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2018/08/01

オームの大量処刑について


村上春樹氏
寄稿 胸の中の鈍いおもり 事件終わっていない オウム13人死刑執行
毎日新聞2018年7月29日 東京朝刊


死刑の持つ意味
 七月二十六日に、七月六日に続いて二度目の死刑執行が一斉におこなわれ、これで死刑判決を受けた元オウム真理教信者の十三人、すべてが処刑されたことになる。実にあっという間のできごとだった。

 一般的なことをいえば、僕は死刑制度そのものに反対する立場をとっている。人を殺すのは重い罪だし、当然その罪は償われなくてはならない。しかし人が人を殺すのと、体制=制度が人を殺すのとでは、その意味あいは根本的に異なってくるはずだ。そして死が究極の償いの形であるという考え方は、世界的な視野から見て、もはやコンセンサスでなくなりつつある。また冤罪(えんざい)事件の数の驚くべき多さは、現今の司法システムが過ちを犯す可能性を--技術的にせよ原理的にせよ--排除しきれないことを示している。そういう意味では死刑は、文字通り致死的な危険性を含んだ制度であると言ってもいいだろう。

 しかしその一方で、「アンダーグラウンド」という本を書く過程で、丸一年かけて地下鉄サリン・ガスの被害者や、亡くなられた方の遺族をインタビューし、その人々の味わわれた悲しみや苦しみ、感じておられる怒りを実際に目の前にしてきた僕としては、「私は死刑制度には反対です」とは、少なくともこの件に関しては、簡単には公言できないでいる。「この犯人はとても赦(ゆる)すことができない。一刻も早く死刑を執行してほしい」という一部遺族の気持ちは、痛いほど伝わってくる。その事件に遭遇することによってとても多くの人々が--多少の差こそあれ--人生の進路を変えられてしまったのだ。有形無形、様々(さまざま)な意味合いにおいてもう元には戻れないと感じておられる方も少なからずおられるはずだ。

 僕は自分の書いた本を読み直して泣いたりするようなことはまずないが、この「アンダーグラウンド」という本だけは、必要があって読み返すたびに、いくつかの箇所で思わず涙が溢(あふ)れ出てきてしまう。そのインタビューをしていたときの空気が、そこにあった気配や物音や息づかいが、自分の中にありありと蘇(よみがえ)ってきて、息が詰まってしまうのだ。たとえセンチメンタルだと言われようと、僕は本を(小説を)書く人間として、そういう自然な気持ちを押さえ込んでしまいたくないし、できることならそれを少しでも多く読者に伝えたいと思う。また僕自身も、この一冊の本を書くことを通して、自分の中で何かが確かに変化したという感触を持っている。

遺族感情 どこまで反映
 ただ、遺族感情というのはなかなかむずかしい問題だ。たとえば妻と子供を殺された夫が証言台に立って、「この犯人が憎くてたまらない。一度の死刑じゃ足りない。何度でも死刑にしてほしい」と涙ながらに訴えたとする。裁判員の判断はおそらく死刑判決の方向にいくらか傾くだろう。それに反して、同じ夫が「この犯人は自分の手で絞め殺してやりたいくらい憎い。憎くてたまらない。しかし私はもうこれ以上人が死ぬのを目にしたくはない。だから死刑判決は避けてほしい」と訴えたとすれば、裁判員はおそらく死刑判決ではない方向にいくらか傾くだろう。そのように「遺族感情」で一人の人間の命が左右されるというのは、果たして公正なことだろうか? 僕としてはその部分がどうしても割り切れないでいる。みなさんはどのようにお考えになるだろう?

葛藤 秘められたまま
 僕は「アンダーグラウンド」を出版したあと、東京地裁と東京高裁に通って地下鉄サリン・ガス事件関連の裁判を傍聴することにした。仕事の関係で旅行に出ることも多く、もちろんすべての法廷には通えなかったが、東京にいるときは時間の許す限り傍聴した。とくに林泰男(元死刑囚)の裁判には関心があったので、そちらを主にフォローした。僕が林泰男の裁判に関心を持ったのは、彼がサリン・ガスを散布した日比谷線(中目黒行き)の車両がもっとも多数の被害者を出し、そのうちの八人が命を落とされたからだ。僕がインタビューした被害者も、その車両に乗っていた人が圧倒的に多かった。彼は他の実行犯たちが、サリン・ガス溶液の入った二つのビニール袋を、尖(とが)らせた傘の先で突いたのに対し、自分から進んでビニール袋を三つに増やしてもらい、それを突いた。そのことも被害者の多さに繋(つな)がっていると言われる。その林泰男というのはいったいどういう人物なのだろう? どのようにしてそんな重大な犯罪を犯すに至ったのだろう? 僕としてはそれを自分の目で見届けたかった。伝聞なんかではない第一次情報として知りたかった。

 結果として、林泰男はかなり複雑な感情を抱えた人間だという印象を僕は持った。今ここで「彼はこういう人間だ」とはっきり割り切ることは、とてもできそうにない。彼の裁判には何度も足を運んだが、被告席に座った彼が何を考え、何を感じているか、その本当の気持ちを見極めることはむずかしかった。どちらかといえば、自分にとって大事なものは殻の中に収め、人目には晒(さら)さないという態度を静かに保っているように見えた。長い逃亡生活中に身につけたガードの強さみたいなものも、そこにはあったかもしれない。相反するいくつかの感情を、うまく統合しきれないまま、捌(さば)ききれないまま自分の中に抱え込んでいるような印象も受けた。ただ自らの行為を悔やみ、審理の進行に対して終始協力的であったとは聞いている。

 昔の友人や知人の証言を総合すると、本来は前向きで、真面目な考え方をする素直な青年であったようだ。弱い部分や、心の傷を抱えてはいたが、自らを律しようという意志もそれなりに強かった。多くの人々が彼に対して好感を抱いていたようだ。しかしそのような真摯(しんし)で前向きの姿勢をうまく活用できる状況に、自分の身を置くことがむずかしかったらしい。それはこの裁判で裁かれた多くの元オウム真理教信者について、共通して言えることでもあるのだが……。そして「修行」という名の新しい文脈が、彼らの充(み)たされざる思いを手際よく有効に、そして結局はきわめて邪悪に、すくい上げていくことになった。

 林泰男の裁判に関して、僕がよく覚えているのは、法廷にいつも必ず彼のお母さんが見えていたことだ。誰かが「あれが林の母親だよ」と教えてくれた。小柄な女性で、よく僕の前の傍聴席に座っておられた。裁判のあいだじゅう、ほとんどぴくりともせず、たぶん被告席の息子の方をじっと見ておられたのだと思う。彼女の姿が法廷に見当たらなかったのは、判決言い渡しの当日だけだった。おそらく息子に極刑の判決が下りることを覚悟し、それを実際に耳にすることに耐えられなかったのだろう。まだお元気でおられるのか、今回の死刑執行の報を耳にしてどのように感じておられるのか、それを思うと胸が痛む。

木村判決 一筋の光明
 林泰男の裁判に関して、もうひとつ印象に深く残っているのは、担当裁判官であった木村烈氏がとても公正に、丁寧に審理を運営しておられたことだ。最初から「実行犯は死刑、運転手役は無期」というガイドラインが暗黙のうちに定められている状況で(林郁夫=受刑者・無期懲役確定=という例外はあったものの)、審理を進めていくのにはいろんな困難が伴ったと思うのだが、傍聴しながら「この人になら死刑判決を出されても、仕方ないと諦められるのではないか」と感じてしまうことさえあった。

 正直に申し上げて、地裁にあっても高裁にあっても、唖然(あぜん)とさせられたり、鼻白んだりする光景がときとして見受けられた。弁護士にしても検事にしても裁判官にしても、「この人は世間的常識がいささか欠落しているのではないか」と驚かされるような人物を見かけることもあった。「こんな裁判にかけられて裁かれるのなら、罪なんて絶対におかせない」と妙に実感したりもした。しかし林泰男の裁判における木村裁判長の判断に関する限り、納得できない箇所はほとんど見受けられなかった。判決文も要を得て、静謐(せいひつ)な人の情に溢れたものだった。

 「およそ師を誤るほど不幸なことはなく、この意味において、林被告もまた、不幸かつ不運であったと言える。(中略)林被告のために酌むべき事情を最大限に考慮しても、極刑をもって臨むほかない」

 気持ちがしっかりと伝わってくる優れた判決文だったと思う。それは希望の余地というものがほとんど存在しないこの長い裁判を通して、最後に辛うじて差し込んできた微(かす)かな光明のようなものだったかもしれない。

十三の死 踏まえ考える
 それでも死刑判決を生まれて初めて、実際に法廷で耳にして、それからの数日はうまく現実生活に戻っていくことができなかった。胸に何かひとつ、鈍いおもりが入っているような気がしたものだ。裁判長の口から死刑が宣告されたその瞬間から既に、死は法廷の中に姿を現していた。

 そして今、オウム事件関連の死刑囚、十三人全員の死刑が執行されたとの報を受けて、やはり同じように胸の中のおもりの存在を感じている。表現する言葉をうまく見つけることのできない重い沈黙が、僕の中にある。あの法廷に現れた死は、遂(つい)にその取り分をとっていったのだ。

 十三人の集団処刑(とあえて呼びたい)が正しい決断であったのかどうか、白か黒かをここで断ずることはできそうにない。あまりに多くの人々の顔が脳裏に浮かんでくるし、あまりに多くの人々の思いがあたりにまだ漂っている。ただひとつ今の僕に言えるのは、今回の死刑執行によって、オウム関連の事件が終結したわけではないということだ。もしそこに「これを事件の幕引きにしよう」という何かしらの意図が働いていたとしたら、あるいはこれを好機ととらえて死刑という制度をより恒常的なものにしようという思惑があったとしたら、それは間違ったことであり、そのような戦略の存在は決して許されるべきではない。

 オウム関連の事件に関して、我々には--そしてもちろん僕自身にも--そこから学びとらなくてはならない案件がまだたくさんあるし、十三人の死によってそのアクセスの扉が閉じられたわけではない。我々は彼らの死を踏まえ、その今は亡き生命の重みを感じながら、「不幸かつ不運」の意味をもう一度深く考えなおしてみるべきだろう。

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これを読んだとき、思わず「へえっ!」と思ってしまった。
「死刑判決」がどうして、「静謐(せいひつ)な人の情に溢れたものだった。」のだろうか。
失望というより、怒りににた感情がこみ上げてきた。
そして、辺見庸の文章を読んで、同じ感情なのを知った。


 


 
辺見庸はそのブログで下記のように書いている。(共同通信の記事はまだ読んでいない)



◎再び処刑関連原稿 辺見庸

「人びとはこれを望んだのかーー気づかざる荒みと未来」と題する一文(7枚)を寄稿しました。共同通信から各加盟紙に配信されます。
ご一読ください。原稿の末尾で、村上春樹氏の発言(7月29日付毎日新聞)を批判しました。

氏は「『私は死刑制度には反対です』とは、少なくともこの件に関しては、簡単には公言できないでいる。『この犯人はとても赦すことができない。
一刻も早く死刑を執行してほしい』という一部遺族の気持ちは、痛いほど伝わってくる」と述べている。

被害者感情と処刑(死刑制度)を同一線上でかたるのは、よくありがちな錯誤である。前者の魂は後者の殺人によっては本質的にすくわれない、とわたしは書いた。

にしても、村上氏の文には正直おどろいた。
「・・・林泰男の裁判における木村裁判長の判断に関する限り、納得できない箇所はほとんど見受けられなかった。判決文も要を得て、静謐な人の情に溢れたものだった」
極刑判決をほめたたえる神経は、わたしにはとうてい理解不能だ。

2018/08/03

河野義行さんの「被害者感情」を乗り越えて発言する姿勢に心打たれた!

河野義行さん「彼らに対しては終身刑が極刑」
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前回、村上春樹の新聞への寄稿文を読んで、がっかりしたと書いたが、僕は彼の本はほぼ全て読んでいるぐらい結構な愛読者であったからだ。
今回、「アンダーグランド」も再読してみた。

しかし、妻を亡くし、本人も冤罪で犯人扱いされた、この河野さんの発言を知って、ますます村上春樹の主張には全く同意できないと思った。辺見庸の主張が正しいと再確認。








最近読んだ本 モーパッサン著「女の一生」と「脂肪のかたまり」

この二冊の本だが、松岡正剛さんと川本三郎さんのお二人がうまくまとめておいでなので、引用させてもらった。
ちなみに、お二人とも、私と同年配である。(ところで、村上春樹と川本三郎さんはそっくり顔。しかも二人で映画本など出されている。脱線ついでに。)



松岡正剛「ギイ・ド・モーパッサン 女の一生」
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川本三郎「脂肪のかたまり」――娼婦への同情が伝わる、モーパッサンの出世作
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川本さんが触れている、永井荷風の「フランス物語」のなかで書かれている「モーパッサン」崇拝の文章がすごい。
以下ちょっとだけ紹介しておく。

「モーパッサンの石像を拝す」
そもそも、私がフランス語を学ぼうという心掛けを起こしましたのは、ああ、モーパッサン先生よ。先生の文章を英語によらずして、原文のままに味いたいと思ったからです。一字一句でも、先生が手ずからお書きになった文字を、わが舌自らで、発音したいと思ったからです。



紐育についても英語はそっちのけで、フランス語の勉強をする荷風。そして、フランスへの転勤が決まると、3年間愛人だった彼女をうち捨てて、そそくさとフランスヘ旅だったという。

・・・私は、突然、同じ銀行の仏国支店に転任を命ぜらる。私は別れる運命の来る時には死のうといった言葉を裏に、女をすかして、飄然と紐育をば後にしたのです。私の、芸術的熱情は、恋のそれよりも、どれほど、その瞬間には強かったでしょう。私は、生別、死別、いずれにもせよ、Adieu(別れ)は、人間のまぬがれ難い運命だと、そういいました。彼の女はフランス語を知らぬ身ながら、わかれに臨んで私に先生の著作の大半を買ってくれました。ああ、私は、世の中に、私ほど、嫌悪すべき悪獣(ベート、フェロス)はないと思います。私がフランスの芸壇を見ても、なお、芸術に成功すべき人となれないのは、別れた後には、風の如く消息を絶したあの女が、この世か、あるいは已にあの世から、憎むべき私を呪っているからでしょう。
・・・・・
私は先生のように、発狂して自殺を企てるまで苦悶した芸術的の生涯を送りたいと思っています。私は、先生の著作を読み行く中に、驚くほど思想の一致を見出します。・・・・
先生は人生が単調で、実につまらなくて、つまらなくて堪えられなかったらしいですね。愛だの、恋だのというけれど、つまりは虚偽の幻影で、人間は互いに不可解の孤立に過ぎない、その寂寞に堪えられなかったらしいですね。老年という悲惨を見るに忍びなかったらしいですね。・・・・





「脂肪のかたまり」を読むと、モーパッサンが娼婦に肩入れする姿勢と永井荷風が浅草のストリップ嬢らとしょっちゅうお好み焼きなどを食べていたことが重なっているのは、こういうことだったのかと、謎解けるのである。




梅安亭・健在です。昼も夜も飲んでます!

昨日の昼酒
生シャケの塩焼き、きゅうりの塩麹漬け、マカロニ・サラダ、きゅうりとしらすの酢の物

20180802。2日の昼酒



今日の昼酒
キムチポッカ、タコぶつ、奴に茄子のおひたし

2010803。3日の昼酒


2018/08/05

スペインの南西部やポルトガルでは46度超え!

コルドバでは44度・・・温度計を壊してしまった!

この写真は、コルドバで木曜日に撮影されたもの。44度を示している温度計の前で若者が扇子をかざしている、とのコメント。この構図はカメラマンがやった!と思って撮ったものだろうね。






ニコラス・マドゥロ・ベネゼラ大統領・暗殺未遂!




ベネズエラ大統領暗殺未遂か ドローンで、演説中爆発
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"現代ラテンアメリカ情勢・トランプが昨年8月、ベネゼラへの軍事侵攻を提案">
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ニカラグアでもサンディニスタ政権への「反政府デモ」が激化している。
また、ウィキリークスのアサンジをイギリスの大使館で匿っていたエクアドルのコレア元大統領も訴追されている。そのアサンジも近々、在英エクアドル大使館から追放されるようだ。
ブラジルではルーラ元大統領が収監されているし、アルゼンチンのクリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル元大統領も刑事告発されている。
これを見ると、ベネゼラ、エクアドル、ニカラグア、ブラジル、アルゼンチンといったかつての強硬な反米諸国へのアメリカの巻き返しと見るのが妥当だ。

アメリカは、自らの「裏庭」での「反米諸国」の存在を許さないために、昔から直接的な軍事侵攻や情報戦を通じての謀略作戦を展開してきた。中南米史をちょっとでも知るとアメリカの血まみれの過去がわかる。(例えば、映画でもチリのアジェンデ政権を転覆させたクーデターを描いた「ミッシング」やエル・サルバドールの内戦を描いたオリバー・ストーン監督の「サルバドール」などがある)
伊藤千尋さんの「反米大陸ー中南米がアメリカにつきつけるNO!」(集英社新書)がわかりやすい。







梅安亭・暑さで食欲不振になったら、「酢の力」で乗り切ろう!



鮭の南蛮漬け
これ、何回か紹介しているが、栗原はるみさんのレシピがベース。
鮭も美味しいが、野菜が最高。残った汁に野菜だけを追加しても、サラダ感覚でいけるのだ。

20180805鮭の南蛮漬け



本日の昼酒献立
ほかは「ナスのおひたし」「プチトマト」「大根の甘酢漬け」

20180805本日の昼酒メニュー



しめは「鯖の棒寿司」
昨日、ゴマ鯖を「生寿司=きずし」で食したのだが、イマイチ、美味しくなかった。それでも捨てるのはもったいないので棒寿司にした。まあ、それなりにいけた。

20180805しめは昨日のゴマ鯖で作った棒鯖寿司


2018/08/11

この傲慢で礼儀知らずの最低の男が首相だよ!

被爆者との面談の時にとった安倍のこの態度!
年長者の相手が一生懸命話しているのに、無視して聞く素振りさえ見せない。
自分に都合の悪いことは聞きたくないのだろう。
これが、大人のとる態度か?
ほんと呆れる。
こんなカスが、「美しい国・日本」なんて言っていることが、ちゃんちゃらおかしい。











読み終えた本フロベール著・生島遼一訳「ボヴァリー夫人」

ボヴァリー夫人表紙


<あらすじ>

 舞台はノルマンディ地方の田舎町のトストである。そこへ自分では教養もあり感情のおもむくままに生きられるとおもいこんでいるエマが嫁いでくる。
 夫のシャルル・ボヴァリーは60近くの凡庸な医者で、「歩道のように平板な会話」しかできない。夫だけでなく、町もまた、まったく息のつまるような社会しか提供してくれない。
 それでエマはせめて「逞しい褐色の髪をもつ子」を生むことで、「彼女の過去のあらゆる無力を希望でうめあわせようとする」のだが、生まれてきたのは女の子であった。失望したエマは、なんなく近在の地主と姦通してしまう。

 あまりにあっけなくエマを籠絡できた地主は、かえってエマへの関心を失う。
 エマがイタリアへの駆け落ちを望んでも、巧みに逃げた。これは自尊心の権化のようなエマを途方にくれさせた。エマが自殺を考えるようになるのは、このときからである。
 が、捨てる神あれば拾う神ありで、エマは観劇に訪れた劇場で若い書記官レオン・デュピュイと出会って恋をする。大金を払ってルーアンに住まわせ、ピアノの練習を口実に毎週会いに行く。やっと「本のなかであれほど美しく思えた幸福・情熱・陶酔」がこういうものかと合点したエマは、流行に凝り、「侯爵夫人のようにふるまうこと」を決意する。
 けれども、この金髪の青年は“侯爵夫人”にみあうだけの「英雄的な行動」をとってくれない。それはそうだろう。この田舎にはそのような男は一人もいるわけがない。青年はエマの空想を打ち砕いてしまう。エマは砒素をあおって自殺する。(松岡正剛の「千夜千冊」より抜粋)



モーパッサンを2冊読んだので、その師匠のフロベール(1821年- 1880年)の代表作を読んでみた。
とどまることのない「情熱」に突き動かされ、はたから見ると狂人のように見えるエマの行動は、読んでいるほうが息が苦しくなるほどの過激さだ。
このエマとは誰だ?との疑問に、フロベールは「ボヴァリー夫人は私だ」と述べている。
だからゆえに、エバの生き方と対照的なスノッブの見本のような「薬剤師」や「金貸し」を、侮蔑を込めて克明に描けたということだろう。

翻訳者の生島遼一さんの訳が、何十年経っても風化していないのは、恐るべきことだと感じた。
僕が大学に入った時には、まだ文学部の教授をなさっていて、桑原武夫、伊吹武彦さんらと京大フランス文学の華だった。






梅安亭・長いナスにはまっています。

ついこの間も当ブログで紹介した長いナス。
これが実に使い勝手がいいので、木曜日の入荷日にはこんなに買ってしまいました。

20180809長いナスをこんなに買ってしまった



ナスの浅漬け

20180809ナスの浅漬け



豚肉とナスとピーマンの味噌炒め

20180807ナスとピーマンと豚肉との味噌炒め



オクラとなすの揚げ煮

20180811ナスとオクラの揚げ煮



これはナスとは関係ないのですが、新作のぬたです。

ムール貝とわけぎのぬた

20180810ムール貝とわけぎの酢味噌和え




ツイッターの利便性に目覚めて、毎日の料理はそちらで紹介しています。よかったら、覗いてみてください。
梅安亭@torufujieda
です。





2018/08/13

暑い時こその麺類二品

昨晩(12日)は、フォー
冬に食べるより、このクソ暑いときに食べる方が美味しく感じる。ベトナムのあの暑さのなかで食べたフォーの味が懐かしい。トッピングの青物は青梗菜。パクチーがなかったのが、残念。
ちょっと面白いことをやってみたのだが、乾麺のフォーを水に30分から1時間ほど漬けておくと、生麺のようになり、けっこういけるのである。

20180812暑い時こそフォー





今晩(13日)はイカ焼きそば
見た目はただのイカ焼きそばだけど、味はピリ辛。
じつは、最初にドロ・ソースを少しだけかけ、そのあと、焼きそばソースで味を整えている。
はじめは焼きそばソースのせいで甘く感じるが、そのうちピリッとくるのが売りである。
これも夏ならではの味。

20180813隠し味にドロソースを使っているイカ焼きそば







梅安亭・本日の昼酒メニューは「イカの緑酢和え」


緑酢は土井善晴さんのレシピを参考にしている。
きゅうり1本をおろす。次にニンニクをひとかけおろす。このニンニクを使うところが、ほかの人の緑酢とは違うところで、味にパンチが出る。醤油大さじ1杯、酢大さじ2杯。

20180813イカの緑酢和え




ほかは、マグロのヅケ、青梗菜のおひたし、ナスとオクラの揚げ煮、ナスの漬物、マグロの血合いとポロネギの煮物

20180813本日の昼酒メニュー




2018/08/15

赤紙配達人だった人が、敗戦時、軍の焼却命令に叛き、徴兵関連の文書を密かに保管していた!

赤紙配った、みんな死んでしもうた 軍に背き守った秘密
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今朝(13日)、この記事を読んだのだが、自分も10年ほど前に、この西邑仁平さんを取りあげた番組作りに参加したことがある。
滋賀県・長浜のお宅に伺って、西邑さんのお話を聞いた時のことが今でもはっきりと目に浮かぶ。
やや耳が遠くなられていたので、お嫁さんがディレクターの質問を耳元で大きな声で反復なされていた。
西邑さんが軍の焼却命令に背いてまで、秘匿した文書。
それが語るものの重さは、番組を見てもらうと、よくわかると思う。
一枚の薄っぺらな赤紙が村民の生死を決定づけていたのである。

公文書破棄や改ざんが「忖度官僚」によって、公然と行われている今の時代、この西邑さんが勇気を持って残した公文書の持つ意味の大きさに今更ながら気づかされた。





この映像をネットで探している時に、偶然、芥川賞作家で辺野古基地反対闘争に取り組んでいる目取真俊さんの番組評を目にしたので、紹介しておく。

「こうして村人は戦場へ行った」を見る
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2018/08/18

干上がったアラル海の今・・・


「漁業より綿花」ソ連が無計画な水利用 縮んだアラル海
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自分は、このアラル海へは今から5年前の2013年の9月に行ったことがある。(よかったら2013年9月14日の当ブログの記事をみてください。なんともお恥ずかしい文章ですが・・・)

これが、その時撮った写真。

NASAの衛星の画像を使った看板があった。

1968年と1970年当時のアラル海

Nasaの衛星から見たアラル海の1968年と1970年の画像の看板


2009年当時のアラル海

NASAの衛星から撮ったアラル海の2009年の画像の看板


2013年当時の船の残骸

アラル海の廃船2



アラル海の船の残骸



その後、5年間でどれほどの変化が起こっているかは、知らなかったのだが、下記の記事を読んで少しだけホッとした。

アラル海にダム、魚を戻す試み まだ最盛期の7分の1
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スペインリーグ(La Liga Española)が始まった!期待の乾は・・・・なんとベンチスタートだった


ええっ!

せっかく、観戦メニューまで用意したのに・・・
勝利を願って、「串カツ」とほかは「納豆とオクラのネバネバ」「マカロニ・サラダ」「プチ・トマト」

20180817乾・観戦メニュー




新加入のポルトガル代表のMFのウィリアム・カルバリョを軸に攻撃を仕掛けるが、単にちんたらと球回しをしているだけで、なんか悪い時のバルサの試合を見ているようだった。
案の定、レバントにその動きを読まれて、カウンターをくらい、先制点を許した。
乾は、後半66分から登場。
それなりに存在感を見せていたが、ロストボールも多かったのが悔やまれる。
終盤に強烈なシュートをキーパーのファイン・セーブで阻まれたのが残念だった。

乾貴士がベティスデビュー チーム敗れるも現地メディアは好印象
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しかし、乾のレギュラーってどうなるのだろう。
次回もベンチスタートなんだろうか?




2018/08/20

大量の「幼児的な老人」が右往左往する「日本の高齢化社会」

内田樹が語る高齢者問題――「いい年してガキ」なぜ日本の老人は幼稚なのか?――2018上半期BEST5
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「幼児的な老人」そのもののジジイがいうのも、なんですが、まずはご一読を!
内田ワールド全開ですね。
「成熟した老人」には、ワタスのような年齢では今更なれないそうです。
きついご託宣です。






おおかたの予想に反して、ヘタフェ・柴崎が先発フル出場




ベンチスタートが予想されていた柴崎だが、その先発フル出場の背景には、こんなことがあるんだとの情報。

移籍間近? 柴崎岳がレアル戦で予想外の先発出場を果たした事情
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本当だとすると、今のサッカー界はやはり、金、金、金なんですね。
がっかりさせられる話です。






梅安亭のオススメは「オクラと鶏肉のトマト煮」



たまたま目にした記事を見て作った。
キューピー・3分クッキングのレシピ。

いつもはトマトソースで作っているのだが、こちらはトマト本体で作る。
しかも、レモン汁を使っているのがいい。
というわけで、トライした。


3分クッキング「オクラと鶏肉のトマト煮」
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オリーブオイルをひいて、玉ねぎ、トマト、鶏肉、オクラの順に重ねる。
この上に、水とレモン汁を加えて、ふたをして10分。

20180819オクラと鶏肉のトマト煮


10分後に、蓋を開け、中身を混ぜかえす。
カイエンペッパーを加えた。(これはレシピ外)

20180819カイエンペッパー

残り5分ほど煮詰めて完成。


20180819オクラと鶏肉のトマト煮完成!


これはひとつの鍋でできるのがいい。
レモン汁とカイエンペッパーで、ホット・アンド・サワー味になる。
ズッキーニとかナスとかの夏野菜を加えるといいと思う。

是非お試し。

2018/08/22

オウム大量処刑についての辺見庸の小論


忘れないために・・・
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深く考えさせられた。
心の奥に響く文章だった。



東京新聞の編集では、この小論のすぐ隣に村上春樹、賞賛の論を載せているが、どういう意味なのだろう。

オウム死刑判決を人間味あふれる静謐なる判決と褒め称えた村上春樹。
彼が「無常を語る辻説法師」なんて、とても思えない。
僕はオウム処刑の後の彼の小論を読んで、吐き気を覚えた。
その時、これが奴の本質だったのだとわかった。
聞こえの良い薄っぺらなリベラルな言動の裏に潜む、恐るべき冷酷で稚拙な心性を・・・

辺見庸がいうように、被害者感情と死刑制度を同じレベルで捉えることは間違いである。
「被害者の魂は、死刑という殺人によっては救われない」。
これが死刑制度に反対する論拠である。