2013/03/01

バガン・ニャウンウー

ピンサ・ルパ・ゲストハウスの日本語を話すスタッフ・・・彼は耳で日本語を覚えたそうだ。英語も話す。
宿の日本語を話すスタッフ


タナカ(顔に塗る黄色の粉)売りの一家
市場


ここの市場は昔のままの雰囲気が残っていた。
市場ー2


ナマズを捌く
市場ー3

日本レストラン「富士」・・・あのタイでチェーンを展開している「フジ」とは別。奥さんがミャンマー人の日本人が経営。安いのでよくいった。焼き鳥が美味かった。手前は餃子。
日本レストラン「富士」の餃子と焼き鳥

首長族のおばあさん
首長おばさん


首長族のおばあさんー2
首長おばさんー2


快適そうな養老院
養老院



街中にある無料の水・・・土器に入っていて気化熱で冷たいそうだ。同宿の日本人の男性は「飲んでみた」そうだ。勇気ある!下痢とか肝炎をビビる、僕にはとてもじゃないが、マネはできない。
街中にある無料の飲み水


僕が乗っていた列車の脱線事故を伝える新聞記事・・・マネージャーが新聞を見つけて、持ってきてくれた。
列車事故の記事





2013/03/06

マンダレー

3月2日~3月6日までマンダレー滞在


バガンからマンダレーに怖いもの見たさと言うか、懲りもせずに「列車」で行った。
今回も列車はジャンピングとスイングを繰り返していた。
隣の席のドイツ人はトイレの帰りに席に戻ろうとして、揺れが激しくて床に這いつくばってしまった。
地元民はそれを見て大爆笑。
事故を経験している僕には笑えなかった。
今回の機関士は、横揺れが大きくなったり、上下動が激しくなると、そのたびに速度を落としていたので、脱線しなかったが、前回の機関士は激しい揺れでもお構いなしに速度を下げなかった。その差が脱線につながったのではないかと想像した。
上下動は明らかに線路が波打っているのが原因だと思うのだが、保線作業なんてやっているのだろうか?鉄道では保線作業が命なのに、「保線夫」の姿を見かけなかった。
ヤンゴンで知り合った人からのメールでは、ミャンマーでは鉄道事故が頻発しているようだ。
それにしても「恐怖のミャンマー鉄道」だった!!!

マンダレー駅
マンダレー駅



最初の日は「ガーデンホテル」に泊まったのだが、30ドルと高いので、翌日「ロイヤル・ゲストハウス」に引っ越した。こちらは17ドルでエアコン・シャワー・トイレ付きで、朝食付き。広々とした部屋で居心地がよかった。
ロイヤル・ゲストハウス




パン・チェリー・・・近くの食堂。味といい値段といい、申し分ない。滞在中、嵌っていた。
パン・チェリー

このスープヌードルがうまい。ほかにこれの汁なしもある。サラダと書いてあった。
パン・チェリーの汁そば

パン・チェリーの野菜炒め。少し味が濃かったがご飯と食べたらまあまあ。
パン・チェリーの飯




マンダレー近郊

同宿の日本人男性とシェアーして車を借り、マンダレーの近郊の見どころを一日かけて回った。

マハーガンダーヨン僧院・・・ここでは1200人ほどの僧侶の食事風景が公開されていた。
マハーガンダーヨン僧院の食事

おかずの準備
朝食の準備

ご飯を炊く
食事の準備ー2

食事に赴く僧侶たち・・・見物客は大半が欧米人だった。仏教に触れているという錯覚から生じた神妙さとどことなく見下した感じが入り混じった目で僧侶の姿を眺める彼らを見て、僕は幕末から明治初期にかけて日本に滞在した外国人の日本印象記を取り上げた「逝きし世の面影」という本を思い出した。
食事に赴く僧侶たち

食事に赴く僧侶たちー2


バガヤー僧院・・・1834年建立。チーク材で作られている。
バガヤー僧院


監視塔・・・1822年建設。地震で傾いている。以前は上れたそうだが、今回は閉鎖されていた。「インワの斜塔」というそうな。
監視塔


沐浴犬を発見・・・インワの船着きのそばにいた。暑いので水につかっているなんて、かなり進化していいる。
沐浴犬

ウーベイン橋・・・全長1.2キロの橋はチーク材でできている。ところで、おせっかいな話ですが、この少年僧と少女僧は兄妹でしょうね。そうでないと・・・・「破戒僧」?・・・怖っ!
橋を渡る僧侶

夕景ー1
夕景ー1
夕景ー2
夕景ー2

夕景ー3
夕景ー3

重くてもやはり、一眼のカメラを持って来るべきだった。たとえコンパクトカメラでも「ズーム付き」のカメラがあればよかった。

マンダレーではほかにマンダレー・ヒルというところにも行ったが、つまらなかった。「ミャンマーの聖地巡り」に飽きたのかもしれない。












2013/03/11

バンコクへ

ミャンマーについて

3週間のミャンマー旅行を終えて、マンダレーからバンコクに着いた。
ミャンマーでは、金色(仏塔)の氾濫と、人々が信じられないほど親切で心優しいのが印象的だった。
ただ、都市部での排気ガスと埃が酷かったことや、ナイロン袋やペットボトルなどが大量に散乱していて、いずれ住民の健康被害で出るのではないかと心配になった。

おりしも、つい先日、朝日新聞の単独インタビューに応じたミャンマーの副大統領が、南部の大規模開発に日本政府の協力と資金援助を求めるというような趣旨の記事があった。

ミャンマー巨大開発「日本参加を」 副大統領と単独会見の抜粋 【ネピドー=藤谷健、五十嵐誠】

ミャンマーのニャントゥン副大統領が11日夜、首都ネピドーで朝日新聞の単独インタビューに応じた。アジア有数の経済物流拠点化を目指す南部ダウェイの巨大開発事業について、懸案だった資金受け入れの仕組みを整えたことを明らかにし、日本の積極的な参加に期待を示した。 ニャントゥン氏は昨年8月に海軍司令官から副大統領に就任した。国内外含めメディアとの単独会見は初めて。ダウェイ開発について、「技術や資金力を持つ日本の貢献は互いの利益になる」と述べた。
 アンダマン海に面するダウェイ経済特区の開発は、大型コンテナ船が入れる港や隣国タイと結ぶ道路、工業団地などを整備。総投資額580億ドル(約5兆5千億円)を見込む大事業だ。完成すればマラッカ海峡を経由しない物流ルートの拠点になり、東南アジアとインドや中東、欧州との物資の流れを変える可能性もある。
 
一方、テインセイン政権が掲げる少数民族との和解について、少数民族側には自治権拡大のため憲法改正を求める声があるが、副大統領は改正しなくとも和解は可能との見方を示した。また、国軍が政治に関与する体制については、当面は必要だとの考えを強調した。



<援蒋ルート>と<泰緬鉄道>の幻影

中国との関係が冷めたと噂されるミャンマーの軍事政権だが、今までの中国への交通路(かつての援蒋ルート※1を想起させる)に代わって、今度はまるで「泰緬鉄道」※2の幻影に取りつかれたような印象だ。

※1援蒋ルート(えんしょうルート)とは、日中戦争(支那事変)に於ける大日本帝国と中華民国の対立の際、主にアメリカ、イギリス、ソ連が中華民国を軍事援助するための輸送路のことである。ルートはいろいろあるが、主にビルマルートを指す。

※2泰緬鉄道(たいめんてつどう)とは、第二次世界大戦中にタイとビルマ(ミャンマー)を結んでいた鉄道。旧日本陸軍によって建設・運行された。捕虜を強制労働に駆り出し大量の死者を出したことから、英語圏ではむしろ「死の鉄道(Death Railway)」の名で知られる。映画「戦場にかける橋」で知られる。


こうした巨大開発による自然破壊に加担するより、住民のための公衆衛生などのインフラに手を差し伸べるのが、将来、感謝されるミャンマーへの真の援助だと思う。

インタビューの最後で触れているように、軍事独裁政権の正当性を主張する当事者へのインタビューに、なんの批判的コメントをもつけずに嬉々として報道する朝日新聞の体たらくさにも驚かされた。


バンコク雑感

3月7日にマンダレーからバンコク入り。
宿は前回と同じ「Four Son's Villege」

宿の一階のレストランで、さっそくビール
ホテルのレストラン


イエローカレー
イエローカレー

さつま揚げ
さつま揚げ


カオサンの隣の通りから少し入った所にあるラーメン屋台。
ワッターナンさんのラーメン屋

ワッターナーさん(間違っていたらごめんなさい)
ワッタナーさん

これで10バーツ≒33円なりと安い!
らーめん

パッタイ屋さん・・・タイ式焼きそば。手前に積み上げられているのは春巻き。
パッタイ屋さん

チャオプラヤー川の夕景
チャオプラヤー川










2013/03/14

チェンマイ(Chiang Mai)

3月11日~3月14日

KU:NEL(食う寝る)な日々

バンコクから飛行機でチェンマイへ。本当は、バンコクから夜行の寝台列車に乗ってチェンマイに行くつもりだったのだが、満員で席が取れなかった。やむなくネットで調べて飛行機にしたのだが、エアー・アジアの飛行機だと6000円ちょっとですんだ。鉄道の寝台車の値段とあまり違わないようだ。

宿は「V.I.P.Guest House」といって、ターペー門(Tha Pae Gate)を旧市街に入ってすぐのところにある。エアコン、トイレ、ホットシャワーで400バーツ。部屋が広くてきれい、しかもバルコニーつきである。WIFIも室内でキャッチできて申し分ない。
V.I.P.Guest House

宿の通りにある「イサン料理」の店「Lert Pos」・・・とにかくうまい。
V.I.P.の通りにあるイサン料理の店

焼肉・・・香辛料の入ったたれで食べる。最高!
焼肉

パパイヤのサラダ
パパイヤのサラダ

タケノコの炒め物
タケノコの炒め物

もち米の赤飯
もち米

日本語のコメントがあるので、助かった。
日本語の説明がある


美味しいものを見つけると「飽きるまで」追求する「口卑しい」オヤジは、3回も続けて通った。そして案の定、胃の調子が悪くなってしまった。胃もたれとなんとなくみぞおちのあたりに不快感が感じられた。おそらく香辛料のせいだと思う。

そこであっさりしたものが食べたいとネットで日本食レストランを探していると、「SAKURA」という日本レストランが近くにあった。レストランというより食堂って感じ。タイ人の経営らしいが、値段もそう高くなく、味はそこそこだった。

「SAKURA」

冷やしうどん・・・量が多かった。乾麺2束分くらいあった。麺つゆはまずくなかった。もしかしたら既製品かも。
ひやしうどん

「GOHANYA」という食堂も旧市街にあった。
GOHANYA

そこで頼んだ冷やし中華・・・トンカツが入っていたのにはびっくり。
冷やし中華

朝食は普通のタイ料理の食堂ですましていた。
タイ食堂

定番の朝飯。「ワンタン麺」・・・40バーツ≒120円ほど。
ワンタン麺


チェンマイぶらぶら

ターペー門
ターペー門

旧市街の中の市場・・・左側にパッションフルーツが見えている。
旧市街の市場

ドリアンがさりげなく置いてあった。
ドリアン

お寺の境内の樹にジャックフルーツがなっていた。実際にこうして実っているのを見たのは初めて。
ジャックフルーツ


旧市街のちょっとだけ古寺巡礼

ワット・チェン・マン・・・1296年建立。チェンマイで最も長い歴史を持つ寺院で、王国の宮殿でもあった。
ワット・チェン・マン

ワット・プラ・シン・・・1345年建立。チェンマイで最も格式が高い寺院。
ワット:プラ・シン

ワット・チェーディー・ルアン・・・巨大仏塔。
ワット・チェーディー・ルアン



「SAKURA」では、旅行者ではない中高年の日本人を多く見かけた。

バンコクよりも暑さが厳しくなく、かつ物価が安いチェンマイには、かなりの人数の日本人が長期滞在しているようである。
なかには年金の受給額が少いため、日本で暮らすよりこちらにいる方がまだまし、という理由で滞在している人もいるそうだ。「年金難民」ともいえる現象である。

15日には南部タイのハジャイ(Hat Yai)へ移動
ハジャイはマレーシアとの国境の町。イスラム色の強いところと聞いている。


より大きな地図で チェンマイ~ハジャイ を表示


















2013/03/17

ハッジャイ(Hat Yai)

マレーシア国境に近い町

チェンマイを18:30発の飛行機でハッジャイには20:30分に着いた。2時間のフライトである。

宿は「Cathay Guest House」といって鉄道駅のすぐ近くにあり、僕は念のためチェンマイから予約を入れておいた。
Cathay Guest House

満室のため同じ飛行機で着いた外人たちは全員断られていた。助かった。
満室の表示

宿の廊下
宿の廊下

シーツとタオルは最高に清潔!
シーツとタオルは最高にきれいだった

トイレもきれいに掃除されていた。
トイレはこんな感じ

天井からの扇風機で十分だった。ちょっと暑いなと思ったら、シャワーを浴びた。1泊が750円ほどと安い。
扇風機で十分だ


このハッジャイは夜の7時になると大半の店が閉まるというとんでもない町だった。おかげで、宿にチェックインした後、晩飯をとろうと近所を探したが、どこにも開いている飯屋がない。困り果てて、うろついていると、一軒だけネオンがついているところを見つけた。「中華レストラン」だった。一階は工事中で、2階に上がるように言われて2階に行くと、中央にカラオケ用の舞台のある空間だった。

男女6人ほどの客が宴会で盛り上がっていた。
宴会

レストランにしては少し変な感じだったが、とりあえずビールと焼きそばを頼んだ。
焼きそばを頼んだ


宴会に参加している女性がトイレの帰りに僕の席に来て、「日本人?」といって片言の日本語で話しかけてきた。彼女は「歌手」としてで宴会に呼ばれてきたそうだ。ほかの3人ほどいる女性も皆「歌手」とのこと。要はホステス兼歌手ということのようだった。
彼女に見られながら落ち着かなく焼きそばを食べた。焼きそばは麺がやたら太かったが、おいしかった。
焼きそばの量が多いので残したら、彼女が持ち帰りにしろと勧めたので、そうしてもらった。
へんな勧誘もなく、無事釈放されてホテルに戻った。

翌日、マレーシアのクアラルンプール行きのチケットのブッキングに鉄道駅に行った。
鉄道駅

こじゃれた「喫茶店」を発見。パイナップルとオレンジの「スム―ディ」を注文した。ここはWIFIフリーで速度も速く最高!いまこのブログもここでアップしている。
こじゃれた喫茶店でパイナップルとオレンジのスム―ディを注文した

ファッションモール。ほかに、もう一軒ある。
オデオン

店内で発見したインド式弁当の最新バージョン!カラフルでしかも金属製ではない。まあ、ぼくとしては従来の弁当の方が好きだが・・・
最新版インド弁当

最上階のレストラン街で飯を食っていたら、前方で「子供の美人コンテスト」のようなことが行われていた。マイクがうるさくて耳にガンガン来た。

オデオンの最上階のレストラン街

キャッセイ・ゲストハウスには外人の高齢者の男性が多く宿泊していた。チェンマイの日本人の高齢の男性たちとは違って、かなり旅慣れた感じの人たちに見えた。どういう人たちなんだろう?そういえば。ミャンマーで知り合ったフィンランド人の「ユッカ」君のお父さんもタイの東北部に移住していると言っていた。そういう人々なんだろうか?ヨーロッパ版「年金難民」?非常に興味があった。高齢の女性が単独で宿泊しているのには出遭わなかった。
キャッセイは外人の高齢者の男性がやたら多い


今日の午後4時の列車でクアラルンプールへ向かう予定だ。寝台車は上下2段式だが、上段しか空いていなかった。下段には窓があるのに上段にはないそうだ。おおよそ12時間ほどの旅である。

より大きな地図で ハジャイからクアラルンプールクアラルンプール を表示







2013/03/18

クアラルンプール

KL行き夜行寝台列車

夕方の4時にタイのハジャイを出て、2時間ほどで国境に着き、イミグレの手続きをして再度出発。朝の5時半ごろにクアラルンプールに着いた。タイとの時差が1時間ほどあったので現地時間では6時半。

前の寝台の人の足が挨拶をしている(笑い)
KL行き夜行寝台列車ー1

KL行き夜行寝台列車ー2

上段には窓がないと聞かされていたのに、窓は小さいながらもあった。
KL行き夜行寝台列車ー3


クアラルンプール雑記

クアラルンプールから安宿のあるチャイナタウンへはモノレールに乗り移動。駅前の店で朝飯を食べてから宿探し。
ところがガイドブックの地図がいい加減で、汗だくになって歩いても、目当てにしていた宿にはたどり着けず。やむなく自分で見当をつけて歩いていたら、目指していた宿を発見。急な階段を上ってフロントに着いたら、あっさり満室と断られる。近くに安宿っぽいのがあったので、そちらで交渉する。この宿も「ロンプラ」に載っていたような気がする。ほぼ同じ値段で48RM。日本円で1500円ほど。
KLホテル

シャワーとトイレは共同。ファンとエアコンがついてはいたが、調整つができずに寒くなると切り、暑くなるとスイッチを入れるなんてことをしていた。まあ、そうはいっても、首都にしては、そう悪い宿ではないと思う。
KLホテル室内



セントラル・マーケット
セントラル・マーケット

夜になると屋台が道路を占領する。そいて偽ブランドのオンパレード。
屋台・・・KL


「お粥!」と日本語で声をかけられてふらふらと入った店のお粥。最高!ここのお粥はすごい。
めちゃうまお粥

宿のすぐ近所の店。焼き鳥とビール。ただし、ビールが高い!大瓶が18RM≒570円ほどと日本並みだった。イスラムの国でビールを飲もうという心掛けが間違っているのかもね。
サティとビール

屋台で食べた汁なしそば・・・焼き豚が載っていた。これも美味かった。
KL 屋台の焼きそば


次はマラッカ(Malacca またはMelaka)へバス移動。
















2013/03/19

マラッカ(Malacca,Melaka)

スペイン人のルイス

立派な構えのTBSバスステーション
TBSバスステーション

マラッカまでの高速道路がきれいなのには驚かされた。
高速道路がやたらきれいだった!

バスの車窓からインド式弁当の配達人をキャッチ!各家庭から弁当を集め、ご主人の勤め先に配っているのだと思う。単なる弁当の宅配かもしれないが・・・
インド弁当箱の配達風景を初めてキャッチ

同じバスに乗り合わせていたのが、偶然にも先日ハジャイからクアラルンプールへの寝台車で僕の下段にいた男性だった。挨拶をするとスペイン人ではないか。かれは英語があまり得意でないので、スペイン語で話しかけたら、急に元気が出てべらべらと話し出した。目当ての宿はないと言うので、僕が探していた宿に一緒に行った。
探すのに苦労した宿・・・チャイナタウンにすべきだった

清潔で広い。これで28RM=1000円ほど。ただ、チャイナタウンから離れていて、埋め立て新興地にある宿だった。周りはホリデー・インや高い宿が目白押しだった。その中では格安の宿。まわりがつまらないので、選択が正しかったかどうかは疑問。スペイン人のルイスは、ファンつきの部屋で22RMにしてもらい、喜んでいた。
マラッカのホテル


マラッカのへそ・・・オランダ広場
オランダ広場

オランダ統治時代の砦
オランダ砦

マラッカ海峡・・・「マラッカ物語」を書いている鶴見良行さんのことを思い出した。
マラッカ海峡

ルイスと行った食堂。スペイン人のルイスはなんとベジタリアン。これには驚いた。とても面白い男だ。独身で母親と暮らしている54歳。暇をみては世界中をうろついているそうだ。
ルイスと行った食堂

ルイスはベジタリアンのインド料理に行ったので、僕はお粥やへ行った。
夜はお粥












2013/03/20

金子光晴ゆかりの地

バドゥ・パハ(Badu Paha)

この町に来たのは金子光晴が「マレー蘭印紀行」で長くページを割いているからだ。
僕は今回「マレー蘭印紀行」を東京で買ってきていた。この本、買ったのはなんと5冊目。スペインの我が家の書棚には同じのが2冊もある。(笑い)

金子光晴が滞在した旧日本人クラブが3階にあったという建物。
お目当て金子光晴が滞在した旧日本人倶楽部跡

この「干し魚」のことは、塩辛いイカン・キリンと本の中で触れている。
金子の本に出てくる「干し魚」

中華旅館との看板が見えた。
中華旅館


こうした建物がまだたくさん残っている。これは廃墟。
当時の建物跡

金子が眺めたであろうバトゥ・パハ川の夕景
バドゥ・パハ川



日本人クラブがあった建物の前の川岸には、日没を過ぎると屋台が軒を連ねていた。
川沿いに並ぶ屋台



宿泊した宿。夜中、ダニとバイクの騒音に悩まされ、ほとんど眠れなかった。値段といい、部屋の感じも悪くはなかったのだが・・
バドゥ・パハの宿・・・メイリン

翌朝、この街には、もう少しゆっくりしたかったのだが、痒いのとバイクの騒音がすざましいので逃亡を決意!ジョホール・バル行きのバスに飛び乗った。











2013/03/24

シンガポール

なんで僕がこんな町にいるのかよくわからない?

バトゥ・パハを7時半のバスで出て、ジョホール・バルに2時間ほどで着き、そのままシンガポールへ来てしまった。

ジョホール水道を渡るとシンガポール
ジョホール水道

行きがかりで来たとはいえ、とんでもない町に迷い込んだものだ。
取り立てて興味あるものはなし。ホテルはやたら高い。
そのくせ、B級グルメの「Coco壱」や「吉野家」、「家族亭」などがいっぱいある。ついふらふらと牛丼屋や天ざるなどを食っている。

家族亭
家族亭



最初の宿は、かの「インター・コンティネンタル・ホテル」の真向かいにある「トラベラーズ・コージー・コーナー・ゲストハウス」。
バス駅から暑いさなか、荷物を引きずってたどり着いたら、満室で断られる。泣きを見せたら、「4人部屋のドミトリー」を一人で使わせてやるとの条件(なんと60シンガポールドル=4800円ほど)で1泊だけ泊めてくれることになった。5000円の宿泊代。これには参ったが、もう疲れ切っていて、ただただ条件を受け入れるしかなかった。あのスペイン人のルイスやフィンランド人のユッカが聞いたら「軟弱な」と一喝されそう。

インターコンチネンタル ホテル
インターコンチネンタルの真ん前

トラベラーズ・コージー・コーナーゲストハウス・・・向かいの建物の2階部分
トラベラーズ・コージー・コーナーゲストハウス

この4人部屋を提供してくれた
トラベラーズ・コージー・ゲストハウスの4人部屋


翌朝、追い出されるので、ガイドブックでマークした「ハワイ・ホステル」という別の安宿に出かける。
すると、空き部屋があるとのこと。シングルで窓もあり、クーラーがついていて(もちろんシャワー、トイレは共同)、37シンガポールドル=2960円。早速移動。お世辞にもきれいとは言えないが、そんなことを言ってられない。

ハワイ・ホステル
ハワイホステル



ところで、シンガポールドルだが、ガイドブックには60円と記されていた。てっきりそうだと思っていたら、シティ・バンクでお金を引き出したら、1シンガポールドルは80円となっていた。安倍の円安誘導策のせいだ。ムカッ!


まあ、初めてのシンガポールで、その建築物のすごさに圧倒され、なんやこんなもんとは言いながら、ぶらぶら歩き回ってみた。
昔、「ブレードランナー」という映画を観たが、超モダンな建築物の間に屋台が立ち並んでいる設定はまさにシンガポールそのものだ。変な日本語を話す屋台のオヤジも登場していたし・・・

ラッフルズホテル
ラッフルズホテルー1

ラッフルズホテルー2

ラッフルズホテルー3

マリーナ・ベイ・・・気持ちが悪い!
マリーナ・ベイー1

マリーナ・ベイー2

マリーナ・ベイー3


シンガポール脱出→ジョホール・バル→マラッカ


より大きな地図で マレーシアとシンガポール を表示
マラッカがムラカ(Melaka)と表示されています。



シンガポールにこれ以上いてもしようがないので、ジョホール・バルに移動することにした。
朝、7時半、宿を出てバスターミナルへ。
シンガポールの出国を終え、マレーシアへの入国手続きを終えた時点で、イミグレのビルがジョホール・バルのセントロにあるので、そのまま町に出る。
鉄道駅の前の通りにある安宿を覗いていたら、風体のよろしからぬインド系の若者たちが何人か出入りしていた。
ちらっと見た町の景観は「ミニ・シンガポール」で、「ジョホール水道」の岸辺に立ってやろう、という意欲は萎えてしまった。
ジョホール・バルの遠距離バス乗り場である「ラーキンバスステーション」へ公営バスで移動。
クアラルンプールへ行くにはまだ時間があり過ぎなので、とりあえず「マラッカ」に戻ることにした。

マラッカ行きは11時発というのがあったので、それに決める。
マラッカ着は14時。そこからドメスティックのバスで旧市内へ。先日下車したオランダ広場より2つ先のバス駅で降りる。

「Travellar’s Lodge」に行くが、先日一緒だったルイスは別の宿に移ったと聞く。
その別の宿で聞くが彼はどこかほかに行ったとの情報。

あいにく、その宿は満室で、向かいの宿を紹介される。
45RMでエアコンとファンがついている。シャワーとトイレは共用。1RMは32円ほど。1400円ぐらいか・・・やはりマレーシアはシンガポールに比べると安い。

宿の並びの中華屋で遅い昼飯。イカのピリ辛炒めと缶ビールを注文。これがうまかった。

イカのピリ辛炒め
イカのピリ辛炒め

部屋に戻り昼寝。

夕方、表をぶらぶら歩く。今日は土曜日ということで屋台が路上を埋めていた。

夜店
マラッカの夜店


そして、うろうろと小一時間歩いていると、なんとルイスに出くわしたのだ。偶然が続く。よほど縁があるようだ。

ガジェーゴのルイス・・・旅の達人だ
ガジェーゴのルイス


かれは、近々帰国なのだが、持ち金が底をつきそうだと言っていたので、心配していたら、連日ただ飯を食べさして貰っているということだ。
詳しく聞くと、トラベラーズ・ロッジのすぐ横の「南無阿弥陀仏」という表示のあるビルで慈善活動の飯をごちそうになっているそうだ。昼と晩の2回も通っていると言っていた。感心!あんたはえらい!

同じ宿には日本人の若者が泊まっていて、自転車で世界一周をしているそうだ。一応、スペインに着いたら連絡をしてくれ、飯ぐらい提供するからと名刺を渡しておく。


翌朝、ルイスと会って、日本人の若者を紹介しておいた。
二人はインドで慈善団体のただ飯を食べさせてもらった経験を共有していて盛り上がっていた。
彼らのパワーに脱帽!

少しは爪の垢を煎じさせてもらわないと・・・
1本300円もする缶ビールを飲んでいるようではだめだね。反省!

僕は彼らと別れて、クアラルンプールへ移動した。









2013/03/26

アジアは落ち着く!

1月半ほどの旅でしたが、ほんといい感じで過ごせました。


より大きな地図で ミャンマー・タイ。マレーシア を表示

タイ・・・・・・バンコク
ミャンマー・・・ヤンゴン
        マウラミヤイン
        バゴー(地図では外しています)
        バガン
        マンダレー
タイ・・・・・・チェンマイ
        ハジャイ
マレーシア・・・クアラルンプール
        マラッカ
        バドゥ・パハ
シンガポール

マレーシア・・・マラッカ
        クアラルンプール

以上が今回の道程でした。


今日の夕方、最後の最後に強烈な驟雨を体験しました。
旅の締めくくりにふさわしい雨でした。


さて、今回の旅で、総じて感じたことは・・・

人が優しい!
景観が落ち着かせてくれる!
飯が美味い!
物価も安い!
都市部を除けば、過剰な開発からまだ逃れている!

理由はいろいろ挙げることができると思うが、妙な緊張感もなく過ごせるのは、さすがアジアって感じでした。




航空券の関係で、一度スペインに戻らなきゃならないのですが、ぜひ近々再訪を実現したいと思ています。

今度は、おそらくインドネシア、フィリピンなどを回りたいものです。