2013/08/01

ギュルメ~サムソン~トラブソン


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ギョルメ~サムソンへ

2013年7月29日

午後、13時ギョルメ発。


高速道路は整備されていた

高速道路は整備されていた



ところが途中、休憩が多くて着いたのが、夜中の12時過ぎ。当初聞いていた8時間とはえらい違い。11時間もかかった。



まあ、それはしかたがないとして、バスのスタッフに英語が通じる人が全くいなくて、休憩時間がどれくらいなのかわからずじまいだったため、困ってしまった。たとえば、夕方、8時ごろに停まった時などは、単にトイレ休憩ぐらいだと思っていたら、食事休憩だった。ぼんやりしていたので、食べそこなった。

有料トイレはすごくきれいだった

有料公衆トイレ・・・1リラ(50円)




夕食の風景

夕食風景


そんな、こんなでバスステーション(オトガル)に着いて、市内への足はなく、やむなくタクシーでホテルへ。
ネットで予約しておいたホテルは町の中心で、感じのいい老人の受付の人が、歓待してくれた。

Hotel Necmi・・・1泊朝食付きで19ユーロ。シャワートイレは共同

ホテル Necmi

シーツとエアコンはちゃんとしていた

Necmi室内


サムソンにはアタチュルクの歴史的記念像が立っている

アタチュルクの像

像の前で商売をする靴磨きのオヤジ

像のすぐ横の靴磨きのおじさん




翌日の昼、サムソンは港町だと言うことで、魚料理の食堂に入った

サムソン・魚食堂





カタクチイワシ

フライ

アジフライ

アジフライ


サムソン~トラブソン 2013年7月31日

サムソンに2泊した後、朝9時の便でトラブソンへ向かった。所要時間は6時間。
バスは黒海沿岸を走るので、車窓から黒海の「黒」なるゆえんを必死で探していたが、見つからなかった。まあ、普通の色の海だった。

黒海ー1

黒海ー2

黒海ー3




日本人宿とイランビザ

ホテル・ベンリ

ホテル ベンリ

室内に洗面台があるのがうれしかった。1泊20TL=1,000円。トルコにきてはじめて安い宿にあたった

ホテル・ベンリの室内





僕が到着した時点で、「Hotel Benli」には日本人が7人もいた。全員がイランのビザ取得で滞在している人たちばかりだった。
彼らは午前中に大使館に申請に行き、夕方5時半にもらえるので、待機していいるということだった。
僕は、明日のビザ申請の時に大使館への道を迷わないようにと、彼らの大使館行きに同行させてもらった。宿から7、8分のところにイラン大使館はあった。(Hotel Benliは、イラン大使館に行くのに本当に「ベンリ=便利」なところにある・・・オヤジギャグだね)
大使館の位置を確認してから、僕は近くの写真やでビザ用の写真を撮ってもらった。8枚で15TL(実際は1TLは53円ほどだが、面倒なので50円と換算すると、750円)。


町のへそ・メイダン公園・・・ホテルのすぐ横

町のへそ・メイダン公園


家族に写真を撮るようにせがまれた

家族に写真をせがまれた


トラブゾンが一望できる丘(ボステベの丘)

トラブゾン俯瞰


宿から見た黒海の朝日

黒海の朝日

ロカンタ[大衆食堂)で食事をしている。平均800円ほど。ただ、料理が塩っ辛いので、血圧が急上昇!まずいね
こういう大衆食堂(ロカンタ)で食事をしている


ケバブ削ぎの職人。そのうち自分がそがれるのでは・・・

ケバブ屋の職人


野菜の肉の煮込み料理・・・これは陳列されていたケースのものをすべて盛り合わせた。ということは味は全部一緒?

煮込み料理とご飯。幾分塩っ辛い。血圧上昇

アヤ・ソフィア寺院

アヤ・ソフィア寺院

内壁ー1


内壁ー2


アヤ・ソフィア寺院ー2




イランビザを取得!

噂どおり、午前中に申請して午後に発給された。
最高!


そして今晩(2013年8月2日)のバスでグルジアのトビリシへ向かう


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2013/08/06

グルジア・トビリシ

Hostel Georgia
トルコのトラブゾンを8月2日の夜の8時に出て、グルジア首都・トビリシには翌朝(3日)の9時過ぎに着いた。13時間のバス旅。

バス車内



宿は日本人宿として有名な「ホステル・ジョージア」に滞在。

Hostel Geogi-2


この宿。ドミトリーで10TL(600円ほど)と格安。
僕は「分断睡眠」のため、夜中に何度も目が覚めるのだが、おそらくドミトリーしかないだろうが耐えるしかないと覚悟していた。ところが意外なことに宿のご主人が個室があると薦めてくれた。ダブル分の20TL(1200円)を支払えばよいとのこと。一日600円ほど余分にかかるが、暗闇のなかで明かりもつけずにじっとしている苦行に比べれば、安い出費だと割り切って話にのった。

個室



宿のスタッフ・アナさん

宿のスタッフ・アナさん



宿では夕食が無料で提供される。ワイン飲み放題。
僕は普段は単独行で旅行しているので、こうして、みんなで食事をするというのは初めての経験。結構良いものだ。

夕食ー1


夕食ー2


昼飯に食べたヒンカリというグルジア風水餃子

ヒンカリ


宿の近くであった野良猫

宿近くであった猫



トビリシ駅近くの野菜市場にて

近郊の農家の人たちがここで直接販売しているようだ。ペレストロイカ時代の「自由市場」のなごりなのだろうか。

野菜市場ー1

野菜市場ー2

野菜市場ー3

スイカ専業の農民が直売に来たようだ。仲買とか小売りとかの雰囲気ではなかった

スイカ売りのにいさん

野菜売りの男性


左の男性が僕に「二人の写真を撮ってくれ!」と声をかけてきた。右のオヤジは少し恥ずかしそうだった。

スイカ売りの親父たち


トビリシ駅前の地下バザール

地下バザール

地下バザールー2





おそらくソ連時代に建てられた建物

古い建物ー1

古い建物ー2

古い建物ー3

集合住宅で内部に中庭がある。

古い建物ー4


古い建物ー5



トビリシぶらぶら






移動に便利なメトロのプリペードカード

メトロカード


メトロのエスカレーター・・・核シェルターを想定して造られたと言われるだけあって、深さといい傾斜といい半端ではない。そのうえ、スピードもかなりのものだった。

メトロ


メトロー2



自由広場と市庁舎

自由広場と市庁舎


シェヴァリス・ママ教会

シェヴァリス・ママ教会

メテヒ(聖母)教会

メテヒ(聖母)教会


同じくメテヒ教会

ナリカラ城塞

ナリカラ城塞


ナリカラ城塞


スィオニ大聖堂?

おそらくスーオニ大聖堂?

グルジア聖母像・・・第二次大戦中に国威発揚のために各地で作られたもののひとつだそうだ

グルジア聖母像


ピース・ブリッジ

平和橋ー1


平和橋ー2

平和橋ー3


こうした斬新なデザインの建築物がそこかしこで見られる

斬新なデザインー1


ムトゥクヴァリ川

町中に流れるムトゥクヴァリ川-1


こうして川を挟んで新旧の町があるという構図は、ハンガリーのブタペスト(ブタとペスト)の町を思い起こさせられた。

ムトゥクヴァリ川ー2


半地下の八百屋

半地下の八百屋


蚤の市

のみの市


カジノ

カジノ


テアトロ

ユニークなテアトロ


路面電車の再利用

路面電車の再利用


こうした彫像はまちなかに溢れている

こんな像がところどころで見られた




自由広場横の公園

自由広場に隣接する公園


僕にとって「グルジア」という国は、あの「革命の墓堀人・ビッグブラザー=スターリン」の故郷だという意識が強烈にインプットされていて、どうしてもその先入観から逃れることが難しかった。そういう固定観念に縛られて、街歩きをしていると、あの斬新・奇抜なデザインの建築物群も、どこかジョージ・オーウェルの「1984」やザミャーチン「われら」の世界と繋がって見えて仕方がなかった。









2013/08/08

エレバン(Yerevan)

グルジア・トビリシ→アルメニア・エレバン 2013/08/08


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朝、7時半に宿を出て、トビリシ駅前のアルメニア行きミニバス乗り場に向かった。ところが、予定していた8時のミニバスは見当たらずに、次の11時のミニバスしかなかった。3時間以上も待つのはさすがにつらいので、Ortachaiaバスターミナルに移動。
そこで、アルメニアから来ているタクシー(もちろん白タク)の関係者から声をかけられた。40TL(2,400円ほど)で、エレバンのセントラルまで行くとの話だった(ちなみにミニバスだと30TL)。同じ乗客に英語を話す若者がいたので、安全かどうか尋ねたのだが、問題ないとの答えだったので、タクシーで行くことにした。

ちょいと怪しそうなオヤジとホンダ

怪しいオヤジとホンダ

アルメニア人のドライバー

運転手

英語を話すアルメニア人の青年

英語を話す青年

アルメニア人のおばさん

乗客紹介

グルジア側の田園風景

車窓ー1

ひまわり畑

車窓ー2


アルメニア側に入ると山間の道を走る。貨物列車とすれ違った

車窓ー3

この日はあいにく小雨が降っていた

車窓ー4



パンを買うために停まった村

パンを買いに停まった村


パンを小脇に抱えるドライバーと英語青年

ドライバーと英語青年がパンを買ってきた


おばさんが作ってくれたサンドイッチ。チーズとハムが入っていた。ほかにマンゴージュースも頂いた

おばさんが作ってくれたサンドイッチ。ほかにマンゴージュース




車窓ー5



車窓ー6



車窓ー7


山間部を抜けると、あたりは一面の草原だった

車窓ー8


車窓ー9・・・草原が出現


結婚式に出会った

結婚式に出会った


草原の向こうにエレバンの町が出現

草原の中にエレバンの町が見えてきた



目的地のエレバン鉄道駅

エレバン鉄道駅


駅の近くの日本人宿へ向かったのだが、満室だった。庭に置かれているソファーなら寝られると言われたが、疲れていたので他を当たることにした。




猫は歓待してくれたのが・・・

歓迎の挨拶をしてくれる猫

ザックが置かれている横のソファーだが、あそこで寝るのは、老体には少しきつすぎる

ザックの置いてあるソファー

駅前にいたタクシーの運ちゃんに声をかけて紹介された宿・・・これが開業3年のホステル。ドミトリーは広々していたし、洗面所とかシャワールームも清潔だった。洗濯機もあり、朝食付きで6,000AMD(日本円で1,500円弱)。もちろんフリーWIFI.しかも受付の女性は英語が完璧だった。

イレバン ホステル

ホステル イレバン


2段ベッドが4台入っている。1泊が1500円、朝食付き。フリーWIFI


すぐ隣にもホステルがあるが、そちらはどうやら「御商売のひとたちの宿」のようだから、間違えないように


Yereva Hostel

Armenia,Yerevan,5 Tpagrichner St.

Tel:+(374 10)54 77 57
Mob:+(374 99)08 08 09

yerevanhostel@gmail.com


2013/08/09

アルメリア首都

エレバン市内を歩く 2013年8月9日(金)

有名ブランドが入ったビルが立ち並ぶ「オペラ座」への通り

有名ブランドが並ぶオペラ座への通り

オペラ座裏側
オペラ座



洒落たカフェが軒を競うオペラ座周辺
おしゃれなカフェがならぶ



カフェ―2




アルメニアの母像・・・・グルジアで見たのと同じ構図だった

アルメニアの母像





Matenadaran(マテナダラン)古文書館・・・アルメニアの古文書や写本が保管されている。最古のものは5世紀。彩のきれいな写本がいっぱいあった。でも、アルメニア正教やアルメニアの歴史に何の知識も持たない僕には、ほとんど、関心が持てなかった。浅学の哀しさ。

古文書館ー1



古文書館ー2

古文書館のバルコニーからアトラス山が見えた

古文書館のバルコニーからアトラス山が


アトラス山ー2





カスケード・・・カタラクトなどに通じる言葉で滝とか階段状のものを指す。ソ連・アルメニア共和国成立を記念して建てられたそうだ。内部にはエスカレーターがあり、楽に頂上部まで行ける

カスカーダ



カスケードの前の広場の彫像

彫刻群ー1


カスケード彫像ー3


彫刻群ー2


カスケード頂上部から見たエレバン市内

カスカーダの上から見たエレバン市内





とてつもなく広い共和国広場

共和国広場-1


広場の正面に建つ博物館

博物館ー共和国広場


正面から向かって右に政府機関の建物

財務省などの政府の建物









この日は宿のドミトリーを独り占め!

そしてこの日は部屋を独り占め・・・過ごしやすい






2013/08/13

エレバンから一日遠出!

Garni(ガルニ神殿跡),Geghardavank(ゲガルド修道院),Sevan(セヴァン湖)  2013年8月10日(土)

宿の壁に貼られている遺跡ツアーの案内を見たら15,000AMD(4,000円強)で行けると分かったので申し込んだら、人数が揃わないとだめだとのこと。結局、ひとりで車をチャーターしてゆくことになる(40,000AMD=10,000円ほど)。高いと思ったが、3か所全部回ると2日はかかるからと勝手な納得をしてしまった。後日大手のツアー会社の案内を見たらミニバスで2日で6,000円ほどで行けるプランがあった。甘いね!反省!

まあ、とはいっても、車をチャーターしたのだから、効率的に回れた。ドライバーは英語が少ししか話せなかったが、紳士的な青年で気持ちが良かった。





Garni(ガルニ)神殿跡・・・1世紀に建てられたヘレニズム建築


ガルニ神殿ー1






ガルニ神殿ー2








ガルニ神殿ー3






ガルニ神殿-4






ガルニ神殿ー5






ガルニ神殿ー6







ガルニ神殿ー7






ガルニ神殿ー8













Geghardavank(ゲガルド修道院)・・・・現存する建築物は12世紀~13世紀に建てられたものだが、背後の無数の洞窟は4世紀~10世紀のもので、洞穴修道院と呼ばれていたもの


ゲガルドー1







ゲガルドー2







ゲガルドー3









ゲガルドー4







ゲガルドー5









ゲガルドー6








セヴァン修道院・・・・874年に建立。もともとはここはセヴァン湖に浮かぶ島だったのが、ソ連時代に水位がさがった


セヴァン湖ー1








セヴァン湖ー2








セヴァン湖ー3









セヴァン湖ー4









セヴァン湖ー5












Echimiadzin(エチミアジン)大聖堂・・・・修復中だった。ここがアルメニア正教会の総本山



エチミジアンー1









おなじみのアトラス山が見える場所。残念ながら霞んでいた

おなじみのアトラス山カット



2013/08/14

イラン入国

9月10日(火)現在地はウズベキスタンのヒヴァ
ここウズベキスタンでもネット規制がきつく、ブログの更新がうまくゆかない。なぜかロシア語の表示のページに行きついてしまう。宿のお兄さんに聞いたら、政府がブロックしているとのことだ。
なかなか、多難!


2013年8月13日 イランへ急遽、空路で入国


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突然、腰痛が出て、このままでは旅が続けられないといった深刻な事態に陥った。今にして思えば、予兆はトビリシにいたときから脚に激痛が走って歩けなくなることがあったのだが、それがどこからきているかがわからなかった。
そして、エレバンでたまたまホテルが満室になり、引っ越しせざるを得なくなったときに、荷物を持ったら腰に激痛が走って、うずくまってしまった。
それでも、今回は、せめてイランだけには行っておこうと思い、航空券を探すとイラン航空のチケットが思いのほか安く手に入ったので、飛行機で行くことにした。


アルメリア出国時になぜか検査官に出国についていちゃもんをつけられる。この後、イランからどこへゆくのか、チケットはあるのかなど・・・どうしてアルメリアの検査官がそういうことを問うのかわからない。イランの検査官が言うのならわかるが・・・ごたごたがあったが、なんとか無事出国できた。
アルメニアの空港のイミグレの検査官やセキュリティーの係官の高圧的な態度をみて、この国がいまだに、ソビエト時代の官僚制国家から抜け出ることができていないと感じた。

チェックインの行列の時に、自称「シマさん」というイラン人女性に話しかけられる。名前は知り合いの日本人から教えられた呼び名を使っているとのことだった。彼女はロンドン在住の学生で英語がペラペラだった。
イランに入国後、僕が当初行こうとしていた「ホメイニ広場」近くのホテルは、夜は危険だから、安全なホテルに泊まるようにと諭された。そこで、前日に航空券を買った時に代理店で教えてもらったホテル「Hotel New Naderi」に行くことにする。また、両替にもついてきてくれて、最後はエアポートタクシーの窓口でタクシーチケットを入手するのを見届けてくれて別れた。ほんとありがとう、「シマさん」。最高のホスピタリティに感激。
イラン人はトルコ人と同じで感じが良い。考えてみたら、グルジアとアルメニアではこうした雰囲気を感じなかった。みな一応に暗くて、なんとなく閉鎖的だった。両国はキリスト教国だ。トルコとイランは、シーア派とスンニ派と宗派は違うが同じイスラム教国。この対比がなぜかおかしい。


エアポートタクシーの運転手は年配の少し英語を話す人で、ずいぶん親切な人だった。ただし、「NEW NEDERI HOTEL」に行くところが、「NEDERI HOTEL」になってしまった。結果オーライで、NEWの方だったら30ドルと聞いていたのだが、こちらは18ドルですんだ。
疲れているので2泊することにした。焦らずにゆこう。

いろいろあった。
身体が結構疲れていた。飛行機の中でしんどかった。
まあ、無事にイランに入国ができて良かった。

イラン入国が8月14日なので、滞在期限は9月の12日までということを気に留めておくこと。






2013/08/20

イラン南東部・・・その1

イラン南東部を小旅行(8月19日~25日)


その1 Shiraz(シーラーズ)編




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イランの飛行機は安い。シーラーズまでが4,000円ほどだった。もっとも飛行機は耐用年数ぎりぎりだそうだ。
機上から眺めた風景は一面砂漠。そこに緑の部分が時々見える。オアシスか人工的に作った町か。


Shirazの町はTehranの南600キロにあり、標高1,600メートルに位置しているので気候は穏やか。実際、真夏の今日も日差しは強烈だったが、一歩日陰に入るとわりと涼しく感じる。


さて、ここのハイライトは
PersepolisとNaghsh-e Rostam  Nagsh-e Rajab 3か所の遺跡めぐり



まずはNaghsh Rostam
4つ王墓が並んでいて、左から順にアルタクセルクセス1世、クセルクセス1世、ダレイオス1世、ダレイオス2世となっている。


ナガシュ・ロスタム遠景・・・岩の壁に4つの墓が刻まれている。
遠景

左端のアルタセルクス1世の墓
左端

これが一番有名なレリーフで「騎馬戦勝図」・・・騎乗の人がササン朝シャブールー1世、左が捕虜となった東ローマ帝国皇帝ヴァレリアヌス
騎馬戦勝図






次に訪れたのはNaghsh Rajab

ササン朝初期のレリーフが残されている。

こんな岩の奥にあった
Rajab遠景


レリーフー1


レリーフー2


レリーフー3

全部で4つのレリーフがあると記されていたが、うかつにも3つしか気づかなかった。なにしろ、「イランのガイドブック」を持っていなかったので、あとで、トルコで同宿した方から頂いた「地球の歩き方」のPDF版で確認するという始末。タブレットでも持っていたら、現場でも確認できるのだが・・・






最期は本命のPersepolis(ペルセポリス)

ギリシャ語で「ペルシャ人の都」という意味。
紀元前512年ごろアケメネス朝のダレイオス1世が建築に着手し、その子のクセルクセス1世が完成させた。総面積12万5000㎡。紀元前331年アレクサンダー大王によって破壊された。



クセルクセス門
門・・・遠景



2



3



4



5



6



ウマの顔


菊の御紋のようなレリーフを見ると、かつて「天皇中東起源説」なんてことが言われて時代を思い出した
菊の御紋



うまアップ



7



8



9


この描写力!
10・・・かみつくライオン



11



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13


謁見の間(アバダーナ)・・・林立する円柱
14



15



16



一周して元の門へ戻った
一周して元の門へ


これが紀元前331年前のものとはにわかに信じがたい思いがした。
遺跡マニアでもない僕でさえ感動した!









キャリーム・ハーン城塞・・・シーラーズの市内にある城塞

城塞

撮影ポイントが指示されていた(笑い)
撮影ポイントが指示されていた


その地点から撮ると・・・
その場所で撮ると


シーラーズの中心街・・・ザンド街
シラーズの中心街・・ザンド









2013/08/23

イラン南東部・・・その2

Esfahan(エスファハーン)編


夜行バスで8時間ほどかけて次の町エスファハーンへ向かった。バスは何と驚きの3列シートの豪華バス。スナックがついていた。それで運賃は700円ほど。

さて、到着した宿はどこもいまひとつ。
[Amir Kabir]・・・ご存知安宿で有名。ここはドミトリーなら意味があるが、シングルだと10ドルで、部屋は狭すぎ。朝食も有料だし決して安いとは思えない。

アミール・ギャビール




[Iran Hotel]・・・ここは最初から狙っていた宿だが、朝8時に訪れたら、受付の爺さんんが結構意地悪で、12時までフロントの横で待機しろといった。疲れていたので諦めてアミール・ギャビールに行った。次の日、再度交渉に行くと今度はえらく感じの良い受付の人がいて、シングルは一日しかないが、オーナーに話してやると言って電話をしてくれた。結局、ダブルで30ドルの部屋をシングル料金の16ドルで泊めてもらうことになった。朝食付き。

イランホテル


イランホテルー2



<エマーム広場>


エマーム広場ー1


エマーム広場ー2




マスジェデ・エマーム(Masjed-e Emam)

サファヴィー朝を代表する建築物。アッバース1世の命を受けて1612年に着工、王の死後1638年に完成。残念ながらドームが改修工事中だった。


正面のエイヴァーン(門という意味か?)と奥の門が二つ見える。奥の門はメッカの方角に向いている
正面の門と中の門


正面の門
正面の門


正面の門の天井
正面の門の天井


礼拝堂の天井
ドームー1


ドームー2



ドームー3



ドーム内部ー4




「Masjed Sheykh Lotf-o-lah=マスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラー」


1601年着工。18年の歳月をかけて建設された。レバノンの説教師・シェイフ・ロトゥフォッラーを迎えるために作られたもの


引き絵


正門


内部ー1



内部ー2




Kakh-e Ali Ghapu  アーリー・ガープー宮殿


遠景ー工事中



プレート



壁の画



音楽室の天井



音楽室の天井ー2



音楽室の天井ー3



バザーレ・エスファハーン
このバザールは延々とマスジェデ・ジャーメまで続いている(歩いて30分ほどある)。僕が驚いたのは、こうしたバザールがどの町にも必ずあるのだが、その規模が人口に見合わないぐらい大きいのだ。

バザーレ・エスファハーンー1


バザーレー2


バザールの中の土産物屋で売られている商品の実演
金物師



金物師ー2


バザールの中の洒落たカフェ。トルココーヒーがおいしかった。
カフェ



バザーレー3








Masjed-e Jame マスジェデ・ジャーメ

8世紀の建築。焼失したので12世紀から14世紀にかけて再建。
エマーム広場から30分ほど歩く。Ghyam 広場=メイダン・ギャーム近く。


マスジェデ・ジャーメ入り口
マスジェデ・ジャーメー1


中庭から
中庭から


天井の彫刻
天井の彫刻


見事な柱廊
柱に注目ー1



柱ー2





柱廊ー3



柱廊―4



中から中庭



中庭と正面





スィーオ・セ橋

エスファハーンにはこのほかに有名な橋がいくつかあるが、今は乾期で水がないので割愛した

スィオーセ橋ー1



橋ー2



橋ー3



橋ー4



橋ー5







Jolfa(ジョルファー)地区とVank Cathedral(ヴァーンク教会)

アルメニア人の居住するJolfa(ジョルファー地区)にあるアルメニア正教の教会。1,655年から66年にかけて建てられた。アッバス1世がアルメニア人を彼らの経済活動の能力を買ってアルス河畔のジョルファーから呼び寄せた。そして彼らのために信仰の施設を作ったのがこの地区で13ほどあるアルメニア教会の始まり。その中でも、このヴァンク教会が有名。アルメニア人の経済活動の能力が生かされてエスファハーンの新都市建設や道路の改善、隊商宿の充実などがその成果と言われている。アッバス1世はササン朝ペルシャの5代目の王(1588~1629在位)。アッバス大帝と呼称されえる名君。

ヴァーンクカテドラル入り口



櫓



室内ー1



室内ー2



室内ー3



中庭から













2013/08/24

イラン南東部・・・その3

ヤズド編

エスファハーンからバスで移動。


チョンボというか間違いだらけの一日だった。

まず、ホテルを出てバスターミナルまでのタクシーを掴まえたのは良いが、ドライバーがターミナルは2つあるという。もしかして行き先によって違うのかもしれない。ヤズ。ヤズを連発したら、オーケーと言って納得したので、走り出した。ところが、かなりの距離のところまで行くので不安になり、ヤズ、ヤズを再び連発。ドライバーはわかっとる!といって無視。かなりの距離走ってバスターミナルに到着。このターミナルが先日着いた時のターミナルかどうかわからない。とりあえず、チケット販売の窓口に行き、ヤズ行きを購入。8時発のバスだった。1時間ほど時間を潰して、出発。ところが、30分も走ると、バスはもう一つのバスターミナルに着いた。こちらはEsfahanの街中からごく近いところにある。なんだか出だしから、うまくいっていない。

次にバスが出発したのだが、クーラーの効きが強すぎて震え上がっていた。窓のカーテンが閉じられ、前方の運転席の前のウィンドウもブラインダーが半分以上下げられたので、まるでカーテンでできた棺桶に閉じ込められたような感じだった。
走ること4時間半ほど。途中ちらっと見えた標識ではYazdは直進してゆくはずなのに、バスはなぜか右折してYazdから遠ざかって走っていた。そして、訳の分からない路上で、突然、ここがヤズだから降りろ!と下ろされてしまった。あたりには町の雰囲気はない。
タクシードライバーが近寄ってきて、どこのホテルに行くのか?と尋ねたので、「シルクロード」というと、知っているから案内するという。ほかに手段がないので、やむをえず乗ることにする。
そして、走ること20分ほど。
「ここがシルクロードだ」と言われて降りる。なんとも立派なホテルである。しかも周りには商店とか民家とかがない。道路沿いにぽつりと立っているのである。
看板を見ると「SHIRKOO HOTEL」と書かれている。


シルコ―ホテル


「シルコ―ホテル?」・・・「シルクロードホテル」とよく似ている!


もしかしたら、間違いでは?とは思ったが、タクシーのドライバーはすでにいない。
ホテルに入り、受付の女性に「ここはシルクロード・ホテルですか?」と聞くと「そうです」との返事。なんだか腑に落ちないのだが、「予約はしているのだが」というと、「オーケー」という。
「ほかにヤズには同じ名前のホテルはないのか?」の質問には「ここだけだ」との答え。
英語がほとんど通じないのでどうしようもない。
「ホテルのスタッフに英語を話す人はいないのか?」と聞いたが、「だれも話さない」との答え。どう考えてもおかしいのだが、「ここはヤズか?」と聞くと「そうだ」との答え。
では町の中心はどこだ?と尋ねると意味が通じない。紙にホテルの位置や「沈黙の塔」の位置などを書いて説明を求めるがらちが明かなかった。
結局、後でわかったことだが、チャーターしたタクシーのドライバー(彼は英語を少し話した)に聞くと「ここはヤズドから少し離れた郊外」とのこと。「なんで、こんなはずれに泊まっているのだ?」と聞かれて愕然とする。
バスで変なところで降ろされたことといい、次に捕まったタクシー運転手といい、運の悪いことが続いた結果だ。
まあ、バスで降ろされたときに近寄ってきたタクシーの運転手に「シルク・ロードホテル」の住所を見せなかった僕が一番悪いのだから、笑っているよりしょうがないね。
夕食はホテルで食べた。というよりほかにないのでここで済ませた。

驚きのチョンボ!最低でした!

ホテルは超豪華です。4つ星クラスですね。これで値段が1,800円ほどでした。

超豪華なロビー


滞在していたのはYazdから10キロほど離れたTaftという町だった。
ということはYazdには滞在していないことになる。






ヤズドは拝火教「ゾロアスター」遺跡で有名

ゾロアスター教寺院(アーテシュ・キャデ=Atesh-Kade)
アーテシュ・キャデ外観



1500年燃え続けているという火・・・背後にカメラを構える私が・・



アミール・タグマーグのタキイェ

15世紀に建てられた寺院やバザールなどの複合施設。
複合施設ー1


その前の彫像



沈黙の塔(ダフメイエ・ザルトシュテイヤーン=Dakhme-ye Zartoshtiyan)


沈黙の塔



集会場や死体安置所などの施設



塔入口



塔の頂上部分



拝火教の葬儀では死体をこの塔まで運び上げていた。そこで鳥が死体を掃除していた。いわゆる鳥葬。
下の建物は集会場とか遺体置場だそうだ。





※ここでお勉強・・・ゾロアスター教についてウィキペディアより抜粋

ゾロアスター教(ゾロアスターきょう、ペルシア語: دین زردشت‎ /Dîn-e Zardošt/、英語: Zoroastrianism、ドイツ語: die Lehre des Zoroaster/Zarathustra)は、古代ペルシアを起源の地とする善悪二元論的な宗教である。『アヴェスター』を根本経典とする。

ゾロアスター教の起源は古く、紀元前6世紀にアケメネス朝ペルシアが成立したときには、すでに王家と王国の中枢をなすペルシア人のほとんどが信奉する宗教であった[1]。紀元前3世紀に成立したアルサケス朝のパルティアでもヘレニズムの影響を強く受けつつアフラ・マズダーへの信仰は守られ、3世紀初頭に成立した、後続するサーサーン朝でも国教とされて王権支配の正当性を支える重要な柱とみなされた[1]。ゾロアスター教は、活発なペルシア商人の交易活動によって中央アジアや中国へも伝播していった。
7世紀後半以降のイスラームの台頭とペルシア人のムスリム化によってペルシアのゾロアスター教は衰退し、その活動の中心はインドに移った。17世紀以降のイギリスのアジア進出のなかで、イギリス東インド会社とインドのゾロアスター教徒とのあいだで関係が深まり、現在、きわめて少数派ながらインド社会で少なからぬ影響力を保持している[2]。
ゾロアスター教の教義は、善と悪の二元論を特徴とするが、善の勝利と優位が確定されている宗教である。一般に「世界最古の一神教」と評されることもあるが、これは正確ではなく、その教義のなかではアムシャ・スプンタなど多くの神々が登場する。
















2013/08/31

カスピ海沿岸の旅―その1



カスピ海沿岸(ラシュト、バンダーレ・アンザーリ、ラムサール)



より大きな地図で カスピ海沿岸 を表示







ラシュト(Rasht)とバンダーレ・アンザーリ(Bandare Anzali)



テヘランからバスで5時間。カスピ海沿岸の町・ラシュトに向かった。
翌日、ここから乗り合いタクシーで野鳥の天国として有名な「バンダーレ・アンザーリ」まで日帰りで行った。


バンダーレ・アンザーリ


河口でボートに乗り込む
潟を行くー2





バカげたスピードで飛ばすボート・・・おかげでうまく写真が撮れなかった。
スピードボート






潟を行くー3





ハスの群生





ロータスの群生と鳥
潟を行くー1










ロータスの華
ハスの華



ロータスの華




渡り鳥




DSC_7921.jpg




河口・・・その先がカスピ海
河口・・・向こうがカスピ海






ラシュト(Rasht)

ホテル・カルヴァン


ホテルのオヤジの孫娘
孫娘



一階の食堂で食べた魚フライ・・・カラッ揚げられていて、美味かった。
一階の食堂で食べた魚フライ






ラシッドのバザール

このバザールは陽気な人が多かった。映っているのは写真を撮ってくれ!と言われた人たちばかりである。
魚屋2人



魚ー1



魚屋ー2
バザール遠景




魚ー3




からすみ?




3人グループ




魚ー4



ハエ除け?に煙を焚いていた
ハエよけの煙



にんにくをつけ汁に漬け込んだもの
にんにくをつけ汁に




味噌のようなもの・・・調味料?
味噌のようなもの・・・調味料?




店番のお兄さん




果物うりー1





果物売りー2