2011/12/01

カンチェンジェンガ!!!

12月1日(木)

部屋が暗い。お湯や清潔度は申し分ないが、陽の当たる部屋にしてくれと頼んだら、1200ルピーだというのでやめた。明日は、建物はかなり古いが、陽当たりの良い向かいのホテルに変わるつもりだ。実際見てきたが、室内はかなり老朽化しているが、500ルピーと安い。取り柄は部屋から「カンチェンジェンガ」が見えることだ。


ネットが久しぶりにできた。MGmarug通りにあるサイバー・カフェで直接ランケーブルを繋がせてくれたのである。1時間30ルピーなり。2時間ほどブログとE-Mailのチェックをした。

ネットでルピーのレートを調べたら
1ルピーが1.5円だった。思ったよりも円が強い。今の宿も600円となる。

「カンチェンジェンガ」撮影成功。街中から見えるのだ。
カンチェンジュンガーガントクの町から


この間から、右上の歯茎が腫れた感じがしていたが、ひどくなってきた。別に痛いという感覚ではなく、あえて言えば痒いと言ったところか。おそらく肩の凝りから来ているのではないだろうか。歯茎の腫れ止めの薬を購入。先ほど服用したのだが、効いてきた感じがする。インドはジェニック薬で有名な国だから、ほかにも下痢の薬や抗生物質などを入手しようと思う。

そういえば、昔、小林薫さんがカルカッタで酷い熱にうなされていた時も、インドの医者がうった薬が効いて翌日には全快していたことを思い出した。

街中を歩くと、本当に日本人とそっくりの顔をした人にたくさん会う。チベット人かブータン人かネパール人なのだろうが、うれしくて話しかけてみたくなる。不思議な気分だ。
2011/12/02

インド薬事情

12月2日(金)

歯茎の腫れがひいた。やはり薬が効いたのだ。すばらしいインドの薬。今日は下痢止めを買うぞ!!!

宿を替える。部屋が明るいと助かる。目の前のジープの溜まり場の人の動きも見えて面白い。「カンチェン・ジュンガ」はばっちり見えている。

部屋から見えたー2

真ん中の緑色の鉛筆ビルが「Grand Hotel」
緑色のビル


この急な階段を上がった突き当たりを左に入ると僕の部屋102号室がある。
この階段を上りきった左側

2011/12/03

Rumtek寺院

12月3日(土)Rumtek Gompa(ルムテク・ゴンパ)

朝、8時半にホテルの前のジープ乗り場に行く。1時間半ほど待たされてから出発。11時半現地着。


Rumtek-1


Rumtek Gompaとは・・・・ガイドブックによる
シッキム最大のゴンパ。カルマ・カギュ派のカルマパ法王の本山。1960年にカルマパ16世がダライラマ法王とともに亡命。ここで世界各地に布教活動を展開した。1981年に16世は亡くなり、17世カルマパはチベット・ラサ近くのツルブ寺で即位したため、カルマ・カギュ派の総本山はツルブ寺になっている。しかしルムテクの影響力は大きい。

ゴンパは1740年建立。地震で崩壊したのが再建されたため、それほど、建物自体にそれほど価値があるわけではない。


Rumtek


僧院の中に完全装備の軍隊がいる方が気になった。
部屋に戻って、ガイドブックを読んでいると、おおよそ、下記のように書かれていた。

このカギュ派は別名「黒帽派」とも呼ばれていて、カルマパが儀式のときに被っていたルビーのついた黒の帽子からそう名付けられた。16世カルマパ死後、少なくとも1993年以後、だれもがその帽子を見たものがいないことから、その所在を巡って論争が起こり、2派に分裂、内ゲバを繰り広げた。そのため、軍隊が常駐しているのだそうだ。
このことを詳しく知るには「The Dance of 17 Lives By Mick Brown」を読めばいいとLonely Planetには書かれている。

ところで、「チベット仏教」というか「ヒマラヤン仏教」もいろいろと派閥があり、ややこしくて、整理して一覧表にでもしないとわからない。

おかしかったのは、僧院経営のカフェがあることで、観光客相手に作ったのだろうが、小僧さんの溜まり場になっていた。
僕は、サモサ2個とチャイをいただいたが、なかなかの味で感心した。しかも料金が30ルピーと破格だった。

昼過ぎに表に出たのだが、帰りの車がない。タクシーはあると聞いていたが、それもなし。やむなくガントクからの乗り合いジープを待つ。しばらく待つとやってきたが、着くとすぐにドライバーは昼食タイム。やっと、彼が食堂から出てきたが、客が集まらないので出発しない。彼に訊くと6人は集めたいと言うのである。
昨日から軽い下痢気味の僕は、お腹の調子が心配で、一人40ルピー×6人=240ルピーを計算して、300ルピー(450円)を払うから出発してくれないかと頼んでみた。このドライバー、なかなかの気概がある人物で、おいそれとは買収に乗ってこない。
それでも、30分ほどたっても客が誰も来ないので諦めたのか、出発するぞ、と言った。
出発直前に客が一人乗ってきたが、助手席にゆったりと座れ、ほぼ貸切り状態でガントクに戻った。
僕が約束の300ルピーを渡すと、貸切りの約束が活きていたとは思っていなかったようで、彼はえらく恐縮して受け取った。まあ、タクシーだと400ルピーは取られたのだから、仕方がない。
このドライバー、山崎努似のなかなかいい男だった。
シッキムの人は、インド人に対する僕たちのイメージとは程遠く、ぼらないし、しつこくない。その分、商売気がないともいえる。そう、これもガイドブックに書いてあったが、そのとおりだと思う。
2011/12/04

西シッキムのページンというところに行きます。

12月4日(日)Gangtok(ガントク)

明日の朝いちばんに西シッキムのページンというところに移動します。
そこに数日滞在して、ウエスト・ベンガルのシリグリに移動、そこから夜行列車で「カルカッタ」に入る予定です。
おそらく、当分、ネットができないと思うので、ご心配なく・・・




より大きな地図で Sikkim を表示
2011/12/05

ページン(Pelling)へ

12月5日(月)Gangtok(ガントク)→Pelling(ページン)

朝、6時過ぎにジープ乗り場に行く。ジープは来ていなかったので、昨日、寄った屋台でチャイを飲む。

7時ちょっと前にジープが到着。僕の座席は助手席。
後ろに席に年配の日本人夫婦が乗り込んだ。

ジープは7時過ぎに出発。
助手席にはもう一人女性が乗ってきたが、先日のRumtek行きの時のように太った人ではなかったので、それほど苦痛ではなかった。ただ、彼女は車酔いで苦しんでいたが・・・
道中の道路事情は素晴らしく、ほとんどが舗装されていた。また、道路の脇にはポインセチアの赤が、ハイビスカスやブーゲンビリアの赤を圧倒していた。ポインセチアは、ブータンでも見かけたが、原産地ははるかメキシコなのに、こんなヒマラヤ山麓にすっかり根付いてしまっているのである。外来種の繁殖力には驚かされる。もしかしたら、ブタクサの赤色版か・・・

ポインセティアの花

山道を走ること4時間半で「ページン=Pelling」に到着。
宿は、ガイドブックで見当をつけていた「Hotel Garuda」。1泊400ルピー。周りにはホテルが10軒ほど軒を連ねていた。

ホテル・ガルーダ


朝食兼昼食をとる。チキンカレー。

ガルーダのチキンカレー


ここは2,000mほど高度があるため、気温も低めだ。

残念ながら、今日は雨で視界が悪く、「カンチェン・ジュンガ」が見えない。明日は晴れることを祈るばかり。
2011/12/06

河原に露天風呂が・・・

12月6日(火)

昨日、ジープで一緒だった日本人のご夫妻の誘いを受けて、Rabdentset(シッキム王国の居城跡)と河原の温泉行きに参加。3人でジープをチャーターして1,400ルピーということで、僕はまけてもらって400ルピーだった。
シッキム王国の元首都は1670年~1814年までで、城壁が残っているだけだった。それでも、ガントクの王宮跡よりは、スケールが大きかった。シッキム王国についてはなんの予備知識もなかったが、今回の旅で興味がわいた。帰ったら、調べてみよう。

シッキム王国跡

さて、温泉のほうは海水パンツを持っていなかったので最初から諦めていたが、温泉の前の売店で売っていたので、温泉に入ることができた。温泉の温度は温めで、スペースも狭かったが、河原に湧き出た温泉ということでなかなか味があった。

河原の右端が温泉温泉

温泉の売店でチャンを飲んで、やや出来上がっている青年がいた。顔も日本人と変わらない。
この酒、麹を使って作るようだ。「照葉樹林文化論」に紹介されている飲み物だ。

呑み助君

チャン・・・味は日本酒だった。そうだろう!これぞまさしく照葉樹林文化の産物なのだ。
チャン



2011/12/07

ユクサム・ツアー(Yuksom)

12月7日(水)ユクサム・ツアー(Youksom)

早朝、カンチェン・ジュンガがくっきりと見えた。
何人かの宿泊客が写真を撮っていたが、彼らは左のM字型の山がカンチェン・ジュンガだと言った。確かにガントクで観た山の姿はあんな感じだったので、僕も得心して盛んにその山を中心に写真を撮った。
ところが、その後、宿の親父が教えてくれたところによると、左に見えるのは「カブール北峰と南峯」で、右側の鋭く尖ったのが「カンチェン・ジュンガ」ということだった。へぇ!と驚きながら、僕は、もう一度、写真を撮り直した。

右がカンチェンジュンガ
右がカンチェンジュンガ


正面にカンチェンジュンガ
カンチェンジュンガ


午前8時半,日本人のご夫婦と3人で借りたジープで出発。
もらった案内には、見学箇所は10か所記されていたが、実際はそれほどでもなく、ユクサム行きが主目的。
①Rimbi Rock Garden:これで入場料を取るのは無謀だ。何も見るところなし。
②Khechuperi Lake 京都嵯峨野の「広沢の池」のような池だった。ここで、門前の土産物屋で働く日本人女性に声をかけられた。シッキム人の男性とこの池で出会い、一緒になったそうだ。日本女性強し!
お似合いのカップルだった!


③Youksomで昼食。
④Cornation Throne and Norbugang Stupa。ここはチョルテンと巨大マニ車が見所だった。チョルテンで浮浪者風の男に喜捨をねだられた。シッキムでは初めて経験した。
⑤その他、前後するが滝を3か所見た。

以上がツアーの内容だが、どれも取り立てて印象を記するほどのことはなかった。
それよりも、ユクサム村が落ち着いた良いところだったので、再訪したいと思った。
道中で、山から牛の飼葉用に木の葉を集めてきた人に3人ほどあったので、写真を撮らせてもらった。ほかに、道端で休んでいた老人も撮らせてもらった。

いい顔のオヤジ<




飼葉採取ー2

飼葉採取ー1




明日は7時出発。シリグリで1泊してカルカッタへ向かうつもり。
2011/12/08

シリグリ(Siliguri)へ

12月8日(木)ページン(Pelling)→シリグリ(Siliguri)

今朝もカンチェンジュンガがきれいに見えていた・・タルチョ越しに・・・
カンチェンジュンガー8日



朝、8時半、ページンを出発。途中、2時間ほど走って休憩。その後、シリグリに近くなったところでパンクのため休憩。シリグリ~ダージリン間を除けば、今まで道路事情は良かったのに、今回の行程は3分の2が悪路だった。ここシッキムでは、奥地の方が、道路が良く整備されているようだ。

パンク修理
パンク修理


13:30 シリグリ着。オートリクシャで鉄道駅に向かう。駅前の「ヒルトップホテル?」に投宿。宿のおやじは、なぜかえらく愛想が悪かった。

14:00過ぎ、荷物を置くとすぐに 明日の鉄道チケットの予約をするために、鉄道駅の予約センターに行った。当初予定していた「カルカッタ行きの夜行寝台」は満席でチケットが取れずじまい。
簡単に考えていたが、事前に予約を入れておくべきだった。

シリグリの鉄道駅前・・・何頭かの牛がほっつき歩いていた
シリグリ駅前

飛行機で行くしかない羽目になる。
2011/12/09

急遽デリーへ

12月9日(金)シリグリ(Siliguri)→デリー(Delhi)

朝、6時半に宿を出てオートリクシャでシリグリの西12キロにあるバグドラ(Bagdogra)空港に向かう。

リキシャで空港へ
リキシャで空港へ


空港付近は濃霧で視界が効かない。案の定、チケットは販売されていなかった。予約を入れていない僕は空港の建物の中にも入れもらえず、外で待機。

9時半過ぎ、デリー行きのチケットを扱っている「エアー・インディア」のチケットカウンターだけが開いたので、当初予定していた「カルカッタ行き」を断念、「デリー行き」に変更。


12時過ぎ、8時50分発の飛行機がやっと離陸。

14時過ぎ、デリー着。
以前もそうだったが、排気ガスによるスモッグのためか、ラジャスタン地方の砂漠からの砂嵐の影響かわからないが、デリーの町は真っ白に霞んでいた。

前払いチケット制度のタクシーで「オールド・デリー」に向かう。

24年ぶりに見た「オールド・デリー」の町は以前と全く変わっていなかった。もしかしたら、以前よりももっと激しく建物が建てこんだかもしれない。

ガイドブックで調べておいた宿は満室で、そこで紹介された近所の宿に投宿。

Pahar Ganj地区・・・デリー駅とメインバザールがあるのですぐわかる

オールド・デリー

Club Indiaからの俯瞰
オールド・デリーー2
2011/12/10

老車夫について

12月10日(土)

朝食後、町をぶらぶら歩いていたら、年配のリキシャマンに遭った。写真を撮りたかったので、乗ることにする。行き先は他に思いつかなかったので「コンノート広場」といった。

彼の痩せ衰えた背中を見ていると、「歓喜の町 カルカッタ」※の話が思い出された。
この映画にもなった小説は、田舎からカルカッタに出てきた主人公が、リキシャマンとして一家を養う話だが、リキシャマンの過酷な労働と親方制度による苛烈な搾取に苦しめられる実態が嫌というほど克明に描かれている。リキシャマンを描いたものとしては、僕が知っている限りでは、稀有かつ出色の作品である。
ペダルに全体重をかける(といっても痩せ細った体だが)ために体を交互に揺すりながらペダルを漕ぐ姿は、この人の全生涯の不条理さが「歓喜の町 カルカッタ」の主人公のそれと二重写しになって見えた。

※この本の著者はスペインを舞台にした闘牛士エル・コルドベスの話「さもなくば喪服を」や共著で第二次大戦でのパリ解放の話「パリは燃えているか?」を書いている。

車夫ー1

老車夫ー1

車夫ー2・・・彼の背中
老車夫ー2

車夫ー3
老車夫ー3