2016/01/01

謹賀新年


2016年1月1日

本年もよろしくお願いします。

・・・なんて、生きていたらですが・・・







現在はコロンビアの北端のサンタ・マルタというところにいます。

この何日間はネットが繋がらなくて、ブログの更新がままなりませんでした。

今日の宿はネットはちゃんと繋がるのですが、こちらの意欲がいまいちで、なかなか更新に手がつきません。


昨日は待望のガルシア・マルケスの「百年の孤独」の舞台である「マコンド村」ことアルカタカにいました。

地図でいうとサンタ・マルタのまっすぐ下でフンダシオンのすぐ上です。


そうそう、サンタ・マルタとアルカタカの中間地点にある「Cienaga=シエナガ」という地名がありますが、小説ではシエナガは固有名詞ではなく、それの意味する沼地、湿地として出てきます。


村は小説に書かれているように、澄み切った川が流れ、その両側に当時の古い家が建っていました。

「マコンドも当時は、先史時代のけものの卵のようにすべすべした、白くて大きな石がごろごろしている瀬を、澄んだ水が勢いよく落ちてゆく川のほとりに、葦と泥づくりの家が20軒ほど建っているだけの小さな村だった。」

小説の冒頭でこう紹介されていた川。白い大きな石はなかったが、水は今も澄んでいた。
マコンド村 川・・・恐竜の卵の云々





バナナを運ぶために作られた鉄道軌道もありました。(ユナイテッド・フルーツ社)
マコンド村 バナナ鉄道



検証!マコンド村っていうことできっちり小説を読み返すと面白いと思いました。


運が悪かったのか、泊まった安宿にはエアコンなんてものはなく、扇風機があるだけでした。
朝方、停電で扇風機が止まると、暑さは強烈でとてもじゃないが延泊はできないと諦めました。

この暑さにも小説では触れられていましたが、生憎いまは思い出せません。

というわけで、8時過ぎのバスで逃げ出してサンタ・マルタという町にやってきた次第です。


まずは新年のご挨拶から・・・・

2016/01/03

サンタ・マルタ



2015年12月31日~2016年1月3日

アラカタカからサンタ・マルタに戻った。
行きとは違って道路は混んでおらず、2時間もかからないでサンタ・マルタのバス駅に着いた。

バス駅の携帯電話屋で先日買ったSIMカードが機能しないのだがと相談したら、ロンプラなどに書かれている市外局番ではなく、新たな局番を教えてくれた。それを最初に押し、次にホテルの番号を押すとちゃんと繋がった。

宿だが、着いてから探すのは嫌なので、事前に電話をしてみた。

Hostel Las Vegas というホテルはエアコン付きで40,000Cop=1,550円だった。

バス駅からタクシーで宿に向かう。

ラス・ベガスは海辺からすぐの距離にあり、部屋も清潔だった。
問題は便器のふたが外されていることだった。
どうして、わざわざ便器の蓋を外すのか理解できない。
便器の外された宿 サンタマルタ



それが嫌で翌日、これもロンプラで見ていた宿に替わった。
Hostal Casa Familia

こちらは値段も35,000Copと安かった。
ただし、エアコンがなかった。
こちらのスタッフは最高に愛想がよく、居心地が良かったのだが、窓がないのが玉に瑕。
扇風機を回していたが、熱気で息苦しいくらいだった。


ここも2日だけいて、翌日さらに並びの宿に替わった。
Hostel San Jorge

こちらは窓もあり、小さいながら机もあった。
おかげでパソコンを使うには快適だった。

1週間ほどの間に3回も宿を替わったことになる。



朝起きて海岸を散歩すると、ちょうどこんな屋台のおじさんがきている。エンパナーダとジュースとコーヒの朝食。
朝食は屋台で サンタマルタ


ここはコロンビアでも有数の海水浴客でにぎわうところだ。外国人観光客より圧倒的にコロンビア人が多い。

サンタマルタの海1





サンタマルタの海2




海岸で漁師が網を繕っていた。
サンタマルタの海 漁師 3





海岸に面した店で一杯気分で踊る人たち。
サンタマルタの海4 踊る人たち




海岸にはテントの土産物屋が軒を連ねている。夜遅くまで買い物客でにぎわっていた。
サンタマルタの海岸5 土産物屋




夕方、大型貨物船が入港してきていた。ちょっと前は豪華客船も見えていた。サンタ・マルタ港はカルタヘナにその地位を奪われるまで最大の貿易港だったそうだ。
大型貨物船が入港してきていた サンタマルタ





シモン・ボリバール終焉の地


シモン・ボリバールの像はそれこそどこにでもあるが、ここの像はほかの像と違って、終焉の地の像である。

コロンビア・エクアドール・パナマ・ペルー・ベネズエラの解放者であり、ボリビアの建設者である、と記されている。
シモン・ボリバールの像1




こちらは銘板で、カラカスに1723年7月24日に生まれ、1830年12月17日にここサンタ・マルタで没した、と記されている。
シモンボリバールの像2





小説「迷宮の将軍」巻末の年表より抜粋

1830年
12月1日 憔悴してサンタ・マルタに到着。

12月6日 スペイン人ドン・ホアキン・デ・ミエル所有のサン・ペドロ・アレハンドリーノの別荘に向かう。

12月10日 遺言と最後の声明を口述筆記させる。医師が、告解をし秘跡を受けるように強くするめると、ボリバールは言った。「どういうことだ?・・・・・遺言や告解の話を持ち出さなければいけないほど悪いのか?・・・・・いったいどうすればこの迷宮から抜け出せるんだ!」

(わたしのコメント・・・ 「迷宮の将軍」というガルシア・マルケスの小説の題名はこのボリバールの言葉からとった。)

12月17日 わずかばかりの友人に囲まれてサン・ペドロ・アレハンドリーノの別荘で死去。




このサン・ペドロ・アレハンドリーノの別荘だが、現在は博物館も併設されているそうだ。
車で10分くらいのところにあるのだが、なぜかめんどくさくて行かなかった。

サン・ペドロ・アレハンドリーノの農場(ネットの観光案内の画像を掲載)
シモン・ボリバールがなくなった農場 サンタ・マルタ





シモン・ボリバールが最初に埋葬されたカテドラル
カテドラル サンタマルタ






2016/01/07

Estoy Aqui.(私はここにいます)


2016年1月4日~7日 Barranquilla

Estoy Aqui のタイトルの音楽で一躍世界的シンガーになったというシャキーラ。


以前の話ですが、たまたまテレビを見ていたら、
この人のコンサートにあのバルサのピケが来ていて、ステージからピケを名指し、壇上に上がるように言いました。
ピケが彼女の恋人だということと、この歌手がシャキーラというコロンビア出身の歌手だということをその時初めて知りました。

ピケとシャキーラ


まあ、そんなことはどうでもいいのですが、
そのシャキーラの出身地がバラキージャ(Barraquilla)というところで、いまそこにきています。

つまり、Estoy Aqui(=わたしはここにいます)です。しようもないダジャレですみません。



マグダレナ川にこだわっている
バラキージャに来たのは、以前カルタヘナに着いたときに気づいたと書いたように、地図上で見るとマグダレナ川の河口がすぐそばにあるからです。


バランキージャとマグダレナ川の河口付近の地図






そして、サンタ・マルタからの移動のバスから撮ったのが下の画像です。
上の地図で言うと90という番号の道路がバンキージャに向かって進みマグダレナ川に架かった橋の上からの画像です。
マグダレナ川1


マグダレナ川2


宿に着いてスタッフに、マグダレナ川の写真を撮りたいのだが、どこがいいか教えてというと、自分が撮った橋の上からだという返事でした。

ほかには見当がつかないとのことでした。

がっかり!


バランキージャに来たもう一つの大きな理由は「シティバンク」の支店がここにあることが分かったからです。
実はこの間、お金の引き出しにけっこう苦労していました。
ビザカードも普通の銀行ではなかなかうまく引き出せず、持ち金が底をつきつつありました。

シティバンクは支店だと簡単に引き出せました。
驚いたことに「日本語」という表示までありました。
そういえば今ではなくなったグラナダのシティバンクのATMでも日本語表示がありました。
シティバンクの提灯記事をついでに書くと、この銀行のいいところはすぐにメールで「本日、お金の引き出しがありました。現地通貨で○○で、日本円で○○でした」という知らせがくることです。
りそなのデビットカードも持っているのですが、こちらは出金したという通知は来るのですが、ネットバンキングで確認しろというだけで、手間がかかります。
さらにシティバンクの提灯を続けると、モロッコのフェズで出金手続きだけで現金が出なかったときも、直ちに返金措置をとってくれたことです。まあ、レートが良くないとかいろいろありますが、クライアントの対応はいちばんいいと思います。

さて、ビザカードのほうですが、ビザグローバルネットの案内を知って初めてうまくお金が引き出せました。
コロンビアでは「Banco del Colombia」のATMが引き出し可能でした。
その情報を伝えておこうと思って、銀行のファサードの写真を撮りました。

Banco del Colombia のATM

さて、この後が大変でした。

警官が二人やってきて、今の写真を見せろ!と言われました。
写真を見せるとすぐに消せと言われました。すぐに消したのですが、なぜか一枚残っていました。それが上の写真です。
そして、なぜ銀行の写真なんか撮っているのだ、と訊かれるので、かくかくしかじかだと返事しました。

次にパスポートを出せと言われました。
コピーしか持っていないというと、実物はどこにある?と訊かれホテルに置いてあると答えました。

それは法律違反だと相手は言だしました。
そうですね、すみませんでした。次から気を付けます。

この辺から、この二人組の意図はだんだん明らかになってきます。

持っていたバックのなかから手帳を取り出し、めくってみたり、携帯電話を取り上げました。

そして、いつお金を出すのだ?
と訊くので今日は出さない、カードを持ってきていないからと答えました。(実はカードは持っていたのですが)

残念そうな表情でした。

取り上げられた手帳にはたまたま大使館の住所とかが書いてあったのですが、日本大使館という漢字のところを指さし、これはどういう意味だというので、日本大使館だというと、相手はやや引き気味になりました。

携帯電話を返せというとしぶしぶ返してくれました。

そして、「レガロ=プレゼント」が云々と言い出したときに、何を言っているかわからないふりでとぼけました。

そうこうして、ようやく放免となったしだいです。

その間15分くらいでした。


そのあと、トルクメニスタンのことを思い出しました。
あの時も写真を撮っていて、マネーマネー警官にしつこくからまれたのです。
(別話ですが、つい先日、あの独裁国家に安倍がとんでもない金額の援助を申しでたのを知って驚きました。一応、天然ガスが目当てだそうだが、本当のところは独裁者同士気が合うのかもしれません。)



考えてみたら、自分の不注意といえば不注意なのだけれど、一瞬やばかったです。気を引き締めないと・・・






2016/01/10

モンポス(Monpox)

2016年1月8日~11日 モンポス

先日、カルタヘナのガボの旧宅の隣にある宿の壁に描かれた箴言について、
こんなふうに書いていましたが・・・・・・

ホテルの壁に描かれたガボの似顔絵と箴言。(ひとり寝の子守歌しかない人生ほど哀しいものはないよ!・・・なんて書かれています。嘘です。)
ホテル・マコンドのプレート 



ただしい訳はこうです。

「空っぽのベッドほど寂しい場所はない」

ガルシア・マルケス著・野谷文昭訳「予告された殺人の記録」P64より





せっかくですので前の部分を少し紹介しておきます。


眠るのは死ぬ時だけに違いないと言われたいたマリア・アレハンドリーナ・セルバンテスは、わたしが知ったどんな女より品があって優しく、しかもベッドでは最高に尽くしてくれた。けれどもあんなきつい女も見たことがない。彼女はこの町に生まれて育ち、そしてこの町に住んでいた。戸を開け放した家には貸し部屋がいくつもあり、ダンスホールを兼ねただだっ広い中庭には、彼女がパラマリボの中国人のバザーで買ってきた提灯がぶら下がっていた。私たちの世代の男たちは、彼女によって童貞を失ったものだった。彼女は覚えなくていいことまで色々教えてくれた。中でも、空っぽのベッドほど寂しい場所はないということを、我々は彼女から教わったものである。・・・・・・・・

小説からわざわざあのセリフだけ抜き出しているホテルの意図に首を傾げてしまいます。「愛の交歓ホテル!」ってことですかね。(笑い)



予告された殺人の記録

ちなみに「マリア・アレハンドリーナ・セルバンテス」と同じような存在は「百年の孤独」では「ピラル・テルネラ」という情の濃い女性として登場しています。


ところで、この小説「予告された殺人の記録」は映画にもなっています。







そして、この映画が撮影された場所がモンポスというところだそうです。正式名称はサンタ・クルス・デ・モンポス。





モンポスとはマグダレナ川の中流域にあり、周囲は大沼沢地です。





これぞ自分が探し求めていたマグダレナ川が間近に見ることができる場所です。



ということで、さっそく行くことにしました。


バランキージャ10時発のバスでマガングエへ向かいます。
14時過ぎにマガングエに着くとすぐに客引きに船着き場に誘導され、小型の船に乗せられました。
船に乗ること約20分ほど。対岸の村に着き、そこから乗り合いタクシーで1時間ほどかけてモンポスに行くという行程です。


マガングエから対岸への船乗り場。船は乗り場の後ろにあり、見えていません。
マガングエからボデガまでの船1





こんな小型の高速船です。
マガングエからの船 モンポス行き





写真を撮ろうと張り切っていましたが、無理でした。
マガングエからボデガまでの船2






モンポスでは宿が見つからず、最後は運転手の友達のサント・ドミンゴ広場の正面の安宿に泊まることができました。
この宿はエアコンもあり、冷蔵庫までついているのですが、あいにくWIFIがありません。それでも一晩だけお世話になりました。1泊が22,000Cop=850円でした。
Hospedaje La Union Calle 18 No.3-43 (Tel)095-6855747


翌日、昨日断られた宿に行くと部屋は空いていました。ここはネットができます。1泊が35,000Cop=1,356円でした。
Kimbay Hotel




映画にも出ていた墓場
墓場1 モンポス





墓場
墓場2 モンポス





サント・ドミンゴ教会
サント・ドミンゴ教会







マグダレナ川の支流
マグダレナ川の支流1 モンポス






船着き場
マグダレナ川の支流2モンポス





マグダレナ川の支流3 モンポス




大砲の残骸とマグダレナ川の支流
マグダレナ川の支流4 大砲 モンポス





船着き場の食堂2軒・・・毎朝ここで朝食をとりましたが高いです。
川べりの食堂2軒 モンポス



グアバのジュース・・・野菜不足を補うためになるべく生ジュースを飲んでいます。これが4,000Cop=150円とちょっと値が張ります。いつもストローが2本ついてくるのですが、意味が解りません。かき混ぜるためでしょうか?
グアバのジュース モンポス




トマトと玉ねぎの入ったスクランブルエッグとパン、珈琲、ジュースで10,000Cop=350円です。もちろん、日本から見たら安いですが、地元の人からみたらとんでもない値段です。サンタ・マルタで屋台朝食が3,000Cop だったことでわかると思います。でも、マグダレナ川を見ながらの朝食だと思えばと、納得しています。
これで10000Cop モンポス






食堂のテラス
川べりの食堂のテラス モンポス






そこで食べた魚料理ですが、ナマズのような感じでした。すごく美味でした。Bagre という名前で書かれていました。
川べりの食堂で食べたナマズ モンポス







無原罪の御宿り聖堂と広場
無原罪の御宿り聖堂






右手の建物は昔の市場の建物
無原罪の御宿り聖堂2 モンポス





昔の市場の建物
昔の市場 モンポス






偽CD売りのオヤジが買わないかと声をかけてきたので、断ったついでに、サンタ・バーバラ教会へ行きたいのだが、モトタクシーのいるところを知らないかと訊ねると、あっちだと指さしました。歩いていると、後ろからモトタクシーがやってきて停まりました。その顔を見ると先ほどの偽CD売りのオヤジだったのです。
あるときは偽CD売り、あるときはモトタクシスタ・・・・そういうとオヤジも一緒に笑っていました。笑ったらいけませんよね。生活に必死なのですから・・・
あるときはCD売り、ある時はモトタクシー モンポス




サンタ・バーバラ教会
サンタバーバラ教会1







サンタ バーバラ教会2







歴史的建築物が残る街並み
歴史的建築物が残る街並み モンポス







そのなかであったロバ・・・どこか物悲し気な雰囲気です。
ロバの悲鳴に似た鳴き声は、ふだん耐えに耐えていた心が一挙に破裂した音のように聞こえてしまいます。
スペインのピレネーの山中のウスタロス村というところに長期滞在していたとき、ロバの悲鳴をはじめて知りました。
歴史的建築物が残る街並みとロバ モンポス







屋根の上にはワシの姿が・・・・ガボの小説「コレラの時代の愛」で知ったのですが、これはどうやら黒コンドルのようです。タカの仲間だそうです。(1月23日追記)
同じくワシ モンポス







街中に現れたサル
サルが燕に襲われる1 モンポス





画面には写っていないですが、実は燕がサルの顔をめがけてものすごい攻撃を仕掛けていました。慌てて逃げるサル。燕の巣が近くにあったようです。珍しい光景に人だかりができていました。
サルが燕に襲われ逃げる モンポス







2016/01/12

「誘拐の知らせ」とメデジン



モンポスからマガングエを経てメデジンへ
地図上で上のふたつの印しの右がモンポスで左がマガングエ。


昼の12時過ぎにモンポスの宿を出て、ボデガというマガングエへの船が出ているところまで乗り合いタクシーで向かった。ひとり13,000Cop=500円ちょっと。

そこから行きにも乗った小型の船でマガングエに向かう。9,000Cop=350円。
幸運なことに最後のひとりで乗船できたため、いちばん前の船長のよこの席に座ることができ、行きとは違って、おかげで何枚かの写真を撮ることができた。

マガングエ行きの船1





前方に見える尖塔のあるところがマガングエ(Magangue)
マガングエ行きの船2


バス駅に行くと、マガングエからメデジン行きのバスは直通ではなく、コロサール(Corozal)というところで乗り換えなくてはならないと言われる。


マガングエのバス駅
コロサールのバス駅



午後3時に出発。
Corozalには4時半に着いた。
ここで待ち時間が3時間。
バス駅の向かいの食堂で定食を食べたりして、バスを待つ。

そして、午後の7時半過ぎにやっとメデジン行きのバスがやってきた。

バスは覚悟していたほど冷房の効き過ぎで寒い、ということはなかった。


翌朝、5時半にメデジン着。

宿は万が一を考えBooking.Comで、前日に予約しておいた。

ただ、あまりに早くに行くことはできないので、バス駅で朝食をとったりして時間を潰す。

そして7時過ぎに宿に電話連絡をして、今から行っていいかと確認をしてからタクシーで向かった。

バス駅から宿は30分くらいの距離だったが、問題は予約した宿が民宿のようだったので、看板もなにも出ていないことだった。
そういえば、名前も「Habitaestudios Calasanz」という名前からして、民宿のようである。


上記の住所を頼りにタクシーの運転手の助けを借りて、ようやく、その宿らしき場所を探し当てる。

宿は普通の建物の2階にあった。
その中にキッチンとトイレ・シャワールームが2か所、広いサロンがあり、個室が全部で4室あるという作りである。
シングルで申し込んだのだが、2段ベッドをシングルユースするということのようだった。

キッチンが使えて、洗濯機もあり、けっこう利便性は良さそうだ。しかもメトロ駅までも10分ほどの距離にあり、まわりは静かな住宅街である。



おすすめ宿である。

バス駅からタクシーで10,000Cop=400円ほどで行ける。

「Habitaestudios Calasanz」
Calle 52B #80A-32,2do.piso.電話は+573206969497

個室シングルユースで35,000Cop=1,350円

2段ベッドをひとりで使う。
2段ベッドを一人で使う





キッチンには大概のものがそろっている。
宿のキッチン




食卓とパソコン。後ろのドアが個室の入り口。
宿の食堂 メデジン





さて、またもやガルシア・マルケスの話になるが、彼の作品で「誘拐の知らせ」というメデジンを舞台にしたノンフィクションがある。

誘拐の知らせ


そのなかに、こんな一節がある。


「誘拐の知らせ」
258頁

8章
・・・・・
そこでは、1991年の最初の二か月間に、千二百件の殺人事件があり・・・・一日平均二十件・・・・、四日に一度は大量殺人事件が起こっていた。ほとんどすべての武装勢力が合意のうえで、歴史上例のない勢いでゲリラ的なテロ行為を激化させており、メデジンが都市型ゲリラの中心地だった。四百五十七名の警察官が数か月のうちに殺害されていた。政府公安局(DAS)によれば、郊外町村にはエスコバルのために働く者が2千人おり、そのかなりの部分が警察官狩りを生業としている若者だった。彼らは警官をひとり殺すたびに百五十万ペソを稼ぎ、負傷させるだけでも80万ペソになった。1991年2月16日には、メデジンの闘牛場前でダイナマイト百五十キロを積んだ車が爆発し、下士官クラスの警官三名と一般隊員八名が死んだ。巻き添えになって一般市民九名が死亡し、この戦争とはまったく関係のない百四十三人が負傷した。

・・・・・

メデジンカルテルとカリカルテルという2大麻薬組織はほぼ壊滅したが、FARCやELNなどの反政府ゲリラ組織、大地主の私兵組織でもある極右のAUCなどの武装組織がいまでも存在しており、和平の機運が高まっているとはいえ内戦状態が続いている。

FARC(コロンビア革命軍)については下記の記事を参考にしてください。黒字の部分をクリックすると元の記事へジャンプする。
コロンビア革命軍


FARCと政府側の和平交渉はキューバのハバナで行われていた。

その時のエピソードは、当ブログでも触れている。
美人ゲリア


2012年11月25日のブログより・・・・
コロンビアの美人ゲリラ・・・現在、キューバのハバナでコロンビア政府と反政府ゲリラ・Farc(コロンビア革命軍=Fuerzas Armadas Revolucionarias de Colombia)の和平交渉が行われています。そこで紹介されたFarcのスポークスマンのターニャ・ネイメールはオランダ人の美人ゲリラです。欧米には,時々こういう過激な献身的女性が現れるようですね。スペイン市民戦争で取材中に亡くなったキャパの彼女の写真家「タロウ」や哲学者のシモーヌ・ヴェーユなども、生き方が一直線でした。すごいと思います。


自分が2001年に初めてコロンビアの首都・ボゴタに着いたときの記憶も強烈だった。
夜になると、町中には人っ子一人おらず、まるで死の町のような印象だった。
それこそ、身代金誘拐や麻薬取引での抗争がひっきりなしに起こっているのが、ひしひしと伝わってきた。

ところが、最近、いろんなひとのブログによると、メデジンは最高に快適な空間だと称えてあるのである。
まあ、カルタヘナやサンタ・マルタでの体験からして、そうかもしれないとは思いつつ、果たしてそれほどメデジンは変わったのかと疑心暗鬼だった。

そしてバス駅について数時間を過ごしてなんとなく、みんなが言っているようにメデジンは変わったのだと、少しは理解できた。




















2016/01/14

ボテロ



メデジン出身の世界的な彫刻家・画家であるフェルナンド・ボテロの作品が野外展示されている公園に行ってきた。
場所はメトロのParque Berrioという駅のすぐ前。

Parque Berrio駅
Parque Berrio駅




駅前のこの建物の裏手に公園がある。
Parque Berrioの駅前の建物




この人の作品は日本でもよく知られている。
これこれといった講釈は不要。とにかくどれもこれもはちきれんばかりの肥満体だ。

ボテロ1メデジン





ボテロ2 メデジン





ボテロ3 メデジン





ボテロ4 メデジン





ボテロ5 メデジン





ボテロ6 メデジン






ボテロ7 メデジン






ボテロ8 メデジン






ボテロ9 メデジン






ボテロ10 メデジン





2016/01/15

メデジンのロープウエイ



メデジンの町は山によって囲まれており、貧困層は上のほうに住んでいる。
そこに行くには以前はバスしか交通機関がなかったのだが、現在はロープウエイが架設され、市内のメトロ(地下鉄ではなく高架鉄道)にそのまま連結されている。


メデジンのメトロ路線図
メデジンのメトロ路線図


ロープウエイはLineaK,J,Lと3路線ある。
ただし、Santo DominngoからのLineaLはParque Arviというところに行くいわばピクニック用の路線で、住民の日常生活用の路線はLineaKとJである。

LineaKに乗るためにAcevedo駅まで行った。ここで別料金は発生せずに、そのままロープウエイに乗り換えることができる。


ロープウエイ1




ロープウエイ3






ロープウエイ4 メデジン






ロープウエイ6 メデジン




LineaKの終点のサント・ドミンゴ駅の近辺
サント・ドミンゴ駅の近辺








サントドミンゴ駅から先のLineaLにも、せっかくだからと乗ってみた。別料金で片道4800Copもした。

Parque Arvi 行きのLineaLの乗り場はサント・ドミンゴ駅内にあり、別改札になっている。
リニアK乗り場 メデジン




サント・ドミンゴ駅から上のほうの地区で、ここからは新興住宅地(というより新興バラック住宅地)。
リニアK2 メデジン




サント・ドミンゴ駅までかなり距離があるサント・ドミンゴ番外地
リニアK番外地 3 メデジン





山を越えて架設されているロープウエイ。さすがにこのあたりになると人家はみえない。
リニアK山の中 メデジン





終点の「Parque Arvi」 駅。ここからハイキングコースが整備されていた。生息する動物などの紹介の看板もあった。
リニアK 山頂の駅 メデジン



駅前には土産物屋のテントが張られていた。
アルビ駅前の売店




2016/01/16

メデジンぶらぶら




街中で見つけたケーキの彩りに驚いた
ケーキの色 メデジン雑感1





ケーキの色 メデジン雑感2








高カロリー肥育食でポデロ化

朝食はこの揚げ物を食べている。中身はいろいろ。
朝食の揚げ物 メデジン雑感3




米とひき肉が詰まったエンパナーダ。
朝食揚げ物の中身が  メデジン雑感4






このまん丸の揚げ物は中身は何も入っていない。これをいちばんよく食べている。スペインで言えばチューロスのようなもの。右は鶏肉が詰まっている。
この丸い揚げ物は・・メデジン雑感6






昼はだいたいこんなセット物が定番。写真には写っていないがスープがつく。これで500円ほど。
昼食のセットもの メデジン雑感7




中華レストランで珍しくタジャリンがあるというので頼んだ。焼き飯とスパゲッティのセット。量が多すぎで半分ほど残した。
昼食の中華 量が多すぎ メデジン雑感6





この後、夕方は近所の酒場でビールを2、3本飲んでいる。







結果、こうなってしまった!測っていないが体重が元の木阿弥になっているはずだ。
ボテロ5 メデジン





先日撮り損ねたポデロの像。この公園には3回も通った。
ポデロ撮り忘れ メデジン雑感9



2016/01/17

ロープウエイで考えさせられた

もうひとつのロープウエイ「Linea J」に乗ってみた。
こちらのほうが、距離も長く、山を越え、谷を越え、そして目的のオウロラ駅まで繋がっている。
先日乗った「Linea K」よりより距離も長い。


オウロラ行き1 メデジン




オウロラ行き2 メデジン




谷の部分
オウロラ行き3 メデジン




終点の「オーロラ駅」
オウロラ行き4 メデジン






1990年代にメデジンカルテルなる巨大麻薬組織があり、その傘下に2000人の殺し屋の若者たちがいたとガルシアマルケスの「誘拐の知らせ」に書かれていることは、すでに紹介した。
彼らの生まれ育ったところが、このロープウエイの下にあるスラム街である。

あれから20年経ったとして、あの組織の一員だった若者たちは現在40歳代である。
警官殺しや誘拐で報酬を得ていた彼らが現在どういう生活をしているのだろうか?

ロープウエイは彼らの生活路線を改善したという。
たしかにバス移動より渋滞もなく、便利になったことは事実である。

ロープウエイの乗客はスラム街の住民だけではなく、観光客などでスラム街見物に来ている人たちも多い。
そうした見物人(自分も含めて)たちは途中の駅でも、終点でも降りない。
見物にきているのである。

言い換えれば、このロープウエイは上から彼らの住宅地を眺めているという、いわばスラム街見学コースということだ。

そういう意味では、このはなやかな都市型交通体系もある意味では格差社会の象徴でもあるのである。






発展しつつある都市の相貌の裏にあるもの・・・


メデジンではメトロの駅に「レベル2」とか「レベル1」とかといった標識が出ているのだが、
地域にレベルをつけて分類している。

所得格差で公共料金の負担が異なってくるこの制度は、エストラト制度とよばれ、狙いは高所得層が低所得層の経済的負担を軽減する再分配システムだそうだ。


詳しくは以下の資料を参照。
コロンビア消費市場調査

端的に言うとこの制度ではレベルは1から6まであり、数値が高いほど水道代や光熱費などの公共料金が高く、低いほど安い。
つまり貧困層の居住地域が明示されているのである。
したがって、レベルの低い地域は治安が悪いということになる。

ここで生を受けたものが、貧困から脱出することは至難の業である。
つまり貧困の固定化と隔離がこの制度ともいえる。



ガルシア・マルケスのドキュメンタリー「誘拐の知らせ」のあとがきで訳者が指摘していたが、ガルシア・マルケスはメデジンカルテルに所属する若者たちをかなり好意的な視線で描いている。
そのことは、彼のジャーナリスティックな立場からして当然だと言える。


公共機関に配置されたおびただしい警官の数を見るにつけ、力と制度によって維持されている繁栄の虚構が透けて見えるような気がしてならないのである。

あのガルシア・マルケスがメキシコに居を構え、死ぬまで愛するコロンビアに戻らなかった理由のいったんはこの辺にあるのではないだろうか・・・・

2016/01/18

ボゴタでラーメン!

1月18日(月)




午後の3時過ぎに宿を出て、タクシーでバス駅に向かった。
バス会社は「Boliviano」という会社が評判が良いというので、そのカウンターに行った。
次のバスは午後の8時発。4時間ほど待機。

ブログ用にとバス会社の看板を撮っていたら、この左端に写っているオヤジに注意された。
「ここは撮影禁止です」
「さよでっか、エライ、すんまへん」
バス・ターミナルで写真撮影が禁止とはとこにも書いてなかったのだが、しかたがないので、従った。
コロンビアでは写真で注意されることが多すぎだ。

バス会社の写真を撮っていたら・・・メデジン

バスは定刻より少し遅れて出発。
心配していたバスの冷房は、重ね着をしていたので、大丈夫だった。

翌朝、午前5時半にボゴタのバスターミナルに到着。

朝食をとったりして時間を潰す。

午前8時前になったので、タクシーで予約していた宿に向かう。

Hostal Casa Primavera (オスタル・カサ・プリマベーラ)
Hostal Casa Promavera 1 ボゴタ


室内
Hostal Casa Primavera 2 ボゴタ

このホテルは普通の家で、看板が出ていなかった。メデジンでもそうだったが、CasaとかHabitacionとか書かれた宿はどうやら民宿のようだ。おそらく税金対策だろう。
この宿はBooking.comのゲスト評価では8.5と非常に高い。

住所はCalle30,No16-23.Teusaguillo 110010
値段はシャワートイレつきの個室で44,000Cop=1,522円。
すぐ目の前に洗濯屋があるのと、近くに食堂も何軒もある。
旧市街までは40分ほど歩くと行ける。
歩くのが嫌な場合は、新交通システムのバス停もすぐ近くにある。







昼前にネットで調べておいた店にタクシーで向かった。

これがその店「ともだち」
ラーメン屋「ともだち」暖簾







店は狭いがつくりは純日本調。
「ともだち」内部1ボゴタ







日本酒も置いてあった。デカンタで頼めた。
「ともだち」内部2 ボゴタ








餃子、お上品!!!
「ともだち」餃子 ボゴタ







ラーメンもこの量。
「ともだち」醤油ラーメン ボゴタ





餃子もラーメンも味は海外にしてはかなりの水準だった。

問題は、上品さを謳っているのか、その量が少ないのと、値段が高すぎだ。

餃子と醤油ラーメン、ビールと日本酒で85,000Cop=3,000円もした。宿代の2泊分!!!


それにしても、店は満員で、場所柄、客層はもちろん雰囲気からして富裕層ばかりだった。



B級グルマンのジジィとしては、はなはだ居心地が悪かった。