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2018/07/18

ブログを再開します!

キャリアになんど言ってもラチがあかないので、仕方なく次善の策をとることにした。
とりあえず、工事なしでネット環境を構築するには、これが一番手っ取り早いということで、モバイル・ルーターを借りる契約をした。

20180718モバイルルーターを契約。

これで当面は、対処できそう。


ということで、ブログ再開。


まずは本日の昼酒からアップしてみた。

20180717まぐろの刺身


生のまぐろを仕入れたので、まぐろの刺身。ほかは、冷奴、大根の甘酢漬け、鯵ときゅうりの酢の物。


夜はカレイの煮付け。ほかはゴーヤの佃煮、オイキムチ、鯵ときゅうりの酢の物。

20180717夜はカレイの煮付け





2018/07/19

ネットがないとよく本が読めた!

ネットというのは、ないと不便だが、あるとこれまた「依存症」になるから、よしわるしだと思った。
ネットが開通してみると、新聞や他人のブログやツイッターなどを読む時間がかなりのものだとわかる。
この間、携帯電話しかなかったので、携帯のあの小文字ではそんなに読まなかった。というより老眼では読めなかった。
結果、やることがないので本を読む時間が、相対的に増えていたのである。


<ネットがなかった間に読んだ本>


★石原吉郎「海と望郷」
★高杉一郎「スターリン体験」
この二冊は、どちらもソ連での収容所抑留体験を記したもの。

このようなおよそ革命の本来あるべき理念とは正反対の残虐な収容所などという制度を作り出したスターリニズム。
「革命の墓掘人」たるスターリンを生み出した土壌とは何か?
それこそ、レーニンから疑え!ではないかと思い、レーニンと並ぶもう一人の革命家・トロツキーを読んでみた。

★トロツキー「レーニン」

この本は前半は面白かったが、後半は、歯の浮いたようなレーニンの賛美になっていた。というのも、この本が書かれた時期には、すでにレーニンの神格化が絶対基準であり、誰がレーニンの正系かということで党内闘争が繰り広げられていたからだと思う。翻訳者の森田成也さんの解説がいい。


★ジョージ・オーウェル「評論集」
この中に「ディケンズ論」があった。
そういえば、オーウェルも「パリ・ロンドン放浪記」という貧困をテーマにした本を表しているのだから、同じく貧困を取り上げているディケンズを評価していたのは当然といえば当然である。
映画は見たことがあるのだが、原作は読んだことがなかった「オリバー・ツイスト」から読んでみた。

★「オリバー・ツイスト」
★「クリスマス・キャロル」
★「二都物語」

1800年中期のイギリスの下層階級の貧困状態を知ることができる本だ。
昔、読んだジャック・ロンドンの「どん底の人々」を思い出した。こちらはディケンズの時代よりややあとになるが、それでも、状況は同じだ。


あとは、寝床で気楽に読める本をと青空文庫のお世話になった。
こちらは再読がほとんど。

★チェーホフ「桜の園・三人姉妹・かもめ・犬を連れた奥さん他」
★太宰治「富嶽百景」
★夏目漱石「我輩は猫である」
★「三四郎」
★「こころ」
★「虞美人草」


この頃は紙の本は字が小さくて読みづらいので、電子書籍のお世話になっているのだが、青空文庫は無料で読めるのが嬉しい。
僕の持っている電子辞書にも400冊ほど収録されている。以前、キューバに行った時に、夜になるとやることがないので、この辞書を開いて、森鴎外や芥川龍之介、泉鏡花、はては尾崎紅葉の「金色夜叉」や鈴木三重吉の「古事記」などを読ませてもらったことがある。
青空文庫はホント素晴らしい!

2018/07/20

「死刑こそが国家暴力の母型」(辺見庸)である!


安倍独裁体制は、「大量処刑」で自らに従わないものへの強烈な恫喝を行った。

「戦後政治に比類ない、犯罪者集団でもあるこの政権は、なんでもでき
るようになった。そして、じじつ、やりたい放題である。9条覆滅
から軍事・警察国家の樹立まで。人民と民主主義の名において。」


暴力の母型
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賀茂茄子の田楽と万願寺じゃこ炒め

わが「男厨」同志が写真を送ってくれた。
夏の野菜料理らしくて、美味しそう!
田楽味噌には、もろみ味噌が使われているのかな・・・


万願寺と賀茂茄子





梅安亭の食卓

さくらんぼ

市場の八百屋でさくらんぼを買った。
これで160円ほどだった。安い!

20180719さくらんぼを買った。百五十円ほどだった。



小型スルメイカと大根の煮物

近頃、鬆の入っていない大根を手に入れるのが難しい。
これは、珍しく酢が入っていなかったので、煮物で使ってみた。

20180719大根とイカの煮物

2018/07/21

なんとも長い茄子!

20180720なんとも長い茄子


いつも行く中華食材店で売っていた。以前からなんどか目にしているが、その珍奇な姿をみて買う気が起こらなかった。
今日はそっと触ってみたら、意外と柔らかいことを発見。
ならば、一度試してみようと、買ってきたのである。

家に帰って、さっそく豚肉とピーマンを加えて味噌炒めにしてみた。

20180720長茄子を使って味噌炒め


うまっ!
「とろとろ」じゃないですか・・・・・
いつもの昼酒は中止して、これをおかずにしてご飯を食べた。
中国人、さすが!舌が肥えている。





梅安亭・晩酌メニュー


そして、この日買ったもう一品が「わけぎ」だった。
こちらは、冷凍庫に保存していた「マテ貝」とでぬたを作ってみた。

20180721わけぎとマテ貝のぬた



20180720晩酌

昨日仕込んだ「大根と小型のスルメイカの煮物」が1日置いたので、大根にだし汁がしみこんで飴色になっていて、こちらもとっても美味しかった。



ついでに紹介。
これは朝に食した「冷やし豆乳坦々うどん」

最近、教えてもらったレシピで超簡単にできるのだ。
豆乳200ccに醤油大さじ2杯を加えたのがタレ。
うどんは冷凍うどん。レンジで3分半、チーン。冷水で洗って冷やす。
肉味噌は「コウケンテツ」さんのレシピで作ったピリ辛味のもの。
ほかにネギとワカメをトッピング。


20180721冷やし豆乳坦々うどん




2018/07/22

「方丈記」の時代と今があまりにも似ている・・・


異常気温!

猛暑 京都市、1週間連続38度超 祇園祭・山鉾巡行、ペットボトルOKに 見物、無理しないで… /京都
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大水害

京都)住宅の浸水被害 府まとめ
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大地震

大阪北部地震で、京都の中心地でも震度5だった。
大阪北部地震 京都・滋賀の詳しい震度
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こうした大災害が連続して起こっている。


平安末期の京の様子を描いた「方丈記」でも、同じように大災害が続き、その過酷な様子が取り上げられている。

(以下、ウィキペディアを引用しています。元の文章を引用してもいいのですが、面倒なので、こうしました。すみません。)

大火災(安元の大火)
安元3年4月28日(1177年5月27日)午後8時頃、都の東南(現在のJR京都駅付近か)で、舞人の宿屋の火の不始末が原因で出火した。火はまたたく間に都の西北に向かって燃え広がり、朱雀門・大極殿・大学寮・民部省などが一夜のうちに灰燼に帰した。公卿の邸宅だけでも16軒、一般家屋に至っては都の3分の1が焼失した。

竜巻(治承の竜巻)
治承4年(1180年)4月、中御門大路と東京極大路の交差点付近(現在の京都市上京区松蔭町、京都市歴史資料館の辺りか)で大きな竜巻(長明は「辻風」と記述)が発生した。風は周囲にあるものをあっという間に飲み込み、家財道具や檜皮、葺板などが、あたかも冬の木の葉のように宙を舞った。風の通ったあとには、ぺしゃんこに潰れたり、桁や柱だけになった家が残された。竜巻は市街地を南南西に向かって走り抜け、現在の東本願寺の手前辺りで消滅したものと思われる。

飢饉(養和の飢饉)
養和年間(1181-82年)2年間にわたって飢饉(養和の飢饉)があり、多くの死者が出た。旱魃、大風、洪水が続いて作物が実らず、朝廷は様々な加持祈祷を試みたが甲斐なく、諸物価は高騰し、さらに翌年には疫病が人々を襲った。仁和寺の隆暁法印が無数の餓死者が出たことを悲しみ、行き交うごとに死者の額に「阿」の字を書いて結縁し、その数を数えたところ、養和2年4月・5月の左京だけで、42,300人余に達したという。
などが続けて起こったことが描かれている。

大地震(元暦の地震)
元暦2年7月9日(1185年8月6日)、大きな地震が都を襲った(文治京都地震、地震の年表#日本参照)。山は崩れ海は傾き、土は裂けて岩は谷底に転げ落ちた。余震は3か月にもわたって続いたという。



ここがエキス!おごれる権力者!

そうした指摘の後に、鴨長明は、天災に加えて、時の権力者である「おごれる平家一門」の我欲・腐敗ぶりが事態を一層、悪くしていると指摘している。(ゆるくだが・・・)
同じように現在も、「おごれる安倍一味」による腐敗・縁故主義が大手を振ってはびこり、国力は急速に衰退している。

あまりの同質性に驚いてしまった。

ところで、「方丈記」は青空文庫で読めます。
古語で書かれた文章が読みづらいなら、こんな朗読もあります。




もっといいのは、こちらです。こちらは堀田善衛「方丈記私記」の著者による解説にもなっています。





2018/07/26

地中海に面した町・アルメリアへの小旅(1)


24日(火)の朝、9時発のアルメリア行きのバスに乗った。

バスのルートはグラナダからモトリルの方へ南下して地中海に出ると、そこから東へ向かう。
約2時間の行程である。







宿は、前々日にBooking.comで2泊だけ予約しておいた。
1泊がバス・トイレ付きで30ユーロ(4000円)と格安で、地図で見ると旧市街のすぐ近くに位置していた。
バス駅から歩いて10分ほどで到着。


20180724ペンション・アメリカーノ

20180724シングルベッド。狭いが清潔
部屋は狭いが綺麗に掃除されていた。



さっそく、中央市場へ
外壁はそのまま残しているが、最近改築されたようだ。

20180724中央市場

入り口を入るとその広さに驚かされる。



野菜売り場

120180724入り口を入ると野菜と肉の売り場

肉売り場

120180724肉売り場


さて、お目当の魚売り場がない!
ウロウロしていると、地階へ行くエスカレーターがあることに気づいた。

20180725魚売り場へのエスカレーター


魚売り場

20180724閑散としていたあsかな売り場



20180724時間の関係か、魚もあまりなかった

行った時間が昼をすぎていたので、魚も客も少なかった。
残念!
明日、もう一度早い時間にくることにして引き上げた。


昼食は、バルで済ませてから、宿でシエスタ。



夕方、市民戦争当時につくられた防空壕に行った。

Civil War Shelters of Almería(市民戦争時代の避難所)


20180724シェルターのあった場所に建てられて記念館


この建物の下に防空壕があるのだが、午後の開館時間になっても開かなかった。
夏休みでもしているのかな。
ドアのノブに「切符は売り切れました」なんて書かれた札が吊り下げられていた。いい加減な。(笑)
こちらも明日の朝にくることにして引き上げた。




晩飯は、宿のすぐ近くの中華レストランで済ませた。6.9ユーロ=900円ほどと安い。

1皿目はホット・アンド・サワー・スープ
20180724ホット・アンド・サワースープ


2皿目はチャーハン、3皿目は牛肉と玉ねぎのオイスター・ソース炒め
20180724他はチャーハンtの牛肉と玉ねぎのオイスター炒め

これにビールとコーヒーがついていた。
味は塩辛くなくて、まあまあだった。
ただし、量が多くて、ジジイにはきつすぎた。


2018/07/29

地中海に面した町・アルメリアへの小旅(2)

2日目(25日)

8時に宿を出て、近くのバルで朝食。
トスターダ・コン・トマテとコーヒー

20180725トスターダ・コン・トマテとコーヒーの朝食

レモンの入った水が置いてあったので、これは「フィンガー・ボウルか?」とおねえちゃんに聞いたら、「違う、テーブル拭きのためのもの」との答えだった。
こんなの見たのは初めてだ。



中央市場へ向かう。
市場の入り口は何箇所もあるようで、今日は違う入り口から入った。

20180725中央市場2日目


朝が早いので、魚売り場は昨日と違って、魚もたくさん揃っていた。

20180725魚売り場

そこで気づいたのだが、魚の陳列の仕方が独創的なのだ。
魚がいろんな向きで並べてあるではないか・・・
まるでひとつの芸術作品のようだ。

20180725魚の並べ方1



20180725魚の並べから2



20180725魚の並べかた3




20180725魚の並べ方4


昨日はほとんど見かけなかった生のマグロにも出くわした。ただし、解体ショーはやってなかった。

20180725生のマグロ



次に向かったのは、昨日、閉館で入れなかった「シェルター」の記念館。

20180725アルメリア防空壕記念館


Refugioとは避難所とかシェルターなどを意味するスペイン語。
スペイン市民戦争(1936年7月 - 1939年3月)当時、市民の避難所として共和国派自治体だったアルメリア市が造ったもの。

20180725避難所の文字が


今日は10時きっかりに入場できた。
まず、最初は、当時を知る人たちの証言をもとにした短編記録映画を見る。
次にガイドによって地下のシェルターへと案内された。


20180725地下防空壕1



20180725地下防空壕2




20180725防空壕3



防空壕での生活を偲ばせる日常用品

20180725生活用品が陳列されていた


医療施設まであった

20180725外科手術室







こうした中で、一番気になったのは、このプレートだった。

20180725ドイツ軍の爆撃の犠牲者たち



「1937年の5月31日のドイツ軍の爆撃で犠牲となった人々」と記されている。

フランコを支援するドイツ軍の爆撃といえば、ピカソの絵で有名になったバスク地方の「ゲルニカ」があるが、こんなアンダルシアの地でもドイツ軍による爆撃(砲撃)があったのだ。

グラナダに帰ってから1937年の5月31日の事件を調べた。(ガイドさんは説明していたと思うが、恥ずかしながら、ジジイはスペイン語の読解力がまったくないためにわからなかった)


五月二十九日の夕方、ドイツ戦艦「ドイッチュラント」号がイビサ沖に錨をおろしていた。突然、共和国飛行機二機がーはじめは沈みゆく太陽を背にしていたため、その所属が確認できなかったがー頭上にあらわれ、爆弾二個を投下した。その一個は水兵食堂におち、乗組員のうち死者二十二、負傷者八十三を出した。・・・
・・・ヒトラーは、かくも多数のドイツ人死者を出したことに腹をたて、外務大臣ノイラートは、六時間わたってヒトラーの怒りを和らげようとつとめていた。「ドイッチュラント」号自体はジブラルタルへ航行し、負傷者をおろした。さらに九人が死亡し、死者総数は三十一人になった。
五月三十一日未明、ドイツ側は復讐に出た。巡洋艦一隻と駆逐艦四隻がアルメリア沖にあらわれ、2百発の砲弾をまちに撃ちこみ、破壊家屋三十五、死者十九人を出した。・・・・(ヒュー・トマス「スペイン市民戦争Ⅱ P109〜P110)



ヒュー・トマスの本では死者の数が十九人となっているが、プレートでは三十一人の名前が記されている。おそらく、こたらの方が正しいはずだ。

スペイン市民戦争では、ドイツとイタリア・ポルトガルのファシスト政権が積極的にフランコを支援していたのだが、共和国へはメキシコとソ連と国際義勇軍の支援しかなった。しかもスターリニストソ連の支援は、共産党以外の共和派の党派をファシストのスパイと決めつけたため、共和国内部で内ゲバがおこり、結果、共和国を衰弱させる原因ともなった。そして、もう一つは英仏などが非干渉主義でみすみすファシストの跋扈を許したことも、共和国敗北につながった。



この日は、夕方、カテドラルとモーロ人の造営した城塞(アルカサバ)に行ったのだが、どちらも、時間外で入場できなかった。

明日、朝には宿をでなくてはならないので、新しい宿を見つけた。
シェルターの記念館のすぐ近くで、50ユーロ(6500円)だった。


20180725新しい宿


















2018/07/30

地中海に面した町・アルメリアへの小旅(3)

3日目(26日)

朝、一番にアルメリア駅に行き、グラナダ行きの列車のチケットを購入。(バス駅と鉄道駅が同じ建物)
鉄道運賃はバス運賃より3ユーロほど高いが、列車の車内は混んでおらず、ゆったりしているのとバスのコースとは違ってグアディックス経由のため車窓の変化が楽しめるので、列車で帰ることにしたのである。
所要時間は、2時間23分とバスよりは少しかかる。

20180726アルメリアの駅

宿のすぐ隣のバルで朝食。いつものように
トスターダ・コン・トマテとカフェ・コン・レッチェ。

20180726バルで朝飯



今日の観光コースは、昨日、入場できなかったカテドラルとアルカサバ(モーロ人の造営した城塞)

カテドラルは16世紀の中頃に建築されたものそうだ。
内部撮影禁止のため中の写真はなし。

20180726カテドラル

ちょっと、面白かったのは、この建物の裏に回ると、なんと銃眼のある壁があり要塞のようになっていたことだった。
考えてみたら、この教会は、ドンキホーテの作者のセルバンテスが参戦、負傷して捕虜となったレパントの海戦(1571年)のすぐ直前に造営されたもので、要塞兼用の教会というのはオスマン帝国からの襲撃の脅威を意識したものなのだろう。




次に向かったのは、モーロ人の城塞(アルカサバ)


20180725アルカサバ1



20180725アルカサバ2



20180726アルカサバ3



向こうに見えるのは地中海クルーズの「豪華大型客船」

20180726アルカサバ4−2




20180726アルカサバ5



20180726アルカサバ7




20180726アルカサバ6


つい最近まで、このような状態だったようだ。それを現在、修復中。

20180726アルカサバ8



20180626アルカサバ9



20180726アルカサバ10





この夜の食事は、新しくかわった宿のすぐ向かいにある海鮮料理店に入った。

20180726海鮮レストラン


カウンターにある陳列ケースに、その日のオススメの魚が置いてあり、飲み物を注文するとタパ(おつまみ)として、一品選べる。料理法はいたってシンプルで、フライパンで焼いて塩胡椒で味付けしただけ。

20180726海鮮レストラン内部


これはカジキマグロを小さく切ったもの。

20180726カジキマグロのステーキ


こちらは小型のスルメイカ

20180726小型のスルメイカ


小型の舌びらめ

20180726小型の舌びらめ

このほかに、鰯も頼んだのだが、写真を撮り忘れてしまった。
ビールが2杯と白ワインが2杯。それについてくるタパが4品。
会計は10ユーロ(1300円)だった。
安くて、新鮮な魚でした。
惜しむらくは、少し塩辛かった。

2018/07/31

地中海に面した町・アルメリアへの小旅(4)

4日目(27日)


朝、アルメリア発グラナダ行きの9時の列車に乗った。

20180727グラナダへの列車


車内は予想していたとおり空いていた。

20180727車内は予想通り空いていた



鉄道だと、往きに乗ったバスのルートと違い、シェラネバダの北側を通って帰るのである。





20180727車窓1 出発


この辺からムルシアにかけて乾燥地帯=砂漠地帯が続く。

20180727車窓2 乾燥地帯 映画の撮影


映画の舞台に使われた。三船敏郎の「レッド・サン」やスピルバーグの「太陽の帝国」の撮影が行われたそうだ。

20180727車窓3 



スペインではこうした風力発電の装置が普及している。

20180727車窓4風力発電



グアディックス。ここは洞穴住居で有名。

20280727車窓5グアディックスの町。洞穴住居で有名



午前11時20分。定刻より少し早めに、グラナダ着。



駅のすぐ近くの魚屋で買った「生のマグロ」で無事帰還の祝杯!

20180727駅の近くで買った生のマグロで帰還祝杯


こうした「小旅」、けっこういいもんだ。
また近々出かけよう!