梅安亭日乗

「TOKASUどこか遠い空の下で」を改め「梅安亭日乗」としました。

舌の根の乾かぬうちに  

詐欺集団のような民主党

「革新的エネルギー・環境戦略」だなんて気恥かしい名前のセクションを設け、選挙目当てに「2030年代の原発稼働0」を目指すとしていた野田政権は、アメリカや財界、原発利権依存の地元自治体などの圧力を受け、結局、閣議決定を見送った。
そして、昨日の新聞報道によると、枝野が「2030年代の原発0」は決めていないと発言

そうした中、フクシマの原発事故で中断されていた「大間原発の新設工事」が再開された。

民主党は『原発存続・推進』に邁進!
にもかかわらず、口先番長は「選挙では反原発を争点にする」とうそぶいた。
民主党の前原誠司前政調会長は二十九日、神戸市内での会合で、「原発ゼロを目指すか目指さないのかが、次の選挙で自民党との大きな争点になる。われわれは原発のない社会を目指すとの意思は揺るぎない」と述べ、党が掲げる「原発ゼロ」を次期衆院選での最大の争点とする考えを示した。(東京新聞 2012年9月30日)

オスプレイ ・沖縄強行配置
野田はこの日発表したメッセージの中で、「同機の安全性は十分確認できた」と述べたそうだが、
周りには住宅や公共施設が密集し、オスプレイはこの上空を飛行する。今年になって2回の墜落事故を起こしたオスプレイが頭上を飛ぶことに、周辺住民が強い不安を抱くのは当然だろう。普天間への移動を確認した仲井真弘多沖縄県知事は、「県民の不安が払拭(ふっしょく)されない中で(移動を)強行するのは、理解を超えた話だ」と政府を批判した。(毎日新聞 2012年10月2日)

なんじゃ、これは!
完全に国民を嘗めとるね!




<梅安亭・挫折日>

プッタネスカ・・・以前も紹介した別名「娼婦のスパゲティ」。ドライトマト、黒オリーブ、ケッパー、アンチョビなどで作ったのだが、前回の方が美味かったと思う。今回はアンチョビのつぶし方が足らなかったのか?何故だろうね。反省しないと・・・
プッタネスカ

ジャーマンポテト・・・電子レンジでチーンを5分!と書かれた皮付きジャガイモを見つけたので、玉ねぎとベーコンで炒めました。可もなく不可もなし。
ジャーマンポテト

すき焼きが食べたいと思ったのだが、
肉が硬い。なんとかならんかいな・・・てなわけで、ネットで調べるとキウィに漬け込むのが良いと書かれていた。ところが、よく読まなかった僕が悪いのだけれど、漬け込み過ぎで肉がボロボロになってしまった。長いこと漬けたらあかん!と早く知っていたらこんなことにはならなかったのに(汗タラ)。漬けるのは15分以内だって!大根とか玉ねぎの方は、長時間でも良いらしい。
さて、すき焼きと言っても材料が揃わないので、以前も紹介したネパールの日本レストラン「桃太郎」ふう※のすき焼きを目指した。牛肉と青梗菜、豆腐、玉ねぎ、麩などが中身。※今年の2月25日のブログ参照・この時は肉が良かった。
ところが、味付けをとちって砂糖の入れ過ぎでダダ甘!いやあ、不味かった。最低!

大失敗すき焼き

category: スペイン・グラナダ

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村上春樹発言  

「どぜう鍋屋」の振る舞う安酒には手をつけるな!

村上春樹が、日本と近隣諸国との領土問題をめぐる緊張関係について発言しました。実に的確なコラムだと思います。そこで、僭越ながら付け加えさせていただくと、タイトルとしては少し長いですが「『都知事さん』経営の『ドジョウ鍋屋』の振る舞う安酒には手をつけるな!」なんて言うのが良いのかもしれませんね。※村上春樹は「海辺のカフカ」の中で「石原都知事」のことを「都知事さん」として皮肉っている。

ご存知かもしれませんが、未読の方のために、以下村上春樹のコラムを紹介します。

尖閣諸島を巡る紛争が過熱化する中、中国の多くの書店から日本人の著者の書籍が姿を消したという報道に接して、一人の日本人著者としてもちろん少なからぬショックを感じている。それが政府主導による組織的排斥なのか、あるいは書店サイドでの自主的な引き揚げなのか、詳細はまだわからない。だからその是非について意見を述べることは、今の段階では差し控えたいと思う。
 この二十年ばかりの、東アジア地域における最も喜ばしい達成のひとつは、そこに固有の「文化圏」が形成されてきたことだ。そのような状況がもたらされた大きな原因として、中国や韓国や台湾のめざましい経済的発展があげられるだろう。各国の経済システムがより強く確立されることにより、文化の等価的交換が可能になり、多くの文化的成果(知的財産)が国境を越えて行き来するようになった。共通のルールが定められ、かつてこの地域で猛威をふるった海賊版も徐々に姿を消し(あるいは数を大幅に減じ)、アドバンス(前渡し金)や印税も多くの場合、正当に支払われるようになった。
 僕自身の経験に基づいて言わせていただければ、「ここに来るまでの道のりは長かったなあ」ということになる。以前の状況はそれほど劣悪だった。どれくらいひどかったか、ここでは具体的事実には触れないが(これ以上問題を紛糾させたくないから)、最近では環境は著しく改善され、この「東アジア文化圏」は豊かな、安定したマーケットとして着実に成熟を遂げつつある。まだいくつかの個別の問題は残されているものの、そのマーケット内では今では、音楽や文学や映画やテレビ番組が、基本的には自由に等価に交換され、多くの数の人々の手に取られ、楽しまれている。これはまことに素晴らしい成果というべきだ。
 たとえば韓国のテレビドラマがヒットしたことで、日本人は韓国の文化に対して以前よりずっと親しみを抱くようになったし、韓国語を学習する人の数も急激に増えた。それと交換的にというか、たとえば僕がアメリカの大学にいるときには、多くの韓国人・中国人留学生がオフィスを訪れてくれたものだ。彼らは驚くほど熱心に僕の本を読んでくれて、我々の間には多くの語り合うべきことがあった。
 このような好ましい状況を出現させるために、長い歳月にわたり多くの人々が心血を注いできた。僕も一人の当事者として、微力ではあるがそれなりに努力を続けてきたし、このような安定した交流が持続すれば、我々と東アジア近隣諸国との間に存在するいくつかの懸案も、時間はかかるかもしれないが、徐々に解決に向かって行くに違いないと期待を抱いていた。文化の交換は「我々はたとえ話す言葉が違っても、基本的には感情や感動を共有しあえる人間同士なのだ」という認識をもたらすことをひとつの重要な目的にしている。それはいわば、国境を越えて魂が行き来する道筋なのだ。
 今回の尖閣諸島問題や、あるいは竹島問題が、そのような地道な達成を大きく破壊してしまうことを、一人のアジアの作家として、また一人の日本人として、僕は恐れる。
 国境線というものが存在する以上、残念ながら(というべきだろう)領土問題は避けて通れないイシューである。しかしそれは実務的に解決可能な案件であるはずだし、また実務的に解決可能な案件でなくてはならないと考えている。領土問題が実務課題であることを超えて、「国民感情」の領域に踏み込んでくると、それは往々にして出口のない、危険な状況を出現させることになる。それは安酒の酔いに似ている。安酒はほんの数杯で人を酔っ払わせ、頭に血を上らせる。人々の声は大きくなり、その行動は粗暴になる。論理は単純化され、自己反復的になる。しかし賑(にぎ)やかに騒いだあと、夜が明けてみれば、あとに残るのはいやな頭痛だけだ。
 そのような安酒を気前よく振る舞い、騒ぎを煽(あお)るタイプの政治家や論客に対して、我々は注意深くならなくてはならない。一九三〇年代にアドルフ・ヒトラーが政権の基礎を固めたのも、第一次大戦によって失われた領土の回復を一貫してその政策の根幹に置いたからだった。それがどのような結果をもたらしたか、我々は知っている。今回の尖閣諸島問題においても、状況がこのように深刻な段階まで推し進められた要因は、両方の側で後日冷静に検証されなくてはならないだろう。政治家や論客は威勢のよい言葉を並べて人々を煽るだけですむが、実際に傷つくのは現場に立たされた個々の人間なのだ。
 僕は『ねじまき鳥クロニクル』という小説の中で、一九三九年に満州国とモンゴルとの間で起こった「ノモンハン戦争」を取り上げたことがある。それは国境線の紛争がもたらした、短いけれど熾烈(しれつ)な戦争だった。日本軍とモンゴル=ソビエト軍との間に激しい戦闘が行われ、双方あわせて二万に近い数の兵士が命を失った。僕は小説を書いたあとでその地を訪れ、薬莢(やっきょう)や遺品がいまだに散らばる茫漠(ぼうばく)たる荒野の真ん中に立ち、「どうしてこんな何もない不毛な一片の土地を巡って、人々が意味もなく殺し合わなくてはならなかったのか?」と、激しい無力感に襲われたものだった。
 最初にも述べたように、中国の書店で日本人著者の書物が引き揚げられたことについて、僕は意見を述べる立場にはない。それはあくまで中国国内の問題である。一人の著者としてきわめて残念には思うが、それについてはどうすることもできない。僕に今ここではっきり言えるのは、そのような中国側の行動に対して、どうか報復的行動をとらないでいただきたいということだけだ。もしそんなことをすれば、それは我々の問題となって、我々自身に跳ね返ってくるだろう。逆に「我々は他国の文化に対し、たとえどのような事情があろうとしかるべき敬意を失うことはない」という静かな姿勢を示すことができれば、それは我々にとって大事な達成となるはずだ。それはまさに安酒の酔いの対極に位置するものとなるだろう。
 安酒の酔いはいつか覚める。しかし魂が行き来する道筋を塞いでしまってはならない。その道筋を作るために、多くの人々が長い歳月をかけ、血の滲(にじ)むような努力を重ねてきたのだ。そしてそれはこれからも、何があろうと維持し続けなくてはならない大事な道筋なのだ。
     ◇



<非現実的な夢想家として>
ついでに、フクシマの事故についてバルセロナで行ったスピーチも紹介しておきます。


僕がこの前バルセロナを訪れたのは二年前の春のことです。サイン会を開いたとき、驚くほどたくさんの読者が集まってくれました。長い列ができて、 一時間半かけてもサインしきれないくらいでした。どうしてそんなに時間がかかったかというと、たくさんの女性の読者たちが僕にキスを求めたからです。それ で手間取ってしまった。
僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、女性読者にキスを求められたのは、世界でこのバルセロナだけです。それひとつをとって も、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがわかります。この長い歴史と高い文化を持つ美しい街に、もう一度戻ってくることができて、とても幸福に 思います。
でも残念なことではありますが、今日はキスの話ではなく、もう少し深刻な話をしなくてはなりません。
ご存じのように、去る3月11日午後2時46分に日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の1.8秒短くなるほどの規模の地震でした。
地震そのものの被害も甚大でしたが、その後襲ってきた津波はすさまじい爪痕を残しました。場所によっては津波は39メートルの高さにまで達しまし た。39メートルといえば、普通のビルの10階まで駆け上っても助からないことになります。海岸近くにいた人々は逃げ切れず、二万四千人近くが犠牲にな り、そのうちの九千人近くが行方不明のままです。堤防を乗り越えて襲ってきた大波にさらわれ、未だに遺体も見つかっていません。おそらく多くの方々は冷た い海の底に沈んでいるのでしょう。そのことを思うと、もし自分がその立場になっていたらと想像すると、胸が締めつけられます。生き残った人々も、その多く が家族や友人を失い、家や財産を失い、コミュニティーを失い、生活の基盤を失いました。根こそぎ消え失せた集落もあります。生きる希望そのものをむしり取 られた人々も数多くおられたはずです。
日本人であるということは、どうやら多くの自然災害とともに生きていくことを意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台 風の通り道になっています。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。各地で活発な火山活動があります。そしてもちろん地震があります。日本列 島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、危なっかしいかっこうで位置しています。我々は言うなれば、地震の巣の上で生活を 営んでいるようなものです。
台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、地震については予測がつきません。ただひとつわかっているのは、これで終りではなく、別の 大地震が近い将来、間違いなくやってくるということです。おそらくこの20年か30年のあいだに、東京周辺の地域を、マグニチュード8クラスの大型地震が 襲うだろうと、多くの学者が予測しています。それは十年後かもしれないし、あるいは明日の午後かもしれません。もし東京のような密集した巨大都市を、直下 型の地震が襲ったら、それがどれほどの被害をもたらすことになるのか、正確なところは誰にもわかりません。
にもかかわらず、東京都内だけで千三百万人の人々が今も「普通の」日々の生活を送っています。人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで働いています。今回の地震のあと、東京の人口が減ったという話は耳にしていません。
なぜか?あなたはそう尋ねるかもしれません。どうしてそんな恐ろしい場所で、それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?恐怖で頭がおかしくなってしまわないのか、と。
日本語には無常(mujo)という言葉があります。いつまでも続く状態=常なる状態はひとつとしてない、ということです。この世に生まれたあらゆ るものはやがて消滅し、すべてはとどまることなく変移し続ける。永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。これは仏教から来ている 世界観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティーとして、古代からほとん ど変わることなく引き継がれてきました。
「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。しかし日本人はそのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。
自然についていえば、我々は春になれば桜を、夏には蛍を、秋になれば紅葉を愛でます。それも集団的に、習慣的に、そうするのがほとんど自明のこと であるかのように、熱心にそれらを観賞します。桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、その季節になれば混み合い、ホテルの予約をとることもむずかしくなりま す。
どうしてか?
桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びま す。そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。美し さの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。
そのような精神性に、果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、僕にはわかりません。しかし我々が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、あ る意味では「仕方ないもの」として受け入れ、被害を集団的に克服するかたちで生き続けてきたのは確かなところです。あるいはその体験は、我々の美意識にも 影響を及ぼしたかもしれません。
今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、普段から地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。
でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。それについて、僕はあまり心配してはいません。我々はそうやっ て長い歴史を生き抜いてきた民族なのです。いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できま す。
結局のところ、我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。どうかここに住んで下さいと地球に頼まれたわけじゃない。少し揺れたか らといって、文句を言うこともできません。ときどき揺れるということが地球の属性のひとつなのだから。好むと好まざるとにかかわらず、そのような自然と共 存していくしかありません。
ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それ らはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵 えられる、というものではないからです。
僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。
みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放 射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそ れを広範囲に運びます。
十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されていま す。そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶこ とにもなりそうです。
なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定してい なかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを 真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったから です。
また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。
我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。
日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。
しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。
ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。
僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。
戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、その二つが日本という国家の新しい指針となりました。
広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。
そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。
何故そんなことになったのか?戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?
理由は簡単です。「効率」です。
原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。
そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。
そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。
そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。
原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。
それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。
ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。
「大統領、私の両手は血にまみれています」
トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。「これで拭きたまえ」
しかし言うまでもなく、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、この世界のどこを探してもありません。
我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。
我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。
それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。
前にも述べましたように、いかに悲惨で深刻なものであれ、我々は自然災害の被害を乗り越えていくことができます。またそれを克服することによって、人の精神がより強く、深いものになる場合もあります。我々はなんとかそれをなし遂げるでしょう。
壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。
その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。
最初にも述べましたように、我々は「無常(mujo)」という移ろいゆく儚い世界に生きています。生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。
僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞をいただけたことを、誇りに思います。我々は住んでいる場所も遠く離れていますし、話す言葉も違います。依って立つ文化も異なっています。しかしなおかつそれと同時に、我々は同じような問題を背負い、同じような悲しみと喜びを抱えた、世界市民同士でもあります。だからこそ、日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、人々の手に取られることにもなるのです。僕はそのように、同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることを嬉しく思います。夢を見ることは小説家の仕事です。しかし我々にとってより大事な仕事は、人々とその夢を分かち合うことです。その分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。
カタルーニャの人々がこれまでの歴史の中で、多くの苦難を乗り越え、ある時期には苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、豊かな文化を護ってきたことを僕は知っています。我々のあいだには、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。
日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。
最後になりますが、今回の賞金は、地震の被害と、原子力発電所事故の被害にあった人々に、義援金として寄付させていただきたいと思います。そのような機会を与えてくださったカタルーニャの人々と、ジャナラリター・デ・カタルーニャのみなさんに深く感謝します。そして先日のロルカの地震の犠牲になられたみなさんにも、深い哀悼の意を表したいと思います。(バルセロナ共同)








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まともなことを言っているひとがいる  

近隣諸国との緊張を煽る風潮に立ち向かう

「領土問題」でまともな発言をすると袋だたきに遭うという、嫌悪すべき状況になっています。本来は大手メディアがこうした危険な風潮に警告を発さなくてはならないのに、逆に煽っているような気がします。そうしたなかで、まともな発言をしているひとがいます。

岩井俊二監督です。
以下はかれのツイッターからです。

「日本は隣国を侵略しようとして最後はアメリカと戦い負けた。なのに免責された。侵略された国がまだ怒っていても当然で、忘れてしまっている日本の方がどうかしている。というのが僕の歴史認識です」
「とにかく日本のメディアは隣国を悪し様に言いすぎ。自分の父や母や祖国を悪く言われたらどんな気がする子供でもわかる。日本が好きな多くのアジア人が日本を訪れている。それはとてもありがたいことなのだ」
「国があの島を買うという行為がどれだけ挑発的かを相手の立場でもう少し考えるべきだと思う。それと日本は侵略戦争をしかけて負けたのだというのも忘れすぎている。それで相手国ばかり責めたのでは相手だっておこりだすのが道理」



石川達三に「生きている兵隊」という小説がありますが、日本軍の南京攻略直後に、現地に赴いて書かれた作品です。
当時、発禁処分となり、著者の石川には刑事罰が下されました。判決理由は「皇軍兵士の非戦闘員殺戮、掠奪、軍規弛緩の状況を記述したる安寧秩序を紊乱する事項」を執筆したというものでした。
発禁処分にしたのは、こうした「皇軍兵士」の民間人殺戮や掠奪、強姦殺人などを軍上層部は充分に認識しており、石川の作品によって公になることを怖れたからだと想像できます。
軍上層部が承知していたことを明らかにする文書があるので、半藤一利さんの解説から引用させてもらいます。
昭和十四年二月に作成された陸軍省秘密文書第四〇四号「事変地ヨリ帰還ノ軍隊、軍人ノ状況」の一部をここに引用したい(原文は片かな)。
「戦闘間一番嬉しいものは掠奪で、上官も第一線では見ても知らぬ振りをするから、思う存分掠奪するものもあった」
「ある中隊長は『余り問題が起らぬように金をやるか、又は用をすましたら後は分からぬように殺しておくようにしろ』と暗に強姦を教えていた」
「戦争に参加した軍人をいちいち調べたら、皆殺人強盗強姦の犯罪者ばかりだろう」


「過去のことは忘れるべきだ」という意見がありますが、それは被害者が言いえても、加害者が発する言葉ではないのです。
しかも戦争はどこで戦われたかが重要です。他国の領土に勝手に押し入ることを「侵略」と言います。これを「進出」という言葉に置き換えた「教科書問題」など、加害国日本は「先の戦争の反省」どころか「正当化」に向かってきているととられても仕方がないと思います。「靖国参拝問題」や「従軍慰安婦」の存在を否定する論調もこうした一連の流れの中で捉えると中韓など近隣国からの反発は至極当然だと思います。そして「尖閣・竹島という領土問題」にまで事態は進展しています。
知らぬ間に「アジアでの日本の孤立化」が進行しているように思えてなりません。


直接行動しかない!村長が住民を指揮。

債務危機が深刻なスペインで、ラホイ政権の緊縮政策に対する地方の反発が強まっている。

 南部アンダルシア州では、住民の先頭に立って略奪を指揮する村長まで現れた。

 州都セビリアから100キロ。人口約3000のマリナレダはオリーブ畑の真ん中にある。フアンマヌエル・ゴルディーヨ村長(60)は8月、失業者ら十数人を率いて州内のスーパーを襲撃し、略奪したコメや缶詰をセビリアで貧困家庭に配った。

 この事件について村長は「悲惨な現状を告発するための非常手段だった」と強調し、「不動産バブルに踊った銀行のツケを庶民が払わされているのだ」と訴えた。

 スペインの失業率は欧州連合(EU)で最悪の25%だが、アンダルシアでは実に34%に達する。

 村長は事件で全国的な注目を集め、貴族から奪った物を貧者に分け与えた中世イングランドの伝説にちなんで「現代のロビン・フッド」(エル・パイス紙)とも呼ばれた。事件後も毎週、州内を仲間とデモ行進し、銀行で座り込みを行った。

 村の主婦カルメン・プラダさん(63)は「子供7人は全員失業し、夫(農業)の月収420ユーロ(約4万2500円)で家族が食べている。泥棒は犯罪だが、村長は現状を変えようとした英雄」とたたえる。警察も、州議員を兼ねる村長の訴追には慎重だ。(2012年10月4日13時01分 読売新聞)


左の髭面の人が「現代のロビンフッド」ゴルディージョ村長(El Pais紙より)
GORDILLO

銀行前での座り込み(ロイターより)
銀行のまえで座り込み

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食欲だけの秋!  

<梅安亭の日々>



魚介類編

栗原はるみさんって色っぽいですね。特にあの声が・・・彼女のレシピで「鰯のネギソース煮」。うまっ!
ところで、これで丼ができますね。ご飯に汁をかけてみたのですが、絶対いけると思います。「鰯のネギソース丼」!
栗原さんのメニュー

「ムール貝のワイン蒸し」の残りのスープにちょっと手を加え、「海鮮ラーメン」ならぬ「海鮮スープパスタ」を作りました。
創作メニュー・海鮮ラーメン

檀一雄が「スペイン風イカ焼き」として紹介しています。内蔵も一緒に炒めるだけですが、味にコクがでます。骨を抜いているときに、墨をこぼしてしまい、真黒になっていないのが少し残念。でも、美味しかったです。
壇流イカ焼き

「マリー」の店で素晴らしい鯵を入手。酢で締めました。
鯵刺身


ニラが手に入ったので

久しぶりに餃子を作ったのですが、皮の打ち粉が少なくて、できた皮どうしが引っ付いてしまい、穴があいたり散々な目に遭いました。大きさもバラバラ。再挑戦するぞ!
久しぶりの餃子

ニラと鶏レバー炒め・・・定番です。豚レバーよりあっさりしています。
ニラを手に入れたので・・・

キムチ鍋にもニラが入ると、本格的になりますね。
キムチ鍋にもニラが・・・

ニラとは関係ないですが・・・エスカローペ。
エスカーペ




炭水化物編

日本でもよく作っていたグリーンカレー。ペーストを売っていたので、早速挑戦。鶏肉とズッキーニ、マッシュルームなど、冷蔵庫のありもので作りました。次回はもっと彩りを良くします。東南アジアに行きたくなった。
グリーンカレー・・・ペーストを見つけた

焼きそば。いつもはパスタで作るのを中華麺で作ってみました。
中華麺を使った


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偉大なる異端!永川玲二  

作家の丸谷才一の訃報を知った。
この人のことはほとんど知らないし、その本も読んだことがないのだが、この人の後輩である永川玲二(敬称略)のことを思い出した。というのは、丸谷と永川はジョイスの「ユリシーズ」を共訳しているからだ。

永川玲二

1928年、鳥取県米子市に生まれた。
1945年2月、広島陸軍幼年学校を脱走。軍学校の脱走者は逮捕されたら銃殺刑に処されることが決まっていたため、日本全国を転々と逃亡して8月の敗戦を迎えた。このときの体験は、のちに丸谷才一の小説『笹まくら』の題材となった。
その後、東京大学文学部英文科を卒業し、東京都立大学助教授となったが、逃亡生活の名残が消えず、新宿で飲み明かすと中央線の急行に乗って終点の長野県大町に向かい、黒部山中の「自分の専用の穴ぼこ」の中で一日中寝て英気を養っていたという[2]。ベ平連と反戦米兵援助日本技術委員会(JATEC)による脱走兵援助に関与したこともある[3]。
ポルトガルの大詩人カモンイシュの伝記を書くための資料を探しにポルトガルを旅行したのがきっかけで1970年からセビージャに定住。
セビリア大学の教授を定年で辞してから日本に帰国。2000年4月、虚血性心不全で死去。



一口には表現しえないくらい、破滅的(本人は決して破滅的などとは思っていなかった)かつ強烈なキャラクターの人物だった。こんな「異端」の人が「正系」の丸谷とどう折り合ったのか、ぼくにはよくわからない。あえて言えば、永川には自分が「正系」であるとの自負があったからだろうか。陸軍幼年学校出身、東大卒というエリートの来歴がこの「異端」の人をしても、自らを「正系」に帰属していると見誤らせていたのかもしれない。この「異端」でありながら「正系」の衣装をまとうという分裂こそが、永川の人生のそのものだったようだ。

翻訳家・評論家・放浪者・・・・
もし、おなじような行き方をした人物をあげるとしたなら、あの「ファブル昆虫記」を訳した「山田吉彦」=「きだみのる」がいる。
このふたり、海外に住み、貧乏暮らしに耐えながら、翻訳と評論に心血を注いだという共通点がある。しかも、どちらも「異端」のひとである。
また彼らは車をこよなく愛し、車で寝泊まりしながら、そこらじゅうを放浪している。ただし、永川玲二の場合は自分が運転できないので、ぼろ車は持っていたが、「若い衆」に運転させていた。きだは日本中を車で放浪したが、永川は、キャンピングカーもどきに改造したフォルクスワーゲンのバンで、陸路、スペインからインドまで行き、そこで車を売って日本まで行っている。運転手は、永川のオルグに乗せられたスペイン人の若者たちだった。
永川は先日亡くなった小田実とも懇意でベトナム戦争時に脱走米兵を匿ったり、全共闘運動全盛時に当局への抗議として都立大の教職を辞している。
また、山好きだったため、スペインに来てからはピレネー山中で「方丈」的キャンプ生活をしたりもしている。
酒をこよなく愛した永川はスペインに滞在中の堀田善衛に会いに行っている。なにを話したか聞きそびれたが、「ヒッピー嫌いの大旦那」堀田に「アル中の英米文学者」などと書かれているエピソードもある。これなど鎌倉の『実朝』に会いに行って、「直言」をした日野の住人にそっくりだ。
そういう永川の生き方は、ある意味で現代の「鴨長明」と言えるかもしれない。
※堀田は「方丈記私記」を書いているので、おかしい。

翻訳家としては、
アラン・シリトー「土曜の夜と日曜の朝」、シェークスピア「ハムレット」、グレアム・グリーン「情事の終り」、エミリー・ブロディ「嵐が丘」、共訳でジョイスの「ユリシーズ」などがある。
「怒れる若者派」と呼ばれるアラン・シリトーは、そうした中では異端の系譜の作家である。
彼の経歴を簡単にまとめると以下のようになる。

1928年イギリス、ノッティンガムに、なめし皮工場の労働者の息子として生まれた。この工業都市の貧民街に育ち、14歳で学校をやめ、自動車工場、合板工場で働いたのち、英国空軍に入隊しマレーで二年間の勤務したが、肺結核に罹り、本国送還。病気療養中に大量の本を読んだ。
そして、この作品と翌年に出版された「長距ランナーの孤独」とで一躍世界的に有名になった。


彼は工場労働者の息子で、しかも中学校中退の工場労働者出身という「異端」の作家なのである。
永川はアラン・シリトーの家に何日か居候したそうである。その時に、シリトーがインテリの妻に対して頭が上がらないさまや便所に世界地図を貼って世界放浪を夢見ていたことを知って、シリトーの学歴コンプレックスや脱出願望を僕に聞かせてくれた。   

また、ジョセフ・コンラッドがお気に入りの作家のようだった。
おかげで僕はコンラッドを読むことになったのだが、このひともまた「異端」のひとである。

コンラッドは1857年にロシア領ポーランドの小地主階級の息子として、ウクライナの小さな村に生まれた。しかし、その頃、活発になったポーランド独立運動に関与した父は、北ロシアに流刑になった。流刑地で父と母が結核に感染して次々になくなり、十二歳で孤児となったジョセフは、母方の叔父に引き取られた。十六歳の時叔父の反対を押し切りフランスの商船の船乗りになった。1878年(21歳)以降、コンラッドは英国船に勤務した。以降、英語を学びつつ、世界各地を航海。この時に得た見聞が、後のコンラッドの小説に大きな影響を及した。1886年に船長資格を取得し、イギリスに帰化している。1894年(37歳)に陸に上がり、五年くらい前から書きためていた作品をその翌年、『オールメイヤの阿呆宮』として出版した。その後、『闇の奥』、『ロードジム』、『ノストローモ』『密偵』『西欧人の目に』などの作品を発表した。

この経歴から分かるように、この人も「独学」で「放浪者」である。彼の英語はかなり変だったそうだ。

最後はグレアム・グリーン。「第三の男」で知られるこの作家は、ベトナム、コンゴと紛争地を飛び回り、アメリカCIAに殺されたパナマのトリホス将軍のことも書いている、文字通り「世界を駆け巡る」作家であり、反米の信条を生涯持ち続けた作家でもある。イギリス人でありながらカトリック教徒でもあった。
永川はこの人の「情事の終わり」を訳している。
そのあとがきに書いている「グレアム・グリーンはいつも中産階級の生活意識を仮想敵とし、いわばその自己満足の体系をゆさぶるために小説を書いているのだ」という評が、永川自身の心情と重なっているように思えた。
僕はこのグレアム・グリーンが泊まったというキューバのサンチャゴの高級ホテルに行ってみたことがあるのだが、その時も永川のことを思い出したものである。


評論家としては、
「言葉の政治学」と「アンダルシア風土記」がある。
「言葉の政治学」は雑誌「展望」や「朝日ジャーナル」に書かれたエッセイをまとめたものである。身近な話題から説き起こして、言語論、政治論、民族論、文明論へと自身の豊富な知識を展開している内容で、今読んでも1979年に書かれたとは思えないほど新鮮かつ中身のあるエッセイである。

「アンダルシア風土記」は「単なる王朝絵巻物語だよ」などと酷評するひとが入るが、うまく描けたかどうかは別として、永川の意図したものは、西欧中心の世界史が見落としていた「地中海」を軸としたイスラム世界とヨーロッパ世界の「交通」※を描くことにあった。フェルナン・ブローデル「地中海」を意識していたのだろう。
これもある意味で、正系の世界史に対する反乱である。
※永川は「交流」と言わずに「交通」という言葉を使っていた。この「交通」は自動車などが通行する「交通」ではなくて、もっと大きな概念を指していた。

さて、この永川玲二は高田馬場のウィクリーマンションで孤独死をしているのだが、死の直前まで近くの飲み屋に入り浸っていたそうだ。
僕は彼の死後、その飲み屋を訪れたのだが、狭いカウンターの中で白い着物姿の上品な年配女将が立ち働いていた。僕が彼のことを訊くと、カウンターの端を指して「そこが永川さんのお気に入りの席でした」と教えてくれた。
生涯独身だった永川が人生最後に「懸想したひと」を眺めながら、僕はなぜか嬉しくなってしまった。

<梅安亭だより>


大根とスペアリブの煮物
大根とスペアリブ

その大根とスペアリブの煮物に鯵の刺身、クラゲときゅうりの酢の物、日野菜もどきの糠漬け。
大根とスペアリブ定食


ヒイカのトマトソース煮
ひいかのトマトソース煮

余ったトマトソース煮をパスタで
ヒイカのパスタ


イカのお好み焼き・・・ひとりでお好み焼きはチト寂しいな。
イカのお好み焼き

鯖寿司嵌ってる!
鯖寿司に嵌ってる!


また新しい魚屋を見つけた!トロを別売りしていたので買ったが、小型のマグロだったので、いまいちだった。
トロ

サッカー日本代表フレンドシップ試合 対ブラジル戦。トロも用意して観戦したのに0:4とボコボコにされた。この間のフランス戦がラッキーだったのだよね。中村とか遠藤もそろそろ入れ替えないとね・・・
対ブラジル戦メニュー

チリモージャ。南米原産のフルーツでグラナダ近郊でも穫れる。ドリアンが王様ならこちらは女王だって。
チリモージャ

中身はこんなふう。
チリモージャ中身

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サクロ・モンテのフラメンコ  

サクロ・モンテの洞窟タブラオ

何年ぶりかで、サクロ・モンテのフラメンコを見に行きました。歩いて5分ほどの距離にあるのに、行っていないのはもったいないですね。今後はちょいちょい顔を出すつもりです。
サクロ・モンテ洞窟タブラオー1

右端のひとは、今話題のマリーナ・エレディアのお父さんのハイメ・エレディア
サクロ・モンテ−2

サクロ・モンテ−3

<梅安亭・イカスミまみれ>

ヒイカが安いので、ついつい買ってしまいます。大根との煮物、酢の物、トマトソース煮などいろいろ作ってきましたが、近頃はイカスミ煮に嵌っています。

イカスミ煮
イカスミ煮−1

イカスミパスタ−1
イカスミ煮

イカスミパスタ−2
イカスミパスタ

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