2013/08/14

イラン入国

9月10日(火)現在地はウズベキスタンのヒヴァ
ここウズベキスタンでもネット規制がきつく、ブログの更新がうまくゆかない。なぜかロシア語の表示のページに行きついてしまう。宿のお兄さんに聞いたら、政府がブロックしているとのことだ。
なかなか、多難!


2013年8月13日 イランへ急遽、空路で入国


より大きな地図で エレバン~テヘラン を表示

突然、腰痛が出て、このままでは旅が続けられないといった深刻な事態に陥った。今にして思えば、予兆はトビリシにいたときから脚に激痛が走って歩けなくなることがあったのだが、それがどこからきているかがわからなかった。
そして、エレバンでたまたまホテルが満室になり、引っ越しせざるを得なくなったときに、荷物を持ったら腰に激痛が走って、うずくまってしまった。
それでも、今回は、せめてイランだけには行っておこうと思い、航空券を探すとイラン航空のチケットが思いのほか安く手に入ったので、飛行機で行くことにした。


アルメリア出国時になぜか検査官に出国についていちゃもんをつけられる。この後、イランからどこへゆくのか、チケットはあるのかなど・・・どうしてアルメリアの検査官がそういうことを問うのかわからない。イランの検査官が言うのならわかるが・・・ごたごたがあったが、なんとか無事出国できた。
アルメニアの空港のイミグレの検査官やセキュリティーの係官の高圧的な態度をみて、この国がいまだに、ソビエト時代の官僚制国家から抜け出ることができていないと感じた。

チェックインの行列の時に、自称「シマさん」というイラン人女性に話しかけられる。名前は知り合いの日本人から教えられた呼び名を使っているとのことだった。彼女はロンドン在住の学生で英語がペラペラだった。
イランに入国後、僕が当初行こうとしていた「ホメイニ広場」近くのホテルは、夜は危険だから、安全なホテルに泊まるようにと諭された。そこで、前日に航空券を買った時に代理店で教えてもらったホテル「Hotel New Naderi」に行くことにする。また、両替にもついてきてくれて、最後はエアポートタクシーの窓口でタクシーチケットを入手するのを見届けてくれて別れた。ほんとありがとう、「シマさん」。最高のホスピタリティに感激。
イラン人はトルコ人と同じで感じが良い。考えてみたら、グルジアとアルメニアではこうした雰囲気を感じなかった。みな一応に暗くて、なんとなく閉鎖的だった。両国はキリスト教国だ。トルコとイランは、シーア派とスンニ派と宗派は違うが同じイスラム教国。この対比がなぜかおかしい。


エアポートタクシーの運転手は年配の少し英語を話す人で、ずいぶん親切な人だった。ただし、「NEW NEDERI HOTEL」に行くところが、「NEDERI HOTEL」になってしまった。結果オーライで、NEWの方だったら30ドルと聞いていたのだが、こちらは18ドルですんだ。
疲れているので2泊することにした。焦らずにゆこう。

いろいろあった。
身体が結構疲れていた。飛行機の中でしんどかった。
まあ、無事にイランに入国ができて良かった。

イラン入国が8月14日なので、滞在期限は9月の12日までということを気に留めておくこと。






2013/08/20

イラン南東部・・・その1

イラン南東部を小旅行(8月19日~25日)


その1 Shiraz(シーラーズ)編




より大きな地図で 無題 を表示





イランの飛行機は安い。シーラーズまでが4,000円ほどだった。もっとも飛行機は耐用年数ぎりぎりだそうだ。
機上から眺めた風景は一面砂漠。そこに緑の部分が時々見える。オアシスか人工的に作った町か。


Shirazの町はTehranの南600キロにあり、標高1,600メートルに位置しているので気候は穏やか。実際、真夏の今日も日差しは強烈だったが、一歩日陰に入るとわりと涼しく感じる。


さて、ここのハイライトは
PersepolisとNaghsh-e Rostam  Nagsh-e Rajab 3か所の遺跡めぐり



まずはNaghsh Rostam
4つ王墓が並んでいて、左から順にアルタクセルクセス1世、クセルクセス1世、ダレイオス1世、ダレイオス2世となっている。


ナガシュ・ロスタム遠景・・・岩の壁に4つの墓が刻まれている。
遠景

左端のアルタセルクス1世の墓
左端

これが一番有名なレリーフで「騎馬戦勝図」・・・騎乗の人がササン朝シャブールー1世、左が捕虜となった東ローマ帝国皇帝ヴァレリアヌス
騎馬戦勝図






次に訪れたのはNaghsh Rajab

ササン朝初期のレリーフが残されている。

こんな岩の奥にあった
Rajab遠景


レリーフー1


レリーフー2


レリーフー3

全部で4つのレリーフがあると記されていたが、うかつにも3つしか気づかなかった。なにしろ、「イランのガイドブック」を持っていなかったので、あとで、トルコで同宿した方から頂いた「地球の歩き方」のPDF版で確認するという始末。タブレットでも持っていたら、現場でも確認できるのだが・・・






最期は本命のPersepolis(ペルセポリス)

ギリシャ語で「ペルシャ人の都」という意味。
紀元前512年ごろアケメネス朝のダレイオス1世が建築に着手し、その子のクセルクセス1世が完成させた。総面積12万5000㎡。紀元前331年アレクサンダー大王によって破壊された。



クセルクセス門
門・・・遠景



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ウマの顔


菊の御紋のようなレリーフを見ると、かつて「天皇中東起源説」なんてことが言われて時代を思い出した
菊の御紋



うまアップ



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この描写力!
10・・・かみつくライオン



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謁見の間(アバダーナ)・・・林立する円柱
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一周して元の門へ戻った
一周して元の門へ


これが紀元前331年前のものとはにわかに信じがたい思いがした。
遺跡マニアでもない僕でさえ感動した!









キャリーム・ハーン城塞・・・シーラーズの市内にある城塞

城塞

撮影ポイントが指示されていた(笑い)
撮影ポイントが指示されていた


その地点から撮ると・・・
その場所で撮ると


シーラーズの中心街・・・ザンド街
シラーズの中心街・・ザンド









2013/08/23

イラン南東部・・・その2

Esfahan(エスファハーン)編


夜行バスで8時間ほどかけて次の町エスファハーンへ向かった。バスは何と驚きの3列シートの豪華バス。スナックがついていた。それで運賃は700円ほど。

さて、到着した宿はどこもいまひとつ。
[Amir Kabir]・・・ご存知安宿で有名。ここはドミトリーなら意味があるが、シングルだと10ドルで、部屋は狭すぎ。朝食も有料だし決して安いとは思えない。

アミール・ギャビール




[Iran Hotel]・・・ここは最初から狙っていた宿だが、朝8時に訪れたら、受付の爺さんんが結構意地悪で、12時までフロントの横で待機しろといった。疲れていたので諦めてアミール・ギャビールに行った。次の日、再度交渉に行くと今度はえらく感じの良い受付の人がいて、シングルは一日しかないが、オーナーに話してやると言って電話をしてくれた。結局、ダブルで30ドルの部屋をシングル料金の16ドルで泊めてもらうことになった。朝食付き。

イランホテル


イランホテルー2



<エマーム広場>


エマーム広場ー1


エマーム広場ー2




マスジェデ・エマーム(Masjed-e Emam)

サファヴィー朝を代表する建築物。アッバース1世の命を受けて1612年に着工、王の死後1638年に完成。残念ながらドームが改修工事中だった。


正面のエイヴァーン(門という意味か?)と奥の門が二つ見える。奥の門はメッカの方角に向いている
正面の門と中の門


正面の門
正面の門


正面の門の天井
正面の門の天井


礼拝堂の天井
ドームー1


ドームー2



ドームー3



ドーム内部ー4




「Masjed Sheykh Lotf-o-lah=マスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラー」


1601年着工。18年の歳月をかけて建設された。レバノンの説教師・シェイフ・ロトゥフォッラーを迎えるために作られたもの


引き絵


正門


内部ー1



内部ー2




Kakh-e Ali Ghapu  アーリー・ガープー宮殿


遠景ー工事中



プレート



壁の画



音楽室の天井



音楽室の天井ー2



音楽室の天井ー3



バザーレ・エスファハーン
このバザールは延々とマスジェデ・ジャーメまで続いている(歩いて30分ほどある)。僕が驚いたのは、こうしたバザールがどの町にも必ずあるのだが、その規模が人口に見合わないぐらい大きいのだ。

バザーレ・エスファハーンー1


バザーレー2


バザールの中の土産物屋で売られている商品の実演
金物師



金物師ー2


バザールの中の洒落たカフェ。トルココーヒーがおいしかった。
カフェ



バザーレー3








Masjed-e Jame マスジェデ・ジャーメ

8世紀の建築。焼失したので12世紀から14世紀にかけて再建。
エマーム広場から30分ほど歩く。Ghyam 広場=メイダン・ギャーム近く。


マスジェデ・ジャーメ入り口
マスジェデ・ジャーメー1


中庭から
中庭から


天井の彫刻
天井の彫刻


見事な柱廊
柱に注目ー1



柱ー2





柱廊ー3



柱廊―4



中から中庭



中庭と正面





スィーオ・セ橋

エスファハーンにはこのほかに有名な橋がいくつかあるが、今は乾期で水がないので割愛した

スィオーセ橋ー1



橋ー2



橋ー3



橋ー4



橋ー5







Jolfa(ジョルファー)地区とVank Cathedral(ヴァーンク教会)

アルメニア人の居住するJolfa(ジョルファー地区)にあるアルメニア正教の教会。1,655年から66年にかけて建てられた。アッバス1世がアルメニア人を彼らの経済活動の能力を買ってアルス河畔のジョルファーから呼び寄せた。そして彼らのために信仰の施設を作ったのがこの地区で13ほどあるアルメニア教会の始まり。その中でも、このヴァンク教会が有名。アルメニア人の経済活動の能力が生かされてエスファハーンの新都市建設や道路の改善、隊商宿の充実などがその成果と言われている。アッバス1世はササン朝ペルシャの5代目の王(1588~1629在位)。アッバス大帝と呼称されえる名君。

ヴァーンクカテドラル入り口



櫓



室内ー1



室内ー2



室内ー3



中庭から













2013/08/24

イラン南東部・・・その3

ヤズド編

エスファハーンからバスで移動。


チョンボというか間違いだらけの一日だった。

まず、ホテルを出てバスターミナルまでのタクシーを掴まえたのは良いが、ドライバーがターミナルは2つあるという。もしかして行き先によって違うのかもしれない。ヤズ。ヤズを連発したら、オーケーと言って納得したので、走り出した。ところが、かなりの距離のところまで行くので不安になり、ヤズ、ヤズを再び連発。ドライバーはわかっとる!といって無視。かなりの距離走ってバスターミナルに到着。このターミナルが先日着いた時のターミナルかどうかわからない。とりあえず、チケット販売の窓口に行き、ヤズ行きを購入。8時発のバスだった。1時間ほど時間を潰して、出発。ところが、30分も走ると、バスはもう一つのバスターミナルに着いた。こちらはEsfahanの街中からごく近いところにある。なんだか出だしから、うまくいっていない。

次にバスが出発したのだが、クーラーの効きが強すぎて震え上がっていた。窓のカーテンが閉じられ、前方の運転席の前のウィンドウもブラインダーが半分以上下げられたので、まるでカーテンでできた棺桶に閉じ込められたような感じだった。
走ること4時間半ほど。途中ちらっと見えた標識ではYazdは直進してゆくはずなのに、バスはなぜか右折してYazdから遠ざかって走っていた。そして、訳の分からない路上で、突然、ここがヤズだから降りろ!と下ろされてしまった。あたりには町の雰囲気はない。
タクシードライバーが近寄ってきて、どこのホテルに行くのか?と尋ねたので、「シルクロード」というと、知っているから案内するという。ほかに手段がないので、やむをえず乗ることにする。
そして、走ること20分ほど。
「ここがシルクロードだ」と言われて降りる。なんとも立派なホテルである。しかも周りには商店とか民家とかがない。道路沿いにぽつりと立っているのである。
看板を見ると「SHIRKOO HOTEL」と書かれている。


シルコ―ホテル


「シルコ―ホテル?」・・・「シルクロードホテル」とよく似ている!


もしかしたら、間違いでは?とは思ったが、タクシーのドライバーはすでにいない。
ホテルに入り、受付の女性に「ここはシルクロード・ホテルですか?」と聞くと「そうです」との返事。なんだか腑に落ちないのだが、「予約はしているのだが」というと、「オーケー」という。
「ほかにヤズには同じ名前のホテルはないのか?」の質問には「ここだけだ」との答え。
英語がほとんど通じないのでどうしようもない。
「ホテルのスタッフに英語を話す人はいないのか?」と聞いたが、「だれも話さない」との答え。どう考えてもおかしいのだが、「ここはヤズか?」と聞くと「そうだ」との答え。
では町の中心はどこだ?と尋ねると意味が通じない。紙にホテルの位置や「沈黙の塔」の位置などを書いて説明を求めるがらちが明かなかった。
結局、後でわかったことだが、チャーターしたタクシーのドライバー(彼は英語を少し話した)に聞くと「ここはヤズドから少し離れた郊外」とのこと。「なんで、こんなはずれに泊まっているのだ?」と聞かれて愕然とする。
バスで変なところで降ろされたことといい、次に捕まったタクシー運転手といい、運の悪いことが続いた結果だ。
まあ、バスで降ろされたときに近寄ってきたタクシーの運転手に「シルク・ロードホテル」の住所を見せなかった僕が一番悪いのだから、笑っているよりしょうがないね。
夕食はホテルで食べた。というよりほかにないのでここで済ませた。

驚きのチョンボ!最低でした!

ホテルは超豪華です。4つ星クラスですね。これで値段が1,800円ほどでした。

超豪華なロビー


滞在していたのはYazdから10キロほど離れたTaftという町だった。
ということはYazdには滞在していないことになる。






ヤズドは拝火教「ゾロアスター」遺跡で有名

ゾロアスター教寺院(アーテシュ・キャデ=Atesh-Kade)
アーテシュ・キャデ外観



1500年燃え続けているという火・・・背後にカメラを構える私が・・



アミール・タグマーグのタキイェ

15世紀に建てられた寺院やバザールなどの複合施設。
複合施設ー1


その前の彫像



沈黙の塔(ダフメイエ・ザルトシュテイヤーン=Dakhme-ye Zartoshtiyan)


沈黙の塔



集会場や死体安置所などの施設



塔入口



塔の頂上部分



拝火教の葬儀では死体をこの塔まで運び上げていた。そこで鳥が死体を掃除していた。いわゆる鳥葬。
下の建物は集会場とか遺体置場だそうだ。





※ここでお勉強・・・ゾロアスター教についてウィキペディアより抜粋

ゾロアスター教(ゾロアスターきょう、ペルシア語: دین زردشت‎ /Dîn-e Zardošt/、英語: Zoroastrianism、ドイツ語: die Lehre des Zoroaster/Zarathustra)は、古代ペルシアを起源の地とする善悪二元論的な宗教である。『アヴェスター』を根本経典とする。

ゾロアスター教の起源は古く、紀元前6世紀にアケメネス朝ペルシアが成立したときには、すでに王家と王国の中枢をなすペルシア人のほとんどが信奉する宗教であった[1]。紀元前3世紀に成立したアルサケス朝のパルティアでもヘレニズムの影響を強く受けつつアフラ・マズダーへの信仰は守られ、3世紀初頭に成立した、後続するサーサーン朝でも国教とされて王権支配の正当性を支える重要な柱とみなされた[1]。ゾロアスター教は、活発なペルシア商人の交易活動によって中央アジアや中国へも伝播していった。
7世紀後半以降のイスラームの台頭とペルシア人のムスリム化によってペルシアのゾロアスター教は衰退し、その活動の中心はインドに移った。17世紀以降のイギリスのアジア進出のなかで、イギリス東インド会社とインドのゾロアスター教徒とのあいだで関係が深まり、現在、きわめて少数派ながらインド社会で少なからぬ影響力を保持している[2]。
ゾロアスター教の教義は、善と悪の二元論を特徴とするが、善の勝利と優位が確定されている宗教である。一般に「世界最古の一神教」と評されることもあるが、これは正確ではなく、その教義のなかではアムシャ・スプンタなど多くの神々が登場する。
















2013/08/31

カスピ海沿岸の旅―その1



カスピ海沿岸(ラシュト、バンダーレ・アンザーリ、ラムサール)



より大きな地図で カスピ海沿岸 を表示







ラシュト(Rasht)とバンダーレ・アンザーリ(Bandare Anzali)



テヘランからバスで5時間。カスピ海沿岸の町・ラシュトに向かった。
翌日、ここから乗り合いタクシーで野鳥の天国として有名な「バンダーレ・アンザーリ」まで日帰りで行った。


バンダーレ・アンザーリ


河口でボートに乗り込む
潟を行くー2





バカげたスピードで飛ばすボート・・・おかげでうまく写真が撮れなかった。
スピードボート






潟を行くー3





ハスの群生





ロータスの群生と鳥
潟を行くー1










ロータスの華
ハスの華



ロータスの華




渡り鳥




DSC_7921.jpg




河口・・・その先がカスピ海
河口・・・向こうがカスピ海






ラシュト(Rasht)

ホテル・カルヴァン


ホテルのオヤジの孫娘
孫娘



一階の食堂で食べた魚フライ・・・カラッ揚げられていて、美味かった。
一階の食堂で食べた魚フライ






ラシッドのバザール

このバザールは陽気な人が多かった。映っているのは写真を撮ってくれ!と言われた人たちばかりである。
魚屋2人



魚ー1



魚屋ー2
バザール遠景




魚ー3




からすみ?




3人グループ




魚ー4



ハエ除け?に煙を焚いていた
ハエよけの煙



にんにくをつけ汁に漬け込んだもの
にんにくをつけ汁に




味噌のようなもの・・・調味料?
味噌のようなもの・・・調味料?




店番のお兄さん




果物うりー1





果物売りー2







2013/09/01

カスピ海沿岸の旅ーその2

ラムサール(Ramsar)

「ラムサール条約」で有名なラムサールにやってきた。
海は期待ほどではなかった。カスピ海という名前にひかれたのだが、海というより湖という雰囲気だ。塩のにおいがあまりしなかった。


ホテルは観光地ということでコテコテのセンス。夜になると派手なイルミネーションに飾られていた。


ラムサールの海ー1




ラムサールの海ー2




ラムサールの海ー3



水タバコを楽しむ男性から写真を撮ってくれと頼まれた
水タバコ男性




海岸





カスピ海の魚を食した。淡泊な味。なんて名前かわからずじまい。(オオボケ)
レストランで食べたカスピ海の魚


2013/09/05

Mashhad(マシュハド)

シーア派最大の聖地・マシュハド   2013年9月1日


より大きな地図で ラムサール~テヘラン~マシュハド を表示






テヘランで申請しておいた「トルクメニスタンのビザ」をマシュハドのトルクメニスタン領事部で受け取るためにやってきた。
ラムサールからテヘラン経由でマシュハドと飛行機を乗り継いできた。飛行機代は相変わらず安かったので助かったのだが、マシュハドのホテル事情は最悪だった。巡礼客で込んでいて、簡単に見つかると思っていたのが、そうはいかなかった。おかげで、一泊が45ドルというとんでもない値段のホテルに2泊もすることになってしまった。
その後、なんとか安い宿を見つけて変わることができたが、痛い出費だった。

マシュハドは「シーア派最大の聖地」で日本でたとえるなら、かつての「善光寺参り」、「熊野詣で」、「四国お遍路めぐり」などに相当するのだろうか。
家族連れでやってくる巡礼者たちは、キッチンのついた「アパートメントホテル」に滞在して、何日かを過ごす。「ハラム」と呼ばれる施設が集まった場所に参拝に行き、帰りにはお土産物をどっさりと買って帰るようだ。




「ハラム」を呼ばれる宗教施設が集まっている一帯
ハラム



大きな大きなバザール。中は二階建になっている
バザーレ・レザー




バザール前





町の中心・・・・モガッタ広場
町の中心・・・モガッタ広場




安宿に替わったのだが、ここもキッチンがついていた
替わった宿。キッチンがついている



スパゲッティを作った
スパゲッティを作った



土産物屋
土産物街




陽気な写真屋のお兄ちゃん



マシュハドにきて初めて「イランでのシーア派の支持基盤」を見たような気がした。