2001/12/13

Santiago de Chile(サンチアゴ・デ・チリ)

12月13日(木)2001年  →Santiago de Chile


より大きな地図で Mendoza,Santiago を表示


朝8:00バスで出発14:00着。Hotel Paris 15ドルなり。
夕食は居酒屋 Yoko 14.5ドルなり。酢の物、握りずし、冷奴。まずかった。やはり日本食はだめだ。高いしうまくない。
この3日間、毎日2本ほど吸っている。うまくはないのに、いらいらしてついつい・・・
明日はPunta Arrenasへ。

(チリの街角の印象)
ブエノスアイレスよりはるかに洗練されている。ここでピノチェットが長期間独裁政治を敷いていたとは、想像できない。
Indipendencia Plaza で露天商のお兄さんがポスターを売っていたが、アジェンデ最後の写真、サパティスタのマルコス司令官、チェ・ゲバラなどがあり、妙に感動した。
2001/12/14

プンタ・アレーナス

12月14日(金)2001年  →Punta Arrenas


より大きな地図で サンティアゴ・デ・チリ〜プンタ・アレーナス を表示


朝8時起床。2度寝で寝過ごす。8:30空港着。9:00の便にギリギリ間に合う。
12:00 Punta Arrenasu 着。Hostal O’higgins は少し商売ずれしていていやな感じ。オヤジが札束を見せびらかしていた。
昼はハンバーガーで済ます。

15:00 Zona Franca ここはフリーポートのような場所。今まで使ってきた3ウェイのザックが壊れたので、新しいのを買う。

(Punta Arrenasの印象)
プレハブの家だらけ。それにちょっとだけ塗装が施してる。アラスカのダイオミード島を思い出す。サハリンの家に色を着けた感じだ。    
やはり寒いところは似てくるのだろうか。

プンタ・アレーナス−2

マゼラン海峡
プンタ・アレーナス

マゼランの像
マゼラン銅像







2011/12/30

Vanarasi行きの列車予約

12月30日(金)
朝、昨日の彼女が出発したので彼女のいたシングルルームに変わる。こちらはベッドもダブルサイズで窓もあり、なかなか快適。料金は600ルピーなり。

ホテルの予約で必需品なので携帯のSimCardを買う。もっと早くに買っておけばよかった。

朝、BBDにある「外国人用の鉄道予約センター」にタクシーで行く。地図で見ていたより大回りしているような気がしたが、言葉も通じないので諦めて乗っていた。料金は90ルピー。
来月の2日の夜、7時10分発Varanasi行きのチケットを購入。当初は2ACを予定していたのだが、満席なので3ACのチケットを買った。割引で776ルピーが500ルピー。

帰りは懐かしのフーグリー川と橋を見てから、あまり迷うことなく歩いて帰れた。

フーグリ川と橋


昼飯はブルースカイで

ブルースカイ




香港飯店で夕食


何軒かの中華レストランで見た!中国人にとって「竜馬精神」とは生き方の指針?

竜馬




2015/10/02

メンドーサからアンデスを越えてサンチャゴへ



朝起きてネットで国境が開いているかどうかを調べる。
今日は通行可能のようだ。
次にCATA以外のバス会社の検索をすると自分が入手した13時半発より前の便が2本もあった。
9時発の便だと夕方に着けるのに、13時半の便では夜の8時過ぎになる予定だ。


宿のセバスチャンに別れを告げた。
セバスチャン





すると彼は餞別だといってメンドーサのワインをくれた。うれしかった。ありがとう、セバスチャン。
餞別にもらたワイン



チェックインを終えて、荷物を積み込んでもらった。
Cataのバスの車体にはカミニートを歌った超人気歌手のカルロス・ガルデルが描かれていた。
カミニート







メンドーサ~サンチアゴへのルート地図に書かれている時間は国境審査が計算に入っていない。



2階の先頭部分はすでに抑えられていたので、次善の選択として1階の一人掛けの席を取った。
ところが、これが大誤算。
跳ね返りの泥がガラスを汚していたのだ。
1階のカマの席・・・一人で座れる



道路と並行して鉄道の軌道が走っているのが見えた。
今は廃線しているが、近々再開するような話を耳にしたようなことがある。
列車の軌道が残っている





チリとの国境に近づくに連れて雪化粧のアンデスが迫ってきた。
雪山が迫ってきた







雪山2





国境審査の場所。ここで予想以上に時間がかかった。
国境審査の場所





国境審査2




3時間近く遅れて、22時40分にサンチャゴのバス駅に到着。
バス駅は金曜日ということでごったかえていた。
タクシーは一台も見えなかった。

たまたまいたタクシーに声をかけるが無視される。

やむなく、メーターではない言い値で行ってもらうことにした。


23時過ぎに宿に到着。
宿は日本人が経営する「La Frontera」
La Frontera


なんとドミトリーの部屋は先客がいないということで、独り占めだった。
ダブルの部屋が8,000ペソ。1,400円ほどになった。最高。
フロンテーラの室内



経営者のMさんとセバスチャンにもらったワインで乾杯!
助かった。






2015/10/03

サンチャゴの市場


泊まっている宿から歩いて15分ほどのところに中央市場がある。

中央市場





この市場では魚と肉類が売られていて、野菜は川を挟んで向かい側の市場で扱われていた。
期待を込めて魚屋をのぞいたのだが、扱っている魚の種類は少ない。タラと黒鯛などが中心で鯵やイワシはほとんど見なかった。
魚屋をのぞいたが、扱っている魚の種類は少ない




その分、貝類は充実していた。
貝が充実していた




初めてみる奇妙な貝。
ピコロコという奇妙な貝




市場の半分はレストランになっていた。
市場の半分はレストラン




そのうちの海産物専門のレストランに入った。
市場のなかのレストランに入った。






ウニを注文したが、味は淡白で日本で食べているウニとはかなり違った。笑ったのは「醤油」がついて出てきたことだ。日本人観光客のリクエストの結果なんだろうね。
ウニを注文した




2015/10/06

ビニャ・デル・マールへ


もともと行く予定だったビニャ・デル・マールへ向かった。
バスで2時間ほどの距離だ。(途中停車とかがあるので、地図で表記されているよりは時間がかかる)





宿は超有名な日本人宿「汐見荘」。

汐見荘外観

今はシーズンオフということで先客はひとりだけだった。
個室が7500ペソ=1200円ほど。


台所の使い勝手がよい。買ってきた海産物で自炊するのが定番だそうだ。
汐見荘食堂


台所からの眺めもすばらしい。
食堂からの眺め




宿には日本とは違って毛が長いトラ猫がいた。体を摺り寄せてくるが、下手に撫でると噛んでくる。
汐見荘の猫




翌日、先客のNさんと市場に買い出しに行った。海辺の道を歩いて30分くらい。
魚市場への道



市場に着くとこんな珍客がいた。魚のあらをもらおうと待ち受けるアザラシ。
アザラシ



ペリカンも・・・
ペリカン



魚のあらを待ち受けるペリカンとアザラシ
アザラシとペリカン






市場の建物の壁面に描かれた絵。
市場の建物の壁面に書かれた絵





獲れる魚も描かれていた。この魚は大アナゴ。
同じく壁面に書かれた魚・・・大アナゴ




買って帰った大アサリを酒蒸し。最高にうまかった。
大アサリの酒蒸し



2015/10/08

Valparaiso



ビニャ・デル・マルから電車で15分ほどの距離にある港町「Valparaiso」に出かけた。
ここは世界遺産に登録されている町である。
港を取り巻く丘に住宅が広がっている。
急坂のところは箱型のエレベーターが運行されている。
箱型のエレベーター





エレベーターが着いたところからの眺め
Valparaiso俯瞰






この町を有名にしているのは、建物や壁、階段などがカラフルに彩られているからだ。
野外美術館というプレートがあり、セルヒオ・モンテシーノというアーティストがこの壁に絵を描いたと紹介されていた。
野外美術館のプレート




彼の作品1
野外美術館1




彼の作品2
野外美術館2




ほかにも、作者不詳の絵が描かれた家があちこちにある。
Valparaisoの普通の家に描かれた絵1





Valparaisoの家2





そんななかで、ピノチェットたちのクーデターで殺された元大統領の「アジェンデ」の絵があった。
アジェンデ大統領を描いたもの





おなじく、そのクーデターで殺されたと言われている、世界的に有名な詩人の「パブロ・ネルーダ」の家が高台の上のほうにあった。
今は博物館になっている。
パブロ・ネルーダについてはなんどかこのブログでも触れているが、「イル・ポスティーノ」という映画にも出てくる。かのフィリップ・ノワレがネルーダ役を演じている。
パブロネルーダの家




「イル・ポスティーノ」の一部






ネルーダの家からの俯瞰
ネルーダの家からの俯瞰


袋キチジジィはお土産にネルーダの顔が刷られた袋を買ってしまった。


2015/10/13

モアイ像・初見参!




サンチャゴから飛行機で約5時間。
太平洋の真ん中にぽっかり浮かぶ島・イースター島へやってきた。
南米ではイースター島とは言わずにパスクワ島(Isla De Pascua)と言っている。
現地の言葉ではラパ・ヌイ(Rapa Nui)

イースター島へ



島の印象はまるでひと昔前の沖縄の離島といった感じだ。
ハイビスカスやブーゲンビリアなどが南国らしく家の垣根を彩っている。

まるで沖縄の離島にいるかのような錯覚に




この宿で1泊が40Usドル。物価がすべて高いこの島では宿代も当然高い。Booking Com で最安値でこの値段だ。日本人宿が安いと聞き、申し込んでみたのだが、満室だった。キャンプ場でテントを張って泊まることは可能だということだが、さすがにきついのでやめた。

アタリキ




シングルで申し込んだのだが、またもやトリプルの部屋だった。まあ、広いにこしたことはないのだが・・・
トリプルの部屋


シーツもタオルも真っ白できれいだし、ベッドの硬さもいい感じだ。床もちゃんと磨き上げられているので、宿としては合格点だ。
問題はネットがつながらないので、ブログがまったく繋がらないことだった。


オーナーはドイツ系の人でファンといって81歳のご老体だ。酒好きで、朝からビールをお召しになっている。結構面白い人物だが、ちゃらんぽらんなところがある。昨晩も空港でピックアップしてもらう予定が、現れずに、仕方なく白タクで宿にやってくるはめになった。そのことを言ったら白タク代分を値引きしてくれた。
朝食後、さっそく村のはずれにあるモアイ殿を見に出かけた。

モアイ像初見参!



モアイ像2



後姿を見ていると、海を見てまーす、泣いてまーす~

なんて健さんの歌をつい口ずさんでしまった。

正面から見ると、

外は荒海、なにを笑うや、モアイ像

だね。(これもパクリ・・・)

2015/10/15

Isla De Pascua(イースター島)いちばんの見どころ


レンタカーを借りて回ろうかと思って、宿のオヤジさんに手配までしてもらったのだが、ガイドブックを読んでいると、ツアーのほうが割安で便利だと書かれていたので、レンタカーはキャンセルしてツアーで回ることにした。ツアー代金は昼飯付きで7,500円ほどだった。

ガイドのオヤジさん・・・熱烈なポリネシア民族主義者で説明の端々に出てくる反チリの姿勢になるほどとうなずいてしまった。
ガイドのオヤジ




いちばんのハイライト  Rano Raraku
モアイの製造工場ともいえる山。
ここで切り出されたモアイ像は多くの引手(ガイドは100人と言っていた)により、島の各所に運び出された。

Rano Raraku 1





切り出し現場
Rano Raraku 切り出し






Rano Raraku3






Rano Raraku4






Rano Raraku 5






Rano Raraku6







Rano Raraku 7








Rano Raraku 8







Rano Raraku 9







この土に埋もれて頭だけ出ている像の下について書かれた記事
イースター島のモアイ像には巨大な胴体があった!! 背中には謎のペトログリフも!?

太字の部分をクリックすると元の記事へジャンプします。

2015/10/17

Rapa Nui のハイライト2



切り出し山についで、よく紹介されているのは、アフ・トンガリキの15体のモアイ像だ。
実はこれは日本企業がクレーンを持ち込んで、倒れていたモアイを修復・復元したものである。
クレーンのほか資金援助も行っている。きっかけはテレビ番組の「世界ふしぎ発見」で倒壊モアイ像の話を取り上げたことから始まったことだそうだ。


Tongariki1





Tongariki2




Tongariki3






Tongariki4





地球のへそと言われる不思議な丸い石。 Tio Pito Kura
Tio Pito Kura









Rapa Nui ハイライトの3番目はこれ!
夕陽が美しく見ることができる Tahai 

Tahai1





Tahai2





Tahai3





Tahai4





Tahai5





Tahai6





Tahai7




Tahai8



独断と偏見で選んだRapa Nui(イースター島)の見どころは以上の3か所。
ほかに挙げるとするとAnakenaビーチ。
岩だらけの海岸がほとんどのこの島では珍しい白い砂浜の美しいビーチだが、ここにも修復されたモアイ像が建っている。
その修復にあのトール・ヘイエルダールが関わっている。

彼はイースター島の文化の起源は南米だということを証明するために、実際にバルサ材の筏でペルーからポリネシアにたどり着いた冒険家で、「コンティキ号の冒険」はその漂流記を綴った本である。
自分も若い時に興奮してこの本を読んだのだが、今回も旅先でkindle版を購入して再読した。
あとがきで椎名誠が実にうまく我らの時代のヘイエルダール評価をまとめている。

コンティキ号の冒険

なお、現在ではヘイエルダールの説はほぼ否定されている。ちなみに彼は「アクアクー孤島イースター島の秘密」という本も書いている。



余談だが、チェ・ゲバラの「モーターサイクル紀行」でもIsla De Pascua(イースター島)について触れた個所がある。当時、チリではハンセン病の施設が珍しかったのだが、この島にはハンセン病患者の施設があったので、行きたいと思ったことが記されている。金がない二人はなんとかスポンサーを探したようだが、うまくいかなかった。