒21ドル。ネットもできるし、部屋は広々としているので決定。
一休みした後、夕食のレストランを探しがてら近所を散歩。するとロンリープラネットでチェックしていたホテル「マジェスチック」がすぐ近くにあった。フロントで値段を聞くと90B=14ドルとのこと。
一階に日本レストランが入っていたので、夕食は魚の照り焼きを食す。日本茶とで63B=756円なり。アルコール類は置いてなく、料理のできは最悪。魚の照り焼きは駄々っ辛い醤油汁に魚(何の魚かわからなかった。後で鱒だと分かった)のかけらが沈んでいた。豆腐は小さく、さいの目に切ったのが冷ややっこのつもり。ご飯は小サイズの茶碗にちょっと。悪口はこれくらいにして、ほんとまずかった。
ホテルはエレベーターも付いていてなかなか綺麗。明日にでも引っ越ししよう


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category: ボリビア

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旧友と再会  

12月26日(日)柴崎君との再会

朝、ホテルを「Majestic」(C/Santa Cruz esq IIIampu #359。TEL:2451628, 2129546)にチェンジ。最初、案内された部屋は窓から市街が見えるという最高の条件だったが、ネットが繋がらないので、ルーターが近くにある部屋に変えてもらう。こちらは室内でのネットがちゃんとできた。
<Hotel Majestic>
マジェスチックホテル

ラパスに来た最大の目的は柴崎君との再会である。昨日、深夜にやっとメールの返事が着て、今朝、会う手筈になった。
柴崎君は僕と同じ職場にいた人間で、現在は海外青年協力隊員として、ボリビアの日系移民の歴史資料の整理などの仕事に就いている。明るく、気立てのよい青年で、なかなかの美男子である。
11時過ぎ、ドアをいきなり開けて彼が突入してきた。以前に較べて、少し痩せた感じだ。

早速、彼の職場(ボリビアーラパス日本人会)の3階にある日本食レストラン「Ken Chan」に行く。
この店は10年前にも来たことがあるのだが、経営者が変わっているとのこと。たしか細巻きの持ち帰りをした記憶がある。店の作りは以前と変わりがなかった。
餃子とビールで再会の乾杯。
話は彼の仕事のことや、彼がボリビア人の女性からいかにもてているかという自慢話で盛り上がった。
話が一段落したところで、僕は、年末から5日間ほどの予定で「フレディ前村」の最後の地に行かないかと誘った。
「フレディ前村」とは、チェ・ゲバラのもとでゲリラ闘争を戦った日系二世の医師である。ボリビア人のゲリラの中に日系人がいたことは「広河隆一と日名子」氏たちが書いた本で昔から知っていたが、一昨年、フレディの姉の「マリー前村ウルタード」さんが、フレディ前村のことを書いた本を出版するため、来日したとの記事を新聞で読んだことで再度、興味をもった。そして、この本の翻訳本が昨年の8月に出版されたのだが、なぜかチェの映画などが盛んに上映されたにもかかわらず、この日系人のことは人々の話題には上らなかった。
フレディ前村の本

今回、僕のボリビア行きの目的の一つは、「フレディ前村」の最後の地を訪れてみたというものだった。もちろん、そこはゲバラ最後の地でもあるのだが・・・
僕の提案に柴崎君は即座にのってきた。30日か31日発で行こうということになったのである。

category: ボリビア

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政情不安?  

12月27日(月)
柴崎君の事務所を訪問。
「フレディ前村の最後の地」訪問の件が暗転。柴崎君ら海外青年協力隊員はプライベートで旅行する場合でも、ジャイカに必ず届を出さなければならないそうだ。届を出したところ、政府のガソリン価格の値上げに対して、各地で道路封鎖などの抗議行動が起きており、出張は控えるようにとの通達があった。という訳で年末のサンタ・クルス行きは頓挫。
<柴崎君と彼が作った日系移民史のパネル>
柴崎君と彼の作品

<僕が以前泊まった宿・コンティネンタル>
10年前に泊まった宿
<イリマニ山・・6402m>
ラパス近郊の最高峰

category: ボリビア

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デモ  

12月30日(木)曇り 

デモがあるというので町に出る。大通りには、タクシーやバスは全くと言っていいほど走っていない。たまたま走っていたタクシーがデモ隊に取り囲まれて糾弾されている姿を見た。
デモ参加者はかなりの数だった。(一万人以上という報道)
<警備の警官>
警備の警官


デモ隊

その中でインディヘナの姿の人もちらほら見られたが、その比率(55%)からすると少なかった。やはりエボ・モラレス大統領を支持しているのだろうか?
先住民族のデモ参加者


今回のデモは、ガソリン値上げをはじめとする政府のインフレに対する無策に抗議するデモだそうだ。デモ隊が掲げるプラカードを見ていると、政府が進めているエネルギー政策の見直しなども訴えていた。
反エボ・モラレスと言うとどうしても、東南部の分離独立派の動きが気になるところだ。そしてその背後にアメリカの影がちらつくのである。
もちろん、こうした予断だけで情勢をみるのは間違いだが・・・
豊かな資源に恵まれているにも関わらず、世界最貧国のひとつであるボリビアは「黄金のいすに座る乞食」と呼ばれてきた。その黄金をすべての人に平等に分配しようと言うのが、エボ・モラレスの主張だったが、やはり現実の経済運営で躓いたのだろうか。
このことは、ベネゼーラをはじめとする、中南米の反米中道左派政権が抱える問題でもある。世銀やIMFが主導権を握るグローバル経済圏の支配構造の中で、果たして自立的な南米ブロック経済圏が成立・維持できるのか、ということに繋がる。(チャベスたちはメルコ・スールという経済共同圏を実際作っている)
ここ数日の動きが気になるところだ。

category: ボリビア

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正月  

1月1日(土)曇り 

ラパスでの新年・・・残り人生、後何回、異郷での正月を迎えることができるのだろうか。

バス駅に再度行き、時間の確認。ただし、元旦のため各バス会社のオフィスがほとんど閉まっていて、詳しい情報が得られなかった。サンタ・クルスへ行く最有力候補としては、17時半と22時半。これは3列の寝台車。コチャバンバへは、どうやら寝台車と言うのはなさそう。あっても夜行のみか。

正月ということでラパスの町もさすがに店も閉まり閑散としていた。柴崎君情報によれば、先日のデモの発端となった大統領令は撤回されたのこと。あまりの反響の大きさにエボ・モラレス大統領もビビってしまったのだろう。こうした軽率な動きが、反政府勢力、とりわけ親米勢力に付け込まれる原因にならなければ良いが・・・



<正月も街角で働くおばさん・・・こうした人たちの地位向上がエボ・モラレスの主張だったはずだが>

正月も働くインディヘーナのおばさん

category: ボリビア

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