2014/12/03

菅原文太!


菅原文太


一ヶ月前、彼は病をおして沖縄知事選挙の応援に駆けつけていた。


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訃報:菅原文太さん81歳=俳優、「仁義なき戦い」



「異端者でいいじゃないか」菅原文太さんが国民に送ったエール



"菅原文太さん死去:在日韓国人に「故郷の家」 建設に尽力">




菅原文太さんが残した“遺言” 「日本はいま危うい局面にある」


ずいぶん昔、僕はテレビ番組の出演交渉で、一度お会いしたことがある。
そのとき、文太さんとわが先輩とが仲が良かったことを知っていたので、その人の名前を出したら、すごく機嫌が良くなり、「お前は泰司の身内か?」なんて言われた。
その場に奥さんが同席されていたのだが、ふたりの仲睦まじい雰囲気を見て、映画のキャラとはずいぶん違うなという印象をもった記憶がある。

奥さんの文子さんのメッセージ

七年前に膀胱がんを発症して以来、以前の人生とは違う学びの時間を持ち「朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり」の心境で日々を過ごしてきたと察しております。
 「落花は枝に還らず」と申しますが、小さな種を蒔いて去りました。一つは、先進諸国に比べて格段に生産量の少ない無農薬有機農業を広めること。もう一粒の種は、日本が再び戦争をしないという願いが立ち枯れ、荒野に戻ってしまわないよう、共に声を上げることでした。すでに祖霊の一人となった今も、生者とともにあって、これらを願い続けているだろうと思います。
 恩義ある方々に、何の別れも告げずに旅立ちましたことを、ここにお詫び申し上げます。



いい人ばかりが去っていく!
ご冥福をお祈りします。


2014/12/06

醜なる生き方、美なる生き方!


醜悪な老後
裏切り男の「仲井眞」がまたもやってくれました。
10万票もの差をつけられ、不信任を突きつけられたにもかかわらず、県民の願いを踏みにじっての蛮行。
周知のように、この男、「辺野古基地反対」の公約で当選し、その後、突如、公約を裏切ったのだが、一説では安倍から何かまずいことを握られ、脅されていたという噂がある。
裏切り直後、さすがに恥ずかしいのか「病院に逃げていた」ことも笑えないぐらいみっともない。

仲井真知事、工法変更2件承認 退任4日前に判断

<社説>辺野古知事承認 民意に背く「押し逃げ」 晩節汚す愚行 将来に禍根


スジを通す老後

前回のブログに載せたように「菅原文太」の沖縄演説!
死を目前にしてスジを通した男への尊敬と共感で胸がいっぱいになった。

そして、もう一人、こんな人がいる。彼は僕と同じ年で生まれ月も一緒。彼もまた病気の体を押してデモに出かけるそうだ。

ものごころついてからこれまで、これほど危険な政権をわたしはみたことがない。弱者、貧困者をこれほど蔑視し侮った政権を知らない。この国の過去をこれほどまでに反省しない政権は自民党でさえめずらしい。これほど浅薄な人間観、これほど浅はかな世界観、これほど歪んだ歴史観のもちぬし、これほどのウソつきに、ひとびとがやすやすと支配されているのをみるのは、ものごころついてからはじめてだ。以上のような理由で、わたしはこれから秘密保護法反対、安倍政権打倒、ろくでなし子さんら不当逮捕反対、言論弾圧・干渉粉砕(スローガンは個人のイメージです)のデモに参加しにいく。デモ前の集会主催者や「文化人」あいさつなどセレモニーぜんぱんは超ウザくて、戦意喪失するので、ぜんぶさぼるつもり。デモのみ、あるけるだけあるく。2004年に倒れてからデモに直接参加するのははじめて・・・(2014年12月6日の辺見庸のブログより)

冒頭の安倍政権に対する認識は、同じ時代を生きてきた人間として、まったく同感。
デモのセレモニーをうざく感じるのも同感。

それでも、行く!!!



2014/12/19

グラナダの冬!



窓から覗くと・・・

朝霧でアルハンブラ宮殿が霞んでいた
朝霧



お向かいの家からは暖炉の煙が・・・
暖炉の煙



窓の外につけた寒暖計は零度ちかく・・・
零度近く下がっていた



プラタナスの形見
プラタナスの形見



梅安亭・寒いと心までもが冷え冷えしてくる。温かい料理で一杯!

といって飲むのだが、一杯ではすまずに・・・

アサリの酒蒸し・ライム果汁風味・・・こちらの新聞に載っていたレシピ。人参、セロリ、玉ねぎのみじん切りにタイムを加えて炒める。5分後に水とワインを注いで沸騰したら、アサリを入れる。アサリのからが開いたら、バターを入れ、最後にライムの果汁を絞って加える。タイムとライムの風味が特徴のようだ。
アサリの酒蒸し・ライム果汁風味



安いイカを買ったので、イカスミ煮を作った。ジジィのお歯黒は気持ち悪かったぞ!
イカの墨煮



定番のイカのトマトソース煮にフィデオ(極細のパスタ)を加えた。
フィデオをイカのトマトソースで煮た



冷凍庫にあった鮭を使って、白菜と鮭のクリームソース煮
鮭と白菜のクリームソース煮



鮭の代わりに鶏肉を使ってクリームソース煮・・・時間がかからないのと簡単にできるのがいい。
鶏肉と白菜のミルクソース煮



キムチを作ったので、さっっそくキムチ鍋
キムチ鍋




キムチポッカ・・・これ、豚肉とキムチを炒めるのだが、少し味付けをすると美味しい。例えば麺つゆとか。
キムチポッカ



パスタで作るスーラー・タンメン。温まる経済メニュー。ホット&サワースープに茹でたパスタを入れると思えばいい。
スーラータンメン



鍋焼きうどん・・・天ぷらを余分に作り、こうして鍋焼きうどんを楽しむ。
鍋焼きうどん



締めは「すき焼」・・・イベリコのいいのがなかったので、普通の豚のセクレトを使ってみたが、上出来だった
締めはすき焼





内田樹さんが日本の今を捉えると・・・
<衆院選を終えて>「カネ優先」見直す時 思想家・内田 樹氏


資本主義末期の国民国家のかたち





2014/12/20

拷問国家と同盟関係ということ



水責めだけじゃないCIAの拷問法
茶色の箇所をクリックすると元記事へジャンプ。


悪の帝国のやること!拷問。
こんな国と同盟関係を結ぶということは「共犯関係」になっているということだ。
いつの間にか「日米同盟」があたかも日本国民の最上位の「共同幻想」概念のようになってしまったが、どうして、こんな国と同盟関係を結ぶのか?
誰も答えられない。
前の戦争で負けたからか?
原爆を落としてくれたからか?
大空襲でわが同胞を焼き殺してくれたからか?

日本が殺戮・掠奪・強姦・破壊の限りを尽くした中国、韓国には敵対するという信じられない歪み!
本来なら、こうした国々にこそ謝罪と誠意を尽くし、善隣同盟関係を築いてゆくのが王道だろう。



この拷問について、オバマは知らなかったように言っているが、十分承知していたはず。
やつは、ほかにも無人機で、アフガニスタン、パキスタン、イエメンなどで、なんの罪のない人びとを虐殺している。
映画監督のオリバーストーンも言っているが、あの優しげな語り口に騙されるな!
やつは典型的なコン・マン=詐欺師なのだ!


こうした破廉恥な拷問は、キューバのグアンタナモ基地などで行なわれていた。
このグアンタナモ基地はアメリカが「永久租借」していることになっているが、実態は占領しているわけで、ここではキューバの法律もアメリカの法律も通用しない、治外法権地域となっているのである。
この基地で、アメリカは対テロ戦争という口実で勝手に拉致してきた人々=「囚人」に拷問を加えているのだ。


そうした背景のなか、キューバとアメリカが国交回復をするという。
キューバと国交正常化交渉、米大統領が開始発表


ラウルよ、「グアンタナモ基地」の返還が国交回復の条件ではなかったのか?
言っておくが、アメリカはずる賢い国で、あんたが考えているほど甘くはないぞ。

おそらく当初はアメリカの観光客やホテルなどの進出で、一見薔薇色のような世界があらわれるだろう。
キューバの野球選手のアメリカ行きも増え、彼らは信じられない大金を手にするだろう。
またキューバの誇る医療界も乗っ取られることだろう。
エボラ騒動のときにもキューバは大量の医師団を現地に派遣していた。
いまもベネゼラや中南米の国々に多くのキューバ人医師たちが派遣されている。
そのようにキューバの医療水準は、世界一といわれるほど高いのだが、アメリカは、その優秀な医師たちをゲンナマで引き抜きにかかるだろう。

そんななか、善意を装った「NGO」が多数はいり込んできて、思想工作・宣伝工作を始めるだろう。
彼らのやりくちは「自由」とか「民主主義」という言葉を使って、人々に甘くささやきかけるというものだ。

結果、もっとも恐ろしいことは「新自由主義」思想の浸透と「格差社会」の出現で、キューバ革命の意義が根底から覆されることだ。

イゲイラのゲバラが泣いているぞ!

イゲイラ村で処刑される直前のゲバラの写真
ゲバラ最後の写真



梅安亭・飲み過ぎ亭

鱈の酒蒸し煮とオクラのお浸し、白菜の塩麹漬け
鱈の蒸し煮、オクラ



まぐろとぬた、豆の煮物、すき煮
まぐろとヌタ



漬けまぐろの握り寿司
漬けまぐろの握り寿司



大根と豚バラの鼈甲煮、生ずし
大根と豚バラの鼈甲煮、生ずし






2014/12/21

乗っ取られるキューバ!



昨日、キューバとアメリカの国交回復についての懸念を書いたら、今日こんな記事を見つけた。
この人のブログ、おもしろいのでよく読んでいる。
僕とよく似た指摘だった。

2014年12月21日 (日) キューバにおける体制転覆

茶色の部分をクリックしてください。元の記事に飛びます。
ブログ「マスコミに載らない海外記事」より転載させていただきました。ありがとうございます。


2014/12/26

「暗い時代」のクリスマスの夜



「クリスマスの夜」
滅多に夜は外出しないのだが、クリスマスの夜の町を見にでかけてみた。
アルハンブラ宮殿の横に三日月がかかっていた。
三日月とアルハンブラ宮殿



家の前の道
ダーロ川沿いの道



グランビア通り
グランビアどおり




市役所前の広場
市役所前




立ち寄ったバル
アレグリア




みんな友だちとやってきていた。僕のようなひとり客はいなかった。
どこのバーも満員だった





どのバルも満員だった。
市役所の前のバル
失業と不景気の代名詞のようなスペインだけど、バルだけは持ちこたえている。ビール二杯とワインを一杯飲んで、タパ(おつまみ)が3皿もついてきて、7ユーロだった。千円ほど。日本では信じられない値段だ。



もしかしたら、今はすぐそこまできている「大破滅」を前にした「猶予の時」なのかもしれない
ハンナ・アレントに20世紀前半・第一次世界大戦と第二次世界大戦の「戦間期」を生きたひとびとを描いた「暗い時代のひとびと」という本がある。そのタイトルの「暗い時代」という言葉はブレヒトの「あとから生まれるひとびと」という詩から借用したと述べ、その理由をつぎのようにまとめている。
「そこには混乱と飢餓、虐殺と虐殺者、不正に対する暴動と『悪のみがあって暴動の存在しないこと』への絶望、人を醜悪にするとしても正統なる憎悪、声を騒音にするとしても根拠ある憤激などが描かれている。」

下に引用した詩は、僕がお世話になった野村修先生の訳。

のちの時代のひとびとに


そうなのだ、ぼくの生きている時代は暗い。
無邪気なことばは間が抜ける。皺をよせぬひたいは
感受性欠乏のしるし。笑える者は
おそろしい事態を
まだ聞いていない者だけだ。

なんという時代――この時代にあっては、
庭がどうの、など言ってるのは、ほとんど犯罪に類する。
なぜなら、それは無数の非行について沈黙している!
平穏に道を歩みゆく者は
苦境にある友人たちと
すでに無縁の存在ではなかろうか?

たしかに、どうやらまだぼくは喰えている。
でも、嘘じゃない、それはただの偶然だ。ぼくのしごとは
どれひとつ、ぼくに飽食をゆるすようなものじゃない。
なんとかなってるなら偶然だ。(運がなくなれば
おしまいだ。)
ひとはいう、飲んで喰え、喰えりゃあ結構だ、と。
だがどうして飲み喰いできるか、もしぼくの
喰うものは、飢えてるひとから掠めたもので
飲む水は、かわいたひとの手の届かぬものだとしたら?
そのくせぼくは喰い、ぼくは飲む。

賢明でありたい、と思わぬこともない。
むかしの本には書いてある、賢明な生きかたが。
たとえば、世俗の争いをはなれて短い生を
平穏に送ること
権力と縁を結ばぬこと
悪には善でむくいること
欲望はみたそうと思わず忘れること
が、賢明なのだとか。
どれひとつ、ぼくにはできぬ。
そうなのだ、ぼくの生きている時代は暗い。


ぼくが都市へ来たのは混乱の時代
飢餓の季節。
ぼくがひとびとに加わったのは暴動の時代、
ぼくは叛逆した、かれらとともに。
こうしてぼくの時がながれた
ぼくにあたえられた時、地上の時。

戦闘のあいまに食事し
ひとごろしにまじって眠った。
愛を育てもしたが、それに専念する余裕もなく、
自然を見ればいらだった。
こうしてぼくの時がながれた。
ぼくにあたえられた時、地上の時。

ぼくの時代、行くてはいずこも沼だった。
ことばのためにぼくは屠殺屋どもにつけ狙われた。
無力なぼくだった。しかし支配者どもには
ぼくがいるのが少しは目ざわりだったろう。
こうしてぼくの時がながれた。
ぼくにあたえられた時、地上の時。

ぼくらのちからは乏しかった。目的地はまだまだ遠かった。
でもはっきり見えていた、たとえぼく自身は
行き着けそうもないとしても。
こうしてぼくの時がながれた
ぼくに与えられた時、地上の時。


きみたち、ぼくらが沈没し去る潮流から
いつかうかびあがってくるきみたち、
思え
ぼくらの弱さを言うときに
この時代の暗さをも、
きみらの逃れえた暗さをも。
事実ぼくらは、靴よりもしばしば土地をはきかえて
絶望的に、階級間の戦いをくぐっていったのだ、
不正のみ行われ、反抗が影を没していたときに。

とはいえ、無論ぼくらは知っている。
憎悪は、下劣に対する憎悪すら
顔をゆがめることを、
憤怒は、不正に対する憤怒すら
声をきたなくすることを。ああ、ぼくたちは
友愛の地を準備しようとしたぼくたち自身は
友愛にのみ生きることは不可能だった。
だかきみたち、いつの日かついに
ひととひととがみな手をさしのべあうときに
思え、ぼくたちを
ひろいこころで。(1938)
(野村修・訳「ブレヒト詩集」飯塚書店1971)