2018/05/31

アーサー・ケストラーとジョージ・オーウェルという二人の作家

二人の作家と二つの作品

アーサー・ケストラーは1905年生まれで、ジョージ・オーウェルは1903年生まれとほぼ同時代を二人は生きた。
この二人の作家は、同じテーマの作品を二作品書いている。
一つは「スペイン市民戦争」をテーマにした本で、
アーサー・ケストラーは「スペインの遺書」を、ジョージ・オーウェルは「カタロニア讃歌」を刊行している。
どちらも、共和国派支持の立場で、内戦下のスペインに潜入した記録である。


アーサー・ケストラー著「スペインの遺書」1937年刊行

スペイン内戦の初期の数ヶ月間、ケストラーはニュース・クロニクル紙のスペイン特派員だった。ファシストたちがマラガを占領した一九三七年のはじめには捕虜になっている。もう少しで銃殺されそうになった後、彼は数ヶ月間を要塞の監獄で過ごした。毎晩のようにとめどなく続くライフル銃の轟音を耳にしていたという。共和国派を処刑する銃声だ。彼はほとんどの時間を身近に迫った自身の処刑の危機の中で過ごしたのだ。これは「誰の身にも起き得る」危機ではなく、ケストラーの生き方に固有のものだ。当時のスペインでは政治的無関心はあり得なかった。人より用心深く事態を見守っていた者はファシストたちが姿を見せる前にマラガを脱出したし、イギリスやアメリカの新聞記者であればもっと慎重に取り扱われただろう。この出来事について書かれたケストラーの作品である。(ジョージ・オーウェル「アーサー・ケストラー」より




ジョージ・オーウェル著「カタロニア讃歌」1938年刊行

スペイン内戦の勃発を知り、オーウェルはファシストの反乱軍と戦うために、スペインのカタルーニャ地方へと赴き義勇軍に志願する。
戦局が共和国派に不利になるに従い、共和国政府内部で繰り広げられる権力争いが苛烈を極めた。
ソビエト・コミンテルンの武器援助などを背景として、共和国政府のヘゲモニーを握った共産党は、政府内の他の政党をトロツキストと決めつけ敵視し、フランコ反乱軍よりもそちらと戦うことを一義的な任務としだした。(主要打撃論)
前線で怪我をしたオーウェルは、負傷によりバルセロナへと後送される。しかし、そこで彼を待っていたものは、彼の部隊が所属していたPOUM(マルクス主義統一労働者党)の共産党政権による非合法化だった。そして共産党とPOUMやアナーキストとの間で繰り広げられる市街戦と共産党主導の政府による逮捕・投獄などの恐怖政治だった。……。



もう一つは、スターリン独裁体制への批判から生まれた本である。
アーサー・ケストラーはスターリン裁判をテーマにした「真昼の暗黒」を書き、ジョージ・オーウェルは、独裁体制と監視社会の恐怖を描いたディストピア小説「1984年」を出している。

アーサー・ケストラー「真昼の暗黒」 1940年刊行

革命家であり、現在は革命政府の要職にある主人公ルバショフ。彼は政府トップの地位にある「ナンバー・ワン」による粛清の標的にされ、でっち上げられた容疑で逮捕されて収容所に送られてくる。帝政ロシアの元将校である隣室の囚人と壁を叩いた音によって会話を交わしながら、彼は収容されるまでの経緯を追想する。かつての友人イワノフが彼の判決と命運を左右する地位についていることを知った彼だったが、さらに彼の前に現れたのは新しい革命世代の男グレトキンだった。グレトキンの取り調べを受ける中で彼は自らの意志で、でっち上げられた罪を自白していく。(Wikipediaより)







ジョージ・オーウェル著「1984年」1949年刊行

1950年代に発生した核戦争を経て、1984年現在、世界はオセアニア、ユーラシア、イースタシアの3つの超大国によって分割統治されている。さらに、間にある紛争地域をめぐって絶えず戦争が繰り返されている。作品の舞台となるオセアニアでは、思想・言語・結婚などあらゆる市民生活に統制が加えられ、物資は欠乏し、市民は常に「テレスクリーン」と呼ばれる双方向テレビジョン、さらには町なかに仕掛けられたマイクによって屋内・屋外を問わず、ほぼすべての行動が当局によって監視されている。

オセアニアに内属しているロンドンに住む主人公ウィンストン・スミスは、真理省の役人として日々歴史記録の改竄作業を行っていた。物心ついたころに見た旧体制やオセアニア成立当時の記憶は、記録が絶えず改竄されるため、存在したかどうかすら定かではない。スミスは、古道具屋で買ったノートに自分の考えを書いて整理するという、禁止された行為に手を染める。ある日の仕事中、抹殺されたはずの3人の人物が載った過去の新聞記事を偶然に見つけたことで、体制への疑いは確信へと変わる。「憎悪週間」の時間に遭遇した同僚の若い女性、ジューリアから手紙による告白を受け、出会いを重ねて愛し合うようになる。また、古い物の残るチャリントンという老人の店を見つけ、隠れ家としてジューリアと共に過ごした。さらに、ウインストンが話をしたがっていた党内局の高級官僚の1人、オブライエンと出会い、現体制に疑問を持っていることを告白した。エマニュエル・ゴールドスタインが書いたとされる禁書をオブライエンより渡されて読み、体制の裏側を知るようになる。

ところが、こうした行為が思わぬ人物の密告から明るみに出て、ジューリアと一緒にウィンストンは思想警察に捕らえられ、愛情省で尋問と拷問を受けることになる。彼は、「愛情省」の101号室で自分の信念を徹底的に打ち砕かれ、党の思想を受け入れ、処刑(銃殺)される日を想いながら“心から”党を愛すようになるのであった。(wikipediaより)





長々と引用をしてきたが、実は下記の小論を読むための参考資料として紹介しておいたのである。



ジョージ・オーウェルがアーサー・ケストラーを批評した小論がある。

■ジョージ・オーウェル 「アーサー・ケストラー」
青字部分をクリックすると元の記事へジャンプする。



上の論文で興味あるのは、「スペインの遺書」を書いた時点でのアーサー・ケストラーは「人民戦線派」であり、プロ・スターリニスト的であるという批判だ。確かに当時のケストラーは共産党員であり、フランコ・ファシスト対共和派という構図でしか、スペイン市民戦争が捉えきれていない。一方のオーウェルは、「スターリニスト」共産党の暴力を目の当たりにしてので、スペイン市民戦争の持つ深い意味(一国社会主義路線と社会ファシズム論)に気づいていたという点だ。
とはいっても、ケストラーのすごい点は、その先見性だろう。スターリン体制の暗部を描いた「真昼の暗黒」はオーウェルの「1984年」よりも9年も早く出版しているのである。実際、オーウェルは「1984年」の第3部の尋問シーンでケストラーの「真昼の暗黒」を下敷きにしている。
そのことからもわかるとおり、オーウェルはケストラーを高く評価していたことは間違いない。






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