2010/09/20

移動日メキシコ→ニカラグア

9月20日(月)

ニカラグア地図

先日のメリダからの移動の失敗を繰り返さないように、12時ちょっと前にホテルを出発。タクシーは自分で止めて交渉。120で行ってくれた。

さて、COPAのカウンターで搭乗手続きをすると、カウンターの意地の悪そうな女(そう見えてくるのが不思議)が、「ニカラグアから出国するチケットがないと搭乗できない」と言うのだ。
僕は別のE-ticketを出して、「12月3日にはパナマからキトへ移動するから、ニカラグアにそのままとどまることはない。12月の3日までに出国しているから大丈夫だ」
そんなやりとりをして、なんとか搭乗できたが、機内で知り合った日本人から聞くと、Copaは出国チケットでうるさいとの評判があるそうだ。

さて、ニカラグアには定刻に到着。
空港で運転手と値段交渉をして、USドル35で妥結。この値段はロンリ―プラネットの解説なら合格点だ。

さて、行先はニカラグアのグラナダだ。スペインのグラナダに住んでいる僕が、ニカラグアのグラナダに行くとは、ダジャレの世界のようだ。

グラナダは1523年に征服者によってニカラグアで最初に造られたと町である。
見どころは、カテドラルなどの建造物とニカラグア湖だ。
このニカラグア湖はなんと琵琶湖の15倍の大きさがあるという。この湖からサンファン川を下ってカリブ海にでる交易路があったそうだ。その後、ここに太平洋とカリブ海を結ぶ運河を造る計画があったのだが、資金不足でとん挫したそうである。

宿に着いた僕は腹ごしらえに近くのレストランに行ったのだが、ここがオランダ人の経営、僕の予約した宿もアイルランド人(後で知ったのだが、アメリカ人だった。マネジャーがアイルランド人)の経営と、なんだか僕の思い描く中米のイメージとは程遠い。値段も今までとは違い、外人値段だ。ビール3杯と珍奇なタパで10ドルもとられた。スペインのグラナダの何倍かの値段だ。大体ドルで支払えるのが不思議だ。オルテガさん(サンディニスタの議長)、どうなってるんだ?と聞きたいものだ。

そうそう、ニカラグアはレオンとグラナダという二つの都市の覇権争いで明け暮れてきたそうだ。レオンが自由主義、グラナダが保守主義。ところが、このレオンの自由主義者たちがグラナダ打倒のため、アメリカの傭兵を呼び寄せた。その傭兵隊長がウィリアム・ウォーカー。彼はグラナダ勢力を打ち負かすが、冷酷極まるものだったそうである。
そしてウィリアム・ウォーカーはレオンとの最初の約束を反故にし、自らが大統領につき、奴隷制を施行したのだ。(アメリカは承認。彼との間でニカラグアをアメリカの一州とすることで考えが一致していた。)
しかしその彼も中米の連合軍に敗北、ホンジュラスで処刑されたそうだ。

これが、アメリカのニカラグア介入の第一歩である。このあと、ニカラグアの政権はアメリカ駐留軍の意向に沿ったものであった。そうした中、アメリカをゲリラ戦で追放したのがアウグスト・カサル・サンディーノである。その彼を暗殺したのがあのソモサ。その後ソモサ一族の50年にわたる独裁、サンディーノの遺志を継いだサンディニスタによるソモサ一族の追放。レーガンによる反サンディニスタ傭兵軍の配置(コントラと呼ばれた)、そして、今、サンディニスタが政権の座についている。このように、ニカラグアはアメリカの長年の抑圧と干渉にさらされ続けてきたのである。

こうしてみると、グラナダにアメリカ人がかなりいる理由がなんとなくわかったような気になる。以前から彼らはグラナダと付き合いが古く、商売の基盤を持っているのだ。

僕はサンディニスタとかソモサ一族については、ぼんやりとした知識を持っていたが、今回、調べて知ったことだが、アメリカが中南米に持っている意識とは、「俺の裏庭だ。どうしようと勝手だ」というようなものだと分かった。
2010/09/21

9月21日(火)

Granadaのへそ・セントラル公園  この町では馬車が観光以外でも活躍している。

セントラル公園

中心街・ホテルやレストランが立ち並ぶ
Calzada 通り Granada 

僕が泊まった「Casa del Agua」

Casa del Agua




2010/09/22

屋台あさり

9月22日(水)

朝食はセントラル広場で売っていた「ユカと魚フライ、キャベツの酢漬け」をバナナの葉に包んだのを買う。40コルドバ≒160円弱だった。部屋に帰って食べたが、なかなか行けた。

「バナナの葉」弁当と名付けた
バナナの葉弁当

昼食は、市場近くの店で、鶏のから揚げ、焼き飯、赤飯などを盛り合わせてもらったのを食べる。赤飯には驚いた。90コルドバ≒360円

赤飯が・・

ホテルのすぐ近くの「Nuestro Mundo」の美人ウェィター

Granadaの美人ウエィトレス





2010/09/23

ニカラグア雑感

9月23日(木)曇 Masaya 往復

朝、6時起床。ニカラグアの朝は早い。(どこかで聞いたことのあるキャッチ・フレーズ)。6時には人々が出勤しだしているのだ。このホテルの改修にきている労働者たちも毎朝、7時から作業開始だ。勤勉な国民性なのだから、いずれ、この国は今の経済苦境から抜け出し、それなりの位置を占めるようになるのではないだろうか。

セントラル公園に行き、コーヒー(3コルドバ)とユカ飯(この間より安い。30コルドバ)を買う。
11:00 MASAYA へバスで行く。30分ぐらいの行程だったが、面白かった。MASAYAのバスステーションは、ぬかるみだらけのすごい所だった。ニカラグアのインフラ整備の遅れが良くわかった。

写真の設定を間違ったので、ピンボケ。

Masayaのバス駅



MASAYAの火山口までタクシーで行くつもりだったが、天気が悪いのでやめる。火山は火口まで行かなくても、遠くで外観を観察すればいいのだ。

昼飯は、昨日の夕飯と同じ斜め前の「PANTITO」で持ち帰り。75コルドバなり。肉と玉ねぎ、トマトの炒め物がうまかった。

Panchito の弁当



相変わらず下痢が続いている。急激な腹痛はないが、治まらない。抗生物質は朝1回飲んだので、夕食後にもう一度飲んでみよう。

このホテルのネット環境は今までで一番悪い。そして高い。冷蔵庫があるのは助かっているが、やはりネットが繋がらないのが問題だ。

グラナダ雑感
怪しげな外国人たち!もちろん観光客ではない。
アメリカ人も多くいる。
何をしているのか、よくわからない。
彼らは仲間同士でつるんでよく飲んでいるのだ。

コスモポリタン。
日本人とは全く違う「流れ者」の概念。植民地などを手がかりに海外に出る。日本人の経験ではかつて満州国とその周辺に大陸浪人や無数の日本人がたむろしていたが、その規模は彼らに比べれば話にならないほど小規模だ。欧米人ははそれこそ植民地のあるところすべてに散在しているのだ。僕には彼らの実態が把握できなくて、妙な好奇心をかきたてられる。
2010/09/25

Granada→Leon 

9月25日(土)雨。Granada→Leon

あさ、Leon行きを決意。

スティーブン(宿のオーナー)に別れを告げて、central広場でタクシーを署ルまえる。(15コルドバ)。Managua行きのバスステーションに行ってくれと言うと、運転手が「なぜ、バスで行くのか?ミニバスのほうが快適だぞ」と不思議そうに聞いてきた。「荷物があると載せれないからだ」と答えたが、納得のいかない顔だった。

バス駅で、バナナの葉弁当を買う。こちらはユカではなく、トルティージャが入っていて、炭火焼の肉とキャベツの酢漬けが添えられていた。これは今までのバナナの葉弁当で一番うまかった。しかも一番安かった。27コルドバなり。

バスの最後尾のスペースにザックを置いてもらい、シートにゆったりと腰かけて出発した。しかし、Masayaに行ったときと同じで各駅停車なのだ。行く先々でミニバスに追い抜かされる。そのうち、バスは満員になった。確かに値段は14コルドバと破格なのだが、時間がかかり過ぎる。結局、1時間ほどで着く所に2時間ほどかかってしまった。しかも着いたバス駅からは、Leon行きのバスは出ていなかった。(これは出発前に十分確かめたことなのに。。。)
危険だというマナグアのバス駅でザックを前後に抱えて歩く羽目になる。ようやくタクシーを見つけてIsrael駅まで値段交渉。50コルドバ(200円)とたぶん相場より20ほど高いことを言っていると感じたが、今の状況を考え妥協。マナグアの町は緑が多い落ち着いた町だ。どうみても、あのネットで書かれていた日中から強盗が徘徊しているとは思えない雰囲気である。(親切に忠告してくれた人を逆恨みしてはだめです。)

バス駅ではミニバスのほうに乗ることにした。満席になると出発するのだが、ひとり40コルドバと、たぶん大型バスよりかなり高いに違いない。それでも160円ぐらいで2時間近く走るのだから、ニカラグアの交通費は安い。
Leonのバスターミナルでまたタクシー運転手と交渉。ホテル「Via Via」まで20.

このホテルはガイドブックで見つけた最安値のランクのホテルだ。入口が大きなレストランで、その奥がホテルだ。中庭を挟んで両サイドに部屋が並んでいる。

Via via hotel




部屋のドアなどアンティックな木製だし、壁も薄いベージュとしゃれている。なかなかのものだなと感心して部屋に入るとがっかり。部屋は狭く、バッドと椅子が一つ、小さなサイドテーブルが別途脇にあるだけなのだ。タンスなど一切ない。合理的と言えば合理的だが、これは経営者本位の作りだ。
一日16ドルとは高くない?これは10ドルの部屋だ。

雨がきつく、ザックを担いで移動は無理なので、とりあえず、ここに決める。

室内でのネットはやはりだめだった。部屋の外に出て、食堂の一角で電波を捉える事が出来た。

ネットの天気画像ではニカラグア上空には雲が渦巻いていた。ホテルの受付の男が言うには、ちょうど「ウラカーン」が通り過ぎた所だそうだ。でも、ネットの天気予報では、今後一週間雨だそうだ。

ここまで来たら、ホンジュラスに行きたいのだが、ホンジュラスが雨の影響をどのくらい受けているかが、わからない。

昼食べた。小豆の煮もの もちろん甘くはなかったが・・・
小豆だよね
2010/09/26

雨で動けず

9月26日(日)雨。

朝、雨が降る中、ホテルを探す。一軒だけ見つかったが、あまり感じが良くなかった。結局、チェックしていた残りの2軒は見つからないまま、引き上げた。

ホテルのレストランで、片言の日本語で話しかけられた。「彼女が日本人」という例のパターンだ。なんだかよくわからないまま、相手をした。彼はアレハンドロ君と言って「薬剤師」をしていると自己紹介。日本の彼女とは金閣寺や六本木などに行ったそうだ。
・・日本人の彼女がいるという話しはそこらじゅうで聞かされてきた。一番驚いたのは、サハラ砂漠の小さな村でも日本人の彼女がいるというトゥワレグ族の青年の自慢話に付き合わされたことだ。
夜にまた、会おうみたいなことを言われたが、そのままにしておいた。

レオンのカテドラル
レオンのカテドラル


サンディニスタの顕彰碑
サンディニスタ顕彰碑


写真の真ん中がこのホテルのオーナーのオーストラリア人とその仲間
Viavia









2010/09/27

一日中移動

9月27日(月)レオン→マナグア→グラナダ→サン・カルロス

朝、7時ちょっとすぎにホテルを出発。タクシーを捕まえて、ホンジュラス行きのバス停に行ってみる。バスは7時に通過したとのことだった。
諦めて、グラナダに戻ることにする。ミニバスに乗り場までタクシーで移動。8時過ぎのバスに乗ると、10時にはマナグアに着いていた。この国ではミニバスが定期バスより早く快適だということが分かった。マナグアも行きとは違い、同じバス駅で、次のグラナダ行きを捕まえることができた。こちらも1時間半ほどで、グラナダに到着。なんと3時間ほどでレオン、グラナダ間が移動できたわけだ。
グラナダで一泊してから次の移動先を考える手もあったのだが、やはりどこかグラナダと違う所に移ったほうが良いのではと考え、かねてから考えていたニカラグア湖経由のコスタリカ入国を試みることにした。
しかも、今日は月曜日で、船が出港する日(月と木の週2回のみ)なので、港に行ってみた。荷物の積み込みも始まっていたので、僕もキップを買った。ここで、僕はミスをしたのだ。後から来た外人たちは自分のザックは客室持ち込みにしていたのに、僕だけ、貨物室に置く手続きをしてしまったのである。

ニカラグア湖・グラナダの桟橋
ニカラグア湖の桟橋(グラナダ)

客室はガンガン冷房が効いており、寝ることができなかった。厚手の服はザックに入っているし、最悪の夜を過ごす羽目になる。
デッキに出て、船の煙突の部分があったかいので、そこに身を寄せて眠った。


オメペテ島遠景
オメテペ島

23時半ごろオメテペ島に着く。ここで積み荷を降ろして、30分ぐらいで出港。夜の島の港はどこも一緒だ。屋久島のことを思い出す。どこの島でも夜となるとほんと真っ暗で、月明かりか星影で黒々と島の外観が浮かんでいるだけだ。伊勢エビ釣りに、運転手仲間と真っ暗な港の防波堤に出かけたことを思い出した。永野秀樹くん元気か?

荷物の積み込み


そうこうしているうちに3時半にはサン・カルロスに着いてしまった。

道路が冠水しているのが見える。
サンカルロス



2010/11/12

マナグア(Managua)へ

11月12日(金)移動日:San Jose(Costa Rica)→Managua(Nicaragua)

6時:ホテル出発
7時半:定刻通りバス出発
13時:ニカラグアとの国境 イミグレと通関で時間がかかる
17時半:マナグア着

ニカラグア

マナグアのホテルは明日の出発を考え、Tica Hotelにするが、新築できれいだが高い。部屋の電灯も暗く、最悪。もちろんネットもできない。多分Ticaは先見の明があって儲けているのだろうが、ちょっと調子に乗り過ぎではないだろうか。従業員の態度も横柄だし。競争原理の導入じゃない、会社の浄化の道はないものかね。

Ticaのターミナル ホテルもある


マナグアの印象は言われていたほど危険の感覚はしない。むしろ安全そうに見えるのだが。
明日はカウンターに4時集合。5時発(Tegucigalpa)なので早く寝たが、夜中に目が覚めてこれを書いている。