2011/11/27

ダージリンへ

11月27日(日)Jaigon(ジャイゴン)→Siliguri(シリグリ)→Darjeeling(ダ
―ジリン)


朝、5時起床
6時出発。ホテルから運よく親切なブータン人の男の人と同行。リクシャ代も10Rで済む。

シリグリ行きのバスは6時40分に出るとのこと。バスは予想通りのオンボロバス。僕の買ったチケットの席は一番前の運転手のすぐ横で見晴しは最高だった。

このバスで行きました。

運転席は花が飾られていた


24年前に見たインドの車窓からの景観がすこしも変わっていないのに驚いた。あの南米でも10年たてば、田舎の景観はすっかり様変わりしていたのに、インドは違っていた。どっこい、こちらは悠久5000年の重みがあるのだ。

これぞインドの車窓ー1

インドの車窓ー2



シリグリまでの途中、道路の両側には特産の茶畑が広がっていた。

茶畑が道路の両側にあった


バスは田舎町を何か所も停まりながら、5時間ほどかけてシリグリに着く。
バスターミナルで朝食兼昼食。

次にジープ乗り場に向かう。インド人ドライバーとの煩わしい値段交渉。100~70までいろいろ。結局80で行くことに。行ってみるとそれなりに距離があり、彼らの値段提示はでたらめでもなかったことがわかる。インド人に対してぼられるのでは、と警戒し過ぎのようだ。すみません!リクシャの運転手さん。

12:30  ダージリンへ向けて出発。
ダージリン行きのジープは、よりによって並んでいるジープの中で一番おんぼろで、しかも遅れてきた僕は一番後ろのガタガタの補助席。道路は最初だけ舗装されていたが、途中から、でこぼこ続き。しかも、中途で客を拾ったので、僕のいた後部の補助席はギュウギュウ詰め。パソコンとカメラを入れた重いバックが邪魔になり、辛い姿勢を取りつづける羽目になる。

ドライバーの隣に2人。次のシートに4人。僕がいる縦向けの補助席に計4人!!ぎゅうぎゅうづめのジープ


でこぼこ道が続いたでこぼこ道が続いた・・・ダージリンへ


想像していた通り、中間点を過ぎたあたりから寒くなる。防寒用に服とセーターを出しておいたので助かった。

お目当てのトイ・トレインの線路が道路と並行して走っており、その狭軌ぶりは確かに「トイ」にふさわしいものだった。面白かったのは、沿線の住民が列車の来ない間は、線路の上に車を停めたり商品を置いたりしていることだった。

狭軌の線路にはごみが

世界遺産なのに手入れがされていなくて、ごみが散乱していて、少しがっかりさせられた。まあ、これもインドらしいといえば、インドらしい。

16:00 ダージリン到着。僕の思い描いていたイギリス植民地風の洗練された町の雰囲気とは程遠い、山間のごちゃごちゃした灰色っぽい町だった。

イメージと違ったダージリン



ジープを降りた所でホテルを探すが見つからない。少し歩くと4軒ほど固まって見えたが、見晴らしが良くなさそうなので遠慮する。一軒、これはと思ったところは、満室だと断られる。途方に暮れていると客引きがやってきて700Rとの値段を提示する。ジープを降りた所から少しだけ坂を上ったほうに向かう。結局、彼の宿ではなく、すぐ手前の宿に決める。見晴らしの良い部屋が700R。後で上の方で聞くと、もっと条件の良い部屋が600くらいであった。この宿、崖っぷちに建っているのに、二度も地震のような揺れを感じた。それとお湯の出る時間が制限付きなので、明日にでも変わるつもりだ。


最初に泊まったホテル

部屋からの景色

ホテルの部屋から・・ダージリンのソサエティホテル



荷物を置いて散歩に出かける。
やはり、本に書いてあったとおり、坂の上に方に宿がいっぱいあった。きれいな宿でも600~800Rくらいの値段だった。

2011/11/28

トイ・トレインに乗る!

11月28日(月)待望のトイ・トレインに乗る!!!

朝いちばんに宿を探しに出かける。
移ったのは「MAIN  OLDE BELLEVUE HOTEL」と書かれた看板のあるホテル。なぜかOLDではなくOlDEと書かれていた。実はすぐ隣に全く同じ名前で「BELLEVUE HOTEL」」があり、こちらは、フロントの態度が良くないのだが、インターネットが使えるのが魅力だった。あいにく満室だった。
「ロンリープラネット」では、僕が決めた方を推薦していて、わざわざ、同名のホテルが隣にあるから間違えないように、と念を押している。かれらもやはりフロントの対応を感じ悪く思ったのかもしれない。
僕が移った「 MAIN OLDE  BELLEVUE HOTEL」は1泊800ルピーと少し高めだが、タオルも石鹸もちゃんとあり、お湯も24時間使えるので良かった。このホテルは、「ロンリープラネット」によれば1897年創業の由緒あるホテルだそうだ。

Old main Bellevue

室内
室内・・・OLD MAIN BELLEVUE




Chowrasta広場Chowrasta-1

Chowrasta-2




朝食を広場すぐ近くの食堂兼ホテル「Dream Land」で済ます。チャパティイとカレーとチャイで65ルピーなり。ところで1ルピーの対円レートは、100円が55ルピーだった。

広場から入った路地
広場から入った路地



路地を入ってすぐのホテル兼食堂朝食の店


店で働く少年朝食に通った店の少年

食べてた朝食
朝食ーダージリンの朝飯


この店からの景色はすばらしかった!朝食の店からの景色




今回のダージリン行きの目的の一つであるトイ・トレインだが、ハイシーズン中だけ2時間の特別乗車企画があった。

10時40分発でGhum(グーム)というインドで一番高いところにある鉄道駅までを往復する、
電車の小さいのはともかく、民家の軒先すれすれを走るのにはびっくりした。ただ、線路といい、線路沿いの道路といい、汚いのが残念だ。これなら、三軒茶屋発の世田谷線もそれなりの価値があるかも・・・昔、京都の堀川通りを走っていた「ちんちん電車」などは今思うと間違いなく世界遺産ものだ。

トイ・トレイン決まり

花とトレイン


ダージリン遠景ダージリン遠景



感じの良い車掌さん車掌さん

軒先すれすれに走る
トイ・トレインが走る店先


続きを読む

2011/11/29

ダージリンのへらへら男

11月29日(火)ダージリンのへらへら男。

「カンチェン・ジュンガ」の御来光が拝める「タイガー・ヒル」行きは諦める。早朝4時前にジープ乗り場に行かなければならないので、3時半に目が覚めたが、外は真っ暗なのと野犬の集団が吠えまくっていて、とてもじゃないが行く気にはなれなかった。そもそも、この間ネパールで「エベレスト」の御来光を見に行くために高いタクシーをチャーターして「ナガルコット」に行ったが、無駄だったし、今回も昨晩から雲が多く、もし行ったとしても期待できそうもなさそうなので止めにした。どちらにしてもGangtok(ガントク)に行けば、「カンチェン・ジェンガ」は簡単に見えるようだし、もっと言えば、それほど山に執着があるわけでもないのでよした。

夜中活躍した犬たちは昼間は眠いのだ!!
昼寝する犬たち


ツアーなんて参加した経験がほとんどない僕が、個人旅行が禁止されているため、やむなくチベット、ブータンと立て続けにツアーに参加した余韻で、観光名所めぐりが当たり前のようになっているが、僕の旅行スタイルからいうとあまり良い傾向とは言えない。

日本語メニューのある屋台
日本語メニュー


崖にしがみついて建てられた家々断崖の家々




さて、Gangtok(ガントク)に行くための「Sikkim(シッキム)のパーミッション」だが、今いるホテルから少しばかり坂を下ったところにあるホテルの別館「ニューウィング」の中に「シッキム・州政府の事務所」があり、パスポートコピーとインドビザのコピー、それと証明写真をそろえて持っていけば、即発行だった。

この「ニューウィング」のマネージャーはかなり調子の良い男で、かれが昨日、「パスポートとビザコピーと写真を揃えれば明日中にパーミッションを取ってあげる」なんて言っていたが、何のことはない、彼のデスクの前に「シッキム州政府のデスク」があり、そこで担当の女性が書類をチェックして一瞬でパーミッションをくれるという仕組みだったのだ。

僕はてっきり、彼が僕の書類を持って「シッキム州政府」の事務所までわざわざ出向いてくれるものだと思っていたので、彼の薦めるダージリンからガントクまでのジープ移動の話に乗っていたのである。彼は2,200ルピーがチャーター代と言っていたが、ジープの溜まり場でドライバーに訊いてみると1800ルピーが相場らしい。それでも、パーミッション代が無料なら、400ルピーくらいは彼の取り分があってもいいだろうと思い、半ば了承していたのだが、彼が全く何もしていないのに、400ルピーは取り過ぎと思い、2000(×1.56=3,120円)ルピーなら行くというと彼もしぶしぶ了承した。
この男、へらへらとやたら愛想が良く、憎めないキャラの持ち主だった。
宿探しの時に遭ったのが最初で、「ここのホテルはインターネットができるか?」と聞いたら「イエス」なんていうので、「WIFIフリーなら、部屋でもネットが使えるか?」と畳みかけると、少しどもってから「イエス」と応じたのである。その時も、彼はへらへらと笑い顔をしていたのだが、横にいた真面目そうな男が、「嘘いっちゃいけない」という表情で、彼に何事か言った。僕は「はは~ん」出まかせを言っているなとわかり、別れたのである。そして翌日、ホテルを「MAIN OLDE BELLEVUE HOTEL」に変わったら、受付の男が、もしシッキムの許可書がいるなら、うちのホテルの別館「ニューウィング」に行けばただで取れると教えてくれたので、夕方に「ニューウィング」に行くと、彼がまたもやへらへら顔で、出てきたのである。
こちらも、すっかり警戒心を削がれ、ついつい彼のペースにはまってしまったという次第である。まあ、面白いキャラに遭えただけでも、ダージリンの収穫はあったというものだ。

彼の名前はSubash Tamang君。

スバッシュ君



夕食はホテルの前の通りをまっすぐ下り、突き当たった広場の左手上(左手下は昼飯でチャウメンを食べた食堂がある)にあるチベット料理の食堂で、チャーハンとホット&サワースープを注文した。チャーハンはまあまあだが、スープはいただけなかった。それにしても、標準より3割は高い。

チベット料理の店
ダージリンチベット料理の店

スープはうまくなかった

チャーハンとホット&サワースープ・・うまくなかった





ドルの両替をする。1ドルが50ルピーだった。
ということは、78円=50ルピー→1円は0.64ルピー
1ルピー=1.56円
2011/11/30

Darjeeling(ダージリン)~Gangtok(ガントク)へ

11月30日(水)中国・ネパールとの国境地帯・シッキム(Sikkim)へ

Darjeeling(ダージリン)→Gangtok(ガントク)

午後、1時少し前に、例のスバッシュ君に見送られてダージリンを出発。
ドライバーは英語が話せないので、ある意味気楽だった。ゼスチャーと片言で用が足りた。

茶畑
茶畑


シッキムは、ネパール、中国・チベット、ブータンに囲まれた地域で、かつてはブータン(ゲルク派)と同じく仏教王国(ニンマ派)だったのだが、英国に支配され、その後、インド独立後もシッキム王国として独立できずにインドの一州となっている。ちなみに中国政府はシッキムを「シッキム国」として認定しているそうだ。まあ、これはかれらがインドとの対抗上言っていることで、決してシッキムの民族自治権を認めているのはないと思うが・・・

驚いたことに、ガントクまでの道路は完全舗装だった。シリグリ~ダージリンのあの悪路はいったいどういうことなのか、首を傾げたくなった。

きれいに舗装された道



2時間ほど走った所でチェックポイントがあり、僕たち外国人はここでシッキム州入域のスタンプをもらう。ガイドブックに「秘境・シッキム」と記されていたが、こうした手続きをさせられると、ここはインド東北部の辺境地帯なのだと納得させられる。

州境の橋
州境の橋


シッキムはダージリンよりもずっと寒いと覚悟していたのに、逆にはるかに暖かいのにうれしくなった。

午後5時過ぎ、あたりが暗くなった頃に、シッキムの州都・ガントク到着。思い描いていたよりはるかに大きな町だ。

昨晩、ガイドブックでチェックしておいた「Sunny Guest House」はすぐに見つかった。改装したためか、きれいなホテルだ。おかげで宿賃も800ルピーと少し高め。ただ、ここの立地はジープの溜まり場のすぐ横で移動にはすごく便利だ。
ベッドは毛布一枚だが十分の暖かさ。助かる!お湯も申し分ないほど出た。


ガントクの町はダージリンよりはるかに開発されているように感じたが、明日探索してみよう。

夕食は、疲れていたので、ホテルの隣の食堂でモモとビールで済ませる。

2011/12/01

カンチェンジェンガ!!!

12月1日(木)

部屋が暗い。お湯や清潔度は申し分ないが、陽の当たる部屋にしてくれと頼んだら、1200ルピーだというのでやめた。明日は、建物はかなり古いが、陽当たりの良い向かいのホテルに変わるつもりだ。実際見てきたが、室内はかなり老朽化しているが、500ルピーと安い。取り柄は部屋から「カンチェンジェンガ」が見えることだ。


ネットが久しぶりにできた。MGmarug通りにあるサイバー・カフェで直接ランケーブルを繋がせてくれたのである。1時間30ルピーなり。2時間ほどブログとE-Mailのチェックをした。

ネットでルピーのレートを調べたら
1ルピーが1.5円だった。思ったよりも円が強い。今の宿も600円となる。

「カンチェンジェンガ」撮影成功。街中から見えるのだ。
カンチェンジュンガーガントクの町から


この間から、右上の歯茎が腫れた感じがしていたが、ひどくなってきた。別に痛いという感覚ではなく、あえて言えば痒いと言ったところか。おそらく肩の凝りから来ているのではないだろうか。歯茎の腫れ止めの薬を購入。先ほど服用したのだが、効いてきた感じがする。インドはジェニック薬で有名な国だから、ほかにも下痢の薬や抗生物質などを入手しようと思う。

そういえば、昔、小林薫さんがカルカッタで酷い熱にうなされていた時も、インドの医者がうった薬が効いて翌日には全快していたことを思い出した。

街中を歩くと、本当に日本人とそっくりの顔をした人にたくさん会う。チベット人かブータン人かネパール人なのだろうが、うれしくて話しかけてみたくなる。不思議な気分だ。
2011/12/02

インド薬事情

12月2日(金)

歯茎の腫れがひいた。やはり薬が効いたのだ。すばらしいインドの薬。今日は下痢止めを買うぞ!!!

宿を替える。部屋が明るいと助かる。目の前のジープの溜まり場の人の動きも見えて面白い。「カンチェン・ジュンガ」はばっちり見えている。

部屋から見えたー2

真ん中の緑色の鉛筆ビルが「Grand Hotel」
緑色のビル


この急な階段を上がった突き当たりを左に入ると僕の部屋102号室がある。
この階段を上りきった左側

2011/12/03

Rumtek寺院

12月3日(土)Rumtek Gompa(ルムテク・ゴンパ)

朝、8時半にホテルの前のジープ乗り場に行く。1時間半ほど待たされてから出発。11時半現地着。


Rumtek-1


Rumtek Gompaとは・・・・ガイドブックによる
シッキム最大のゴンパ。カルマ・カギュ派のカルマパ法王の本山。1960年にカルマパ16世がダライラマ法王とともに亡命。ここで世界各地に布教活動を展開した。1981年に16世は亡くなり、17世カルマパはチベット・ラサ近くのツルブ寺で即位したため、カルマ・カギュ派の総本山はツルブ寺になっている。しかしルムテクの影響力は大きい。

ゴンパは1740年建立。地震で崩壊したのが再建されたため、それほど、建物自体にそれほど価値があるわけではない。


Rumtek


僧院の中に完全装備の軍隊がいる方が気になった。
部屋に戻って、ガイドブックを読んでいると、おおよそ、下記のように書かれていた。

このカギュ派は別名「黒帽派」とも呼ばれていて、カルマパが儀式のときに被っていたルビーのついた黒の帽子からそう名付けられた。16世カルマパ死後、少なくとも1993年以後、だれもがその帽子を見たものがいないことから、その所在を巡って論争が起こり、2派に分裂、内ゲバを繰り広げた。そのため、軍隊が常駐しているのだそうだ。
このことを詳しく知るには「The Dance of 17 Lives By Mick Brown」を読めばいいとLonely Planetには書かれている。

ところで、「チベット仏教」というか「ヒマラヤン仏教」もいろいろと派閥があり、ややこしくて、整理して一覧表にでもしないとわからない。

おかしかったのは、僧院経営のカフェがあることで、観光客相手に作ったのだろうが、小僧さんの溜まり場になっていた。
僕は、サモサ2個とチャイをいただいたが、なかなかの味で感心した。しかも料金が30ルピーと破格だった。

昼過ぎに表に出たのだが、帰りの車がない。タクシーはあると聞いていたが、それもなし。やむなくガントクからの乗り合いジープを待つ。しばらく待つとやってきたが、着くとすぐにドライバーは昼食タイム。やっと、彼が食堂から出てきたが、客が集まらないので出発しない。彼に訊くと6人は集めたいと言うのである。
昨日から軽い下痢気味の僕は、お腹の調子が心配で、一人40ルピー×6人=240ルピーを計算して、300ルピー(450円)を払うから出発してくれないかと頼んでみた。このドライバー、なかなかの気概がある人物で、おいそれとは買収に乗ってこない。
それでも、30分ほどたっても客が誰も来ないので諦めたのか、出発するぞ、と言った。
出発直前に客が一人乗ってきたが、助手席にゆったりと座れ、ほぼ貸切り状態でガントクに戻った。
僕が約束の300ルピーを渡すと、貸切りの約束が活きていたとは思っていなかったようで、彼はえらく恐縮して受け取った。まあ、タクシーだと400ルピーは取られたのだから、仕方がない。
このドライバー、山崎努似のなかなかいい男だった。
シッキムの人は、インド人に対する僕たちのイメージとは程遠く、ぼらないし、しつこくない。その分、商売気がないともいえる。そう、これもガイドブックに書いてあったが、そのとおりだと思う。
2011/12/04

西シッキムのページンというところに行きます。

12月4日(日)Gangtok(ガントク)

明日の朝いちばんに西シッキムのページンというところに移動します。
そこに数日滞在して、ウエスト・ベンガルのシリグリに移動、そこから夜行列車で「カルカッタ」に入る予定です。
おそらく、当分、ネットができないと思うので、ご心配なく・・・




より大きな地図で Sikkim を表示
2011/12/05

ページン(Pelling)へ

12月5日(月)Gangtok(ガントク)→Pelling(ページン)

朝、6時過ぎにジープ乗り場に行く。ジープは来ていなかったので、昨日、寄った屋台でチャイを飲む。

7時ちょっと前にジープが到着。僕の座席は助手席。
後ろに席に年配の日本人夫婦が乗り込んだ。

ジープは7時過ぎに出発。
助手席にはもう一人女性が乗ってきたが、先日のRumtek行きの時のように太った人ではなかったので、それほど苦痛ではなかった。ただ、彼女は車酔いで苦しんでいたが・・・
道中の道路事情は素晴らしく、ほとんどが舗装されていた。また、道路の脇にはポインセチアの赤が、ハイビスカスやブーゲンビリアの赤を圧倒していた。ポインセチアは、ブータンでも見かけたが、原産地ははるかメキシコなのに、こんなヒマラヤ山麓にすっかり根付いてしまっているのである。外来種の繁殖力には驚かされる。もしかしたら、ブタクサの赤色版か・・・

ポインセティアの花

山道を走ること4時間半で「ページン=Pelling」に到着。
宿は、ガイドブックで見当をつけていた「Hotel Garuda」。1泊400ルピー。周りにはホテルが10軒ほど軒を連ねていた。

ホテル・ガルーダ


朝食兼昼食をとる。チキンカレー。

ガルーダのチキンカレー


ここは2,000mほど高度があるため、気温も低めだ。

残念ながら、今日は雨で視界が悪く、「カンチェン・ジュンガ」が見えない。明日は晴れることを祈るばかり。
2011/12/06

河原に露天風呂が・・・

12月6日(火)

昨日、ジープで一緒だった日本人のご夫妻の誘いを受けて、Rabdentset(シッキム王国の居城跡)と河原の温泉行きに参加。3人でジープをチャーターして1,400ルピーということで、僕はまけてもらって400ルピーだった。
シッキム王国の元首都は1670年~1814年までで、城壁が残っているだけだった。それでも、ガントクの王宮跡よりは、スケールが大きかった。シッキム王国についてはなんの予備知識もなかったが、今回の旅で興味がわいた。帰ったら、調べてみよう。

シッキム王国跡

さて、温泉のほうは海水パンツを持っていなかったので最初から諦めていたが、温泉の前の売店で売っていたので、温泉に入ることができた。温泉の温度は温めで、スペースも狭かったが、河原に湧き出た温泉ということでなかなか味があった。

河原の右端が温泉温泉

温泉の売店でチャンを飲んで、やや出来上がっている青年がいた。顔も日本人と変わらない。
この酒、麹を使って作るようだ。「照葉樹林文化論」に紹介されている飲み物だ。

呑み助君

チャン・・・味は日本酒だった。そうだろう!これぞまさしく照葉樹林文化の産物なのだ。
チャン