梅安亭日乗

「TOKASUどこか遠い空の下で」を改め「梅安亭日乗」としました。

プエルト・リモン  


10月1日(金)晴れ San Jose →Puerto Limon

コスタリカにきて、初めて雨から解放された。

7時半 ホテル出発。

8時5分発のバスでPuerto Limon へ。途中、一か所で10分ほどの休憩があった。

10時過ぎにPuerto Limon 到着。

Lonly Planet で調べておいたホテル「King」へ直行。
窓なしの部屋でシングル8$なり。昨日の部屋が16$だとすると格段安い。Lonly Planet ご推薦のホテルだけある。



部屋に荷物を置いたらすぐ食事に出かけたが、11時という時間のためか開いているレストランがなく、中国人経営のゲームセンター兼スナックが一軒だけ開いていた。中国人のオヤジはまわりの人間が話しかけても笑顔も見せず、黙々と注文に応じていた。
中米で出稼ぎ労働者として最下層の生活から這い上がってきた中国人。そんな彼らが、長年の差別と偏見の中で生きてきた歴史が彼の無愛想さというか少々いやなことを言われても無視するという姿勢を作り上げたのではないだろうか。

エンパラーダ2個とcerveza2本、タバコ。

その後、シャワーを浴びて昼寝。

15時ごろ起きて町を散策。
コロンブスが上陸したという島を見に行く。ほんと小さな小島だった。4回目の航海のときに立ち寄ったそうだ。Isla Uvita
手元に「コロンブス航海記」がないので確かめられないが、4回目が最後の航海だとすると、彼はこの後、鎖で繋がれて帰国することになるはずだ。スペイン人でない彼はもはやこの時期には、用済みというわけだ。

コロンブスが上陸した島


コスタリカのレストランは早く閉まるので、18時にホテルの向かいの海鮮料理中華に行く。
これが、中華丼(1/2を頼んだが、それでも多かった)とcervezaで3,200コロンなり。味はまあまあでしかも安い。

中華丼


食堂で会った子供


この町の中国人の数はかなりのものだ。やはり、パナマ運河の工事で着た中国人労働者の末裔なのだろうか。

この町は黒人がすごく目立つ。ジャマイカなどからの移民労働者の子孫だそうだ。ユナイテッドフルーツ社のプランテーションに出稼ぎに来てそのまま居ついたパターンだ。そういえば、道中で鉄路を見た。ガルシア・マルケスの「コレラの時代の愛」でもやはり、ユナイテッドフルーツ社が鉄道を敷き、バナナの輸出が盛んになった記述があった。中米とアメリカのアグリ・ビジネスの関係の根深さを知らされる。


黒人の姿が多くみられた
プエルト・リモン路上にて


街の庁舎の屋根にハゲワシの群れが・・・
ハゲワシが




category: コスタリカ

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プエルト・リモン~リベリアへ  

10月2日(土)曇一時雨 Puerto Limon →Liberia
カリブ海から太平洋が見える所まで移動。

朝、6時過ぎにホテルを出る。
6時半のバスでSan Joseへ2,645コロン(5$)
9時半San Jose のCaribenosのターミナルに着く
タクシーでPulmiton de Libera のバスターミナルへ移動。(1,000コロン)
10時発のLiberia行きのバスに乗る。2,915コロン(6$)
途中、道路工事のため渋滞。
14時過ぎには着く予定が15時過ぎになる。
10時間近い移動だった。

リベリア教会

バス駅で白タクを捉まえホテル「Casona」へ。500コロン(1$)
町はセントラル公園を中心にきれいな碁盤の目に通りが作られ、多分新しい町ではないだろうか?僕がまだ見ていないからかもしれないが、旧市街の部分が見当たらないのである。

夕食をかねて中華に入る。
中華丼の麺のやつ(言い方を忘れた。五目焼きそばというのだっけ?)を注文。味は昨日のほうがはるかにうまかった。セルベッサとで2,700コロン(6$)

帰り道にしゃれた珈琲ショップを見つけ入ってみる。コスタリカの珈琲はなかなか行ける。町中に珈琲豆をひく店がたくさんあり、そこで飲むこともできる。ここの店はWIFIもあり、なかなか便利だ。ただ、明日は日曜日で休みだそうだ。残念。

ホテルのある通りはC/Realと言う通りだが、ホテルが何軒もある。そのうちの
2軒ほどに値段を聞いてみると、10$と20$だった。今の「Casona」はインターネットができないのだが、2軒ともWIFIの設備があった。明日、変わることにする。

category: コスタリカ

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10月3日(日)リベリア 晴れ

すぐ近くのホテルに変わる。「Casa Viejo」こちらは20ドルと昨日より4ドル高いが、インターネットが使えてしかもホテルの環境が良い。

ホテル カサ ビアヘ

casa viaje の中庭



キューバ行きのチケットをゲット。10月11日発で11月10日戻りのチケットを435ユーロで購入。まあ、安いほうだと思う。このまま、コスタリカにいてもお金がかかるだけで、面白い展開が考えらえないので決断。今回の旅の目的の一つでもあるキューバに早く行くことにした。



category: コスタリカ

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Playa Del Coco  

10月4日(月)晴れ

洗濯ものを昨日のホテルが経営する洗濯屋にもっていく。別に気にしている様子はなかった。

E-ticketをimprimir.

その後、昨日のぼられた喫茶で珈琲。今日は400コロンだった。店員に昨日のことを話しておく。

午前中にたまっていたブログを書く。

昼過ぎに飯を兼ねて外出。
セントラル公園の角にある、2階のバルコニーからの眺めが評判の店に行く。セビッチェ(4,500)とセルベッサ2本と珈琲で7,700、チップで300と8,000の出費なり。大したことなかった。

見晴らしを売り物にした店

セビッチェ

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Playa Del Coco  

10月5日(火)晴れ

Playa Cocoに日帰りで行こうと7時のバスに乗る。約1時間でCoco到着。

Coco海外

海岸までのメイン通りは、レストランと土産物店が軒を連ねるというありきたりのパターン。でも、海岸はひっそりとしていて、なかなか魅力的だった。近くのホテルに値段を聞いてみると20ドルと今いるところと変わらないので、ここへ移ることにした。もうひとつの利点はサン・ホセ行きのダイレクトバスが朝の4時と8時45分、昼の3時過ぎに出ていることだ。
というわけで9時のバスでとんぼ返り。
「Casa Vieja」で清算を済ませ、11時のバスでCocoへ。
ホテルは「Mar y Mar」。目の前が文字通り海だ。部屋はそれほど立派ではないが、広々としているし、合格点だと思う。

Mar y Marというホテル



荷物を置いて、メインストリートを散策。
海鮮レストランに立ち寄る。


クラッカーのついてたセビッチェ(リベリアではバナナの揚げ物だった)
Cocoのセビッチェ

イカのホワイトソース煮込み

セビッチェとセルベッサ。次に、「Caramares a La Plancha」を注文。これが、僕の想像いていたのとはえらい違いのものが出てきた。イカのホワイトソース煮込みだった。しかも、濃厚ですべてを平らげるのに一苦労した。最後にブラックコーヒーを頼んで、締めて15,000コロン(30$)の出費。高いよな。

夕食はホテルの近くのピザ屋へ。スモールサイズのピザとセルベッサ2本、水の持ち帰りで6,500(13$)なり。
ホテルへの帰り道暗がりにたむろする麻薬患者からヤジを飛ばされる。

夜、蚊の襲来で眠れず。しかもベッドが柔らかく、背中が痛くなる。
ここは撤収だ。

category: コスタリカ

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10月6日(水)晴れ Playa Coco~Sanjose
8:45のバスでサン・ホセへ。
隣の席に座ったアメリカ人のおばさんは70歳と言うのに元気そのもの。ただ、巨漢のため膝を痛めているので、足を動かせる席に変わりたいと最前列の僕の隣の席に来たのである。以前はカナダのバンクーバーにいたが、6年ほど、この町に住んでいて、家も買ったそうだ。話しかけられるが、老人病の一種なのか自分のことを話し続けられて、聞いていて疲れたので、途中から寝た振りを決め込んだ。
サン・ホセで目星をつけておいたホテルは満室、やむなく次の候補の「Aranjuez Hotel」に決める。

Hotel Aranjuez

category: コスタリカ

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サンホセ散策  

10月7日(木)晴れ 

朝食付きということで食堂に行く。トーストと珈琲ぐらいだろうと思って行ったら、フルーツがたっぷり、ジュースに、あと例の赤飯チャーハンもあったのにはうれしくなった。これは5$位の価値はある。

キューバのホテルをネットで予約。1日2,200円ほど。後でロンリ―プラネットで知ったのだが、ここはいわゆる民宿よりも安いとバックパッカーには評判のホテルらしい。

バウチャーをUSBに取り込んで、町中に出向く。セントロまで10分ぐらいで着いた。インターネットカフェでバウチャーを印刷してもらい、その後、先日「セントル・アメリカ」のロンリープラネットを買った書店で、やはりロンリ―プラネットの「キューバ」を購入。約30ドルなり。

コスタリカのおばちゃんの彫像


鉄板のオブジェ

僕は中華のホットアンドサワースープについてはかなりうるさい。北はアラスカのノームから南はアルゼンチンのパタゴニア、アフリカのタンザニアの奥地、マダガスカル、インドネシアのセレベスと中華のあるところ、必ずと言っていいほど、このスープを注文してきたのである。今回,中米を旅してきて 初めてコスタリカでホットアンドサワーに出くわした。なんとアランフエスホテルの近くの「チャンピオン」という店のメニューに「アグリピカンテ=ホットアンドサワー」があったのだ。小躍りしてさっそく注文。
アグリピカンテ
味は酸っぱすぎないし、かなりの出来だと思った。ただ、値段が7ドルとは高すぎ。


category: コスタリカ

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バルガス・リョサ  

10月8日(金)晴れ

朝、血圧が高かった。節制しないと・・・・

バルガス・リョサがノーベル賞を受賞したそうだ。僕は「緑の家」を昔、読んで感動したことを覚えている。「緑の家」=Casa verdeとは娼婦の館のことで、スペイン語で緑=Verdeは卑猥、好色、助平という意味もある。すけべオヤジはViejo verde。猥談=Cuento (Chiste)verde。エロ映画=Cine verdeとなる。さて、この「緑の家」の舞台がペルーの「ピウラ」だとは知らなかった。ピウラは10年前に行ったことがあるので、少しショックだった。その時は、ピサロの進軍コースに気を取られていて、「緑の家」の舞台がピウラだなんて情報にはまったく触れなかった。何か記念物があるのだろうか?
「子犬たち」は犬にペニスを噛みちぎられた「ちんこ」というあだ名の少年が、やがて思春期、青年期になって悩む様子を取り上げている。彼に寄り添ったかたちでの感情描写とかは一切なく、4人の仲間との交遊の中で彼が波乗りやカーチェイスなどで蛮勇をふるう場面を描くことで、彼の苛立ちや感情の揺れを表現している。ある意味で実験的な小説。
僕の好きなガルシア・マルケスとバルガス・リョサとは思想信条などはかなり違うと思うのだが、この二人がパリの同じ安宿に滞在していたことは意外と知られていない。ホテルの名前は失念したが、「ホテル パリ」とか、ありふれた名前だった。
その頃のパリではシュールリアリズムのアンドレ・ブルトンなどが活躍していて、これら南米からの「亡命者たち」に援助の手を差し伸べているのである。アスト-リアスやオクタビオ・パスなど数多くのラテンアメリカの作家たちがマルケスと同じようにブルドンらの知遇を得ている。そしてマルケスに代表される南米文学のひとつの特徴となっている、土着神話的世界とシュールリアリズム的な世界が混然一体化した物語世界が造りだされた背景はこういうところにあるのだ。

それともう一話。プエルト・リモンの情報追記。
やはりユナイテッド・フルーツ社(現チキート社・・・よくバナナにラベルがついている)の出発点は、コスタリカ政府との契約でサン・ホセからプエルト・リモンに1871年に鉄道を敷いたことから始まった。そしてその後、沿線にバナナの農園を造り、北米やヨーロッパに輸出し始めたのである。プエルト・リモンの黒人たちも実は、このとき出稼ぎにきたジャマイカなどカリブ海からきた人たちの子孫である。このユナイテッド・フルーツ社は「バナナ共和国」と呼ばれたグアテマラでも超富裕層と結託、国土の大半を占有していた。そして、土地改革を掲げるアルベンスが大統領となると、1954年にCIAと組んでクーデターを画策、アルベンス政権を転覆させたのである。アメリカの中南米支配の象徴的な存在と言える。
また、このユナイテッド・フルーツ社はブッシュ家とも縁が深い。

category: コスタリカ

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キューバへ  

10月11日(月)晴れ コスタ・リカ(Costa rica)→キューバ(Cuba) 

飛行機は定刻通り。ただ、出発カウンターにキューバエアラインのデスクがないので焦った。案内板を見ると(この案内板が一か所しかなくなかなか見つからなかった)、TACAとの共同運航だった。
キューバのイミグレも問題なく、すべて順調に行った。

キューバ上空

両替を済ませ(300ユーロが360CU)タクシーでホテルリドへ。

左奥の建物がホテル・リド(20ドル)
hotel Lido


街中を少し歩いたが、想像以上の荒廃に驚いた。
荒廃したセントロの建物

ホテルのレストランから

アフリカの都市部の崩れ落ちそうなビルなどはよく見てきたが、ここではそれが一か所ではなく、すべてなのだ。アメリカの経済封鎖のせいだが、こんなことが許されるのか?アメリカのエゴイスタめ!!!
彼らの「自分に従わないものには徹底して襲いかかる」というえげつない習性はこんなところにも表れている。アメリカという国は従順なポチ以外は許せないのだ。考えてみれば奴隷制などという信じられない制度を施行してきた連中だから、彼らにとっては当たり前、当然と言えば当然なんだろう。

町中の子供たち

中古アメ車のタクシー(人々は相乗りしていた)
クラシックカー




category: キューバ

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ハバナ  

10月12日(火)晴れ ハバナ2日目 

昨日のクーバリブレが影響してか、午前中は頭がふらふらしていた。
それでも、Prado(Paseo de Marti)を海岸まで行き、その後、海岸沿いにHabana viejo のほうまで歩いた。Habana viejo の街中を適当に歩いたら、ホテルのすぐ近くのCapitolio Nacional に出ることができた。方向音痴にしては上出来の歩きだった。3時間ほどの行程。

Capitolio Nacional
capitllo


港でおかず釣りをしている人たちが印象的だった。サバとボラ釣れていた。
おかず釣りの人々


感じのよいおじさんに会った。
釣りをしていた親父さん


category: キューバ

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