2010/11/27

グアテマラからパナマへ

11月27日(土)パナマ着 夕方驟雨

朝、5時のタクシーで空港へ。
Copa Airのカウンターは長蛇の列。
僕の番になり、一番心配していた「ツーリスト・カード」は必要なしとのことだった。それよりも「パナマ」を出国するチケットのほうが問題のようだ。僕の場合、12月2日のパナマ発キト行きのチケットを持っているのだ、お咎めはなかった。そういえば、ニカラグアに入った時も、出国のチケットでひと悶着があった。

パナマ運河入口のアメリカ橋
アメリカ橋

さて、空港から市内への移動で手間取った。シャトルバスが11ドルで行くと言うが、なかなかやってこない。やってきても、なぜか乗車拒否。足元を見られて18$などと吹っかけてくる有様。仕方がないので、僕はタクシーの運転手と交渉して20ドルでホテルに行くことにした。

車中から見るパナマ市はまるでこれ見よがしの高層ビルのオンパレードである。
気味が悪いというか、なんの魅力も感じない都市景観だ。
もともと、トランジットのために立ち寄ったこともあり、パナマという町の印象はますます悪くなった。

カスコ・ビエホから見た新市街
高層ビル群

Casco Viejoのホテル「Casco Viejo」はバス、トイレなし、部屋はシングルベッドがあるきりで、かなりのもの。それが18ドル。ええっ、と驚いてしまった。
いままで、コスタリカが高いと思っていたが、サン・ホセでも16ドルでバス・トイレ付のきれいな部屋に泊まっていたものだ。それが、ここではかなり老朽化したホテルが18ドルである。

ホテルカスコ・ビエホ

こんなホテルです

部屋に荷物を置き、さっそく街中に出かける。
ここCasco Viejoはパナマの旧市街である。海に突き出た小さな三角地帯で、ここから新市街の高層ビル群が良く見える。それと、かつてのスペイン支配時代の建物が数多く残っている。それも半分ぐらいは修復されているが、外壁だけが残った建物がかなりあった。

カテドラル
カテドラル

パナマ歴史博物館
パナマ歴史博物館

サンホセ教会
サンホセ教会


レストランらしきものが見当たらないので、地元の人で混雑している店に入った。トレイをもち料理が並べられたカウンターで、店員に指さすと皿に盛ってくれる。僕は白飯と肉と野菜を煮込んだのを注文した。食べてみると肉には違いないがホルモン炒めだった。でも、なかなかうまく大満足。ミネラルウォーターとで、2ドル50セント。

ホルモンどんぶり?


その後、Casco Viejo を再度散策。歴史的建造物の修復は進んでいるようだが、一般の住宅はまるで廃墟同然だった。ハバナの住宅を思い出したが、あれよりも荒廃していて、「オリバーツィスト」の映画に出てくるような住宅があったのである。

老朽化したアパートー2

老朽化したアパートー3


2010/11/28

パナマ運河

11月28日(日)曇り一時雨 パナマ運河

早朝、Casco Viejoをぶらついていたら、地元の人で繁盛している食堂を発見。ここもトレイを持ち、好みの料理を皿に盛ってもらうシステムだった。朝からこんな脂っこい料理はいかがなものか?と思うような品しか並んでいない。仕方なく魚肉ソーセージの炒めものと芋のてんぷらなどを注文した。まずくはなかった。

タクシーが停まっているのが店

こんな朝飯?


パナマ運河(ミラフローレス)に行く方法だが、ホテルの受付の人はタクシーで5月5日広場まで行き、そこからバスで行くのが一番経済的だと教えてくれた。運河までタクシーで行くと8ドルほどかかるとのこと。
さて、僕は人の良さそうな運転手を探して何台かタクシーをやり過ごした後、これはと思うタクシーに声をかけた。かれはあっさりと運河まで5ドルと言ったので、バスだと近くで降りた後、歩かなければならないことも考え、直接タクシーで運河まで行くことにした。

展望台に出ると、ちょうど大型豪華客船が通過しているところだった。手前の水路にはタンカーのような船が入っていて、タイミングとしては最高だった。
パナマ運河を通過することを前提に船が設計されているため、船がぎりぎりで水路を通過している。船幅32メートルほどがパナマ基準だそうだ。

豪華客船

タンカー
手前のゲートが開こうとしている
手前のゲートが開きつつある

一階のホールではパナマ運河の歴史を映像で紹介していた。最初にパナマ運河を作ることを考えたのはスペインのカルロス5世だということだそうだ。まあ、当時の技術では無理だろうが、少し驚かされた。次にレセップッス率いるフランスの技術者たちが開発に挑んだが、財政的なこともあり、挫折。その後アメリカが建設に乗り出しコロンビア政府とパナマ地峡を10年間租借するという条約を結んだ。しかしコロンビア国内で反対が多く批准が頓挫する。するとアメリカはパナマに親米傀儡政権をでっち上げ租借条約を批准、10年かけて1914年に完成させた。

このようにパナマという国は元々なく、アメリカが運河から得られる巨額の利潤のために作られた国ということだ。トリホス将軍やノリエガ将軍のように自国の利益と相反する動きをするパナマの政治家はすべて抹殺する動機はここにある。

昼飯は中華街に行くが、日曜日だということでほとんどがしまっていた。その中で開いていた「広州酒楼」でワンタン麺を注文した。これが薄味で、実にうまかった。値段は6ドルほどして高かったが・・・
ワンタン麺

2010/11/29

中華街

11月29日(月)

昼飯を兼ねて昨日行った中華街へ。昨日は遠回りして行ったが、こちらから行くとずいぶん近い。センターに入ったがそれほど中華屋は見つからなかった。「中華街」を象徴する門には、何と台湾の李登輝の書が掲げられていた。
李登輝の書が



そうこうしていると突然の雨。それもすごい土砂降りだ。昨日の中華屋へ避難。中華丼を頼んだのだが、なぜか野菜炒めが出てきた。量がすごい。

食事を終えたころには、小降りになっていたので店を出た。
ところが、しばらくするとまたもやすざましい勢い。それでもひたすら歩いたが、とうとう軒下でしばらく待つことにした。
ホテルに辿り着いた時にはズボンの下半分がびしょぬれになっていた。
2010/11/30

再開発

11月30日(火)雨。

雨が降ったりやんだりの厭な天気。それでも合間を見て、サンタ・アナ広場まで行ってみる。この広場から5月5日広場までの歩行者天国にはたくさんの店があり、なかなか面白い。特に目立つのはやはり華人の店だ。100円均一の店や食堂などは華人が経営している。それとこの通りで少数民族のおばさんたちによく遇うのである。彼女たちは一様にきれいな脚絆と頭には赤のバンダナをつけている。なんていう名前の民族なのかよくわからないが、ここパナマでしか遇っていない。

歩行者天国の通り。中央の一団が少数民族のひとたち
民族衣装の家族


ホテル(Casco Viejo)の前の通りを右に行き一筋目を左折、10メートルほど行くと今にも倒壊しそうなアパートがある。いつも建物の周りで住民が団欒しているが、明らかに最下層の暮らしを強いられている人々だ。今朝、そこに武装したポリシアが30人ほどやってきて、アパートの周りを中心に散開していた。
よく見ると車に何やら所帯道具を積み込んでいるのだ。
どうやら強制執行のようである。
立ち退きについては、その向かいのアパートでも再開発のため壁だけ取り残されて建物は完全に解体されている。そして、その壁の前にテントが3張りほど張られ、かつての住民の数家族かがテント暮らしをしているのを先日見た。

壁だけ残された前で黒いのがテントで奥にもある

テント暮らし

カスコ・ビエホという世界遺産の地域で、観光を目的とした再開発がこうした地元の貧困層の犠牲の上に行われているのを見ると、われわれが観光気分でこうしたオールドシティを散策することに疾しさを感ぜざるをえない。


夜中、土砂降りの大雨。ホテルの屋根がトタンでできているので、ものすごい音で目が覚めた。翌朝、室内に水が溜まっていた。掃除のおねいさんに聞くと壁から伝わって入ってきたのだという。もう少しで、狭い部屋なので床に置いているザックや荷物が水浸しになるところだった。
2010/12/01

中米最後の日

12月1日(水)

昼前、お気に入りのサンタ・アナ広場まで散歩。今日は大型スーパにも入ってみた。品揃えは豊富で、この国が中米でも屈指の経済繁栄国だと実感させられた。

サンタ・アナ広場
サンタ・アナ広場
5月5日広場につながる歩行者天国
5月5日広場につながる歩行者天国


このことは町を走る車を例にとるとよくわかる。4WDの新しいのや高級車が目に付く。他の中米諸国とは違うという印象。理由はパナマ運河収入とこの国の空港が中米のハブ空港になっていること。従ってそれに関連した産業が発展しているのだろう。ただし、少数民族や都市部の最貧高層を置き去りにして。
あのトリホス将軍が生きていたなら、どう感じただろうか?かれは路線的にベネゼーラのチャベスなんかとかなり相通じるものがあると思うので、もう少し富の再分配を公平にしていたのではないだろうか?
ところで、無知なので知らないが、この国の政権与党はトリホス将軍の作った政党が担っているのだろうか?そうだとしたら、やはり初志が汚されて行くのが世の常なのだろうか?

中米の旅の今日で終わりだ。明日からは南米エクアドル。