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2018/08/01

オームの大量処刑について


村上春樹氏
寄稿 胸の中の鈍いおもり 事件終わっていない オウム13人死刑執行
毎日新聞2018年7月29日 東京朝刊


死刑の持つ意味
 七月二十六日に、七月六日に続いて二度目の死刑執行が一斉におこなわれ、これで死刑判決を受けた元オウム真理教信者の十三人、すべてが処刑されたことになる。実にあっという間のできごとだった。

 一般的なことをいえば、僕は死刑制度そのものに反対する立場をとっている。人を殺すのは重い罪だし、当然その罪は償われなくてはならない。しかし人が人を殺すのと、体制=制度が人を殺すのとでは、その意味あいは根本的に異なってくるはずだ。そして死が究極の償いの形であるという考え方は、世界的な視野から見て、もはやコンセンサスでなくなりつつある。また冤罪(えんざい)事件の数の驚くべき多さは、現今の司法システムが過ちを犯す可能性を--技術的にせよ原理的にせよ--排除しきれないことを示している。そういう意味では死刑は、文字通り致死的な危険性を含んだ制度であると言ってもいいだろう。

 しかしその一方で、「アンダーグラウンド」という本を書く過程で、丸一年かけて地下鉄サリン・ガスの被害者や、亡くなられた方の遺族をインタビューし、その人々の味わわれた悲しみや苦しみ、感じておられる怒りを実際に目の前にしてきた僕としては、「私は死刑制度には反対です」とは、少なくともこの件に関しては、簡単には公言できないでいる。「この犯人はとても赦(ゆる)すことができない。一刻も早く死刑を執行してほしい」という一部遺族の気持ちは、痛いほど伝わってくる。その事件に遭遇することによってとても多くの人々が--多少の差こそあれ--人生の進路を変えられてしまったのだ。有形無形、様々(さまざま)な意味合いにおいてもう元には戻れないと感じておられる方も少なからずおられるはずだ。

 僕は自分の書いた本を読み直して泣いたりするようなことはまずないが、この「アンダーグラウンド」という本だけは、必要があって読み返すたびに、いくつかの箇所で思わず涙が溢(あふ)れ出てきてしまう。そのインタビューをしていたときの空気が、そこにあった気配や物音や息づかいが、自分の中にありありと蘇(よみがえ)ってきて、息が詰まってしまうのだ。たとえセンチメンタルだと言われようと、僕は本を(小説を)書く人間として、そういう自然な気持ちを押さえ込んでしまいたくないし、できることならそれを少しでも多く読者に伝えたいと思う。また僕自身も、この一冊の本を書くことを通して、自分の中で何かが確かに変化したという感触を持っている。

遺族感情 どこまで反映
 ただ、遺族感情というのはなかなかむずかしい問題だ。たとえば妻と子供を殺された夫が証言台に立って、「この犯人が憎くてたまらない。一度の死刑じゃ足りない。何度でも死刑にしてほしい」と涙ながらに訴えたとする。裁判員の判断はおそらく死刑判決の方向にいくらか傾くだろう。それに反して、同じ夫が「この犯人は自分の手で絞め殺してやりたいくらい憎い。憎くてたまらない。しかし私はもうこれ以上人が死ぬのを目にしたくはない。だから死刑判決は避けてほしい」と訴えたとすれば、裁判員はおそらく死刑判決ではない方向にいくらか傾くだろう。そのように「遺族感情」で一人の人間の命が左右されるというのは、果たして公正なことだろうか? 僕としてはその部分がどうしても割り切れないでいる。みなさんはどのようにお考えになるだろう?

葛藤 秘められたまま
 僕は「アンダーグラウンド」を出版したあと、東京地裁と東京高裁に通って地下鉄サリン・ガス事件関連の裁判を傍聴することにした。仕事の関係で旅行に出ることも多く、もちろんすべての法廷には通えなかったが、東京にいるときは時間の許す限り傍聴した。とくに林泰男(元死刑囚)の裁判には関心があったので、そちらを主にフォローした。僕が林泰男の裁判に関心を持ったのは、彼がサリン・ガスを散布した日比谷線(中目黒行き)の車両がもっとも多数の被害者を出し、そのうちの八人が命を落とされたからだ。僕がインタビューした被害者も、その車両に乗っていた人が圧倒的に多かった。彼は他の実行犯たちが、サリン・ガス溶液の入った二つのビニール袋を、尖(とが)らせた傘の先で突いたのに対し、自分から進んでビニール袋を三つに増やしてもらい、それを突いた。そのことも被害者の多さに繋(つな)がっていると言われる。その林泰男というのはいったいどういう人物なのだろう? どのようにしてそんな重大な犯罪を犯すに至ったのだろう? 僕としてはそれを自分の目で見届けたかった。伝聞なんかではない第一次情報として知りたかった。

 結果として、林泰男はかなり複雑な感情を抱えた人間だという印象を僕は持った。今ここで「彼はこういう人間だ」とはっきり割り切ることは、とてもできそうにない。彼の裁判には何度も足を運んだが、被告席に座った彼が何を考え、何を感じているか、その本当の気持ちを見極めることはむずかしかった。どちらかといえば、自分にとって大事なものは殻の中に収め、人目には晒(さら)さないという態度を静かに保っているように見えた。長い逃亡生活中に身につけたガードの強さみたいなものも、そこにはあったかもしれない。相反するいくつかの感情を、うまく統合しきれないまま、捌(さば)ききれないまま自分の中に抱え込んでいるような印象も受けた。ただ自らの行為を悔やみ、審理の進行に対して終始協力的であったとは聞いている。

 昔の友人や知人の証言を総合すると、本来は前向きで、真面目な考え方をする素直な青年であったようだ。弱い部分や、心の傷を抱えてはいたが、自らを律しようという意志もそれなりに強かった。多くの人々が彼に対して好感を抱いていたようだ。しかしそのような真摯(しんし)で前向きの姿勢をうまく活用できる状況に、自分の身を置くことがむずかしかったらしい。それはこの裁判で裁かれた多くの元オウム真理教信者について、共通して言えることでもあるのだが……。そして「修行」という名の新しい文脈が、彼らの充(み)たされざる思いを手際よく有効に、そして結局はきわめて邪悪に、すくい上げていくことになった。

 林泰男の裁判に関して、僕がよく覚えているのは、法廷にいつも必ず彼のお母さんが見えていたことだ。誰かが「あれが林の母親だよ」と教えてくれた。小柄な女性で、よく僕の前の傍聴席に座っておられた。裁判のあいだじゅう、ほとんどぴくりともせず、たぶん被告席の息子の方をじっと見ておられたのだと思う。彼女の姿が法廷に見当たらなかったのは、判決言い渡しの当日だけだった。おそらく息子に極刑の判決が下りることを覚悟し、それを実際に耳にすることに耐えられなかったのだろう。まだお元気でおられるのか、今回の死刑執行の報を耳にしてどのように感じておられるのか、それを思うと胸が痛む。

木村判決 一筋の光明
 林泰男の裁判に関して、もうひとつ印象に深く残っているのは、担当裁判官であった木村烈氏がとても公正に、丁寧に審理を運営しておられたことだ。最初から「実行犯は死刑、運転手役は無期」というガイドラインが暗黙のうちに定められている状況で(林郁夫=受刑者・無期懲役確定=という例外はあったものの)、審理を進めていくのにはいろんな困難が伴ったと思うのだが、傍聴しながら「この人になら死刑判決を出されても、仕方ないと諦められるのではないか」と感じてしまうことさえあった。

 正直に申し上げて、地裁にあっても高裁にあっても、唖然(あぜん)とさせられたり、鼻白んだりする光景がときとして見受けられた。弁護士にしても検事にしても裁判官にしても、「この人は世間的常識がいささか欠落しているのではないか」と驚かされるような人物を見かけることもあった。「こんな裁判にかけられて裁かれるのなら、罪なんて絶対におかせない」と妙に実感したりもした。しかし林泰男の裁判における木村裁判長の判断に関する限り、納得できない箇所はほとんど見受けられなかった。判決文も要を得て、静謐(せいひつ)な人の情に溢れたものだった。

 「およそ師を誤るほど不幸なことはなく、この意味において、林被告もまた、不幸かつ不運であったと言える。(中略)林被告のために酌むべき事情を最大限に考慮しても、極刑をもって臨むほかない」

 気持ちがしっかりと伝わってくる優れた判決文だったと思う。それは希望の余地というものがほとんど存在しないこの長い裁判を通して、最後に辛うじて差し込んできた微(かす)かな光明のようなものだったかもしれない。

十三の死 踏まえ考える
 それでも死刑判決を生まれて初めて、実際に法廷で耳にして、それからの数日はうまく現実生活に戻っていくことができなかった。胸に何かひとつ、鈍いおもりが入っているような気がしたものだ。裁判長の口から死刑が宣告されたその瞬間から既に、死は法廷の中に姿を現していた。

 そして今、オウム事件関連の死刑囚、十三人全員の死刑が執行されたとの報を受けて、やはり同じように胸の中のおもりの存在を感じている。表現する言葉をうまく見つけることのできない重い沈黙が、僕の中にある。あの法廷に現れた死は、遂(つい)にその取り分をとっていったのだ。

 十三人の集団処刑(とあえて呼びたい)が正しい決断であったのかどうか、白か黒かをここで断ずることはできそうにない。あまりに多くの人々の顔が脳裏に浮かんでくるし、あまりに多くの人々の思いがあたりにまだ漂っている。ただひとつ今の僕に言えるのは、今回の死刑執行によって、オウム関連の事件が終結したわけではないということだ。もしそこに「これを事件の幕引きにしよう」という何かしらの意図が働いていたとしたら、あるいはこれを好機ととらえて死刑という制度をより恒常的なものにしようという思惑があったとしたら、それは間違ったことであり、そのような戦略の存在は決して許されるべきではない。

 オウム関連の事件に関して、我々には--そしてもちろん僕自身にも--そこから学びとらなくてはならない案件がまだたくさんあるし、十三人の死によってそのアクセスの扉が閉じられたわけではない。我々は彼らの死を踏まえ、その今は亡き生命の重みを感じながら、「不幸かつ不運」の意味をもう一度深く考えなおしてみるべきだろう。

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これを読んだとき、思わず「へえっ!」と思ってしまった。
「死刑判決」がどうして、「静謐(せいひつ)な人の情に溢れたものだった。」のだろうか。
失望というより、怒りににた感情がこみ上げてきた。
そして、辺見庸の文章を読んで、同じ感情なのを知った。


 


 
辺見庸はそのブログで下記のように書いている。(共同通信の記事はまだ読んでいない)



◎再び処刑関連原稿 辺見庸

「人びとはこれを望んだのかーー気づかざる荒みと未来」と題する一文(7枚)を寄稿しました。共同通信から各加盟紙に配信されます。
ご一読ください。原稿の末尾で、村上春樹氏の発言(7月29日付毎日新聞)を批判しました。

氏は「『私は死刑制度には反対です』とは、少なくともこの件に関しては、簡単には公言できないでいる。『この犯人はとても赦すことができない。
一刻も早く死刑を執行してほしい』という一部遺族の気持ちは、痛いほど伝わってくる」と述べている。

被害者感情と処刑(死刑制度)を同一線上でかたるのは、よくありがちな錯誤である。前者の魂は後者の殺人によっては本質的にすくわれない、とわたしは書いた。

にしても、村上氏の文には正直おどろいた。
「・・・林泰男の裁判における木村裁判長の判断に関する限り、納得できない箇所はほとんど見受けられなかった。判決文も要を得て、静謐な人の情に溢れたものだった」
極刑判決をほめたたえる神経は、わたしにはとうてい理解不能だ。

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