梅安亭日乗

「TOKASUどこか遠い空の下で」を改め「梅安亭日乗」としました。

Cajamarca(カハマルカ)  

12月1日〜2日 2001年 ピウラ→チクラヨ→カハマルカ


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12月1日(土)Piura→Chiculayo→Cajamarca
・Cajamarcaまでの道のりはすばらしい景観で本当はビデオを回したかったくらいだが、乗客の視線を考えやめにする。ネパールの山なみと行った感じのだ。途中の村々も素朴な雰囲気でよい。マンゴーがずいぶん収穫されていて一個が1ソルという安さ。
急な山道を登りつめると、突然、大盆地が見えた。Cajamarcaの町は僕が想像していたよりはるかに大きかった。
さて、PL/Armasの前のホテルはどこも一杯。やっと一軒見つけたが、hot waterは朝7時から1時までとのこと。1泊25ソル=7.3ドルなり。2時間ほどの経験だが、この町の人間はどことなく観光ずれしているように見受けられた。
夕食はChifaでワンタンスープ、揚げワンタン、ビール。これでなんと17ソル=5ドルもとられる。びっくり仰天の高さだ。
途中の期待感―もしかしたらすばらしい所かも、も興ざめ。
それにしても本日は朝の6時から夕方7時までの移動。結構きつかった。
タバコが高い。胸も痛いことだし、断固やめるべし。1箱263ptsもするんだ。
この町の印象が悪いのも、もしかしたら疲れているからかもしれない。ピウラで2日もシャワーを浴びていないし・・・・ここでも明朝までお預けだし・・・そんなことが重なってこんな不平たらたらの文章(文章と呼べるようなものではないが)を書いているのだろうか?
宿はとても大きな建物で、ペルー人の学生で満室。学生といってもたぶん高校生くらい。一晩中やかましくてよく眠れない。なんか修学旅行のような雰囲気だ。前のプラサにも人が夜通しいる。
プラサに面したホテルというのは考え物だ。まず値段が高いし、客がひっきりなしに来るせいか対応が悪いし、プラサの喧騒がそのまま部屋にじかに入ってくるのでやかましい。
次回の旅のためのメモ。やはりペルーは最高だ。このCajamarcaからさらに奥のChachapoya 方面やPucallpaからIquitosへのルートもあるのだ。ぜひトライしてみよう。


12月2日(日)

朝7時に念願のシャワーを浴びる。ちゃんとお湯が出た。
Santa Apoloniaの丘まで歩く。その後、ミニバスに乗って、El baño del Inca
に行く。温泉は個室でひとりひとり入るたびにお湯を抜き、新たなお湯が張られた。4ソルとは安い。
夕方18時のバスでリマに向かう。14.6ドル=50ソル。

category: ペルー

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La Paz(ラパス)  

2001年12月3日(月)カハマルカ→リマ→ラパス(ボリビア)


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朝6:30リマのバスターミナル着→タクシー5ソル→空港へ
La Paz 行きチケット 189ドル+IVA+出国税25ドル=250ドル。これは判断ミスだ。費用がかかりすぎ。やはりJuliacaから国境越えをするべきだった。
Lima→La Paz 10:00出発
 一時間ほどフライトすると右手にChachani(6075),El misti(5822),Pichu Pichu(5571)の山々の雪を被った頂上が見えた。これはArequipa付近の山塊である。
La Paz 空港~セントロへ 45BS(1ドル=6.8BS) 途中ラパス近郊で一番高い山 イリマニ山(6402)が見えた。空港は4000メートルの高さにあり、市の中心も3800メートルで、さすがに息切れする。


               
ラパス繁華街―ホテル近く
ラパス−1

ラパスー3

Hotel continental(60BS=8.8ドル)これも立派過ぎる。近くに風呂共同だが、15BS=2.2 ドルのHostalがあった。部屋もきれいだし、明日移動しよう。


買い物:ホテルの近くの商店街で靴下4足10BS=1.5ドルを買い求める。

昼飯:9.5BS=1.4ドル。ボリビアはやはり今までに比べると安い。この昼飯は夕方少し腹を壊すことになる。



夕食は「日本人会館―ふる里」へ。ホテルからタクシーで8BS.
刺身定食   43Bs
寿司持ち帰り 25Bs
お茶      7Bs    合計75Bs=11ドル 


夜、睡眠に入ったとたん、息苦しくて目が覚める。これはどうやら軽い高山病のようだ。乾燥しているので鼻がつまり、喉も少しはれているので息が苦しい訳である。もともと空気が薄いので余計に息が苦しいのである。よく考えてみたら、ボゴタ、キトなどでよく痰ばかり出していたが、あれも高山病の症状の一種と「ロンリープラネット」に書いてある。タバコは特に悪い。アルコールもだめ。動きを緩やかにして軽い食事、水を多くとることとある。   
  しかし、頭痛はない(以前ボゴタではあった)し、食欲はあるし、よろめき 
少しあったがおさまったし、問題は鼻づまりと喉の腫れだけなのだ。
  しかし、僕は風邪をひいたとばかり思っていた。エクアドル、コロンビア、 
  ペルーでの体験は今から思い起こすと、高山病の軽い兆候だったのか。無知とは恐ろしいものだ。マテ茶を明日買おう。これは高山病に良く効くそうだ。そういえば5年前もペルーのプーノでよく飲んだものだ。あの時の高山病はきつかった。ふらふらで立っていられないほどだった。

category: ボリビア

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ラパス  

12月4日(火)2001年
朝、再度靴下を買いに行く。昨日のは薄すぎて失敗。今回4足で20Bs.パンツ10Bs.
その後、サンフランシスコ教会とPL/murillo 周辺をうろつく。一度ホテルに戻り、今度はライカコラの丘へ。ここからの展望がすばらしいと「地球の歩き方」に書いてあったが、実際行ってみるといまいちだった。PL/estudianteに向かい歩く。中華レストランを見つけ昼食。17Bs.
ラパスの子供



本日の出金 ・・・典型的なボリビアの一日

昼飯・・・17
夕食・・・ 6
洗濯・・・15
ホテル・・60
コカ茶・・ 4

合計  102 Bs =15ドル  移動費を除くと一月5万円ぐらい。ボリビアはそういう意味では安い。

category: ボリビア

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Oruro(オルーロ)   

12月5日(水)La Paz→Oruro


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Oruro行きは30分後とに出ていた。所要時間は3時間半で15Bs=2.2ドル。
ここで一大事件。僕は荷物を受け取るのを忘れてしまったのだ。そのままbañoへ行き、しばらくしてからハッと気づく。汗がたらり。今回の旅行で最大のピンチ。たまたまポケットにバスのチケットがあったので、それを頼りにバス会社を見つけ無事回収。いやはや。疲れているんだね。
タクシーを捕まえResidencia Ideal へ向かう。Ⅰ泊25Bs=3.7ドル。
さっそくExpesso del Sur の切符を買いに行くが、午前の部は終わっていて、午後は14:30~17:00が営業時間とのこと。
駅前のAlojamiento(宿)を3軒ほど見たが、ロンリープラネットでは牢獄のようだと書かれていたが、それほど悪くは思えない。それなりに風格があってよいのでは・・・・
市場でセーターを買う。40Bs =6ドル。この間リマの空港で買ったのは140ドル(母親用)
昼はAlmuerzo,costilla,sopa 5BS=0.7ドル
少し風邪気味だ。鼻がぐずぐずといっているのと頭が少し痛い。この症状は絶対に高山病のそれとは違う。

Oruroの町について
3702メートルの高度。風が強く乾燥。寒い。人口は16万人。90%が純粋のインディオ。Quirquincho (armadillo)で有名。それとUru-Uru湖がある。

Internetの普及について
今回の旅行でなんども驚いたことだが、どこの国、どこの町、どこの村にもネットカフェがあることだ。そして、どこの店も結構はやっているのだ。ということは、ネット人口がすごい数いるということだ。これについては一度ゆっくり考えてみよう。ネットの世界性と大衆の意識の同質化というのは、新たな世界の出現とつながるのあろうか?

夕食は中華。PL/10 de febreroのかどに面したえらくコロニアルな建物、階段は傾いていた。中国人の女の子が僕を見るなり「ハポネス?」と言い当てたのには驚いた。


12月6日(木)晴

昨晩は最初は寒くてどうしようかと思ったが、朝方はそれほどでもなかった。たぶん風邪気味だったのが治ったのだろうか。何しろ耐寒パッチとトレーナー、フリースなどを大量に着込んだのだから・・・
朝、ツリースト事務所の前のOGGYという店で茶とsalteña (empanada)1個の朝食(4.5BS)
DのバスでSan Jose の鉱山へ。しかしバスの終点から後の手がかりがないので断念。
鉱山の労働者住宅。アドベの粗末な建物。この町は出稼ぎの貧しい労働者たちの町だった。住民の姿があまり見られなかったのが残念。ゲバラが鉱山労働者を訪ねているがこの場所だったのか?
オルロー近郊の銅山




次はUruUru湖を目指す。101番のコレクティーボの終点で降り、20分ほどの歩きと「地球の歩き方」に書いてあったので歩くことにする。何もない干上がった湖のあとのようなところを10分ほど歩いた。そこで豚を飼っている女の子に[Puerta de España]=それがUruUruという意味、までの距離を聞くと、後1時間以上といわれる。結局、こちらはあきらめる。このあたりの地面も塩がいっぱい噴出していてそこかしこが白くなっている。

昼はあまり食欲がなく、Salteña1個と水、それに昨日買ったりんごを食す。


(スペインに戻ったら)
ゲバラの死んだ場所の確認。コレア村?ゲバラ関係の本で確認のこと。Oruroから東。体が埋められていたのはバジェ・グランデという町。ゲバラ最後の村はイゲラ村。チューロ渓谷での戦闘など。
辺境ノート(放浪ノート)の整理。地図と写真のはめ込み。
  
   La Paz 13:00            



Oruro 15:30 Valle Grande
   カーニバルで有名              ゲバラの遺体



Uyuni 21:50 
   塩湖で有名











タバコをやめて3日目。息苦しさはなくなっている。いつまで続くか?この国ではタバコは高い。人々はあまり吸っていない。これは南米全体にいえることだが(僕の回った範囲で)・・・そうだとしたら、タバコのオリジンの地域ででタバコがそれほど普及していない?って皮肉だね。
夜中、下痢で目が覚める。慌ててトイレに行くと、水状の便が・・・腹は痛くないのだが。正露丸3錠。これは昨日の屋台で飲んだジュースの影響だろうか。そんなに激しくないが、下痢が続いている。特に問題は、ホテルのトイレのペーパーが硬くて粗末なやつなのだ。便所紙については、以前に比べれば格段に質が上がっているのだが、ここのホテルとラパスのホテルは最悪だった。やはり、全般にボリビアの便所紙はいまいちでごわごわ。

category: ボリビア

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Uyuni(ウユニ湖)  

2001年12月7日(金)Oruro→Uyuni

オルーロの駅
オルーロの駅


夜中の下痢が止まらず、朝、向かいの薬局でAntibioticoを入手。朝食はりんごとバナナをマーケットで買い、それで済ませる。その後ずっとベッドで寝たきり。熱っぽいのと、しんどいのだ。昼の2時までベッドの中。ホテルには延長料として5Bsを払う。
タクシーで駅に向かう。水とクラッカーを買う。
15:30ジャストに出発。途中の風景にはこれといって感動すべきところなし。フラミンゴの群生が見られたのが収穫。
21:50 Uyuni 到着。列車の中でも体がだるく、最悪。2回目の抗生物質と風邪薬が効いたのか最後の1時間ほどはいつもの体調に戻る。
駅の向かいのHostal Avenida に投宿。60Bs=8.8ドル
近くのレストラン虹でスパゲティポロネーズと小瓶のビールで夕食。31Bsなり。スパゲッティは18Bs~25Bs ビール6Bs
明日のツアーの申し込み。150Bs=22ドル。
50ドルを両替→340Bs.ここではレートが6.8今までは6.7だったのに。やはり観光地ということなのか。そういえばホテルも割高だ。



12月8日(土)

体調は快復。朝一のシャワーを浴びる。昨日頭を触ったら、ふけだらけだった。どうやらシャンプーの残りかすらしいので、今日は入念に洗うことに。でもいかんせんお湯の出方がすっきりと洗い流すほど出ないのだ。それでも2度洗いをしたらきれいになったようだ。

ここのホテルは昨日のよりずっと清潔だ。シーツはピシッとしているし、掃除は行き届いていて気持ちが良い.


朝食はレストラン16 de Junio で。アメリカン朝食 17Bs
Uyuni の町・・・3700m 塩業と観光。
ツアーに出発 グアテマラのおばさん3人組と一緒になる。
ウユニ塩湖−6



 塩湖で塩採集の作業員
作業する労働者ー塩湖

塩湖の中の島(魚の島)

塩湖の中の島−4

塩湖の中之島ー1

ウユニ塩湖入り口ー3


(ツアーについて)
1 現地の生活水準と比べべらぼうに高い。
2 レストランもスパゲティが20Bs 地元の食堂の夕食が7Bs
3 ツアーで行くところは、自力ではいけない。そのため高価格と足元を見られている感じがする。
4 外国人ばかりでしかも若者主体だ。
(追記)2008年5月6日現在の情報。5月3日か4日にこの塩湖で車同士が衝突して日本人が3名死亡との報道があった。

ドイツ人一家・・・・いい感じでほほえましい家族だった。
  祖父、祖母、夫婦、子供の5人。彼らが僕のいたレストランに入ってきたときには、ほんと驚いた。というのは彼らとは今日で3度目の出会いなのだ。まず朝、駅の構内で、次にツアーでいった塩湖の島で、そして今また
このレストランは地元民だけのレストランでcenaといって定食がある店。7Bsのリーズナブル料金である。これが駅前の観光客相手のレストランだと3倍はする。
夕食は7Bs。
部屋に戻ると鍵がないのでレセプションに行きあけてもらう。最初は室内に忘れてのかと思って探したがない。やむなくレセプションに行き、鍵の弁済について言うとオヤジはそっけなく40Bsという。そこで40Bsを払った後、念のため、先ほどのレストランに行くとあるではない。座ったときか、支払いのときに落としたようだ。・・・ほっとする。ホテルに戻りオヤジに鍵を見せ金を返してくれと言うと、先ほどの金は今晩の宿泊代だというではないか。では、鍵の弁済は?そんなのははじめから取る気がなかったようだ。・・・またもや感激。

category: ボリビア

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Villazon  

12月9日(日)曇り Uyuni →Villazon

ウユニ、ツピサ、ビジャソンを表示。


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日曜市を見て回る。クラッカーとスープの素、卵、トイレットペーパーなどを購入。
朝食は、卵スープとクラッカーと紅茶ですます。
駅に行きVillazon行きのチケットを申し込むと「売りきれ」と言われる。一瞬、途方にくれていると、係員は「Ejectivoか?」と聞くので「そうだが」と応じると係員は受話器をとり、どこかの駅(たぶんOruro)の係員と話し出す。結局滑り込みセーフで切符を入手。(2:35発)
その後列車に乗ってみてわかったことだが、Ejectivoの席はガラガラ。僕の車輌には4人しか客はいなかったし、そのうちの2人のスウェーデンのアベックは1時になってから窓口で切符を買っていた。しかし、一方で列車が発車したとき、積み残しの外人たちの姿が見えたのも事実だ。良くわからずじまい。

途中のツピサ駅での風景
ツピサ駅前・青空食堂

ツピサ駅前−2

category: ボリビア

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ボリビア〜アルゼンチンへ  

12月10日(月)2001年  Villazon →Quiara→Jujuy


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ボリビアの鉄道は時間に正確だし、特にExpresso del Sur のような列車はトイレも室内も掃除が行き届いていて、清潔なのには感心させられる。

下の写真は乗り換えのために止まった「ツピサ駅前の野外食堂」

11:35 定刻どおりVillazonに着く。タクシーを拾い国境へ。ボリビアからアルゼンチンへ無事通関をおえる。タクシーでバスターミナルへ

まず荷物を一時預かり所に預け、対面のレストランで昼食。ミラネッサとコーラで4ドル。

14:00 Salta行きのバスに乗る。例の電車で一緒だったスウェーデン人のカップルも乗ってきた。Tres cruces(Quiaraから一時間ほど走ったところ) の通関事務所前でバスはエンコ。現在、17:47だが、いまだ復旧の見通し立たず。

やっと代替のバスが到着して、出発。しかし、これも2Hほど走ったところでアウト。三度目のバスに乗り換え出発。Jujuy到着23時なり。やむなくバス駅の近くの宿に泊まることにする。

category: アルゼンチン

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Mendoza(メンドーサ)  

12月11日(火)Jujuy→Mendoza


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さて、1ペソ=1ドルという固定相場制は変わり、1ドル=1.4ペソということになった。しかし、その恩恵には浴せず、銀行でも1ドル=1ペソと言うし、ドルを買うときだけは1.4ペソだそうだ。いい加減な話で参っている。

San Salvador de jujuy の町は意外と立派で真ん中を流れる川(Rio Xibi Xibi)が美しい。水はあまりないが、土手には木と草が茂っていてなかなかの景観を作りだしているのだ。

Rapido社という大手の会社でMendoza行きのチケットを買う。35ペソ。12:15発で20Hの旅。しかしまたもや遅延。13:30出発。2Fの一番前の席で、見晴らしが良いので退屈しなかった。

category: アルゼンチン

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メンドーサ・バス長旅  

12月12日(水)2001年

→Mendoza(20Hのバスの旅)

11:00 Mendoza 着 バスの一時荷物預かり所で荷物を預け、宿探し。駅周辺は20ドルと高い。センターのほうに歩きホテル・ガリシアを見つける。15ペソ。
次にカードでペソを引き出す。
昼はホテルのお姉さんのお勧めで「Las Tinajas」というバイキング形式の店に行く。食べ放題のコース+コーラ=8ペソ。ここの中華はこれまでで最高。ほかにもステーキ、サラダどれも美味なり。

昨日、Juyjuyで両替したペソはここでは「使えない」と3度も断られる。昨日入手したペソは「ブエノス・アイレス州のお金だそうだ」いったいどうなっているのかがわからない?地方通貨?政府の通貨は?1ドル=1ペソの変動相場制に移行したが、銀行の前には長蛇の人々の列。どの人の表情も浮かぬ顔つき。一日の引き出し制限がなされているそうだ。

Mendozaの町はずいぶん大きく華やかだ。ここはワインの一大生産地だそうだ。この町の人々は背が高い。特に女性が大柄なのだ。これはどういうことなのか?肉食の影響か?それともドイツ人の血が混じったのだろうか?先住民の姿は見かけない。白人が圧倒的に多いのである。

category: アルゼンチン

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Santiago de Chile(サンチアゴ・デ・チリ)  

12月13日(木)2001年  →Santiago de Chile


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朝8:00バスで出発14:00着。Hotel Paris 15ドルなり。
夕食は居酒屋 Yoko 14.5ドルなり。酢の物、握りずし、冷奴。まずかった。やはり日本食はだめだ。高いしうまくない。
この3日間、毎日2本ほど吸っている。うまくはないのに、いらいらしてついつい・・・
明日はPunta Arrenasへ。

(チリの街角の印象)
ブエノスアイレスよりはるかに洗練されている。ここでピノチェットが長期間独裁政治を敷いていたとは、想像できない。
Indipendencia Plaza で露天商のお兄さんがポスターを売っていたが、アジェンデ最後の写真、サパティスタのマルコス司令官、チェ・ゲバラなどがあり、妙に感動した。

category: チリ

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