2011/02/01

リマ(Lima)へ

2月1日(火)移動日 クスコ(Cuzco)→リマ(Lima)
朝食後、マチュピチュ行きの電車の時間を調べに行く。去年の雨でクスコ発はなく、途中までしか開通していないとのこと。そこまでは小型バスに乗ってゆかなければならない。他に、バスを乗り着いで行く方法もあったのだが、以前に行っているので、今回は止すことにする。
次にバス駅まで行き、リマ行きの出発時刻を確認。ほとんどの会社の便が夜出発。リマまでは20時間ほどかかるのだが、夜出発の便だと夜にリマに着くので、ホテルのことなどを考えると問題あり。Maldonadoから乗ったバス会社(Palomino)の便が昼の12時半発だったので、出発まで2時間ほどあったので、急遽、これに決定。
宿に引き返し荷物をまとめる。

このバスはAbancay経由で、Limaに着くというコースだ。もうひとつのコースはArequipa経由で海岸線を辿ってLimaへというコースである。ロンリ―プラネットには前者は悪路のように書かれていたが、完全舗装されていたし、カーブが多いこと(車酔いをする人にはきついかも)を除けば、問題はなかった。

昼間に出発したので、Abancayまでの景観が楽しめたのが良かった。

<雨に煙るクスコの町>
雨に煙るクスコの町

<道路わきを激流が・・・>
アバンカイまでの景観ー1

<遠くに雪を被ったアンデスの高峰が>
雪を被ったアンデスの高峰が



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2011/02/02

リマ

2月2日(水)リマ(Lima)

朝、7時にリマ着。
タクシーでセントロまで。「Hostal España」と「Hostal San Francisco」は満室。すぐ近くの「Hostal Europa」に投宿。C/ANCASH 376 トイレ・シャワー付きで25ソル(750円)なり。パティオが2か所もあり、部屋は狭いが天井も高く、何よりうれしかったのはホットシャワーにめぐりあえたことだ。リマの物価は高いと予断を持っていたので、こんな素晴らしい安宿がリマにあるなんて知らなかった。
HOstal Europa

午前中は、Plaza Armas周辺を散策。昔、泊まったことのあるホテルをしつこく探すが見つからず。
<Plaza Armas>
アルマス広場


午後、ミラフローレスにミニバスで行く。このミニバスは1ソルと安い。
<ミラフローレス・ケネディ広場近くの飲食街>
ミラフローレスの飲食街

ミラフローレスのケネディ広場の前で、ロンリ―プラネットにも紹介されていた宿「Flying Dog」を見つけたので、参考に値段を聞いてみると、バス・トイレ付で90ソル(2700円)とのこと。

ここで一言。最近の「ロンリープラネット」には失望。安宿を探す努力にかけているし、自分たちのスタッフが実際に泊まった宿を挙げているが、とんでもない値段のところに泊まっているのだ。「地球の歩き方」と同じで、読者層が「格安旅行」を志す人というよりは、そこそこ、お金を使う「個人旅行者」が対象になっているのだろう。しかも、どうみても現地に足を運んだとは思えない、過去の情報を堂々と掲載している編集方針にも、うなずけない。誰かもっと良いガイドブックを出してくれないものだろうか?

ミラフローレスは前にも書いたことがあるが、昨年のノーベル文学賞受賞者のバルガス・リョサが「ちんこ」という小説を書いた舞台となった町である。リマの郊外にある高級住宅地で、観光客向けのレストランやホテルが軒を連ねている。
昔、訪れた時よりも、ますます洗練されていて、ここがペルーかと目を疑いたくなるほどになっていた。





2011/02/03

日秘会館

2月3日(木) Lima

昔、泊まったホテルをついに発見。「INKA PATH」JR.De LaUnion#654, (+511)426-9302/426-1919

昔泊まった宿発見
<この教会とホテルの満艦飾の旗が記憶を蘇らす手がかりになった>
この教会が目印になった

宿の近くに日本語のできるCiber Caffeがあった。ここでWIFIもできると聞いてパソコンを持ち込んだが、電波が弱くうまく繋がらなかった。店に置いてあるパソコンでは繋がるとのこと。1時間2ソル。なお、近くにあるマクドナルドもWIFI Free だった。

日秘会館(Centro Cultural Peruanos Japones)の住所を調べる。Gregorio Escobedo-803 San Felipe,Jesus Maria Lima, (51-1)461-6059
Centro Cultura Peruano Japones


行きは迷わないように、タクシーで行く。10ソル。昔、訪ねた会館と同じかどうか、わからずじまい。会館は新しいので多分、昔の建物とは違うと思う。
内部にはレストランが2軒もはいていた。刀とかいう高級店?と食堂だ。食堂のほうに入り、握り寿司と冷ややっこ、そしてビールを注文。32ソル(1,000円)なり。まずまずの味。

寿司も食べた
<やっこは硬いがおいしかった>
冷ややっこも食べた


建物の中庭ではゲートボールに興じる日系の老人たちがいた。
ゲートボールに興じる日系老人たち

帰りは頑張って歩いて、セントロ行きのバス停を見つけ、バスで帰る。こちらは1ソル。

2011/02/04

マックでブログ!

2月4日(金)リマ

午前中にペルー北部へのバスの切符を買いに行く。リマのバスターミナルは各社ごとに散らばっているので、切符を購入するのが一苦労。
2か所目の「Movil Tour」 で明日の夕方発の「Jaen=ハエン」行きをゲット。リマ~ハエン間は約18時間の行程。このハエンからエクアドルに入りたいと思っていたので、ばっちりのチケットに感激。
エクアドルとペルー間の国境越えは、海岸沿いのTumbes経由と前回通ったロハからのピウラへの道と、このハエンから入る道がある。このハエンルートはあまり人が行かないルートだ。ネット環境は悪いと思う。

リマを北上。トルヒージョの上、チクラヨから右の方にハエンがある。


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2011/02/05

ハエン(Jaen)へ

2月5日(土)夜、移動。リマ(Lima)→ハエン(Jaen)

今日も朝はマック。7時に開くと聞いていたので行ったら、しまっていた。開いたのは8時だった。その間、ぶらぶらとしていて撮った写真。この通りは一番の繁華街で、ここにマックがある。
マックのある通り

最後の晩餐じゃないけど、再度、日秘会館に日本食を食べに行く。冷やし中華と串カツ、ホウレンソウのおひたしを注文したが、ホウレンソウのおひたしを除いてどれもまずかった。串カツはソースがないので醤油で、と言われたのには参った。


ホウレンソウのおひたしは、以前、来た時、お汁の中にホウレンソウが浮いていたので、「ああ、これが本来のお浸しなのだ」と感心したことを覚えていて、再度注文した訳だが、今回は普通のおひたしだった。
海外での日本食というのは、やはり、長い間食べていない時に、食べると感動するのであって、続けて食べるものではない。まずさばかりが目に付くものだ。

夜の18時半出発。バス駅でTarapota直行便があることを発見。残念。でも、タラポタ行きは3時発が遅れて18時発になっていた。どちらが良かったかわからない。
バスは一階のカマの席。ゆったりしていて快適。寝ることを考えると一階の席も悪くない。便所の移動も簡単だし・・・
2011/02/06

ハエン(Jaen)

2月6日(日)ハエン(Jaen)

朝の7時にChiclayo着。ここから山間部に入ってハエン到着は12時過ぎ。18時間の移動だった。到着した直後は身体が揺れていたが、それほど疲れてはいなかった。
チクラヨ~ハエンへの道

Hostal Plazaのシャワーは、水だろうと思っていたら、なんとお湯だった。5階の部屋からの眺めも最高だし、値段は25ソル(750円)と安いし、最高なのだけど、問題はWIFIの設備があるにもかかわらず、ネットの元が切られていて繋がらない。残念!
オスタル・プラサ

今後の旅の情報。
タラポト(Tarapoto)までは10時間(50ソル)。その先のユリマグアス(Yurimaguas)までは13時間かかるという。出発はすべて、夜の8時半。

なぜ、ユリマグアスを調べたかというと、そこからイキトス~レティシアまで船でいけるし、もっと先のマナウス~ベレンまでも行くことができるからだ。ユリマグアス以外はすべて行ったことがあるのだが、これらを船で行くという壮大なアマゾン下りを、いつの日かやるのが夢だ。

夜、食事に行くためプラサに出ると、選挙運動の舞台がしつらえてあり、音楽がなっていた。そこに旗を立てたモトタクシーが20台ほどやってきて、クラクションを盛大にならしたてていた。選挙がこんな辺境の町でもイベント化しているのには驚かされた。

<ハゲワシがまるでニワトリのように町中を闊歩していた>
町雑感・・・ハエン

<この川がタラポトの方に向かっているなら、アマゾンの源流の一つだ。でもわからずじまい>
ハエンを流れる川

<プラサ・マジョール>
プラサマジョール

<フルーツサラダの朝食・・・これは2ソル=60円だった>
朝食に食べたフルーツサラダ。これも60円とは!

<これで3ソル=90円とは安い>
これで3ソルとは安い!


2011/02/07

エクアドルへ

2月7日(月)移動 ハエン(Jaen)→サン・イグナシオ(San Ignacio)→バルサ(Balsa)→スンバ(Zumba・Ecuador)

11時ハエン発の乗合タクシーで2時間半かけてサン・イグナシオへ。運転席の横の助手席に2人も座らされて、身動きが取れずに身体が固まった。時間がそれほどでもなかったので、なんとか耐えられたが、きつかった。ドアで親指を詰めるアクシデントも・・・爪が少し紫色に変色しただけですんだが。

<サン・イグナシオまでの道>
サン・イグナシオへの道・・・最初は完全舗装

<途中から地道になった>
途中から地道になった
<サン・イグナシオの町>
サン・イグナシオの町

次にエクアドルとの国境バルサまでは後部座席に4人がけだったが、僕の横の人が小柄だったので、サン・イグナシオ行きよりはましだった。

国境でペルー出国の時、ペルーの入国印がなかなか見つからずにひと騒動。印字が薄くて見つからなかったのだが、やっとのことで見つけた。

<国境の川>
国境の川

国境の橋を歩いて渡ると、エクアドル側のイミグレがあるのだが、ここでおもしろいエピソードあった。なんと入国管理事務所の係官の名前が「ハポン(Japon)=日本」さん、だったのだ。わざわざ、身分証明書まで出して見せてくれた。別に日系ということではないとのことだった。
イミグレの前にある店のオヤジさんにその話をすると、彼は、エクアドルには「ハポン」という名前はあるよ、と言っていた。ということは、もしかしたら、あのスペインのセビリア郊外のコリア・デル・リオにいるハポン一族の先祖がはるか南米に渡ったということだろうか。セビリアから南米というのは歴史にはもっともオーソドックスなルートである。ハポン一族とは、諸説があるが、支倉常長の遣欧使節団の中の帰国しなかった7人の子孫だといわれている。なお、余談だが、ハポンさんというすごく厳格なジャッジで知られたサッカーの審判がスペインの一リガにいたことはあまり知られていない。

<入国管理事務所の係官のハポンさん>
Japonさん

1時間半ほど待って、5時半のトラックに乗る。山道を揺られて走ること2時間。途中の景色は山また山の連続で絶景だった。興味深かったのはエクアドルの山家を見ることができたことである。ただ残念なことに、車の揺れが激しくて、写真を撮るどころでなかったことだ。
<トラックバス>
トラックのバス

<下の道が見える・・・>
下の方に道が見える

この日は、スンバで一泊となる。
2011/02/08

ロハ(Laja)へ

2月8日(火)移動日  スンバ(Zumba)→ロハ(Loja)

10時発のバスでロハに向かう。
<スンバのバス駅>
スンバのバス駅

かなり年期の入ったバスは、山また山の中の地道を喘ぎながら走る。道路の両側には、ヘゴの木、着生植物に身をくるまれた樹、そして鮮やかな赤い花などが見られた。僕は屋久島で2年間タクシーの運転手をしていたのだが、その時の経験(屋久島の植物の説明をしなければならなかった)で得た知識は殆どなんの役にも立たなかったが、それでも、この熱帯雨霧林の迫力を理解する素地にはなった。
車からの撮影は相変わらずうまくゆかなかったが、それにしても、アンデス山脈の壮大さというか、奥深さには驚かされる。
<ロハまでの道>
ロハまでの道
<下の方に見えるのが上ってきた道>
下の方に道が見えるでしょう

<熱帯雨霧林>
熱帯雨霧林
<道の両側には彩鮮やかな花が・・・>
こんな花が・・・

カクタスの一種?




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バスは何度も点検・修理のため停車。
ロハ着は午後の6時。8時間の行程だった。

宿は明日の出発を考えて、バス駅前のオスタルにする。「マルベージャ」などとすごい名前がついているが、10ドルでバス・トイレつきだった。街中のホテルだと同じぐらいの料金でも、タクシー代がかかるので、結局割高になってしまう。ロハはトランジットだからうまい選択だと言えるだろう。
2011/02/09

マチャーラ(Machala)へ

2月9日(水)異動 ロハ(Loja)→マチェラ(Machala)
朝、ロハ・インターナショナルの8時のバスで出発。着いたのは14時。6時間の行程。
<マチャーラはバナナで有名。道の両側はバナナ園だらけだった>
バナナ園

バス駅のすぐ近くにロンリ―プラネットお薦めの宿が2軒あったが、HostalとHotelの値段が一緒に、しかもHostalのほうはWIFIができなかった。受付の応対もホテルのほうがずっと感じ良かったので、ホテルを選択。ただし宿代は18ドルと久しぶりの大台。
<ホテル・ボリバールの部屋・なぜか3人部屋>
ホテル・ボリバール

2011/02/10

マチャラ(Machala)

2月10日(木)マチャラ(Machala)

終日、ブログの整理とかで部屋ですごす。このホテルは快適。
林芙美子「屋久島紀行」を読む。懐かしかった。当時の屋久島の道路事情などが知ることができた。小杉谷へのトロッコなど描写も興味深かった。林芙美子という女流作家はすごい!ルポルタージュをたくさん書いているが、アジア放浪のものを読みたい。出版禁止本もあると聞いている。

青空文庫を知る。これでネットで日本文学の大半は読める。素晴らしい.