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2018/09/05

一般の下級兵士を消耗品とみなす「旧日本帝国軍の幹部たち」


(インタビュー)特攻生んだ日本社会は 作家・演出家、鴻上尚史さん
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9回出撃して、9回生きて帰った特攻隊員の「その後の人生」
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上の記事を読んで、この本をアマゾンで買った。



鴻上尚史著. 不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか (講談社現代新書)


不死身の特攻兵







日本軍の真実

12月8日は日米開戦があった日。沖縄をはじめ全国に米軍の基地や施設があり、不平等な日米地位協定や航空管制など、“戦後"はまだ続いている。76年前に無謀な戦争をしなければ、そして、その前に愚劣な中国侵略を始めていなければ、こんなことにはならなかっただろうに。

戦争の始め方もばかげていたが、終わり方も悲惨だった。面目にこだわった軍部は負けを受け入れようとせず、一般国民はひどい目にあった。

日本軍の戦術でもっとも愚劣なものが特攻だろう。飛行機だけでなく操縦者の生命も失われる。日本軍が人命を軽視したことを象徴している。

だが、出撃しても生きて帰ってきた特攻兵がいた。それも9回も。昨年の2月、92歳で亡くなった佐々木友次氏がその人である。鴻上尚史の『不死身の特攻兵』は、佐々木氏や特攻について調べたこと、佐々木氏へのインタビュー、そして、それらからこの劇作家が考えたことの三つの要素からなる。

なるほどと思ったのは、特攻は兵士の誇りを傷つける作戦だったという話。体当たりせよという命令は、それまで訓練してきた急降下爆撃などの技術を否定するものだ。だから佐々木氏らは、命令に逆らって米軍の戦艦に爆弾を投下して帰還した。

だが、軍は生還した兵士をねぎらうどころか冷遇する。早く再出撃して、こんどこそ死ねと迫る。体当たりして戦果を上げたと、天皇にも報告してしまったのだから、というのが軍幹部のいいぶんだ。しかも命令した上官は、米軍が迫ると台湾に逃げ出す始末。これが戦争の現実、日本軍の真実だ。

評者:永江朗 (週刊朝日 掲載)  





自発的に志願したというのは嘘。じつはほぼ強制だった。

「特攻隊」のことを書いた本で「神風特別攻撃隊」という戦後、ベストセラーになった本がある。大西瀧治郎中将の部下であり、特攻を命じた中島正飛行長、猪口力平参謀が書いたものである。
そのなかで、海軍第一回の特攻隊長に指名された関大尉が、話をきいたその場で「ぜひ、私にやらせてください」と快諾したかのように描かれているが、それはじつは嘘で、「一晩考えさせてください」といったことが、当時の副官だった玉井大佐の証言や、当の猪口参謀が大西中将の副官だった門司親徳に、戦後話していることで明らかになっている。
どちらにしても、その場でなんの躊躇もなく「快諾した」なんていうことではなかったのである。
ここで重要なことは、自分の上官からぜひ「いってくれ」と頼まれれば断れきれないのが軍隊である。いわば「絶対命令」なのである。
一般の特攻隊員に対しても、同じように「志願」の形をとったと記されているが、実態はそんなものではなかったという、特攻生き残りの隊員の証言がある。

このように「神風特別攻撃隊」という本は、徹底して特攻を「命令した側」の視点に立って描いた本だと著者は指摘している。
特攻の志願者は後をたたず、全員が出撃を熱望するように描かれている。
「このように、特攻隊員の全員が志願なら、自分たち上官の責任は免除されます。上官が止めても、「私を」「私を」と志願が殺到したのなら、上官には「特攻の責任」は生まれません。が、命令ならば、戦後、おめおめと生き延びていたことを責められます。多くの上官たちは、「私もあとに続く」とか「最後の一機で私も特攻する」と演説していたのです。大西滝治郎中将のように、戦後自刃しなかった司令官たちは、ほとんどが「すべての特攻は志願だった」と証言します。私の意志と責任とはなんの関係もないのだと。」

かくして、猪口と中島は、それぞれ昭和の終わりと平成まで生き、80歳と86歳でなくなっている・・・そうだ。

旧日本帝国軍幹部たちの、一般兵士の人命の軽視、信じられない精神主義を、ノモンハン事件、インパール作戦などで知らされたのだが、その遂行責任者が責任を取らないで、平然としていることに毎回驚かされる。
今回も、そうしたため息をつきながら読み終えたのである。
















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