2014/08/02

ガザでの大虐殺に抗議する中南米諸国

イスラエルに中南米が反発、大使召還する国も
ウォールストリート・ジャーナル 7月31日の記事より・・・上記の下線のある部分をクリックすると記事が読める!


アメリカの暴力的支配を歴史的に身をもって体験している中南米諸国だからゆえに、アメリカが支援するイスラエルの非人道的行為がいかようなものかを知り尽くしているのである。

アメリカとイスラエルという似た者同志の『人口国家』の共通点は、先住民がいる土地に押し入り、土地を強奪し、住民を大虐殺してきたという歴史的事実にある。ちなみに、もうひとつの『人口国家』は中国東北部に旧日本帝国が樹立した「旧満洲国」である。


アメリカはアメリカン・インディアンを、イスラエルはパレスティナ人の土地を強奪し、虐殺してきたのである。

両国の横暴さの精神的支柱は「自分たちは例外的な存在である。それゆえに自分たちは何をしてもよいのだ」という救いがたい選民意識にある。

ところで、安倍首相はカリブ海の国を訪問しているようだが、アメリカによる中南米支配の歴史を知っているのだろうか?



2014/08/06

釜山〜ソウル


釜山の町

『旧満州国』に行くのに、当時日本の植民地支配下にあった『朝鮮』を経由して行こうと計画した。
ソウルから大連にフェリーが出ているという情報があったので、まずは釜山へ行った。

ネットで探した宿は、釜山駅前の「東横イン」のすぐ裏手の安宿街にあった。

釜山駅
釜山駅




ラブホテルのような外観の宿
ネオンがいかにもの宿



チャガルチ市場

チャガルチ市場





チャガルチ市場2




エイのヒレを売っている店が多かった
チャガルチ市場 エイのヒレ





チャガルチ市場 蛸



うなぎ
うなぎ




焼き魚
焼き魚




釜山港
釜山港



釜山駅近くの屋台群
屋台群




チゲ鍋
チゲ鍋




ソウルへ
釜山から木浦や水原などによってからソウルへ行こうと思っていたのだが、木浦のほうに台風が来るようなので、諦めてソウルに直接向かった。

新幹線で2時間45分でソウルについた。
ソウル行きの新幹線



宿の名前がなぜかスペイン語の女友達=アミガ。ところが宿は英語でイン。この宿がなかなか見つからずに右往左往した。
宿自体は家族経営で親切だし、どこへ行くにも便利だった。
スペイン語の宿・・・アミガ・イン



『宗廟=チョンミョ』
李氏朝鮮王朝の歴代の王と王妃と功臣の位牌が祀られ、祭祀が行われている廟堂。1395年に、朝鮮王朝の始祖である太祖李成桂により建てられた。正殿には太祖をはじめ歴代の19人の王と王妃が、永寧殿には16人の王・王子と王妃が、功臣堂には83人の功臣が祀られている。現在も、毎年5月に全州李氏宗家によって祭祀が行われている。1995年に世界遺産(文化遺産)に登録されている。
宗廟・・・全体1




世界遺産の宗廟2





宗廟3




廣蔵市場

廣蔵市場1



廣蔵市場2




廣蔵市場3




廣蔵市場4ちじみ




暑い昼は冷麺にかぎる!


東大門南大門


東大門
東大門



南大門
南大門


安重根記念館
伊藤博文暗殺事件とは・・・
1909年10月26日、伊藤博文(暗殺当時枢密院議長で、同年6月に韓国統監を退任)は満州・朝鮮問題に関してロシア蔵相ウラジーミル・ココツェフと会談するためハルビン市(哈爾浜)に赴いた。
午前9時、哈爾浜駅に到着し、伊藤は車内でココツェフの挨拶を受けた後、駅ホームでロシア兵の閲兵を受けていた。そこに群衆を装って近づいた安重根が拳銃を発砲した。<Wikipedea より>


安重根記念館・・・1970年に建設された
安重根記念館1



安重根の写真
安重根写真


取り調べ中の安重根
取り調べを受ける安重根



安重根の書
安重根の書

安重根の死刑を執行した「関東都督府」の都督・大島義昌は、安倍晋三の高祖父にあたる。
当然、安倍にとっては高祖父が死刑を言い渡した安重根は、テロリストであり犯罪者でなくてはならない。


中国のハルピン駅の「安重根の碑」について
2013年11月19日の菅官房長官発言。
菅官房長官「安重根は犯罪者」 中韓による石碑建立計画に強い不快感 
菅義偉官房長官は19日午前の記者会見で、初代首相で初代韓国統監を務めた伊藤博文を中国・ハルビンで暗殺した安重根をたたえる石碑の建立計画が韓国と中国の間で進められていることについて「わが国は、安重根は犯罪者であると韓国政府にこれまでも伝えてきた。そうした中でこのような動きがあるのは日韓関係のためにはならないのではないか」と述べた。 石碑は、暗殺現場となったハルビン駅に建立する計画で、韓国の朴槿恵大統領が今年6月に中国の習近平国家主席に協力を要請。ZAKZAKより


中国は以前はこの石碑の建設を認めていなかったが、安倍政権による、中国や韓国での侵略戦争の事実を否定する歴史修正主義の動きに対抗するかたちで韓国の要望が承認されたのである。自らが蒔いた種に逆ギレしている、としか思えない安倍政権。

今年の1月にブログに書いた記事。
◎安重根とテロリスト
中国のハルピン駅前に建てられた「安重根」の記念碑に菅官房長官が噛み付いた。伊藤博文を暗殺した安重根はテロリストであり、そんな人間を顕彰するのはテロリスト賛美だ、と批判。時の権力に立ち上がったものはテロリストであるということだそうだ。ならば、日本人が大好きな年末恒例の「赤穂浪士討ち入り」なんてのは大テロ事件になるのだろうね。そうそう、長州藩の吉田松陰もテロリスト。明治政府の元勲なんて、みんなテロリストだ。
僕は、あの赤塚不二夫の漫画に出てきたようなキャラの顔をした官房長官が大嫌いだ。


安重根の死を悼む『孫文』の書
孫文の書



安重根の像
安重根の像


日本の安重根記念碑
「千葉十七」という、たぐいまれなる感性を持った日本人のことを今回、初めて知った。

日韓近代史に秘められた「心の絆」
安重根と千葉十七の記念碑を訪ねて

大林寺は、1910(明治 43)年「日韓併合」の直前、韓国独立義兵闘争のなかで日本の初代首相伊藤
博文公をハルビン駅頭で射殺した後、処刑された安重根(韓国独立義兵軍参謀中将)の祖国愛と人格に
共鳴した千葉十七憲兵の菩提寺である。
千葉は、旅順獄中に囚われの身となった安重根の特別看守を命ぜられ、処刑までの間、安の人となり
を知るようになり、生涯にわたり安を崇慕する運命をたどった。
1910 年 3 月 26 日、処刑 5 分前の朝、安は千葉のために「為国献身軍人本分」の遺墨を贈り、以来 70
年間にわたり千葉家一族によって大切に保存されてきた此の書は 1979 年(安生誕百周年)に韓国へ返
還され、今は国宝指定となった。
追って 1981 年、安の命日に、此の遺墨を刻した「安重根と千葉十七の追念碑」が大林寺に建立され
た。「日韓永遠の友好を祈念して」と揮亮された当時の故山本壮一郎宮城県知事の発願とともに、毎秋
「祖国を思う心」で結ばれた二人の追念供養が続けられている。日々、韓国からの来山者が参拝され、
日韓善隣の大切さを痛切に感じた二人の心を通し、歴史を厳粛に問い直そうとする多くの人々の思いの
場となっている。

大林寺
〒989-5505 宮城県栗原市若柳大林町裏219
電話 0228(32)2020

安重根義士と千葉氏の顕彰碑文
国の衰亡を見たって義兵を興し救国の英雄となった大韓義兵軍安重根参謀中将(1879~1910)時に
1909 年(明治 42 年)10 月韓民族の主権を奪う日本の大陸侵攻の先鋒と見られた伊藤博文公は彼の手
のもとハルピン駅頭に殉じた。
比の事件は日本にとっては痛ましき国家元勲の死であり韓国にとっては悲願とする民族保持への止
むにやまれぬ義挙であった。相対立する比の現実の中で総督府陸軍憲兵の任にあった本郷出身(栗駒町)
千葉十七氏(当時 25 歳)は旅順獄中に囚の身となっていた安重根義士(当時 30 歳)を看守する役目に
あった。
実直にして正義に厚き東北人の一人であった千葉氏の目に映った獄中の安義士の挙動は正に国の運
命を憂い民族の独立と名誉を守るため身を捧げた清廉なる人格の士であり時に語る平和への高邁なる
理念には強く胸を打たれた。義士を称える事が公然とできぬ当時の情勢にありながら千葉氏は義士に同
情を禁じ得ず心ひそかに尊敬の念さえ抱くに至り出来得る限りの労を尽くして、やがて刑場に消えゆく
であろう其の身を惜しんだ。
義士もまた、当時の日本人としては珍しい千葉氏の人間性あふれる知遇に応え 3 月 26 日死に赴く直
前、軍人たる千葉氏にふさわしい一文を墨して贈った。曰く
為国献身軍人本分(国のため身を献げるは軍人の本分なり)
千葉氏長じて帰郷の後も義士の遺影と墨書を仏壇に供え日々香を献げ死せる人の冥福を祈るととも
に日韓両国の独立した名誉ある親善と平和の来らん事を祈念して若柳町大林(旧大岡村)に死した。き
つよ未亡人もまた其の意を体し比れに夫の遺影を加え夫のなせるが如く日々香を献げ冥福を祈りつつ
世を去った。千葉夫妻の行える美挙は死後にも其の一族に強く訴えるところあり、幾多の困難にあいつ
つも千葉氏の意を汲み義士の遺墨を 70 年間に渡って大切に保管し続けた。
戦後新しく独立したアジアの友邦たる韓国の発展を冀いつつ 1979 年安重根義士生誕 100 周年の祝典
を聞き意を決した三浦幸喜くに子夫妻ら千葉十七氏の遺族は東京韓国研究院を通して故国の首都ソウ
ルに鎮座する安重根義士崇慕館に比の遺墨を供えた。
国にとって貴重なる遺品を其の国の国民に還したこの挙を記念し安重根義士並びに千葉十七氏の稀
なる篤行を顕彰すべく日本の文化人、政治家、日本居住韓国人並びに宮城県の有志たちにより千葉氏の
眠る若柳町大林寺に比の碑を建立した。
安義士の命日に際し日韓両国永遠の友好を祈念して
1981 年 3 月 26 日 宮城県知事 山本壮一郎                      

ちなみに、この知事は自民党の人物。


写真などは下記をクリック。
安重根と千葉十七の記念碑を訪ねて



記念館の帰り道、ソウル駅近くの食堂にはいった。


ソウル駅近くの食堂




トンカツ
トンカツ





巻き寿司
巻き寿司




キムチはおかわり自由
キムチは無料なのがうれしい


この後、中国の大連へフェリーで渡る予定だったのだが、満席で切符が取れず,やむなく飛行機で行くことにした。2週間しかないビザのことなどを考え、まずハイラルへ向かうことにした。こんなことなら、最初から東京・大連往復でチケットを買っていたら安くすんだのにと悔やんでも後の祭りだった。


                      韓国滞在期間:2014年7月30日〜8月6日




2014/08/07

ハイラル

内蒙古自治区ホロンバイル市「ハイラル」区                                       
 2014年8月6日~8月9日滞在

ソウルから長春経由でハイラルに入ったのだが、なんとこの時点で中国の元を一銭も持っていなかった。長春の空港で両替銀行を探したのだが、見つからなかった。なんとかなるだろうとハイラルにきたのだが、ここでも見つからず、ホテルに移動するタクシーにも乗れないはめになった。
元を持っていないことを隠して、空港でタクシーを拾い、予約しておいたホテルへ直行することにした。
ホテルのフロントで元を両替してもらおうとしたのだが、英語が全く通じずに困り果てる。
それでも、身振り手振りでなんとか元を借り、タクシー代を精算。
その後、ホテルのスタッフにATMのある銀行に連れて行ってもらい、元を入手した。
冷や汗ものの体験!レートがどうのこうのなんて妄言に惑わされずに、入国する国の通貨は最小限でいいから両替しておくべし!


予約していた宿。朝食付きだったのだが、団体客が多くて、席の奪いあいで、落ち着いて食事ができなかった。中国人パワーに完敗。
ハイラルのホテル



宿の真ん前が屋台街!
ホテルの真ん前が屋台街




炭火焼の煙と羊肉の焼ける匂いがあたり一面に立ち込めていた
炭火焼の焼き物の煙がもうもう




ハイラルの町の雑感
昼間の感じ




羊肉とネギの炒め物とソバ、それとビールを頼んだのだが、量が半端でなかった。
昼飯に食べたジンギスカンとソバ・・・量が多すぎ!





さて、前回取り上げた「ノモンハン」での戦闘に参加した部隊「第23師団」が駐屯していた基地のあったのが、現在の内蒙古自治区ホロンバイル市ハイラル区。
ここはソ連国境沿いに構築された日本軍要塞の最西端にあり、ノモンハンから約160キロほど北にある。

現在は、当時のハイラル要塞河南台陣地を掘り起し、「世界反ファシズム戦争ハイラル記念館」が建設されている。
世界反ファシスト記念公園ー基地跡



世界反ファシスト記念公園彫像


野外展示物ー1




野外展示物ー2




1934年から1937年にかけてのハイラル要塞建設には、現地の中国人が徴用され、過酷な強制労働により2万人以上が死亡したと言われている。

徴用された中国人労働者の強制労働を描いたレリーフ
中国人労働者強制労働のレリーフ



強制労働の現場
強制労働現場



中国人労働者に犬をけしかける
犬に噛ませる非道ぶり




日本軍に斬首された中国人労働者
中国人を虐待死




散乱する人骨
散乱する人骨




ハイラル神社
ハイラル神社




石井731部隊長
石井四朗731部隊長



化学兵器部隊
細菌部隊




毒ガス
毒ガス



ノモンハンに参戦した石井部隊
ノモンハンでは石井が直接指揮

地下深くに張り巡らされた通路
近く深く掘られた要塞ー1



あまりにも深いので、冷蔵庫にいるようだった
実際あまりにも深いので、寒く感じた





恥ずかしながら、ノモンハンについての知識があまりにもないので、日本に帰国後にアマゾンで中古本を何冊か購入した。
田中克彦「ノモンハン戦争」、半藤一利「ノモンハンの夏」、シーシキン「ノモンハンの戦い」など。
軍事好きの人たちが、ノモンハンでの戦争で、日本軍とソ連軍が互角に戦ったといった論調でブログなどで書いているのを見かけるが、現実は講和の後の国境線がソ連側の主張どおりで確定されていることをみれば、日本の敗北は明らかである。この敗北を素直に認めない、日本軍の上層部の姿勢が後々の日本軍の悲劇を生みだしている。
日本軍の兵士たちはタコツボを掘り、粗末な武器でソ連軍戦車に捨て身の攻撃で立ち向かったといわれているが、この「強いられた勇敢さ」を知るにつれ、辻や服部のような高級軍人が兵士を消耗品のように扱っている非情さに怒りがこみあげてくる。




2014/08/08

ノモンハン




平気で大嘘をつき、偽計を巡らすインチキな体質は「旧満州国」を建国した旧日本帝国の要人たちの遺伝子がうみだしたものだった

平和主義を否定することを「積極的平和主義」といい、相手国に挑発をかけておきながら「いつでも無条件で話し合う用意がある」といけしゃあしゃあと言い、放射能汚染水を垂れ流しておきながら「完全にコントロールできている」と言い続ける、どしがたい虚言癖は、実は中国侵略の歴史のなかで、なんども使い古された手口だった。1928年の張作霖爆殺事件を「満州某重大事件」と称して、自らが手を下したのを秘匿しようとしたのを手始めに、日本軍は、謀略と陰謀、嘘と偽計、秘匿といった薄汚れた手口を採用し常套手段化していったのである。

安倍の尊敬する祖父「岸信介」は旧満州国の高級官僚として辣腕をふるったと言われている。財政難にあえぐ旧満州国で、「昭和通商」の里見甫のもと、アヘンの密売に手を染め、旧満州国の財政基盤を整備したのである。目的のためには手段を選ばないマキャベリズム的発想は、孫のアベに受け継がれている。「解釈憲法」なんて手法は、遺伝子のなせるわざなのだ。

というわけで、僕は旧日本帝国が植民地支配をしていた韓国・旧満州国を旅してみた。
旅の順路は東京~釜山~ソウル~ハイラル~満洲里~哈爾濱(ハルピン)~長春~大連~東京というものだった。
ソウルからはフェリーで大連に渡るつもりだったのだが、満席でやむなく飛行機で長春経由でハイラルに行った。今回は中国でネットが使えなかったので、帰国後に写真を整理して、ブログに立ち上げた。
その一回目がノンモンハン。



旧満州国の地図

旧満州国

「ノモンハン事件」
ノモンハン事件(ノモンハンじけん)は、1939年(昭和14年)5月から同年9月にかけて、満州国とモンゴル人民共和国の間の国境線をめぐって発生した紛争で、1930年代に大日本帝国とソビエト連邦間で断続的に発生した日ソ国境紛争(満蒙国境紛争)のひとつ。満州国軍とモンゴル人民共和国軍の衝突に端を発し、両国の後ろ盾となった大日本帝国陸軍とソビエト労農赤軍が戦闘を展開し、一連の日ソ国境紛争のなかでも最大規模の軍事衝突となった。<Wikipediaより>

辻政信や服部卓四朗などの無謀な作戦で、2万人近くの戦死傷者をだした日本軍。
日本軍の損害は徹底的に隠ぺいされ、現場で指揮をとった将官クラスの責任のみが追及されて、彼らの自殺が相次いだが、辻や服部など中心的な役割を果たした高級軍人は後に軍中央に復帰している。
こうした失敗の原因を明確に総括せず、指導者が責任を取らないという無責任体制こそが、その後の日本を泥沼の戦争に引きずりこんでゆくことになる。

船戸与一の「満州国演義」では、辻政信の無責任な作戦や悪行を痛烈に批判している。
また、村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」にも「ノモンハン事件」の生き残りの人物が登場する。


ノモンハンの場所・・・内モンゴル自治区のハイラル(海拉ル・・・ルの漢字が出てこないのでカタカナで表記)と満州里のちょうど中間点にある
ハイラルとノモンハンの位置関係




ハイラルからまっすぐに南下して、アギコロウ鎮(阿木古郎鎮)という町で左折して50キロほど行くとノモンハンがある
ノモンハン村




旅行代理店でノモンハン行きの値段交渉をすると一日チャーターで35,000円ほどかかると言われた。あまりにも高いのでホテルのフロントの女性に相談すると、知り合いのタクシーを紹介してくれた。こちらはなんと半額以下の13,000円だった。
タクシーをチャーターして行った




ホロンバイル高原・・・村上春樹も言っているように、なにもないのどかな草原風景だった
ホロンバイン高原




羊の群れ・・・死者が眠る高原




ハイラルから高速道路を3時間ほど走ってノモンハンの記念館に到着した
歴史記念館と和平の鐘




歴史記念館
歴史記念館



遠くに見えるのが「ホルステン河」。この河の流れ着く先が「ハルハ河」。その河を挟んで、日本軍とソ連軍の激戦が繰り広げられた
ハルハ河




歴史記念館の中に展示されていた当時の写真
写真ー1


騎馬兵



車両部隊



写真ー2




火炎瓶・・・初期のころには対戦車に効果があったのだが、後半戦ではソ連側が対策をとったので効果がなく、投擲者は戦車の下敷きになって轢き殺されたという
火炎瓶




記念館の外に展示されている戦車
戦車ー1



戦車ー2








2014/08/11

ロシアとの国境の町「満州里」



ハイラル〜ノモンハン〜満州里の位置関係

より大きな地図で ハイラル〜ノモンハン〜満州里 を表示







この歌は、ほかにハルピン生まれの加藤登紀子も歌っている。下線の箇所をクリックすると加藤登紀子で聴ける!

満州里小唄


ちなみに森繁久彌は自らがインタビュアーとなって「満蒙開拓団」の団員たちの日常生活を取材した作品を残しているようだ。
船戸与一の「満州国演義」の登場人物・敷島四郎は、早稲田大学、演劇活動、渡満、満映と経歴がだぶっているので、もしかしたら船戸は森繁久彌を意識して書いたのではないか、と想像した。



今も残る当時のロシア風建築群
1901年にシベリア鉄道と接続する「東清鉄道」が敷設され、清国側の西端の草原のなかに「満州里」の町が突如出現した。そのため、ロシア風の建築物が数多く残っている。
1932年、日本による傀儡国家「満州国」成立により、この町がソ連との国境の最西端になった。

東清鉄道時代を偲ばす建物
東清鉄道時代の建物?




ロシア時代の建物
ロシア時代の建物



ロシア風の民家
ロシア風の民家



往時の給水塔
昔の水道塔



給水塔のアップ
水道塔アップ


ハイラルから満州里へ列車移動
ハイラルから満州里へは軟座の切符が入手できなくて、硬座で行った。2時間ほどの距離だったが、中国の庶民の日常が垣間みれておもしろかった。中国では旅行中の食事として、カップ麺がいまや欠かせないメニューだ。各車両にはカップ麺とお茶のための熱いお湯がでる装置が設置されている。空港の待ち合いロビーにもある。
硬座で2時間




僕のとなりのふたりは恐らく長距離移動で疲れきったようすだった
前のおじさん


満州里の宿   
ネットで予約しておいたホテルには部屋に風呂がなかった。がっかりしていたら、なんと1階に24時間オープンの大浴場があってサウナも完備、垢擦りとマッサージの係もいた。こんなところで大浴場に入れるとは想像もしていなかった!後で気づいたのだが、町中に大浴場が何軒かあったのである。やはり冬が寒いので、こういう施設が発達したのだろうか?
大浴場つきのホテル



すぐ隣に日本人団体客が利用する四つ星ホテル「満洲里友誼賓館」があった。ここの1階の旅行代理店でハルピン行きのダフ屋のチケットを入手できた。満席で買えなかった寝台のチケットが定価の倍で売られていたのだ。恐らくダフ屋によって買い占められていて、捌けない時は当日にキャンセルするのだと思う。何しろ8月一杯の軟座と寝台のチケットはすべて売り切れだった。
となりは、日本人団体で有名なマンチュリヒンカン




満州里は中華人民共和国内モンゴル自治区ホロンバイン市にあり、ロシアとの国境都市としてロシア人観光客で賑わっている

現シベリア鉄道
現シベリア鉄道




現在の満州里の町並み
今の満州里の建築群1





尖塔がいかにも





今の建築群3



町外れの池
町の中の池



ロシア人観光客
ロシア人観光客




ロシア人向けの土産物屋。「超市」とはスーパーのこと
ロシア人向けの土産物屋




土産物屋の店頭に飾られたオオカミの剥製
土産物屋の店頭に飾られたオオカミの置物



数あるロシア料理店のうちの一軒
ロシア料理店



ボルシチ
ボルシチ



満州里だけでみたご当地メニュー「鉄鍋焼きそば」
鉄鍋焼きそばの看板




こんな大鍋がテーブルにしつらえてある
こんな大鍋で作る




仕上がった焼きそば。うまかった!!!
仕上がった焼きそば。うまかった!




満州の暮らしたことのある人はだれもが、『夕陽が紅くて大きかった』ことを覚えているようだ!
満州里の夕景





                              2014年8月9日〜11日











2014/08/14

ハルピン



興安嶺山脈を越えて

前回のブログにも書いたように、ハルピンへの列車の切符が入手できなくて困り果てていたのだが、泊まっていた宿のすぐ隣の「満州里友誼賓館」にある旅行代理店に行き、だめもとで頼んでみたら、なんとその日の夕方には切符が手に入ったのだ。もちろん正規の料金とは違い、2倍ほどの値段だったのだが。
どうして売り切れのはずの切符が入手できるのだろう、といろいろ想像をめぐらしたら、かれらはダフ屋を通して買っているようだった。ダフ屋は軟座が高く売れることを知っていて、買い占めているようだった。そして、もし引き取り手がない時は、キャンセルすれば良いのである。儲けをダフ屋と旅行代理店が折半しているのではないだろうか・・・


満州里駅での掲示板
列車掲示板




ハルピン行きの列車



寝台車は個室の中に3段ベッドが向かい合っていて、計6人が収容できるものだった。
3段ベッドのいちばん上が僕の席だったのだが、のぼりおりが大変だったのと、ベッドが狭く、しかも暑苦しくて快眠という訳にはいかなかった。
寝台車の個室

夕食はほとんどの人がデカ・カップ麺を食べていた。
中国のカップ麺の消費量は半端ではないはずだ。




列車は興安嶺山脈を越えてハルピンに向かった
大興安嶺山脈を越えて…今西錦司の話

「興安嶺山脈」と言うと、今西錦司が編者となった「大興安嶺探検」という本が思い出される。
戦時下、今西錦司はこの興安嶺山脈のあたりの「西北研究所」で生態学・少数民族の研究に打ち込んでいた。
そこで少数民族の人たちが簡単に自分の所有する馬を識別をする方法を見て驚き、後にその方法で猿の個体識別に応用、猿の群社会の仕組みを解明するのに役立てたそうだ。そのフィールドワークの成果が、世界に冠たる「今西学」とも言うべき独特の「自然人類学」の世界を樹立したという話を何かで読んだことがある。
残念ながら、列車は夜行だったために「興安嶺山脈」を実際に見ることはできなかったが、そういう話を思い出した。

航空写真の満州里からハルピンへの間にある緑の部分が「興安嶺山脈」の一部


より大きな地図で 満州里〜ハルピン を表示



朝の6時半頃に列車はハルピン駅に着いた。
ぼくは一度この町にきたことがあるのだが、その時はバスでやって来たので、ハルピンの駅を見るのは初めてだった。


最初、駅前にある「旧ヤマトホテル」に宿泊しようかと思ったのだ、高いので諦めた。
代わりに同じ駅前広場に面してある「龍運ホテル」に泊まることにした。
ここは目の前がハルピン駅で何かと好都合だった。

「龍運ホテル」
ハルピンの宿



宿から見たハルピン駅前広場・・・この広大な敷地には驚かされる
ハルピン駅前広場



ロシアによる満州を横断する「東清鉄道」の敷設により、交通の要衝としてのハルピンにはロシア人が大量に流入した。そのため、ロシアの影響を受けた多くの建築物が残された。

その代表的な建物が「聖ソフィア大聖堂」ロシア正教会の聖堂で1905年着工、1932年に現在の姿になった。

聖ソフィア大聖堂外観1





聖ソフィア大聖堂外観2




聖ソフィア大聖堂外観3





教会内部




教会のなかに展示されていた中央大街(キタイスカヤ通り)の当時の写真


中央大街差し替え




当時の写真




キタイスカヤ1




白黒





中央大街俯瞰




現在の中央大街(キタイスカヤ通り)

中央大街の入り口付近
入り口



モデルン・ホテル
モデルン・ホテル



0239





0238





モデルン・ホテル横





0241




0242




0244





0262





0269





中央大街をまっすぐ進むと「松花江」の畔にでる。
松花江は黒龍江(アムール河)の支流で「スンガリ」ともいう。

この下流にある佳木斯(チャムス)へは、張作霖爆殺実行犯で満蒙開拓団の推進の中心人物である「東宮鉄男」が滞在していたということで、昔、取材で行ったことがある。

防洪勝利記念塔
松花江の畔に立つ記念塔。洪水を制御したことを記念して立てられた



松花江
松花江1



対岸の太陽島へは船とロープウエイで行ける
松花江2


ハルピン鉄橋
松花江ハルピン鉄橋



冬にはマイナス15度にもなるので、川は凍り歩いて渡れる。
冬には歩いて渡れる松花江



昔の写真
凍りついた松花江・・・当時の写真




ユダヤ人
戦前ハルピンには1500人ほどのユダヤ人が住んでいたと言われている。
そのため、シナゴーグや学校などが残っている。

※ユダヤ人と満州国の関係について
「満州国」の経済基盤を揺るぎないものにするためにと日産コンツェルンの鮎川義介は1934年に『ドイツ系ユダヤ人五万人の満洲移住計画について』と題する論文を発表している。5万人のドイツ系ユダヤ人を満州に受け入れ、同時にユダヤ系アメリカ資本の誘致を行うことにより、満州の開発を促進させると共に、同地をソ連に対する防壁とする構想を発表した。(のち河豚計画へと展開する)しかし、結局はドイツとの関係から頓挫した。

シナゴーグ
シナゴーグ



ダビデの星のある建物
ユダヤ人の建物



旧東清鉄道の建物跡

毛沢東の銅像が立っていた
東清鉄道本社跡



建物の入り口
現在の建物入り口




                            2014年8月12日〜14日滞在






2014/08/18

長春



旧満州国の首都で、当時は『新京』といった。
ここには、まるで旧満州国のテーマパークのように、当時の建物が多く残っている。

満州国皇帝の『溥儀』が暮らした住居跡は現在『偽満皇宮博物院』となって公開されている。

石碑




同徳殿
同徳殿




皇帝の玉座
玉座



皇帝の日常風景
皇帝の生活




シャンデリア




関東軍司令官と溥儀・・・一国の皇帝と対等に座る日本の派遣軍司令官。「傀儡」を象徴するようなふたりの関係描写だ。
関東軍司令官と溥儀





同徳殿のホールの天井を飾る照明
同徳殿のホールの照明装置



勤民階
勤民階




ロシアが東清鉄道で使っていたとされる1898年製造の米国製機関車。
100年後に土中から完全な形で出土したものを敷地内に展示している。
ロシアが東清鉄道で使っていた米国製の機関車



日本の城をイメージした旧『関東軍司令部』跡。
関東軍の存在を誇示する威圧的雰囲気の建物として知られていた。
そして現在は「中国共産党吉林省委員会」が使っているのだが、本来は民衆に親和的なはずの「共産党」が民衆を威圧するという「堕落」のメタファのように思えてしようがない。
旧関東軍司令部跡




旧『満州国軍司令部』
旧満州国軍司令部跡





旧『満州国・国務院』
国務院跡

国務院の石碑
国務院石碑




旧『満州国・司法部』
司法部




旧『満州国・経済部』
経済部

『経済部』の石碑
経済部石碑





旧『満州国中央銀行』
中央銀行




旧『新京電信電話株式会社』
電電公社




旧『横浜正金銀行』
横浜正金銀行




旧『満州映画協会=満映』
あの大杉栄、伊藤野枝夫妻とその幼子を虐殺した「主義者殺し」の甘粕正彦元憲兵大尉が総務庁次長『岸信介』の後押しを受けて理事長を務めていた。
つい先日亡くなった李香蘭(山口淑子)などが女優として活躍した。
旧満州映画




長春の駅前通りに『美食城」というフードコートがあった。
美食城



中華に飽きたので韓国料理。朝鮮に近い「中国東北部」ということで韓国食堂が結構あった。
韓国食堂




タレが氷になった冷麺。冷たくて旨っ!
冷麺




巻き寿司もついでに・・・
巻き寿司





                            2014年8月14日〜18日滞在









2014/08/20

大連


旧満州国の地図
旧満州国

ハルピン〜長春〜大連の地図

より大きな地図で ハルピン〜長春〜大連 を表示




長春から大連へは新幹線で行った。
実は何も知らないで買ったチケットがなんと「新幹線」の「特等席」だった。(たわけ!)
おかげで、たったの3時間半ほどで大連に着いた。

新幹線1


軽食がでた
軽食がでた

『大連駅』
大連駅




旧『大和旅館』現在は『大連賓館』
今回の旅で一度は泊まってみようと思っていた旧『大和旅館』に泊まることができた。
はっきり言って、想像以上にホテルの中は老朽化が激しかった。

大連賓館




『旧大和旅館』だっとことを示す石碑
ヤマト旅館プレート




『大連賓館』の食堂
大連賓館食堂



『大連賓館』の廊下
廊下




『大連賓館』のロビー
ロビー



ホテルの正面が『中山広場』
中山広場




『中山広場』でトランプに興じる老人たち
広場でトランプに興じる老人たち




『中山広場』を挟んで対面にある旧『横浜正金銀行』大連支店
横浜正金銀行



旧『横浜正金銀行』のプレート
横浜正金銀行プレート





旧『満鉄本社』

「南満州鉄道株式会社」、通称『満鉄』は明治三十九年(1906)、資本金二億円をもって設立。翌四十年から営業開始。
この満鉄本社では六百台のタイプライターが唸りをあげ、電話はダイヤル即自通話であり、大豆の集荷数量、運送距離、運賃はIBMのパンチカードシステムで処理され、特急「あじあ号」は六両編成営業速度百三十キロをマークした・・・「満鉄」は満州に生活する人にとって、「赤い夕陽」とともに不滅の殿堂であった・・・まさに「満鉄」は”国家”そのものであった。・・・実録 『満鉄調査部』草柳大蔵著より

満鉄本社跡





満鉄本社跡2





満鉄本社跡3



『大連ぶらぶら』


『路面電車』
路面電車



『上島珈琲』
上島珈琲




『極真空手』の看板
極真空手




他の町では見かけなかった「焼き肉屋」がけっこうあった。大連と仁川はフェリーで結ばれているからか?
焼き肉屋




屋台街『中原市場』
中原市場1




中原市場2




中原市場3



「イカ焼き」・・・これには「カレー粉」がかかっていた。イカ焼きの屋台が目立った。まるで大阪の夜店のようだった。
イカ焼き




『友好広場』と『インターコンチネンタルホテル』
友好広場とインターコンチネンタルホテル


                               2014年8月18日〜20日




2014/08/30

辺野古



沖縄の人々の不屈の戦いに元気づけられた!




辺野古海上基地建設予定地への入り口
辺野古基地反対キャンプへの入り口




基地建設反対座り込みキャンプー1
座り込みキャンプー1




座り込みキャンプー2
座り込みキャンプー2




座り込みキャンプー3
座り込みキャンプー3




立ち入り禁止のフェンスに貼られた反対派の想い
フェンスに貼られたスローガン




フェンスの向こう側
フェンスの向こう側



遠くに海底掘削用のブイが見える
フェンスの向こう側が基地建設予定地




海底掘削調査のために設置されたブイのアップ
問題のブイ



ブイを取り囲む暴力『海猿』
ブイを取り巻く海猿




抗議行動をするカヌー隊
カヌーゲリラ隊



抗議行動をするカヌー隊と暴力「海猿」。
カヌーゲリラ隊と海猿



カヌー隊と暴力『海猿』ー2
カヌーゲリラ隊と暴力海猿ー2



辺野古の「海猿」に批判噴出! 移設反対市民を羽交い締めに- 日刊ゲンダイ(2014年8月30日09時26分)

 海上保安官の潜水士の姿を描き、人気となったTVドラマ「海猿」。危険を顧みず、人命救助に尽力する場面が話題となったが、沖縄・辺野古沖の「海猿」に対して批判が噴出している。普天間基地移設に反対する住民のカヌーを監視、執拗に追い回し、「警備活動」と称して手当たり次第、乗員をとっ捕まえているのだ。

「オラーッ」。真っ青に広がる辺野古沖にドスの利いた声が響く。黒いゴムボートに乗った「海猿」の怒声だ。

「7月から始まった海上調査に対応するため、海保は全国の『海猿』を辺野古沖に集中投入しています。基地移設反対派のカヌーを見つけると猛スピードで近付き、写真を撮り、時には体当たりしてカヌーに飛び乗ってきます。まったく抵抗していないのに『確保!』と叫びながら市民を羽交い締めにして強引にボートに引き上げることもあります。まるで戦前の特高警察です。このままだと大事故が起きますよ」(地元住民)

 一部報道によると、反対派の住民はこれまでに20人近くが拘束されたという。うち32歳の男性は、身柄を確保された際に頚椎捻挫のけがを負わされたとして、「海猿」を29日にも、特別公務員暴行陵虐致傷罪で那覇地検名護支部に告訴するという。

 いやはや、TVで脚色された“虚像”とはいえ、これが正義のヒーロー「海猿」の姿とは驚きだ。

 一連の行動に問題はないのか。第11管区海上保安本部に聞くと、「頚椎捻挫した男性がいた? 海保として事実は確認していません。(活動は)現場海域の安全確保と法令励行のためです」(総務課)と答えた。






苦戦が予想される沖縄知事選を前に、なんとか辺野古移転の既成事実化を謀りたい安倍政権



辺野古ブイ設置、首相「急いでやれ」 防衛省幹部を叱責
2014年7月19日 琉球新報より

 安倍晋三首相が7月上旬、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設に伴う海底ボーリング調査と、移設工事の施工区域などを明示するための浮標灯(ブイ)の設置をめぐり、「急いでやれ」と防衛省幹部らに早期実施を強く指示していたことが分かった。
 一方、海底調査に先立つブイ設置について防衛省は22日にも作業に着手することを検討しているが、台風の接近なども踏まえ、27日からの週とする方向であらためて調整するとみられる。
 関係者によると、安倍首相は今月上旬、官邸の執務室に防衛省幹部を呼び、移設作業の進捗(しんちょく)について報告を受けた際、「なぜ作業が遅れている。さっさとやれ」などとブイ設置や海底調査開始の遅れについて声を荒らげて叱責(しっせき)。机をたたくなどしてまくし立てたという。
 首相は移設問題についてこれまで「地元に丁寧に説明し、理解を求めながら進める」と繰り返しているが、地元名護市が移設に反対する中での作業の強行に自身も深く関与していたことが明らかになった形だ。
 防衛省は首相の指示を受け、ブイの設置作業を7月上旬に開始する方向で検討したが、その直後に沖縄地方などを襲った台風8号の影響などもあり、遅れたという。
 ブイ設置は当初6月中に実施する予定だったが、資材調達の遅れなどから着手がずれ込んでいる。





7日に行われた名護の市議会選挙では基地移設反対派が過半数を制した。民意は「基地反対」である。



政権に都合の悪い結果が出ると、「詭弁を弄する」官房長官が次のように述べた。


菅官房長官、辺野古移設は「過去の問題」
TBS系(JNN) 9月10日(水)18時4分配信
 沖縄県のアメリカ軍・普天間基地の辺野古沖への移設をめぐり、菅官房長官は「粛々と工事をしているわけだから、私たちは過去の問題だと思っている」と述べて、11月の沖縄県知事選挙での争点にはならないという考えを改めて示しました。

 「日本は法治国家でありますから、昨年の暮れに仲井真知事が辺野古埋め立てを承認してくれました。それに基づいて粛々と工事をしているわけでありますから、この問題についてはもう、私たちは過去の問題というふうに私は思ってます」(菅義偉官房長官)

 菅官房長官は普天間基地の辺野古沖への移設について、「最大の関心は沖縄県が埋め立てを承認するかどうかということだったと思う」と述べて、去年、沖縄県の仲井真知事が埋め立てを承認し、既に現地の調査など工事が始まっている以上、11月の沖縄県知事選挙での争点にはならないという考えを改めて示しました。

 また菅長官は、「アメリカ軍の抑止力を考えたとき、唯一の選択肢は辺野古の埋め立てだという政府の考え方は全く変わっていない」と強調し、「粛々と工事を進めさせていただく」と述べました。(10日12:34)
最終更新:9月10日(水)18時4分TBS News i




沖縄タイムス社説
[官房長官辺野古発言]「過去の問題」ではない
2014年9月11日 05:30

 沖縄の民意がどうであれ、辺野古への新基地建設を強行するという、あからさまな威圧である。基地負担軽減担当相という立場に反する発言であり、到底納得できない。

 菅義偉官房長官が10日の記者会見で、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設について「昨年暮れに知事が埋め立てを承認し粛々と工事を進めている。この問題はもう過去のものだ」と述べ、11月の知事選の争点にはならないとの見方を示した。

 7日の名護市議選で、定数27のうち辺野古への新基地建設に反対の候補が16人当選し、過半数を維持した。地元の民意があらためて示されたばかりである。

 辺野古の海で政府が埋め立てに向けたボーリング調査を強行していることに対し、海上やキャンプ・シュワブのゲート前で、反対派の市民による抗議行動が続いている。まさに現在、進行しているのである。それを「終わったこと」だと言える発想が信じられない。

 翁長雄志那覇市長が、10日の市議会本会議で知事選への出馬を表明した。知事選は、すでに出馬を表明している仲井真弘多知事、下地幹郎元郵政民営化担当相との争いになる予定だ。

 政府の狙いは、知事選までに工事を急ぎ、移設を既成事実化することで辺野古移設の争点化を避けたいというものだ。

 だが、民意を無視した強硬なやり方は、県民の反発を招き、むしろ争点をより明確にすることになるだろう。

    ■    ■

 辺野古移設をめぐっては仲井真知事が求める「普天間の5年以内の運用停止」が、次第にほころび始めている。

 まず、米国側が否定的見方を繰り返し述べていることだ。7月に政府が示したオスプレイの佐賀空港への暫定移駐案は、米側が難色を示したことで、発表からわずか2週間あまりで、移駐を見送る方針を決めた。

 5年以内の運用停止は、昨年12月の沖縄政策協議会で知事が唐突に安倍晋三首相に要請した。その後会談で首相は「危険性除去が極めて重要という認識を共有している」と述べたが、口頭での「口約束」である。

 江渡聡徳防衛相は9日の会見で「5年以内」の起点についてさえ「まだ決まっていない」と述べた。曖昧にしておくことで責任回避を図る狙いがあるなら、知事と首相の「約束」は空手形になる可能性がある。

    ■    ■

 仲井真知事は埋め立て承認以前、「辺野古に固執するのではなく、もっと早く現実的に移設できる県外の場所を探すべきだ」と主張していた。

 むろん「5年以内の運用停止」が実現するならいい。だが、それは同時に普天間の運用停止の手段として辺野古移設以外の選択肢を見いだせるということだ。

 そうなれば、知事がかつて述べていたように、辺野古移設に固執する根拠はなくなるはずだ。次世代にまで負担を負わせる新基地を建設せずに普天間返還を実現することこそ「目に見える形の負担軽減」である。



「沖縄タイムス」といい、「琉球新報」といい、沖縄のマスコミは、本土のマスコミと違い、自らの使命を果たしている!!!


『旧満州国への旅』は時系列に戻しました。
韓国〜ハイラル〜満州里〜ハルピン〜長春〜大連という順番にしました。