2010/10/11

キューバへ

10月11日(月)晴れ コスタ・リカ(Costa rica)→キューバ(Cuba) 

飛行機は定刻通り。ただ、出発カウンターにキューバエアラインのデスクがないので焦った。案内板を見ると(この案内板が一か所しかなくなかなか見つからなかった)、TACAとの共同運航だった。
キューバのイミグレも問題なく、すべて順調に行った。

キューバ上空

両替を済ませ(300ユーロが360CU)タクシーでホテルリドへ。

左奥の建物がホテル・リド(20ドル)
hotel Lido


街中を少し歩いたが、想像以上の荒廃に驚いた。
荒廃したセントロの建物

ホテルのレストランから

アフリカの都市部の崩れ落ちそうなビルなどはよく見てきたが、ここではそれが一か所ではなく、すべてなのだ。アメリカの経済封鎖のせいだが、こんなことが許されるのか?アメリカのエゴイスタめ!!!
彼らの「自分に従わないものには徹底して襲いかかる」というえげつない習性はこんなところにも表れている。アメリカという国は従順なポチ以外は許せないのだ。考えてみれば奴隷制などという信じられない制度を施行してきた連中だから、彼らにとっては当たり前、当然と言えば当然なんだろう。

町中の子供たち

中古アメ車のタクシー(人々は相乗りしていた)
クラシックカー




2010/10/12

ハバナ

10月12日(火)晴れ ハバナ2日目 

昨日のクーバリブレが影響してか、午前中は頭がふらふらしていた。
それでも、Prado(Paseo de Marti)を海岸まで行き、その後、海岸沿いにHabana viejo のほうまで歩いた。Habana viejo の街中を適当に歩いたら、ホテルのすぐ近くのCapitolio Nacional に出ることができた。方向音痴にしては上出来の歩きだった。3時間ほどの行程。

Capitolio Nacional
capitllo


港でおかず釣りをしている人たちが印象的だった。サバとボラ釣れていた。
おかず釣りの人々


感じのよいおじさんに会った。
釣りをしていた親父さん


2010/10/13

チリの鉱山事故

10月13日(水)晴れ

Terminal del Omunibuses に18日のSanta Clara 行きのチケットを買いにVedado地区に行く。海岸沿いに歩いたために「Haban libre Hotel」に着いた時にはのどの渇きと暑さでくたくただった。本当はリドホテルから逆方向に歩いたら、簡単に行けたかもしれない。

ハバナのおなじみのカット
ハバナおなじみカット


ハバナ・リブレ
ハバナリブレ


結局、「Habana Libre」からタクシーで「Terminal de Omunibuses」まで行く羽目になる。3ペソ(CU$)(300円。)タクシーの値段交渉も疲れる。
チケットは18ペソ。8時40分発だから20分前には事務所に来るように言われる。

洗濯もので厭な思いをする。Tシャツ6枚と長袖シャツ1枚、パンツ2枚で10ペソ(1000円)の請求。信じられない値段に、フロントに抗議に行くが効果なし。今までで一番高い洗濯代になった。タクシーといい、洗濯といい、経済が苦しいのはわかるがぼったくりには閉口する。

今日もニュースはすべて「チリの鉱夫救出」の中継。33人が2カ月以上地中に閉じ込められていたにもかかわらず、カプセルを使った最新技術で全員、無事救出された。

印象に残った映像

2番目に救出された鉱夫が、仲間に向かって拳を突き上げている姿。

33人のうち一人がボリビア人でエボ・モラレス大統領が現場に駆けつけていたこと。

奥さんが離婚とかできていない2組、娘と息子が父親と抱き合っている姿。

再び、テレビの力を感じさせられた。ただ、今回のように閉じ込められている側からの映像があると感情移入できるが、例えば、バグダットの空爆のように砲火の下にいる人々の姿が見えないときに、僕たちは果たして、災禍に晒されている人々の立場に想いが至るのだろうか?

2010/10/14

10月14日(木)嵐(Tormenta) 夜は停電。

午前中、Habana Vieja を散策。Casa de Asia で支倉常長の文書を見る。彼らはキューバにも立ち寄っていたのだろうか。今度調べよう。


昼ごろ、雨。雨宿りをしていたが、少しお腹の調子が良くないので、人力車でホテルに帰る。乗ったとたん雨は止んだ。チョンボ。3ペソ(300円)
リキシャ


ホテルのレストランで食事。cervesa2本とCerdoのplancha。8,5ペソ =850円なり。cervesaはBucaneroといってアルコールが5,4パーセントもある。缶にFuerte(強い)と書かれている。


夕方から雷雨=tormenta。次に停電。Cortar la corriente ele`ctrica
Truneo(雷)の音をあんなに身近に聞いたのは最近では珍しい体験だった。
ホテルの食堂が水浸し。強風でテントが引きちぎれていた。やむなく部屋に持ち帰り。中米の特徴(?)である赤飯チャーハンがついていた。

豚肉のソテーと赤飯チャーハン
赤飯



2010/10/16

ゲバラのコイン

10月16日(土)快晴 Haban C/Rafael

Calle/San Rafael ホテルInglaterra の横の通りだが、ちょっとした繁華街。歩行者天国になっていて、スーパマーケットや食べ物屋が軒を連ねている。今までセントラルの繁華街はHabna Vieja だけだと思い込んでいたが、こちらのほうが外国人より地元の人たちで賑わっていた。

Rafael 通り

道路にテーブルといすが置かれた店で、セルベッサとチャーハンを注文。2,5 ペソ(250円弱)なり。また、リンゴを路上で売っているのも見つけ入手。2個で90センテボ。さしてリンゴ好きでもなかった僕だが、この間の生野菜不足解消と高血圧対策とでよく食べているうちにいつしか、結構リンゴ好きになっていたのだ。

デバックは背中が汗ばむので、最近は鞄スタイルで外に出ていたが、持ってきていた鞄が小型のもので、ロンリ―プラネットと辞書を入れるとパンパンになってしまい困っていた。良いサイズの鞄がないか、コスタリカでも物色していたが、パチものだったり、デザインなどでなかなか良いのに出会えなかった。それが今日、地元の青年が持っているかばんを見て「おお!良いのを持っている」と心が動いた。どこかのパチものとは違い「キューバ」と書かれた金具が付いているのだ。
僕は青年に「良い鞄、持っていますね。どこで売っているのですか?」と尋ね、店を教えてもらった。早速、店に行き鞄をゲット。なんと7,5ペソ(750円)だったのだ。
キューバ製のバッグ

他には例のゲバラの3ペソ硬貨をペンダントにしたのも手に入れた。こちらは2パターンあって、2ペソと3ペソだった。
ゲバラのコイン

土産物買いに走った日だった。

2010/10/17

グランマ号

10月17日(日)晴れ

朝、陽のあたるうちにTシャツとパンツを洗濯。この間の一件以来、毎日手洗いを実行。2時間もあれば乾く。
10時過ぎに、革命博物館の「Paviillon Granma」に写真を撮りに行く。しかし、ガラス越しで一枚も良い写真は撮れなかった。18メートルのあの船に80人以上が乗っていたとは信じられない。
Granma 号

このビルの壁面もよく紹介されている!
ゲバラの壁面ビル



その後、海岸沿いに、この間「San Rafael」通りから右折した通りがどこなのかを確認にいった。Prado通りから海辺を通ってゆくとかなり時間がかかるが、実はホテルリドからはほんの数分の距離ということを発見。扇方になっていて僕は底辺を通ったから時間がかかることを確認。

さて、そこで僕は「Hotel Lincoln」を見つけた。由緒あるホテルで念のためレセプションに行き値段を聞いてみた。なんと1泊が20ペソ。今のリドよりも安いではないか。11月10日出発前のハバナ滞在はこのホテルに決めた。実は朝、リドの予約を入れようとしたら、意地悪そうな受付が「明日の出発の時にして」と言われていたのだ。予約を入れなくてよかった。ラッキー!!
気分が良くなり、ホテルの玄関前にあるテラスでセルベッサとヒラメのソテーを注文。

右のビールがBucaneroといってアルコール分が5パーセント以上もある
hotel Colon

貸金庫を解約。デポジットの12ペソの返還を求めたら、デポジットではなく使用料だと言われた。唖然!!
2010/10/18

サンタ・クララへ(Santa Clala)

10月18日(月)晴れ ハバナ(Habana)→サンタ・クララ(Santa Clara)

朝、7時半ホテル発。
Terminal de Omunibuses でキューバにきて初めて日本人に2人も会った。
ひとりはコスタリカ在住の60過ぎの人。彼は青年時代に世界を放浪して、今またコスタリカで家を買い住んでいるとのこと。驚いたのはレジデンシアビザを持っていないので、3か月に一回ビザ抜けをしているそうだ。もうひとりは20代の青年。こちらの人とは時間がなかったのでほとんど話せなかったが、えらい軽装なのに感心した。

3時間半の行程でSanta Clara着。道中、エアコンの効き過ぎと音楽がずっと
大音量でなっているのと前の席に陣取った家族の騒々しさに眠れなかった。この間、バス移動でエアコンと音楽問題はなかったので、ある意味でやっと南米らしいバス移動を体験させてもらった。

Santa Claraの駅で次のCamaguey行きのチケットを入手。
白タクで街中まで行く。(3ペソ=300円)
「Hotel Santa Clara libre」で値段交渉。朝食付きで18ペソなり。
駅にたむろしていた「Casas Particulares=民宿」の条件はほとんどが、15ペソくらいだったから、少し高めかもしれない。ただ、このホテルを選んだのは町で唯一の高層ビルのため、1958年のチェ・ゲバラの部隊とバチスタ政府軍との争奪戦の痕跡(銃弾の跡)が今なお残っていることと、10階のレストランからの俯瞰が素晴らしいと書かれていたことに惹かれたからだ。

右端の建物が「Hotel Santa Clara Libre」
ホテル サンタ・クララ・リブレ

昼食 レストラン「Colonial 1878」セルベッサ2本と珈琲つけて12ペソ
昼飯


昼飯が遅かったので、夜は持ち帰りのハンバーガーで済ます。ここでひと騒動。6ペソだと言うので高過ぎと言って抗議すると、4個でだと言い訳。なんか出鱈目を言っていた。厭な感じ。経済の苦しさがこうしたすさんだ気持ちを人々に植え付けているのだろうか。それと街中にホームレスと思しき人の姿が目に付いた。「ゲバラの聖地」で皮肉なことだ。
偶像化する体制側と偶像化された「英雄の志」との乖離。

夜、シャワーからお湯が出た。キューバにきて初めてのお湯シャワーだった。感激。

2010/10/19

ゲバラ像

10月19日(火)晴れ サンタ・クララ

チェ・ゲバラ博物館。歩くとそれなりの距離なので、教会裏の馬車乗り場から馬車に乗る(1ペソ)。ここでは、バスの便も少なそうで、馬車は貴重な交通機関だ。
馬車で移動
チェの像は野外にあり、かなり大きなものだった。
ゲバラ像
ゲバラ像アップ

フィデル・カストロが「チェ」について「我々もチェのようになりたいものだ」というメッセージが新鮮だった。フィデルという男の素直さというか度量の広さを感じる。まあ、その彼がいたからこそ、「キューバ」という国が「抑圧や権力支配的なところはあるにせよ、ソ連や東欧のような秘密警察まみれのスターリン型官僚制国家」につき進まずに「多分に牧歌的な労働者国家」に留まれている最大の原因だろうか?

ただ、僕が疑問に思うのは、カストロがゲバラのたどり着いた思想「世界革命ためなら革命の輸出もありうる」を是としているのだろうか?アンゴラ出兵まではなんとなく二人の思想に共有点があるように見えるのだが、はたしてボリビアへの「革命の輸出」を積極的に支持していたのだろうか?ゲバラの偶像化の過程で彼の「危険」思想が封印されてしまったのではないだろうか?「ゲバラのようになりたいものだ」のメッセージのアイロニーについて考えさせられた。
カストロのメッセージ

肝心の記念館のほうは「停電」ということで入れなかった。

帰りは時間があったのでぶらぶら歩きつつ、写真を撮る。公営住宅やゲバラの看板など・・ゲバラの看板だが、例の映画のやつみたいだね。
看板

昼食は、ホテルの10階にあるレストランに行った。素晴らしい景観のレストランで昨晩きておけば良かったと後悔。
スパゲティを注文。「アルデンテですか、それともノルマルですか」なんて聞かれて、「え!本格的じゃない」と疑い半分で待ったが、結果はかなりの水準で、今回の旅で一番おいしいスパゲティだった。疑ってすみません。しかも値段が1,3ペソ(130円)セルベッサ2本とサラダで計4,5 (450円)と破格の安さ。

レストランから

スパゲティ


午後はホテルの周囲をうろついてみるが、なんてことのない町だ。「Casa Paticular」が集中してある場所が分かったのが収穫ぐらい。お土産屋もほとんどなく、数軒あっても置いてあるものは今まで見たものばかりだった。
2010/10/20

サンタ・クララ~カマグエイ

10月20日(水)サンタ・クララ(Santa Clara)→カマグエイ(Camaguey)

朝食後、再度「チェ・ゲバラ記念館」へ
朝日の中のゲバラ像

ホテルのフロントに聞くと、8時には開いているとのことなのですぐに出かけたが、やはり9時半からだった。
バス駅まで歩いたりして時間つぶし。
9時半に開館と同時に一番に入った。これが良かった。出てきた時には長蛇の列。もたもたしていたらバスの出発時間に間に合わなかったかもしれなかった。
展示されている写真の大半は観たものだった。ほかはチェが使っていた武器とか服が少々。
メモリアルのほうはボリビアで一緒に戦ったゲリラたちのレリーフが展示されていた。あの日系ボリビア人で医学生のゲリラ(前原?)のレリーフを探したが、彼のコマンド名を知らなかったので無理だった。

バス駅のゲバラ像


13時25分のバスでカマグエイへ
18時着 タクシー(3ペソ)でHotel Isla de Cuba へ
今まで泊まったキューバのホテルで最高の設備。(18ペソ=1,800円弱)
冷蔵庫がついていたのには驚いた。
カマグアイのホテル

夕食まで近所をぶらぶら。と言っても恐る恐る一区画内を歩いただけだ。僕が方向音痴なのに加えて、この町は実はハバナ・ビエハと同じぐらい古くつくられた都市で(1514年に近くに作られたのが最初で1600年代に今の原型ができた)、迷路のように道路が張り巡らされているからだ。ガイドブックには大げさにモロッコのフェズに例えていた。(それほどでもないと思うが・・・)
スペイン風レストランのテラスで一服。
キューバ・リブレを2杯。3,8(380円)
クーバ・リブレ

夕食はホテルの食堂で済ます。例の赤飯が出てきた。聞きてみるとArroz Congriと言うのだそうだ。辞書で調べると、中南米で使われる用語で「豆ご飯」のこと。他の中米の国々で出てきた赤飯チャーハンとは違い、こちらは純粋に赤飯だ。まあどちらにしても赤飯文化とでも呼べるものだが・・・


2010/10/22

キューバ島の東の果てへ

10月22日(金)朝、雨 サンティアゴ(Santiago de Cuba)→バラコア(Baracoa) 6時間かけてバス移動。山また山の連続だった。

早朝、宿を出て、小雨降る中、タクシーを探す。
「タクシーを探しているのか?」と声をかけられた。
この青年、なかなかの日本通。「禅とか能とかに興味を持っている」と話した。てっきり彼は他の仕事のついでに・・・・と思ったら運転手だった。イチロウやらマツイの話など彼は日本の野球にやたら詳しかった。この前まで秘書の仕事をしていたが、今はタクシーの運転手とのこと・・・感じの良い青年だった。
バス駅に着くと変なオヤジがBaracoa行きは全部売切れだと言ってきた。Viazulの係員も売り切れだという。そのオヤジが俺が頼んでやるから「1ペソくれ」と言うので渡すとキップが入手できた。どこまでが本当の話かわからない。でもバスは確かに満席で最後には立ち席の乗客も2人いたのは確かだ。

バスが走り出し、しばらくするとさして高くはないが山また山の連続。今まで平地のキューバを見てきたので意外だった。シェラ・マエストロの山中でカストロたちがゲリラ活動を展開できた理由が分かったような気がした。
山々


途中休憩で止まった村の犬 ガリガリだった。総じてキューバの犬は餌漁リに余念がないのと皮膚病もちが多い。
痩せた犬


グアンタナモまで2時間。それからまた4時間ほどかけてバラコア(Baracoa)着。

Baracoaの駅に着くと、僕の名前を書いた紙を持っている女性がいた。昨日のあのエンリケという運転手が電話を入れたのに違いない。名前は民宿で書いた宿泊記録から名前を聞き出したのだ。
彼女の宿は20ペソだという。周りはすべて10ペソ。僕が拒否すると怒り出した。そして無視すると悪態をついて去って行った。

さて、僕が決めた宿は最高の雰囲気。
「Arturo Martin LopC/Moncada No13 Altos e/Marti y independencia Baracoa tel:64-2275(他府県からの時は頭に0141をつけること)

屋上のテラスからは海が一望できた。
民宿のテラス



baracoaの海岸
ez」