2013/09/09

ウズベキスタンへ行くには・・・

トルクメニスタン滞在(2013年9月6日~9日)




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まず地図の下の方にあるイランのマシュハドからグーチャンという町経由で国境まで行った。
次にトルクメニスタンに入国後、首都のアシュガバードに一泊だけ滞在。
その翌日の夕方、アシュガバード発ダシュオグズ行きの夜行列車に乗る。
列車はテュルク・メナバードを経由して翌日の朝、8時半にダシュオグズに着いた。
ダシュオグズで一泊。
翌朝、ダシュオグズからはウズベキスタンとの国境まで車で行った。20分ほど。
イミグレを終えて、ウズベキスタンへ入ると、すぐに「ヒヴァ」の町へ直接向かった。
結局、トルクメニスタンは計4日だけの滞在だった。最長でも5日間のトランジットビザしか発給されない。





中央アジアの「北朝鮮」と呼ばれるほどの「独裁国家」に入った。

この国のサパルムラト・アタイェヴィッチ・ニヤゾフという初代大統領は「孤児院出身」でかなりの政治力があったそうだ。彼は個人崇拝を徹底して推し進め、しまいには終身大統領になり、「トルクメニスタンの父」などと臆面もなく自称していたのである。
もともとは1991年にここトルクメニスタン共産党の第一書記に抜擢され、その後のソ連邦解体後、トルクメニスタンの初代大統領となった。
中央アジアの何人かの独裁者たちは、この解体過程の混乱の中で権力基盤を確立している。

先代が亡くなったので、現在はグルバングル・ベルドイムハメドフが二代目大統領を務める。
彼はニヤゾフ初代大統領の時に廃止された「老人への年金支給」を復活させるなど、一連の民主化改革を行っている、と言われているが、前大統領と同じで、そこらじゅうに自分の写真を飾らせ、「個人崇拝」を強めているのが現実だ。国民への監視体制も相変わらず厳しく、街頭の警官の数を見ればわかる。

二代目の写真。服装のセンスが・・・っぽい。
2代目組長

ホテルのロビーに飾られた肖像画
ホテルにあった肖像画



街中には警官の姿がやたら多い。国民を監視する体制は相変わらずだ
街角は警官だらけだ



陸路ウズベキスタンへの行くためには、どうしても通らなくてはならない国なのだが、初めから行くのが気が重かった。

そうして概して気乗りしない国とは、こんなことが待ち受けているのものだ。




「入管で理由もわからずに待たされる」

入国手続きでなぜか理由もわからずに、待たされる。
係官が二人も出てきて、同じ質問をしてから「ちょっと待っておれ」と言われた。一時間ほど待ってから、最終的にオーケーが出た後に、係官が「ウエルカム・トルクメニスタン」なんて言ったのだが、待たされた理由が一切わからなかった。





「警官に金を要求された」

次に、アシュガバードからダーシュオグズへの移動日、列車の出発まで時間があったので、あまり気が進まなかったのだが、変な「取材魂=すけべ心」を発揮して独立広場まで歩いて行って、大理石をふんだんに使った「超豪華化け物建築物群」の写真を撮った。
その時、大統領官邸が目についたので、うかつにもなんの警戒感も持たずに写真を撮った。
2枚ほど撮ったら、案の定、二人組の警官に捕まった。
一人は若い20台前半、もう一人は30台後半くらい。
彼らは写真を見せろというので、再生画像を見せた。
すると大統領官邸が映っている2枚を消せというので削除する。
僕は彼らに「知らずに撮ってしまってすみません」と謝った。
それで、終わりかと思ったら、次に彼らは「イミグラシオン」というような言葉を発するので、パスポートを提出。トルクメニスタンのビザのページを示した。
すると、二人は顔を見合わせてから、「バンク、バンク」と連発した。
「バンク?」何を言っているのかわからないので、聞き返す。
バンクは銀行ではなくて、どうやらお金という意味らしい。
良く聞くと、米ドルで50ドル出せというのだ。
相手の言うことが良くわからないというふりをして、僕はポケットから財布をだし、現地通貨を取り出し、「これか?」といった。
それを見て、相手は、明らかにひるんで、慌てて僕の財布をポケットに仕舞うように言った。
というのは、僕たちがいた場所が広い道で車が頻繁に通っており、外人の僕が財布から金を出す姿を見られたら、まずいと思ったのだろう。
「ドル!ドル!」と若い方が言うので、「ドル、ノー。ドル、ノー」と答えると、困った顔をして上司の方を向いた。
またもや「ドル!ドル!」と連発するので、ポケットに手をやり財布を出すふりをすると、慌ててしまうように言った。
財布を取り出すゼスチャーは、それなりに効果があった。
そんな、おかしなやり取りがあり、最初から数えて20分ほどが経った。
さすが、ベテランの上司、この辺が退け時と心得てあっさりとパスポートを返してくれた。
「サンキュ―」と彼らに握手をして別れた。
その直後、あまりにも暑い日向に立っていたので、軽くめまいがした。
元はと言えば、政府系の建物を映した僕に落ち度があるのだが、しつこいお金の要求にはうんざりした。
それにしても、あのまま、長時間拘引でもされていたら、Dashoguz行きの列車に乗り遅れて、トランジットビザの滞在期限を超過して、めんどくさいことになっていたはずだ。



下の大理石づくしの馬鹿げた建築物群の写真を撮っていた直後に捕まった


大理石の建物ー1




大理石のー2




大理石のー3




建築物ー4




遠くに見えるのが大統領官邸
遠くに見えるのが大統領官邸





●●の塔







「安宿がない」
首都のアシュガバードでは最初、鉄道駅のすぐ近くの「Ashgavad Hotel」に行ったが、満室で断られる。
次の候補のツーリストホテル「サヤハット」は値段が30ドルもしたが、その値打ちは全くなかった。ひどい従業員とガタガタの設備に驚いたものだ。
次にダーシュオグズの宿だが、「Dashoguz Hotel」に行ったのだが、満室で断られ、紹介されたホテルも満室、最後のホテル「Uzboy Hotel」でやっと部屋を確保できた。ところが、部屋代がこちらは40米ドル。確かに設備も従業員も質は良いのだが、高すぎる。



満室で断られたアシュガバードホテル
アシュガバードホテル


こちらはUZBOY HOTEL
UZBOY ホテル





<好印象>

「ホテルを除けば物価が安い」
Ashgavad~Dashuoguzまでの列車が1等4人部屋の寝台個室で4$弱だった。特に交通機関は信じられないぐらい安い。タクシーもかなり走って90円ほどだし、近場だと60円ほどだった。
ホテルを除いて一般の物価は総じて安い。食べ物も、ケバブ―が5Tm≒150円。水は1.5リットルボトルで50円ほどだった。


「一般の人々は感じが良い」
言葉は通じなかったが、一般の人々は感じが良かった。
列車で一緒だった人たちもいろいろと気を使ってくれたし、素朴だけど、嫌味のない人たちだ。
顔もイランから来ると、僕たちに似ているので、どこか親近感が持てるのである。



「列車の旅がお勧めだ」
アシュガバードからダシュオグズへの列車で同室だったオヤジはウオッカを隠し飲みしていた。僕にも飲め、飲めとしつこく薦めるのでちょっと困ったが、いい人だった。
個室のウオッカオヤジ



砂漠に夕陽が落ちて・・・
砂漠地帯を走る列車


「国境警備の係官が荷物を運んでくれた!」
トルクメニスタンからウズベキスタンへの緩衝地帯。500メートルほどあるだろうか。そこを荷物を引いて歩くことになった。ところが、ここで驚いたことがあった。ゲートの係官が僕の荷物を引いて一緒にきてくれたのだ。まるで僕はVIPか何かのような感じでウズベキスタンのゲートに到着したのだった。ほんと驚きの展開だった。
終わり良ければすべてよしか!


その他の写真

アルコール度11パーセントのビール・・・飲んだ後、かなり効いた!
アルコール度11パーセントのビール



ソ連時代の住宅・・・こういった建物がまだまだ残っていた。
ソ連時代の建物




追記
このブログを書き終えたら、11日に「トルクメニスタンのベルドイムハメドフ二代目」が訪日している記事を目にした。トルクメニスタンのガス資源開発について安倍と話し合ったそうだ。この独裁国家の組長と話し合うというスタンスは、いかにも「経済のためなら何でもあり」という我が国の首相の定見のなさを示している。