2009/07/05

ハノイ

7月5日(日)ハノイは雨

昼前にはハノイ着。空港からタクシーで「クラシックホテル」へ。一昨年は深夜着のためタクシーでうまくこのホテルにつけなくて、旧市街の端のほうのホテルに泊まる羽目になったものだ。今回は首尾よく到達。一泊25ドルなり。空港のインフォーメーションでは40ドルと言っていたが・・・
部屋からは町中が見晴らせたが、あいにくの雨。
昼食はザザぶりの雨のためホテル近くで済ます。
雨が上がった夜は「ホアン・キエム湖」に面したレストランへ。
2009/07/06

朝食バイキング

7月6日(月)

ホテルの朝食バイキングに大満足。焼き飯、焼きそば、パン、オムレツ、フルーツ盛りだくさん・・・同宿のほぼ同年輩の日本人男性など3~4回お代わりしていた。えらい!さすが団塊の世代の人間だ。

ホテル近くの「シン・カフェ」に行き、明日の「ハロン湾ツアー」を申し込む。18ドルとは少し安すぎ。たしか前回はハノイのHISで日本語ガイドつきを頼んだら80ドル近くとられた記憶がある。その時の感想としては日本語などいらないということだった。

その後、「ハノイ大教会」を目指して出発。途中何度も小雨に打たれる。2時間ほど地図を見ながら歩くがたどり着けない。(以前もそうだった)ふらふらになって着いたところはなんと「ハノイ駅」だった。

駅の喫茶店で冷たい紅茶を飲んで、今度は地図を厳密にチェックして、やっと教会へ。

昼食は教会のすぐ近くのレストランの2Fですます。ここのシーフード焼きそばはほんとうまかった。

昼食後は「ホアン・キエム湖」を一周。途中、「ロンリ―プラネット」を売っている青年と出会い、値段交渉。45000ドンを35000ドンに値切り、にんまり。定価はUS$で24$。35000ドンだと2100円ほどで少し得したと思ったからだ。どころが、ホテルに戻りビニールの包装を開くと、どうやらコピー本ないしは落丁版ぽいのだ。紙質が悪く裁断したところの文字が消えていたりしているし、地図などはにじんでいるのである。極め付きは背表紙の「LONLY 」の「L」の文字が切れているではないか。「ONLY」プラネット(大笑い)やられた!・・・これは後日知ったのだが、カンボジアでもこの種のコピー本は売って入れ、一冊3ドルくらいだった。まんまとあの青年にだまされた。値切った時の悲しそうな顔つき。きっとあとで舌を出していたに違いない。

夕食は屋台で食べようとホテルを出たら、またも雨。やむなく近くのレストランで少し気になっていた店に行く。外人でいっぱいで「リトルハノイ」という。味はまあまあだが、値段が安い。

テレビのニュースではベトナム国境近くに接している貴州省では洪水で被害が出ているそうだ。また、江西省ではチベット人による暴動が起きており、死者も多数出ているとのこと。

中国入りする旅の予定は修正が必要だ。
2009/07/07

ハロン湾ツアー

7月7日(火)

朝8時20分発のマイクロバスで「ハロン湾」に向けて出発。
バスはぎゅうぎゅう詰めの満席状態のため補助席に座らされる。しかもすぐ後ろの席のベトナム人の一家(アメリカから里帰りしているようで子供は英語を話していた)ーとくに親父とおふくろの会話がうるさくてイラつく。全行程3時間半ほどの大半話詰めなのだ。たまらなくなりIpodを取り出しヘッドホーンを着用してなんとか対応。

ハロン湾ツアーは2年前に来ているが、今回は最安値の18ドルだったせいか、船もあまり回らないし、食事もひどいものだった。失敗!

ハロン湾の天気は前日の悪天候がうそのようで快晴。

昼食はオーストラリア人の3人連れと同席。2人の女性は東欧からの移民かアポリジニーの混血のような顔立ちだった。親父は無粋だったが、二人はそれなりにシンパティコだった。

帰りは往きとは別のバスに乗ることになり、補助席から解放される。

隣席のペアーの生態がおかしかった。もともとは女3人と男一人というグループだったのが、帰りのバスで二人は隣同士になったのだが、清水みち子似の女性の猛烈アタックに男の子はへろへろになっていく様には思わず微笑んでしまった。肩もみ、頭部マッサージ、手相鑑定、背中マッサージとみち子嬢はありとあらゆるサービスにこれ務め、最後はヒヒィーンと馬のような嘶きに似た声を上げ、男の首筋に迫っていました。別にまじまじと眺めていたのではありませんから、 誤解なく。真横であまりにも目に入りすぎたため、こんな描写になりました。そうそう、みち子嬢、一度、僕に気遣って、お菓子なんかくれました。
夕食はホテル近くの屋台。フォーがうまかった。ウズラのローストは美味なれど食するところ少なし。
2009/07/08

肝臓が

7月8日(水)雨降らず

ホテルのツアーデスクでハノイ→フエのフライトを申し込む。7時発の便で69ドル、ほかに空港までの送りが14ドル。

ドンスアン市場までの散策。以前から見ると外観は変わらないが、場内にエスカレーターが取り付けられていた。

昼食は「リトル・ハノイ」の支店。こちらは本店の斜め向かいにあり、急な階段を上がった2階。

帰途、昨晩立ち寄ったコーヒー店でアイスコーヒーを飲む。こちらのコーヒーはおいしく、日本のコンビニで売っている「プレミアム・エスプレッソ」をおいしくしたような味である。それで値段は4分の1.

昼寝。肝臓が弱っているのか、体がだるい。出発前に知らされた定期健康診断の結果ではγGTPの数値が悪かったので、たぶんそれのせいだろうと思う。少し歩くと疲れて立ち止りたくなるのである。
実は、旅に出てから、ビールはほとんど飲んでいない。注文しても半分ほどしか飲めずに残している。

夕食は別の中華へ。こちらはあまりおいしくなかった。

この店で、この前「ホアン・キエム湖」のレストランで隣席だったフランス人の家族に会う。別に言葉はかけなかったが、子供のひとりがこちらを覚えていてくれて軽く会釈してくれた。子供は二人で男の子がアラブ系、女の子がアジア系だった。
二人の子供は多分養子なんだろう。ヨーロッパでは、アジアやアフリカの子供を養子に貰うケースをよく見かける。異民族の子供を養子に迎える、という感覚について考えさせられた。キリスト教的人道主義なのかそれとも愛玩物感覚なのか?

中国のウルムチでは400人以上の死者が出ているようだ。
2009/07/09

フエへ

7月9日(木)ハノイ→フエ

4時のモーニングコールで起床。5時ホテル発空港へ。空港で朝食にフォーを頼んだらインスタントラーメンだった。がっかり。

7時定刻どおり出発。8時15分フエ着。

エアーポートバスでホテルへ。目印をつけておいたホテルは満室で断られる。やむなく以前泊まったホテルへ。こちらは以前泊まったことを告げたら、27ドルを22ドルにディスカウントしてもらう。

12:30 ホテルを出た角の定食屋へ。地元の人だけの食堂。一食180円なり。

13:30 午後の半日観光に参加。
      王宮→パゴダ→ボートでセンチュリー・リバサイドホテル近くまで川下り

フエ王宮屋根


22:00 昼間の定食屋の向かいのフォーの店(といってもほとんど屋台に近い)で夕食。180円。
2009/07/10

MDZ

7月10日(金)フエ⇔MDZ(非武装地帯)ツアー

6:00 ホテルピックアップ~裏通りにあるcity tour で朝食。バイキングで美味なり。これもツアー料金に入っているとはラッキー。

7:30 出発。車はハイエースクラス。しかし首尾よく一番前の席に座れたので、なんとか快適に過ごせた。

ケサン基地・・・・ここは国道9号線のすぐ近くでホーチミンルートを封じる目的で設営された基地。非武装地帯のすぐ南に位置するこの基地で、米軍と北ベトナム軍の激戦が繰り広げられた。1968年1月20日~4月11日にかけて戦われた攻防戦は、かつてのディエンビエンフーの戦いを思い起こさせる内容だった。ボーグエン・ザップの指揮下で大兵力を投入、ケサン基地を完全に包囲。じりじりと米軍を追い詰めていった。対する米軍は猛烈な空爆によりなんとか基地を守り抜いたが、一時戦術核兵器の使用まで検討していたようだ。その後北ベトナム軍側にも人的被害が増大したので、北ベトナム軍は部隊をひそかにジャングルの奥地に撤収した。米軍はその後、基地を維持できず撤収。テト攻勢とともにベトナム戦争の将来を予感させる攻防戦だった。

少数民族の村・・・ラオ族の村で、恐らくアメリカは少数民族のベトナム国内における地位の低さ等を考慮に入れて、協力者として利用していたに違いない。
ラオ族の少女

海岸線のベトコンのトンネル・・・なんども頭を打ったが、よくぞここまで深く掘りぬいたものだと感心。

ガイドの説明は熱を帯びていて説得力があった。

19:00 帰着。

夕食は角店の定食屋。なぜか500ドンまけてくれた。
2009/07/11

列車で移動

7月11日(土) フエ→ダナン→ホイアン

8:06の列車(遅延30分)でダナンへ。指定された席はなぜか6人用の寝台個室。先客が下段の両側におり、中2階の寝台が指定席だった。ザックをそこに置き、横たわってみるが、眠れず通路に出て時間をすごす。鉄道の乗務員がとっても親切で、ダナン近くになるとわざわざ知らせに来てくれた。
ダナン駅
ダナン駅


11:00ダナン着。「TORU」と書かれたプラカードを持った運転手の出迎えを受け、ホイアンへ移動。

ホイアンへは40分ほどで着く。しかしここからが最悪だった。フエで予約していたホテルにはなぜか泊まれず、別のホテルに回される。こちらのホテルは町中にあり、買い物や食事には便利なのだが、何しろ事情が分からず戸惑う。
しかもフエで先払いしていた25ドルにしてはお粗末。「地球の歩き方」でチェックすると、このホテルは8ドル~15ドルくらいと書かれているではないか。フロントに延泊の交渉に行きついでに値段のことを言うとあっさりと明日は15ドルの部屋を用意するとのこと。あまり信用できない気分になる。

昼食も夜飯もホテル隣の「VI CAFFE」に行く。ここは安く、それなりに美味しい。外人でいっぱいだった。彼らの情報収集力にはほとほと脱帽。昼と夜に軽い下痢。昨晩の角の定食屋が悪かったようだ。
2009/07/12

ミーソン遺跡

7月12日(日)晴れ、夕方雨。ホイアン⇔ミーソン遺跡(世界遺産)

朝、ホテルの受付の女性から「新しい部屋はない」と言われる。抗議すると「いやなら出ていけ」とのこと。この女性はほんと底意地が悪い。しばらくすると、最初のホテルから電話が入り、「荷物を取りに行くからこちらに移ってくれ」とのこと。まったくわけがわからぬまま、ツアーに参加。

8:30 出発

9:45 米軍の爆撃で壊れたヒンドゥ教の寺院跡に到着。ヒンドゥ教の影響がひろく東南アジアに広がっていたという事実を初めて知る。確かにインドネシアのバリ島では今でもヒンドゥ教が盛んだし、ある宗教の伝播ということではこうした中間地点があるのはうなずける。そういえばカンボジアのアンコール遺跡群にもヒンドゥ教の痕跡が多く残っている。
ミーソン遺跡

11:45 現地発→ホイアン

13:00 最初のホテルへ戻る。約束のザックが届いていないので、バイクに乗って取りに行く。ヘルメットが小さくて(僕の頭が大きすぎるのか)片手で押えながらもう一方の手でライダーの腰に掴まった姿勢で走行。

移ったホテルは田んぼの真ん中にあり、周りにはほとんど店がない。ホテルの名前は「GRASS LAND HOTEL」。なんでこんなところにホテルを建てたのか理解に苦しむ。もしかしたら、最初、町中のホテルに行くように言ったのは、このホテルでは苦情がでるのを先読みしての判断かもしれない。真相はわかないが・・・

14:00 ホテルを出て町中へ。途中雲行きが怪しくなる。今にも雨が降り出しそうな雰囲気だ。

ガイドブックに出ていた「ホワイト・ローズ」に向かう。ここの創作餃子「ホワイト・ローズ」が人気で、ホイアンのレストランの「ホワイト・ローズ」のすべてをここで作って納入しているそうだ。「ホワイト・ローズ」はたしかに美味なり。揚げ餃子のほうはカナッペ風に上からトマトソースをかけたもので、こちらはいまいち!

食後、旧市街にある「日本橋」を目指すが、雨足がきつくなり、タクシーを捕まえる。近くでおり歩き。ますます雨はきつくなる。
「日本橋」は今から500年ほど前に、この地に渡ってきた日本人たちが作ったもので、3度の大地震にも耐えて今に残っているものだ。「山田長政」らと同時代の日本人の南方進出というのはかなりの規模だったようだ。このあたりのことを書いた適切な本があれば読みたいものだ。帰ったら「網野善彦さん」の本でも調べてみよう。アユタヤやルソン島の日本人たち。
日本橋

レストランが近くにないので夜はホテルの出前ですます。

明日のダナン→ニャチャンのチケットを入手。50ドル。ほかに空港までの送りが12ドル。
2009/07/13

ホイアン→ダナン→ニャチャン

7月13日(月)今日は移動日。

7:00 朝食
7:40 ホテル出発
8:20 ダナン空港着
9:06 ダナン→ニャチャン
     エアポートバスで市の中心へ(40分)その後タクシーで目指すホテルへ
11:00 PERFUME GRASS HOTEL
     部屋が掃除できていないので、荷物を預け街中へ。
13:30 やっとチェックイン。体調悪し。どうやら風邪を引いたようだ。37.7度。
夕方 スコール

19:00 近所に日本レストランがあるので、寿司の持ち帰り。味はまあまあ。

風邪の症状はやや治まるも、下痢は治らない。
2009/07/14

ニャチャン滞在

7月14日(火)

7:30 朝食。ホテル代に含まれているのがうれしい。

9:00 街中散策 昼食はCOMでマグロの煮付け、イカ飯など。4万ドン=240円

イカ飯

18:00 夕食のレストランを探して歩く。2,3軒あたってみたがなかなか決断できず。途中から雨が降り出す。結局、ホテルを出てすぐ右側の交差点にある海産物レストランに入る。伊勢えび、タイ、海老、イカなどの鉄板焼きを注文。最初は美味だったが、油いためのためか、油のしつこさに後半は食傷気味。