2017/08/13

暑い夏!あと少しの辛抱だ・・・

朝晩はかなり快適になってきた。
今年は春先にエアコンをリビングに設置したのが幸いして、猛暑をなんとか乗り切ることができた。
最近では、エアコンのスィッチを入れる回数がかなり減っている。
あと、半月ほどで僕の生まれ月、秋だ!


うなぎで元気をつけたい!
これは中国食品店で買ったもの。半分だけ使った。700円なり。

081317鰻丼




ナスとピーマン、豚肉の味噌炒め

081117ナスとピーマン、豚肉の味噌炒め








読み終えた本 アントニオ・タブッキ「レクイエム」


081317タブッキ「レクイエム」


内容(「BOOK」データベースより)
七月は灼熱の昼下がり、幻覚にも似た静寂な光のなか、ひとりの男がリスボンの街をさまよい歩く。この日彼は死んでしまった友人、恋人、そして若き日の父親と出会い、過ぎ去った日々にまいもどる。タブッキ文学の原点とも言うべきリスボンを舞台にくりひろげられる生者と死者との対話、交錯する現実と幻の世界。



雑感

本の構成としては、死者と生者23人との対話を半日で成し遂げることになっている。
そのなかには死んだ父親も恋人も、死んだ友人も出てくる。
どの章が一番印象的だったかというと、やはり・・・「聖アントニウスの誘惑」の章だ。自分はヒエロニムス・ボスの「快楽の園」のコピーを部屋に飾っているほど、このボスという画家が大好きだからだ。
さて、この「聖アントニウスの誘惑」の章でなにをいうのかと思ったら、なんともすごい事実を取り上げているので驚いてしまった。
細部拡大模写画家との対話のなかで、この模写画家に次のように語らせているのである。
「この絵は昔は霊的治療の用途を持っていたのですよ。・・・病人はこの絵の前まで巡礼に訪れ、彼らの病を癒していくれる奇跡の訪れを待ったのです。・・・そもそも、この絵はリスボンのアントニウス会の病院にかけられていたものです。・・・そこは皮膚病患者が収容される施設でした。病気の大半は性病と、恐ろしい「聖アントニウスの炎」でした。伝染性の丹毒の一種のことを昔はそう呼んでいたのです。患者には気持ちの悪い水泡がいっぱいできて、大変な痛みをともないます。・・・・現在では、その正体は「ウイルス」で「帯状疱疹」と呼ばれています。・・・」
皮膚のただれた瀕死の患者は、この絵の前で奇跡を祈ったのだ・・・。


最後の対話者はポルトガルが生んだ国民的詩人のペソアで、なんとこの人自身が表した「ペソアと歩くリスボン」という本がある。

1920年代にヨーロッパ西端の小国を世界に知らしめたいという切なる想いで書かれた未完のガイドブック。コルメシオ広場や、ジェロニモス修道院など詩人の眼が活写したポルトガルの観光地を、当時の図版も交えて紹介する。




結局、タブッキは自分の敬愛するペソアの向こうを張って「タブッキと歩くリスボン」を書いているのである。
じつにしたたかな構成だと感服したしだいである。

リスボンへ行くなら、ぜひこの一冊を!


タブッキは旅人であり、グルマンであるのだ

ところで、今回はタブッキはグルマンでもあることを発見した。
これも最初読んだ「供述によればペレイラは」で、香草入りオムレツと海鮮サラダにこだわる主人公を知って以来感じていたことだが、今回はアレンテージョ名物料理の「サラブーリョ」のレシピを載せていることや、ボスの「聖アントニウスの誘惑」を前にして、ある部分だけを拡大模写している模写画家との対話で、あの絵の中に描かれている「魚」はハタではなくて淡水魚の「テンチ」であり、それのリゾットがいかにうまいかに触れている箇所など、各章でふんだんにポルトガル料理に対する蘊蓄が述べられている。
そうか、この人はグルマンなんだと確信したのである。






与那国島が軍人の島になってしまうなんて・・・

週のはじめに考える 与那国で浮上、海自誘致
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いちど金で転んだら、元には戻れないんだぞ!
昔、この島でちょっとだけの期間だが、タクシーの運転手をしていたことがある。
その時知り合った何人かの友人は、今もこの島で暮らしている。
そうした事情もあって、この島への思いは人一倍強いものがある。
そんな与那国島が軍隊の島になるなんて、耐えられない。

追記;司馬遼太郎の「街道をゆく」のシリーズの最初は確かこの島だった。スーパー「フクヤマ」とかが出ていた。もし、生きていたら司馬さんでも嫌になるだろう、この島の現状。








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